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7.最期の言葉

今朝、お医者様が来られた。

聴診器を当てる事もなく、母の命があと少しだという事を知らされる。


覚悟はしていたけれど、全く実感が湧かず、何も手がつかない。


そしてもう一つ気がかりなのは、昨日の夕方飛び出したきり帰ってこないあの人。

もう彼がこの屋敷を出て、丸一日経ってしまった。


道中で倒れていないだろうか。

ないネクタリンを、血眼になって探し回っているのではないか。


らしくない事を彼にさせて申し訳なかったけれど、私はどうかあります様に、母の元へ間に合います様にと願った。


そして夜の21時を回ろうかとした頃、ボロボロの状態の彼がようやく帰ってきた。

その手には、たった一つのネクタリンが。


「クリス!!」


「…俺の事はいいから。

早く、義母上にこれを…!」


どうやって見つけ出したのか。

どうしてそんなにボロボロなのか、聞きたい事は山ほどあったけれど、彼の言う様に今は母にこれを届けなくてはいけない。


涙目になりながらネクタリンを受け取ると、彼は小さく笑ってその場に座り込んだ。


「大丈夫!?」


「長時間早馬で駆けたせいだ。

とにかく、俺の事はいいから、早く」


私は小さく頷くと、調理場へ向かった。

母が食べやすい様小さく切り分け、念のため熱湯消毒を施す。

完熟を少し通り越しているが、逆に柔らかくて食べやすそうだ。


私は急いで母の元へ向かった。

扉をノックし、名前を言う。


「まあ!間に合ったのですね!良かった…」


ジルが内側から扉を開けてくれて、私の手元にあるネクタリンを見た瞬間、涙ぐんだ。

母は誰かが常駐している事を嫌い、今まで用がある時だけ使用人を呼んでいたが、今は何が起こるか分からない状態。ジルと私とカーラの交代で母の元についていた。


「母様。クリスが夜通し走って、ネクタリンを見つけてきてくれました」


言わずには言られなかった。

母がゆっくり目を開ける。


「ああ…ネクタリン……食べたいわ」


私はすでに涙ぐみながらジルと一緒に、母をゆっくり起こす。

いつの間にかカーラもマルクも入室していた。

みんなで、母がネクタリンを口に含む瞬間を見守る。


「甘い…熟してるわ

でも私、もう少し硬い方が好きですのに」


「…ふふ、母様ったら」


こんな時でも母らしい感想に思わず笑みが溢れる。

ぽたり、と涙が頬を伝った。


「でも、嬉しい…

あの子は…来ていないの?」


「今は休んでいます。呼びましょうか?」


「いいわ…休ませてあげて。

協力するつもりなんてない、と言ったけれど、こんな素敵な贈り物をしてくれたもの、しょうがないわね…ティアナ」


突然名前を呼ばれ、母が私の頬に触れる。


「ごめんなさい…ごめんなさいね、ティアナ」


「何故、謝るのですか…?」


母の突然の謝罪に、動揺する。

母の瞳には涙が浮かんでいた。


「私達が…ちゃんと見極めれていれば、あなたを純粋に愛してくれる男性と、今頃幸せに暮らしていたかもしれないのに」


「……っ!何をおっしゃるのですか!

確かに、彼とは思いを通わせる事は出来なかったけれど、シアンが私のおかげで屋敷が生まれ変わったと言ってくれたのです。

それは、母様が私に、ただ世話になるだけの人間になるなと、育ててくれたから…。

私は、あそこに嫁いだ意味があったのです。

だから、父様を、母様を、恨んでなどいません。

ただ、私が弱かっただけなのです…」


どうかご自分を責めないで…そう願う様に、私の頬に当てた母の手を握る。


「あなたは本当に優しい娘ね…

ごめんなさい、横にならせてくれる?」


マルクがすっと私の横に来て、母をゆっくりと寝かす。その頬には、涙が伝っていた。


「…ティアナ、あの人はたくさん私に愛してると言ってくれました。そして私も、あの人にたくさん愛してると伝えました。あなたが一番知っているでしょ?

それでも、もっと伝えておけば良かったと、後悔しているのです。

あなたは、いいの?

一度も、彼に愛してると伝えなくても、いいの?」


「…母様…」


「マルク、あなたもよ。伝えられる時に、たくさん伝えてあげなさい。

…この家を、よろしく頼みます」


「はい、母上」


これは、母が最期の言葉を送ろうとしている。

私はそっと、カーラに場所を譲る。


「…カーラ、私の愛しいもう一人の娘。

またこんな思いをさせて…ごめんなさい。

あなたの笑顔にたくさん救われたわ…マルクと一緒に、この地を守って」


「…はい、お義母、様…」


「ジル…」


「ベラ様…私にまで言葉を送る必要はありません…」


「いいえ、あなたは私の大事な幼馴染なのです。

ずっと、私の側にいてくれてありがとう…

また来世でも、友人になって下さいね」


「もちろんです…ベラ様」


「義母上」


その時、聞き覚えのある声が響いた。


「クリス…」


身支度は整えた様だが、まだ所々土と埃だらけの彼が立っていた。

すると突然、彼が膝を突き、床に額をつけた。

私は驚いて彼を止めようとしたが、その私をマルクが止めた。

黙って見ていろ、そう言っている気がした。


「この様な格好で大変申し訳ございません。

しかし、私はどうしてもあなた様に感謝を申し上げたく、参りました。

本当に、本当にありがとうございました。

こんな不甲斐ない男をずっと見守り、最後のチャンスを与えて下さって」


「…どうですか、たくさん痛い目に遭いましたか」


「はい。ですが、彼女に比べたら、どうという事もないです」


「そうでしょう…さあ、頭を上げなさい。

一当主がみっともない。

私はもう助けてやれないから、後はしっかりなさい。

ネクタリン…美味しかったわ」


「………っ」


「あら、あなたも泣く事があるのね…」


母は薄く笑うと、そっと目を閉じた。


「みんな、ありがとう。少し…休みます」


そう言い残すと、母は眠った。

そしてそのまま眠り続けて、翌日の夜に、母はそっと旅立った。

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