第二話 王立警邏隊ギルス本部
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アルバを討伐したクロウ達は、そのままの足でイアーオ区にあるフルビルタス王立警邏隊ギルス本部へと向かった。
王立警邏隊はフルビルタス王国の治安維持などを担う組織で、ギルス本部は王都内の治安維持や各種業務の他、各支部の統括や査察、国を跨ぐ大規模な犯罪組織の調査などを行なっており、卯下の猟犬と協力関係にある咎人病対策課もこの中にあった。
賑やかな繁華街を横目に屋根の上や路地裏を通りながら別棟へと向かう。咎人病対策課は別棟の三階、資料室の隣にあった。
「おーい、ルシ。……居るかぁ?」
クロウは、そう言って別棟の三階にある咎人病対策課の扉を開けた。中は狭く、机の上や床には資料が散乱していた。「……あれ? 誰もいねえ……」
部屋の中には誰もいなかった。
「仮眠中、とかじゃないの?」
フェリは仮眠室を指差しながらそう言うと、部屋の中を見回しながら、
「……ていうか、汚いねぇ、相変わらず、」
と、言った。
「本当よね。クロウの部屋といい勝負だわ」
リーゼロッテがフェリの言葉に頷きながらそう言うと、クロウは、
「……うっせ、」
と、小さく言った。
「でも、困ったね。ルシレールさんが居ないんじゃ……。流石に証拠品をこのままにしていくわけにもいかないし……、」
イヅナはそう言った。
討伐したフェンゲに関するものは証拠品として全て提出することになっていた。
「あ? 待てばいいじゃねぇかよ」
「えー、ヤダよ。こんな汚い部屋ぁ、」
フェリがそう言うと、後ろから、
「へっへー、汚なくて悪かったねぇ、フェーリちゃんっ、」
と、弾むような野太い声が聞こえてきて、彼女の肩にムチッとした分厚い手がポン、と置かれる。直後――
「……ひゃっ、」
と、フェリが声を上げ、少し遅れてクロウの、
「ひゃっ⁉︎」
と、いう声が上がった。
「……はは、なんだよ、その声、」
フェリの背後に立つ大柄な男がせせら笑う。
クロウは目をギロっとさせながらバッと後ろを振り向いて、
「脅かすんじゃねぇよ、ルシレールッ!」
と、言った。
ルシレールと呼ばれた男は、不満そうに顔を顰めながら、
「あ? 呼び捨てにすんじゃねぇよ、犬、」
と、言った。とろんと惚けた目がクロウ達をじっと、見下ろした。
瞳の色は濃い茶色、フケ混じりの髪はボサボサで、シャツと襟締めはヨレヨレ、顔は少し丸っこく無精髭が目立っており、赤く、酒臭かった。
「……ていうか、うわっ、酒臭えッ!」
クロウが鼻を摘みながらくしゃっと顰めっ面でそう言うと、ルシレールはぼんやりとした口調で、
「ん? ああ、さっきまで飯食ってたからなぁ……、」
と、言った。
「テメェッ! 俺達が大変な思いしてるってのに呑気に飯食って酒飲んでんじゃねぇよッ!」
クロウは額に青筋を浮かべながらギャーギャーと怒鳴り散らす。ルシレールは不機嫌そうに顔を顰めながら黙って耳を傾けたあと、
「あんだよ、別にいいだろ? お前ら化けもん共の戦いに巻き込まれたくねえんだよ、」
と、返した。
「化け物って……、うわっ、ひっど、」
フェリが不機嫌そうに顔を顰めると、ルシレールは、
「まっ、とりあえず話があるなら入ってくれ。そこに居られると邪魔だからよっ、」
と、言ってクロウ達を部屋に入るように促した。ルシレールは部屋の中に入ると、比較的綺麗な机を手で恭しく指し示しながら、
「……リーゼロッテ嬢とフェリちゃんは、この綺麗な所にどーぞ」
と、言った。顔はにやけており、下心丸出しといった印象だった。
「……どうも、ありがとう」
リーゼロッテがそう言うと、ルシレールは二人が見える位置にある新聞紙が置かれた机の椅子に座りながら、
「……、んで、男どもは適当なとこに座ってろ」
と、冷たい言葉を投げかけた。
「おおーい、コタッ! 茶だ、茶ぁッ! ……茶ぁ淹れてくれッ!」
