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第一章 塔の少女

 乾燥した台地だ。

 大昔なら瑞々しい草花が一面を占めていたであろう大地を二頭の馬が全速力で駆けていた。正確にはそれぞれの馬の主が馬を猛スピードで走らせていた。

 二人とも手綱を握りしめ振り返ることなくひたすらに真っすぐ正面だけを見据えていた。否、振り返る余裕すらないのだ。なぜならすぐ後ろに迫るは大きな地割れ。そしてぽっかりとのぞく深淵。どんな黒よりも暗く、全てを奪い去る闇が二頭の馬のすぐ後ろを追っていた。

「あと少しだ、あと少しで圏内に入る」

 赤茶色の髪をした少年が隣に並ぶ青髪の少年に叫んだ。

幻隗石(げんかいせき)だっ」

 ささやかとしか言えるぐらいにしか草が生えてない大地に赤く光る何かがあった。二人の少年は赤い光を目指して馬を走らす。 

 そしてスピードを殺すことなく石の横を過ぎ去った。

 過ぎ去るとすぐに馬の速度を落としていき、今まで走ってた大地を振り返る。

 振り返った先についさっき走り抜けた大地はそこにはなかった。大地そのものが存在しなかった。赤い光よりもさらに少し先には闇だけが広がっていた。

「『断絶』か…」

 消えてしまった大地から遠ざかるようにゆっくりと馬を進めながら青髪の少年が呟くように言った。

「こりゃ戻ったら報告だな、幻隗石もまた設置しなおさないといけねえわな」

「だな、この間偵察に来たときはまだ大丈夫だと思ったんだが」

「それだけ崩壊のスピードが進んでるってことだ。確実に俺らが小さい頃よりも速度があがってら」

「……ああ」

 もう距離はひらいてしまったが、もう一度赤く光る石、通称幻隗石を再確認すると赤茶色の髪の少年は正面を向いた。

「あの幻隗石はしばらく平気そうなのが幸いだ、まだ光が強い」

「ってことは少なくとも一週間はこの地域は『断絶』に巻き込まれないってか。極端に崩壊のスピードが上がらない限りに尽きるけど」

「まあな、だけど過去の例を見る限り連続して同じ個所で『断絶』が起きる可能性は低い。当分平気だろう。その間に幻隗石の設置を済ますぞ」

「へいへい、幻隗石も貴重だし設置量も気を付けねえとやべえぞ。俺らの生活の大切なエネルギー源でもあんだから」

 今後どうしようかと眉をひそめたまま考え込むようにしている赤茶色の髪の少年に青髪の少年が馬を近寄らせ、覗き込むように上半身を前に倒す。

「昔は魔法だの奇蹟だの起こせたらしいけど今は誰も使えやしねえ、俺らはかつての名残である幻隗石に頼る以外もう術がねえんだ、セウ」

「わーかってるって、無駄遣いする気はない」

 セウと呼ばれた呼ばれた少年はむっとした顔で青髪の少年を見返す。

「たまに灯り代わりに小さい幻隗石を持って塔に潜り込んでたろ、あそこの本は読めない字ばっかなんだ。例えこの世界の崩壊を止める手立てがあったとしても字が読めないんじゃ意味がないだろ」

「借りてるのは設置用には使えない小さいのだし。それに中には今の俺たちの文字に近い形式のものある、それを頑張って解読できるようになれば幻隗石のもっと効率的な使い方だって見つかるかもしれない。それにあそこにある本は昔の事柄に関してばかりだ。どこかに『断絶』の始まりに関する本も、それどころか誰かが『断絶』について研究した可能性だってあるんだ。そしたら……」

「はいはい、わかったから」

「わかってないだろ、ククト」

 セウの熱弁が始まるとククトが適当に流すのはいつものことだ。セウのじとりとした視線に肩をすくめる。

「なんにせよ、俺たちは『断絶』に巻き込まれずに生還した、生きてんだ。今はそれに何よりも喜ぶべきだろ」

 まだ大丈夫だと推測していた地域だったのにも関わらず、突然幻隗石の明かりが弱くなり地面が揺れヒビが入り始めた。何度も同じ現象を目にしてきた二人だったが、すぐ傍で起きたためにさすがに慌てて馬を走らせ退避させたのであった。

