3.突然の訪問
それから1ヶ月。
母の身の回りの世話や、色々な事に追われ、思っていたよりも目まぐるしく毎日が過ぎていった。
何十年間とリディア領で過ごしていた自分が、既に懐かしく感じ始めている。
息子とお嫁さんから、手紙が一通届いた。
休みが取れたら遊びに行くという内容と、愛孫のかわいい成長日記。さすがに、胸に詰まるものがある。
それでも、自分で選んだ道だ。
快く送り出してくれたあの子達に感謝だ。
もう彼らの人生なんだから、私は見守るだけでいい。
ちなみに彼からの連絡は特にない。
あんな事務的な終わり方だったし、当たり前なのだが、私は本当に愛されてなかったのだな、と再認識した。
思っていたよりも、ライトに受け入れる事が出来ている。それくらい毎日が忙しくて、充実しているからだと思う。
「ティアナ伯母さま!」
「あら、マリー。お帰りなさい」
次女のマリーが学院から帰ってきた。
「今日はもうお祖母様のお世話はよろしいのですか?」
「ええ、母が眠ってしまったから。
私の部屋にいらっしゃい。この間の続き、教えてあげるわ」
「嬉しい!着替えてきます!」
そう言って、マリーは嬉しそうに自室へ向かう。
マリーは前々から私に懐いてくれていたが、今回の帰省で余計に甘えてくれる様になった。
カーラとマルクの子どもは3人。
長男は将来この領地を継ぐために、大学へ経営学を学びに行っており、長女も一年前結婚して二人とも家を出ている。
それぞれ年は離れているが、仲の良い兄妹で、まだどこにも行けない14歳のマリーは寂しかった様だ。
私の部屋で、言葉遣いやおもてなしの仕方、作法など、将来妻として必要なマナーを教えてあげている。
私は出戻りなんだから、そんな教えられる様な立場じゃないと最初は断った。しかし、私の立ち居振る舞いをずっと尊敬していたとマリーに言われ、更に本来教えるはずのカーラまで私にお願いしたいと懇願するものだから、断れなかった。
更にマリーの友人達も参加したいと、たまにお茶会を開き、まるで講師の様な真似事までしている。
そんな感じで、日々が目まぐるしく過ぎていた。
「伯母様、これでいいのかしら」
「そう。後は茶葉を蒸らすために、3分くらい待つの」
今日は、お茶の淹れ方を教えてあげている。
私達の様な立場の者は、普通は使用人にやってもらうため、特に覚えなくても良い。
しかし私の母はそれを良しとせず、お茶すら淹れられない木偶の坊になるなと、淹れ方を教えてくれた。
だから私も、マリーに伝える。
娘がいたら、こんな感じなのかしら、と思いながら。
「あら、美味しいじゃない。
よく出来ているわよ、マリー」
「…そうでしょうか。
何だか伯母様のお紅茶よりも、香りが薄い気がします」
「注ぐお湯の勢いが足りなかったのかもしれないわね。
一気に注いで、すぐに蒸らしに入る事がコツよ」
「分かりました!…ん?」
「どうしたの?」
突然、マリーが窓の外を見て何かに気付いた。
私の部屋は正面玄関に面しているため、誰かが来た時などすぐに把握できる。
気になる訪問者でもいたのだろうか。
「あれって…クリス伯父様?」
「…〜〜っ!!」
私は思わず紅茶を吹き出しそうになり、慌ててナフキンで口元を拭う。
この子、今、何と言った?クリス?なぜ?