ルシレールがそう言うと、
「はーい、わかりましたー」
と、返事をしながら若い男が入ってきた。
彼は少年のようなあどけなさを残した端正な顔立ちで、ルシレールとは違い整った身なりをしていた。瞳の色は黒、薄い茶色の髪は短く切り揃えられていた。
「……ったく、茶ぐらい自分で淹れろっての、」
クロウがそう言うと、若い男は、
「はは、僕は気にしてませんからお気になさらずに」
と、柔和な笑みを浮かべながらそう言った。
「……でも、少しは文句を言った方がいいですよ? フマウさん」
リーゼロッテがそう言うと、クロウは、
「そーだぜ、フマウ。……コイツ、すぐに調子に乗っからよ、たまにはガツンと言ってやれって、」
と、言った。その言葉にフマウは戸棚からカップを取り出しながら、
「はは……、」
と、困ったような笑みを浮かべていた。
「……さぁて、さて。……本日のレーガスレイの結果はぁっと……、」
ルシレールは、うっきうきと嬉しそうに新聞を開きながらそう呟くと、
「はぁ、ツイてねぇ……」
と、ため息を溢したあと、
「……あとさ、クロウ。おめぇ、もう少し愛想よくしとけよ?……でねぇと、折角の可愛いお耳が台無しになっちまうぜ?」
と、言った。
「喧嘩売ってんのか?……なら、やめとけよ。俺、今、スッゲェ機嫌悪りぃからさ、」
クロウがそう言うと、ルシレールは笑いながら、
「……なんだよ、賭場でスッたか?」
と、言った。
「テメェと一緒にすんなッ! ……ていうか、スッたとしてもここにゃ来ねぇよッ!」
「……じゃ、一体何の用なんだよ?」
ルシレールはそう言うと、ハッと何かに気が付いたような顔をしながら、
「……まさか、リーゼロッテ嬢とフェリちゃん、俺に気が合うって言うんじゃ……」
と、言った。それに対してリーゼロッテとフェリがすかさず、
「ない」「ないわ」
と、口を揃えた。
「バカ、俺らがテメェんとこに来る理由なんてひとつっきゃねぇだろッ⁉︎」
クロウが声を荒らげながらそう言うと、イヅナは、
「そうですよ。フェンゲ討伐の証拠を持って来たんですから、」
と、言った。
「……ンなことは分かってるって、冗談に決まってんだろ? 冗談に……」
ルシレールは新聞を畳みながらため息混じりにそう言うと、続けて、
「……だからそんなにカッカすんなって。カッカはカッカだけで十分なんだからよ、」
と、言った。
「……は? なんだよそれ?」
クロウがそう言うと、ルシレールは、
「最近流行ってる冗談だよ。……ほら、エラローリア語で《怒る》はカッカっていうだろ?」
と、言った。
「だいぶ古い言い方だけどな、」
「んで、鰹も……、まあ、エルシェ地方の言葉だけどよ、フルビルタス語で鰹のことを《カッカ》っていうんだよ」
ルシレールがそう言うと、クロウは、
「……それにしたって、意味がわかんねぇよ」
と、言った。
「……まあ、要するにあんまり怒るなってことだよ」
ルシレールはそう言うと、壁際の棚を指差しながら、
「……とりあえず、そこの棚ん中にでも入れといてくれ、」
と、言った。
「ふざけんな。そこは警邏隊の仕事なんだからよ、テメェでやりやがれってんだッ!」
クロウがそう言うと、ルシレールは猫撫で声で、
「……とか言って、やってくれんだろ? 何せ、クロウくんはとーっても優しいからさぁ、」
と、言った。
「……気持ち悪りぃ声出すんじゃねえよッ!」
クロウはそう言うと、
「……あー、もう、わかったよ」
と、言って、軽く舌打ちをしながら立ち上がり、棚の方に向かった。
棚にはこれまで討伐したフェンゲに関する証拠品が納められており、引き出しには事件名が記された名札が取り付けられていた。
クロウは空いている引き出しの中に真っ二つに裂けたアルバの服と討伐状を入れ、名札に《アルスレート一家惨殺事件》と、事件名を記した。
「……ほら、入れてきてやったぜ?」
そう言いながら引き出しを閉めると、フマウが、
「どうもありがとうございます」