 この世界でははもはや日常の一部となっている現象、通称『断絶』。大地にヒビが入り、まるで切り取られるかのように闇の中に大地が消えていく原因不明の一種の災害。そして飲み込むのは大地だけではない、その上にあるものすべてを一緒に飲み込んでいく。それは例え人間であっても例外ではない。

「ほんとだよ、さすがに今度こそ死ぬかと思った」

 大きく息を吐いてセウが天を仰ぎ見る。天は不気味な紫のもくもくとした何か覆われており、いつ見ても同じ色のままだ。。セウの解読した本によると昔は温かな光が日中を照らしていたというが今では全くそんな面影などどこにもない。昼はわずかかりの明るさはあるものの大昔に比べればきっと心許ないのだろう。

「こういう時にまさに生きてるって感じがする」

「死の縁に立って初めて実感する生ってか」

 乾いた大地を馬が二頭それぞれの主をのせて仲良く歩く。遠くに見える石造りの塔を目指して進んでいく。

「こんな死にかけの世界だけど」

 二人は今いる大地にもう二度と多くの草が生えるとは思ってはいない。恵をもたらしてくれるものが生えてくるとは信じてはない。そういう世界であると物心ついたときには理解してしまった。

 どこかに希望はないのかと二人は行ける範囲は行き尽くした。しかし、全てを回りきるよりも先に大地の縮小の方がはやく、たどり着く予定の地が消えてることのなどざらだった。

「それでもこの地で俺らは生きるしかないだろ」

 二人は顔を見合わせてから再び正面を向いて馬に鞭を打った。消えてしまった大地に背を向けて、そびえて立つ塔に向かって馬を走らした。

 例え世界が滅びに向かっていようとも。

 明日には世界が消えてしまうとしても。

 彼らは生きる、この残された大地で。




 その世界はまさに死にかけていた。今まさに全ての命が消えてしまう直前であった。

 けれども人類は未だしぶとく生き続けていた。残された人々は集落を作って身を寄せ合いつつ残された資源で生活している。

 今となっては二つしか残っていない集落、村のうちの一つ、随分と古くから存在するらしい古びた塔の周辺に展開している村がセウとククトの生活する場所だった。

 どこに行っても薄暗い中でも遠くからよく見える塔は各地を回る二人にとっての拠り所だった。どんなに村から離れたとしても塔が見える方向に帰る場所があると、あの方向に帰ればいいと思うだけで安堵できた。 

 現在残る大地の端方には草木はほぼないが大地のほぼ中央に存在すると思われている塔周辺、隣の集落まではまだ植物の育成が可能な地域である。しかし、端にいけばいくほど不毛な大地が広がり、何もないことが確認されている。そしてその不毛な地域はじわりじわりと広がっていた。

 大地の端、不毛の地から離れるように馬を走らせ続けてること一日半、目印の塔の傍までくればそこは村の敷地内だ。敷地内に入るとゆっくりと馬を歩かせながらいつもと変わらない風景を見て、改めて生き延びれたことに安堵の息をセウは吐いた。

「ふうー、ひさびさに帰ってきた」

「っても、出たのは五日前の話だろ」

 馬の上で上半身を伸ばしながら帰郷にテンションの上がっているククトをセウは軽く小突いた。

 一言で言ってしまえば質素な村だ。レンガ造りの簡易な家がまばらに点在し、家族や気のしれた者同士で集まって生活をしている。村共通の施設なども多く、村全体がまるで一つの家族であるように日々を営んでいる。資源も限られているため、生活するうえで必要となる衣類や食べ物は村全体で生産し分け合うことが当たり前だ。