そんな筈ない。そんな訳がない。
そう思いながら慌てて外を確かめると、見覚えのある馬車から降りてくる、一人の男性の姿が目に入った。
「クリス…!?」
驚き、疑問、不安、色々な感情がぐちゃくちゃになってせめぎ合う。
ドッドッドッと今まで感じた事のない動悸が激しく波打った。
私は慌てて正面玄関の方へと向かう。
一体どうしたのだろう。リディア領で何かあったのだろうか。様々な考えが巡る。
そしてエントランスで、ジルに帽子と外套を預ける1ヶ月ぶりの彼の姿を見た瞬間、頬が熱くなった。
すっかり吹っ切れたと思っていた私は、全くそんな事はなかったのだと思い知る。
「ティアナ」
彼が私に気付いて、私の名を呼ぶ。
またトクン、と胸が高鳴った。
「お久しぶりです。クリス」
たくさん聞きたい気持ちを抑え、まずは挨拶。
というより、早足で来てしまった自分を誤魔化したかった。
「驚きました。なぜこちらに?」
「聞いていないのか。
義母上から手紙を貰い、こちらに来る様にと仰せつかった」
「母が!?」
思わず大きな声が出てしまい、慌てて口を塞ぐ。
ジルがはしたないですよ、とでも言いたげな目でこちらを見ている。
「なぜ教えてくれなかったんだ。
義母上がお倒れになっている事を」
「まあ、ティアナ様!ベラ様のご様態の事をクリス様におっしゃっていなかったのですか!?」
今度はジルが慌てて口を塞ぐ。
口を挟まざるを得なかったのだろう。
「…あなたはお忙しい方だし、もう関係のなくなる話だと思ったから、言う必要はないだろうと判断しました」
半分本当で、半分嘘。
言った所で、そうか、と終わりそうな気がして怖くて言えなかっただけ。
「…全く関係がなくなる訳ではないだろ。
義母上が手紙を寄越してくれて良かった」
そう、彼はこう見えて義理人情のある人なのだ。
分かっていたのに、自分に興味がない事を思い知る気がして言えなかった、小心者の自分を恥じた。
「義母上に挨拶したい」
「でも、今は眠っていて」
「僭越ながらティアナ様。ベラ様は先程起きられた様です」
平常心を取り戻したジルがすっと教えてくれる。
後でこっぴどく叱られるんだろうな。
「分かったわ。私が案内します。
こちらへどうぞ」
1ヶ月ぶり、いや、もっと久方ぶりに彼と並んで歩く。
彼は背が高くて、私の頭は彼の胸の辺り。
彼から懐かしい匂いがして、一気にリディア領で過ごした日々が蘇った。
「ライアンは、上手くやれていますか」
「ああ。最初は本当に務まるのかと思ったが、こうして私が屋敷を離れられるくらいには成長した」
「そうですか」
父に認められる様、あんなに頑張っていたんだもの。
良かった、とホッと胸を撫で下ろす。
「…君は…元気そうで、良かった」
「…え?は、はい。
お陰様で充実した毎日を過ごしております」
一瞬、本当に彼から出た言葉だろうかと、疑ってしまった。まさか私を気にかけるなんて。
そんな彼を、ちらりと盗み見る。
何だか少し、痩せた気がした。
「ここです。母様、クリスが来てくれました。
入室してもよろしいでしょうか」
いつもの様に、返事はすぐに返ってこない。
「ごめんなさいね、母の返事を待つまで入室できないの」
「構わない。
ほぼ寝たきりの状態だと書いてあった。
起き上がるまでに、時間がかかるのだろう」
ああ、そうか、と腑に落ちた。
母は私と話す時、必ず起き上がっている。
別に私は寝たきりでも構わないのに、昔から気品を重んじる母のプライドだったのだろう。
だから初日に、あんなに叱られたのだと、彼に言われてやっと気付いた。
(私は母の言う様に、本当に不躾な女だわ。
彼は昔から、そういう事に気付く人だったのよね…)
そんな事を考えていたら、母から返事が聞こえ、私達は入室した。
「クリス、お久しぶりね」
「お久しぶりでございます。義母上」
「この度はごめんなさいね。
私の娘が、我が儘を言って」
「そんな事はありません。私が不甲斐ないばかりに、この様な事になってしまい、大変申し訳ございませんでした」
そう言って彼が深々と頭を下げる。
何だか気まずくて、私は彼の後ろで俯いていた。
「…不甲斐ない、ですか。
あなたがここに来た、という事は、それなりの覚悟を持って来た、という事ですね?」
「…はい」
彼がそう返事をして、母の方へ近づく。
そしてあっと思った時には、母が手元に持っていた水を彼の顔に目掛けて力強くかけた。
「きゃあっ!?か、母様!?」
「ティアナ、部屋から出なさい。
私はこの男に話があるのです」
物凄い気迫に、動けなくなる。
彼も驚く事なく、怒る事もなく、かかった水をしたたらせたまま、母の言葉を待っている。
私は先程の衝撃から立ち直れず、一人おろついていると、母から再び退室を強く促され、後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にした。
凄まじい剣幕だった。
そして彼も、そうされる事を分かっている様だった。
何も理解できていないのは私だけ。
私は震える手を抑えながら、彼が出てきたら何か拭く物を渡そうと、ジルを探した。