と、言いながら湯気の立つカップをルシレールの机の上に置いた。
「ありがとな、クロウ。……やっぱ、お前は優しい奴だよ。……あとで何か奢ってやるからよ。そう不貞腐れんなよ」
「……あー、そうですか、」
クロウは、気のない返事をしながら椅子に座ったあと、
「……まっ、何年掛かるか分かんねえけど、とりあえず気長に待っといてやるよ、」
と、続けた。
「……おいおい、酷くねぇか?」
ルシレールが軽く笑いながらそう言うと、郵便物を仕分けていたフマウが、
「……あっ、課長、お手紙が来ていますよ?」
と、言って、一通の手紙を差し出した。
「……手紙? 俺宛にか? どーせ、また俺への熱烈な愛の告白だろ? あーあ、モテる男は辛いねぇ……」
「そんな奇特なヤツ、居んのかよ?」
「うっせぇなぁ。……それが、居るんだよ。……熱心な奴が、さ、」
ルシレールはそう言って手紙をくるりと裏返した。「差出人は……、王立警邏隊パルザール支部・ラトウィル・ウィトス……?」
「……知り合いか?」
クロウがそう言うと、ルシレールは、
「いんや、パルザールに知り合いなんて居ねえけどな、」
と、言いながら手紙の封を切った。
クロウはカップの中身を一気に飲み干したあと、
「悪りぃ、もう行くわ」
と、言って立ち上がった。
「……あれ、もう行くんですか? 今からお菓子を出そうと思っていたんですけど……、」
フマウが皿を片手に持ちながらそう言うと、
「おう、用事は済んだからな」
クロウはそう言うと、手紙を読んでいるルシレールを見ながら、
「それに、ルシと話すことなんてねぇしな、」
と、言ったあと、
「じゃあな、」
と、言って、イヅナ達と共に部屋から出て行こうとした。ふと、ルシレールの、
「おーい、ちょっと待て。犬どもー、」
と、いう声が聞こえてきた。
「あ? なんだよ。……てか、その呼び方やめろッ」
クロウが振り向きながらそう言うと、ルシレールは読んでいた手紙を指差しながら、
「喜べ、新しい仕事だ」
と、言った。
「喜びたくもねぇし、お前に指図される筋合いはねぇよ」
クロウがそう言うと、ルシレールは、
「かーっ、悲しいねぇ。……俺達にはフェンゲの脅威から人々を守るっていう共通の使命があるってのにさぁ……」
と、大袈裟な身振り手振り、芝居がかった口調でそう言ったあと、
「……まっ、いいけどよ、別に」
と、打って変わってあっけらかんとした口調でそう言うと、フェリが、
「いいんだ……」
と、小さな声で言った。
「許可なら後で取っておくからよ、とりあえず、明日の一番早い列車でパルザールに向かってくれ」
「……パルザールって、確かフィリア湖観光鉄道の沿線にある町ですよね?」
リーゼロッテがそう言うと、ルシレールは、
「そうだ。……だいたい、三、四日ぐらいあれば着くか?……それと観光鉄道への乗り換えがフッリバであるからな。忘れんじゃねえぞ?」
と、捲し立てるように言った。
「おい、ルシレール……」
「とりあえず、切符の手配はしといてやっからよ、明日の朝、アルテメスの所に行ってくれ。……おい、コタッ! 明日の列車の切符を買ってきてくれ。時間が一番早えやつな、」
ルシレールがそう言うと、フマウは、
「はいッ!」
と、言って部屋から出ていった。
「さて、と……」
そう言って椅子から立ち上がると、ルシレールも部屋から出ていった。
「……ったく、強引なんだからよ。……まだ、俺達が行くとも決まったわけじゃねぇのにさ、」
クロウがため息混じりにそう言うと、イヅナが、
「……まあ、仕方がないよ」
と、言いながら机の上に置きっぱなしになっていた手紙を手に取ると、ざっと目を通した。
「……殺人事件……、それもフェンゲ絡みだね」
イヅナはそう言うと、手紙をクロウに手渡した。そこには活字体でこう書かれていた。
『はじめまして。
私は、王立警邏隊パルザール支部の咎人病対策課に所属していますラトウィル・ウィトスと申します。突然このような手紙を出しましたことをお許しください。