 出てきたときと変わらない村を眺めていると、セウとククトの声、馬の足音に気づいた村の人々が作業を止め次々と村の外に出ていた二人の少年に声をかけ始めた。。

「あ、セウにククト、おかえりなさい」

「偵察お疲れ様、どこまで行ってきたんだい?」

「今回はいつもより帰るの早かったな」

「ダグワスならいつものとこにいるはずだよ」

「そういや、エーリヤをさっき見かけたよ、まだ機織り小屋にいると思う」

 村の人々が笑顔で迎えてくれる暖かなこの瞬間がたまらなくセウとククトは好きだ。この出迎えを受けるたびに次に外に出てもちゃんと帰ろう、帰りたいと思えるのだ。

「ただいま、今回は南の端まで行ってきたとこ」 

 周囲の村の人にただいまとあいさつをしつつセウは馬から降りる。降りたちょうど正面にはセウたちよりいくつか上の女性が立っていた。そして笑顔でセウに言った。

「さて、問題です。わたしはタシアでしょうか、ナチアでしょうか」

「また……それか」

 ガクリとセウはうなだれる。ふと振り返ると目の前の女性と全く同じ顔をした女性が後ろにいるククトの正面に立っている。

「正解したらわたしたちが馬を返してあげる」

 正直同じ顔をした美人に挟まれていると怖い。

「なあ、セウ……」

 情けない声が背中から聞こえてきたがセウは無視した。  

 タシアとナチアは今残っている人類の中の唯一の双子、一卵性双生児である。どちらが姉で妹なのか本人たちもわからないらしいが特に気にしてはいないとのこと。そしてその外見があまりに似ていることをネタにして村人にちょっかいを出すこともしばしば。

「ククトはお手上げかな」

 ニコニコしながらセウの正面にいる女性がセウの後ろをひょいっと覗き込む。そのしぐさを見てセウははあとため息をつきながら答えを口にした。

「あんた、ナチアだな」

「あれっ…もうばれた?」

 あらまと驚いたような表情をしながらセウの手綱をナチアは取った。

「こんなに早くばれちゃうとは、正解の報酬に馬は片づけておいてあげる、しょうがないからククトの分も片づけてあげるよ。それでいい?タシア」

「ナチアは甘いねえ、しょうがないからいいよ、馬貸しな」

 ククトからタシアは半分奪い去るように手綱を取った。そして双子は声を揃えててセウに尋ねた。

「ところで何でわかった?」

「このやりとり何度してると思ってんだ、ナチアがククトを見ただろ、タシアよりナチアのほうがわりと周りを見たがる、それとあとはカン」

「あれま、今度から気をつけないとねえ」

 クスクスと双子は笑いながらセウとククトの馬を引き取って村はずれの馬小屋へと向かった。荷物を馬にのせたままだがきっとあとで家に配達してくれるのだろう。

 去っていく二人を眺めているとククトが肩に腕を回す。

「それにしてもセウ、よく見てるなあ」

「お前はお前でいい加減に学んだら?」

 少し鬱陶しそうにしながらもククトの腕をそのままにしてセウは歩きだした。周囲の村人たちはそれぞれの作業へといつのまにか戻っており、帰還した二人を新たに見に来た者たちがおかえりと声をかけながらすれ違っていく。

「あとでエーリヤに会いに行かないとな」

 ぼそりとセウが言うとククトが賛同しつつもやや嫌な表情をした。

「そうだけど、拗ねてなければいいな」

 二人が向かうのは村の中心の塔のすぐ近くにある一つの家だった。作りは他の家と全く変わりなくレンガ造りのごく一般的な形式の家だ。

「ククト、腕」

「へーい」

 家の前まで来てようやくククトはセウの肩から腕を外し、そのままドアノッカーに手をかけてゴンと勢いよく扉に叩きつけた。それから中からの返事を待つことなくドアノブへと手をかけて扉を引く。

 ドアノッカーが全くもって役目を果たしていないが二人は気にすることなく中へ入った。

「あのなあ、返事待てねえのかお前ら」

「いや、ダグワスだし」

 セウの淡々とした物言いにため息をつく一人の男性が家の中にいた。入って正面にはまるで作戦会議をするためのような大きな机がありそのうえにはたくさんの書き込みがある古びた地図が広がっていた。

 部屋の内装はとてもシンプルで生活する上での必要最底辺の必需品しか置いていない。奥の方には閉じられた扉があり、その扉には花のイラストが彫刻されていた。  

 セウとククトが中に踏み入れてたときにはダグラスは腕を組み地図を睨みつけている最中だった。短く刈り揃えられた黒髪にタンクトップのために露出してる大きな傷のある腕が特徴的な男性だ。セウのおよそ十と少しほど年上であり、この村の年長組に含まれている。この村、今の残された人類の平均寿命はおよそ二十八歳であり、ダグラスは高齢の部類だ。そして、セウやククトと同じく探索者の一人だが、かつてほど体もままらないために今ではセウやククトのように村の外に出て探索をする者たちのまとめ役をかってでている。

「真面目そうに見えて結構セウは適当だよな、ったくんで今回の報告を頼む」

 わしわしと頭を掻きながらセウとククトに机に寄るように反対の手で手招く。立った状態で使用する仕様の机のサイドにはインクボトルとペンが設置されておりセウはそれらを取り出して机の上に置いた。

「セウ、ククト、探索者としての責務ご苦労であった。今回も無事で帰ってきてくれて本当によかった」 

 机を挟んで向かい合いそれぞれ地図を見下ろす。地図にはあちらこちらに線が引かれ、バツ印もともに描かれていた。それらは全て『断絶』により消滅したことを指していた。

 セウがペン先にほとんど空に近いインクボトルからインクを付け、南側の一部に線を大きく引く。

「まだちゃんと計っていないからわからないが、この地域が丸々消えた、あと少しで俺もククトも巻き込まれる寸前だった。少なくとも幻隗石五つ分ぐらいの距離は消えてる」

「今までよりも『断絶』の範囲が広がっているな、いやそれよりも二人とも巻き込まれずにすんでよかった」

 セウが引いた線を見て険しい顔したのもつかの間でダグワスはすぐに目じりをさげたて優しい表情になる。

 緩んだ雰囲気になると今度はククトが話し始めた。

「最初はまだ大丈夫だと思ったんだ、確かに幻隗石の光は弱かったかもしれない。けれどいつもならまだ『断絶』が起きないぐらいの光の強さだったから油断してた。急に光が弱まったのにすぐに気づけたからよかったけど」

「それだと今度から警戒段階をあげないといけないな。幻隗石の光の度合いがどのくらいだったかは覚えているのか」

「四ぐらいだったっけな。あと残ってる幻隗石はまだ問題ないけど、縁に再設置しに行かねえとなんねえってとこ」

 幻隗石の光明るさは七段階で区分されており、数字が大きくなるほど光は強く。逆に弱くなるほど小さい。『断絶』の起きる可能性のある地域は幻隗石の自身の発光で見極めることができる。大地の縁ではエネルギー値がとても低く、幻隗石が発光するためのエネルギー濃度に十分に達さないために光が弱くなるのだ。それによってセウたち探索者は『断絶』を予測し、必要以上近づかないようにしている。

「また随分と明るいな、やはりこの世界の寿命も……」

 ダグワスの言葉に室内が静まり返る。セウもククトもダグワスが何を言おうとしているかを察するが何も言わない。静寂を誤魔化すようにセウが口を開く。

「まだ塔の本を全て調べきっていない、あそこに何かあるかもしれない」

「セウ、まだ諦めていないのか」

 凛とした眼差しで、セウの黄色い瞳がダグワスを射抜く。そこに降参の文字はなかった。

「確実にあそこにはこの世界に関する本があるはずなんだ、俺も間に合うかは正直わかないとは思っているけど試す価値は十分にある」

 ククトはセウの拳が固く握りしめられいるのを視界の端で見た。そして何よりも幼い頃から一緒であるセウのこういうときの行動力と頑固さはよく知っている。当然狭い村で一緒に生活し、探索者として面倒を見ているのだからダグワスもまたセウの性格はよく理解していた。

「わかった、設置には使えないちっこい幻隗石をやるから自由にやってくれ」

 そうしてダグワスがセウに折れることも。

 村の者たちは互いに顔見知りで、噂話も絶えない小さな世界にいるのだ。ダグワスにとってセウもククトも息子のような存在である。それにダグワスは世帯持つことなく探検者として生き続けた分、後輩の探索者が可愛くて仕方ない。