私が住んでいるパルザールで起きたマリアという若い女性が失踪する事件にフェンゲが関わっている可能性が出てきました。被害者は既に殺されています。
事態は急を要します。正規の手順を踏んでいないことは重々承知の上ですが、何卒、卯下の猟犬の派遣をお願い致します。
ラトウィル・ウィトス』
「……でも、珍しいわよね。活字で打つなんて、」
リーゼロッテがそう言うと、クロウは、
「単に字が汚ねえんじゃねぇのか?」
と、言った。
「クロウみたいに?」
フェリがそう言うと、クロウは、
「うっせぇよ、」
と、言った。
「……でも……、なんか変だね」
イヅナが首を傾げながらそう言うと、クロウは、
「そうか?」
と、言って手紙をじっと見つめた。
「……おかしなとこなんて――」
クロウがそう言うと、
「――あるよ」
と、ルシレールの声が聞こえてきた。振り向くと、分厚い資料を抱えたルシレールの姿があった。
「何処がおかしいんだよ?」
「あ? クロウ、テメェそんな事もわかんねぇのかよ」
ルシレールがため息混じりにそう言うと、イヅナは、
「……討伐すべきフェンゲの名前が書いていない、ですね?」
と、言った。
「そうだ。……卯下の猟犬の派遣を要請する際は討伐対象に関する情報を記載する決まりになっている。……お前らがすぐに掛かれるようにってのと、討伐状を書くためだ。……まっ、最近じゃ、声送機が一般的だけどな」
ルシレールはそう言うと、抱えていた資料の山を机の上に置いた。
「……あと、おかしな点はもう一つある」
「もう一つ?」
クロウが首を傾げながらそう言うと、リーゼロッテが、
「活字で打っているってことですね?」
と、言った。
「その通り。活字よりも手書きの方が早えからな」
ルシレールはそう言うと、椅子に腰掛けた。「……文面からは切迫感が感じられるが、なんつーか、こう、チグハグな感じがどうも引っかかんだよな……」
「……警邏隊員の勘って、奴か?」
クロウがそう言うと、ルシレールは、
「……まっ、そんなとこだな」
と、言ったあと、続けて、
「……さっ、もう帰って休め、お前ら。明日は早えんだからよ」
と、言った。
「……ちゃんと起きなさいよね?」
リーゼロッテがそう言うと、クロウは顔をむすッとさせながら不満げに、
「ガキ扱いすんじゃねえよ」
と、言った。
「あら? 本当のことじゃない」
そう言うリーゼロッテの言葉に周りも頷く。クロウは不貞腐れ気味に、ぷいっとそっぽを向いた。
――ジリリィン……。
ふと、壁の声送機の鐘が鳴る。
「あっ、声送機が……」
リーゼロッテがそう呟くと、ルシレールは壁際まで歩いていき受話器を取った。
しばらく、うんうんと頷きながら何かを話したあと、受話器を置いて通話を遮断すると、ルシレールは机に戻り、
「時間が決まったぞ。……とりあえず、明日の朝、七時にギルス大拝言堂集合だ。……出発は八時半だが、色々と説明したいことがあるからな。……いいか? 遅れんじゃねぇぞ?」
と、言いながら椅子に座った。
「わかったよ」
クロウはそう言った。
ふと、時計台の鐘の音が聞こえてきた。壁の時計に目をやると、時計の針が一一時を差していた。
「それじゃ、そろそろ帰ろうか? 色々と準備もあるだろうからさ、」
イヅナがそう言うと、クロウは、
「そうだな」
と、言って、イヅナ達と共に部屋から出ていった。廊下に出て扉を閉め、一階に向かう。外に出て各々が自宅に帰ろうとすると、クロウは、
「……じゃ、リーゼロッテ。行こうぜ?」
と、言ってリーゼロッテを呼び止めた。
「……明日にしない?」
リーゼロッテがそう言うと、クロウはむすっと顔を顰めながら、
「あとで見るって言ったのはお前だろ?」
と、言った。リーゼロッテは軽くため息をついたあと、
「わかったわよ。……それじゃ、いきましょう?」
と、言ってクロウと共に夜の繁華街に消えていった。