「それはそうと設置のための部隊はまたあとで集めるからエーリヤのところ行ってこい。あいつ二人が今回の遠征に連れて行ってくれなかったからって拗ねてたぞ」

「うげえ」

 きりっとした真面目な表情から一転、セウとククトの共通の幼馴染である少女の存在を思い出すと二人そろって顔をしかめた。

「ははっ、とりあえず勝手に出て行ったことを謝るんだな」

 笑いながら机ごしにダグワスは身を乗り出してセウとククトの頭をわしゃりと撫でた。

「ちょ、いつものことだけど撫で方下手くそ」

 ククトが文句の声をあげながらダグワスの手から逃げる。セウも無言でダグワスの手から逃げ、変にかき混ぜられた髪を整えるように自分の手で髪をすく。

 ダグワスが笑いながら手を引っ込める。

「まっ、今度また連絡をよこすさ」

「はーい」

 拗ねるとめんどくさい幼馴染の少女を思いつつ二人は探検者たちの拠点であるホームを後にした。




「ねえ、今あたしが何思ってるかわかる?ねえ?」

 村に着いたときに得た情報をもとに恐る恐る二人が機織り小屋を覗き込むと件の少女は確かにそこにいた。覗いてすぐに消えるつもりだった幼馴染二人が逃走を図る前にその首根っこを掴み持ち前の腕力を持って機織り小屋へと引きずり込む。そして体育座りさせた少年二人の正面には仁王立ちで少女は見下ろした。。

「エーリヤ、俺らが悪かったって、ちょっと落ちついて」

 ククトがなだめようとするもエーリヤは聞く耳を持たずにククトの足を踏みつけた。

「痛いっ、痛いからっ」

「あたしを女だからって舐めないでくれる?体力だってあるんだから、あんたたちに負けないぐらいっ!」

 肩につくぐらいに伸ばされた茜色の髪。動きやすそうな七部袖のトップスと長ズボン。その辺の男どもには負けやしないと主張する気の強そうな瞳。

 セウとククトの幼馴染であり、同時に探索者の一人であるエーリヤにセウとククトは成すすべもなく怒られていた。

「この間次は連れて行くって言ったじゃん、なのになんで勝手に、しかもあたしが寝ている間に出ていくのかな。わたしに一言も告げずに」

「いや、だって言ったらついて来るだろ、お前」

「あったり前でしょ!わたしだって探索者の一人なんだから」

 ものすごい剣幕で怒鳴るエーリヤに同じ小屋の中にいる女性たちは皆苦笑いだ。同時に微笑ましく見守りつつ村人たちの衣類となるであろう布を作るために手元をひたすらに動かしていた。

「エーリヤ」

「なにっ」

 静かに名前を呼ぶセウへとエーリヤ矛先が変わる。キッと睨むようにククトの足を踏んだままエーリヤがセウを睨む。。

「その、なんだ。ほら、今回『断絶』が目の前で起きて危険だったし、やっぱりエーリヤには安全なところにいてほしいな、なんて」

 エーリヤの視線に少したじろぎながらも弁解するも容赦なくセウの足がエーリヤの残りの足で踏まれた。

「いたっ、ちょ、エーリヤ」

「そんなことわかってる、危険なんて百の承知よ。なんでセウとククトはよくてあたしはダメなの、つーれーてーいーけー!」

 エーリヤが両手ぱたぱたさせながらセウとククトの上から叫ぶ。正直エーリヤの声はよく透るので間近で叫ばれるとつらい。

「あ、でも今回の帰還早かったってことは『断絶』の報告で早めに来たんでしょ、ってことはまたすぐにでも幻隗石の設置に出かけるんでしょ」

 二人に口を挟ませる余地なくぐいぐいと責めていく。そもそもこのモードのエーリヤには何を言っても通じない。

 だ丸子来る幼馴染二人をよそにまるでいたずらを思いついた子どものようにエーリヤは笑うと宣言した。

「次は一緒に行くからね」

 うっ、二人の少年は言葉に詰まる。言い出したら絶対に聴かない。幼少の頃より一緒に育ってきた仲なのだ、このときのエーリヤは例え何があろうとも有言実行してくることを二人は身をもって実感している。

 気の強い幼馴染に少年二人は拒否権などなかった。




 しぶしぶエーリヤの言葉に頷くことでなんとか解放された二人は五日ぶりの自宅に帰ることにした。

 家に着くまでも村人からのおかえりという挨拶は後を絶えない。村人全員から挨拶されるまで続くのだろう。悪い気はしないが、この世界の寿命を延ばすために探索者として村の外に出ているというのに未だに解決方法は全く出ず、朗報をもたらすことができずにいるのが余計に歯がゆくなる。 

 探索者とは元々は『断絶』の研究者という役職であったという。今となっては定期的な周回による次の『断絶』の地域の予測と少しでも『断絶』を遅らせるための幻隗石の設置が主な役割となっている。今の形に落ち着いたのは結局のところ誰も何故『断絶』が起こるのかわからなかったから、止めることができない現象であると諦めてしまったからなどと言われている。

 てくてくとセウとククトが歩く村中どこもかしこも似たり寄ったりの外装の家ばかりだ。家全体を塗るほどの塗料も取れなくなってしまったために公共施設以外は全て共通の赤茶色だ。

 五日ぶりに会う村人たちにちょっかいを出され出しつつ、寄り道をしながらセウとククトは帰路につく。

 セウとククト、そしてエーリヤ三人で生活している家は探索者たちのホームだ。ダグワスの家である場所より四軒隣にある。五年前まで三人はそれぞれの親と生活していたが、ククトの両親が他界しセトの家にククトが引き取られてまもなくしてさっありとセウとエーリヤの両親もなくなってしまった。それ以降三人でセトの家で生活するようになった。残されたククトとエーリヤの家は新しい夫婦の家へと生まれ変わり新たに活用されている。

 セウとククトが村に帰ってきた頃とは違い、微妙な明るさを保ち続けていた天は紫の色より濃くし、辺りはさらに暗くなっていた。

 村のあちこちには村の外、大地の縁に設置しているものよりはさらに小さい幻隗石があちらこちらに設置されており、ほうほうとオレンジの色を輝かせていた。

「もう誰かが火を入れてくれたんだ」

 セウが道を照らしてくれる石を見て言う。

「赤の光よりこっちの光の方がやっぱり綺麗だな、その辺の石ころは燃えないのに幻隗石だけ燃えるってのはやっぱり不思議だけど」

 エーリヤに殴られた頭をさすりながらククトが通り過ぎていく幻隗石を見ながら言った。

「確か火のエネルギーが幻隗石の内部のエネルギーと反応して、明るさを強くし互いにエネルギーを補い合う、、だっけな」

「へえ。セウ、よく知ってるなあ、俺には全然わかんねえ」

「幻隗石を使ってるんだからある程度の原理は知っくべきだ。といっても、もう大昔ほどの技術は失われてるし簡易的なものしか残っていないけれど」

 村の外にある幻隗石とは異なり、純粋に灯りとして利用している幻隗石には火が灯される。

 幻隗石自身の光では赤に光るが、火を加えてることによりオレンジ色に光る上にその光の寿命も段違いに異なる。

 のんびりと村を歩く二人の胃を、村の中を漂う温かなおいしいそうな料理の香りが満たす。

「おなかすいたなあ」

 ククトがセウの隣でぼやく。村の外の遠征の間保存食ばかり食べていた身としては村での料理が恋しい。そういえばいつかはエーリヤが料理を作ってセウとククトを待っていたことがあった。また今度作ってくれないだろうか。あれはなんという料理だったのだろうか。冷まして食べても美味しいとエーリヤは言っていた。一日ぐらい保つというならば、今度の遠征の時に作ってもらいたいところだ。ああ、でも材料はそんなにたくさん入手できるようなものではないんだっけ。

「おい、セウ、何家通り過ぎてるんだ」

「え、あっ、やべっ」

 考えに沈み込み過ぎるあまり気づけばククトは自宅の玄関前にいるというのにセウは隣の家に向かおうとしていた。やれやれというように幼馴染の悪い癖にククトが肩をすくめる。

「双子が荷物持ってきてくれたみたいだ」

 ククトの足元には先ほどまで馬にククトつけていた遠征用の道具をまとめたバッグが二つ転がっていた。馬を馬小屋に戻したあとにちゃんと持ち主の家まで配達してくれたらしい。妙なちょっかいの出し方をしてくることもあるが基本的にはあの双子は律儀なのだ。

「自分の分ぐらい自分で持てよ」

「わかってるって」

 ククトが自分の分だけ持ち上げて家に入ると、それに続いてセウも荷物を拾い上げて中に入った。

 家の内部の作りはダグワスと似ており、入るとすぐに広めの部屋が二人を出迎える。

 木材で作られた四つの椅子と大きな机。きっとエーリヤが灯していったのであろう幻隗石のランプが机の中央においてあった。その周囲には幻隗石の欠片が机の上には置いてある。

 奥には二つの扉があり、右がエーリヤの部屋、左がセウとククトの部屋というように分かれている。基本的には大部屋で三人は過ごし寝るときにそれぞれの部屋でというように使い分けているため寝室及び一部私物を置く部屋としてある。もっとも探索者は村の外で野宿することが多いため特にセウとククトのベッドは機能していないのだが。

「帰ってきたって感じだ」

 ククトが荷物を机に置いて大きく伸びをする。セトは口元を緩め、どんととセトの荷物の横に自分の荷物を置いた。

「エーリヤの機織りの仕事もう少しで終わるだろうし、どうする?」

 今後の予定をククトにセウが尋ねる。と、ぐうとククトのお腹から空腹を知らせる音が鳴った。手をお腹にあててセトを見る。自由気ままなククトにため息をつくとセトは言った。

「先に炊事場行ってみるか?」

「おうっ」

 ククトが元気に答える。この会話も今に始まったことでなく、似たような会話は昔から何度も繰り返している。

 といえども五日ぶりの村での食事だ。セウ自身も考えるだけで唾が出てくる。

「セウも食べたいんだろ」

 ククトに比べたら表情の変化がやや薄い面があるセウだが、時折わかりやすぎるぐらいに表情が顔に出るのだ。時によっては必死に感情を隠そうとするセウだが、ククトやエーリヤたちからするとわかりやすい。

「いや、別に俺は」

「はいはい行くぞー」

 誤魔化そうとするセウの方を正面から掴んでククトは再び玄関に戻る。後ろ向きのまま引っ張られたセウはバランスを崩しかけるも、もちなおしながらもぐるりと方向転換する。

 そしてククトが扉を開けようとドアノブを掴もうとするよりも先に扉が開いた。

「よう、二人ともこれから夕飯だろ」

「ダグワス!」

「あと、エーリヤもいるからな」

 玄関先には少し前に会ったダグワスとその背後に隠れてエーリヤが顔を少し出していた。しかし、ククトの視線はエーリヤではなくダグワスが持っているおぼんに注がれていた。  

 村の人が手作業で彫りだして作ったおぼんには白い湯気をふわふわと漂わす陶器の器が四つ並んでいる。

 ダグワスがちらりと背後のエーリヤを見てから代弁するかのように言った。

「探索者の連中は皆遠征明けは飯だ飯だ言うからな、きっと腹を空かせてんだろと思って炊事場に行って飯をもらってたらちょうどお前らの分の飯取りにエーリヤも来てな。どうせなら久しぶりに四人で飯でも食おうじゃないかっていうことで来たわけだ」

 ダグワスの後ろでエーリヤは恥ずかしそうにぷいとそっぽを向いた。

「別に、ダグワスがどうしてもって言うから、あんたたちの分はただのついでだからね」

 つま先でとんとんと地面を叩きながら素直に言わないエーリヤにククトはひっそりとなんでセウといいお前らはもう少し素直に言えないんだよって独り言ちた。

「とりあえず中に入れよ、せっかくの飯なんだ。それにエーリヤ、次の探索はついてくんだろ」

 セウが親指で家の中を指して、顎でしゃくる。後半の言葉にエーリヤはぱあっと笑顔になりうんと大きく頷いた。

「セウが言うんじゃ仕方ない、幻隗石設置は人手もいるししゃーないなあ」

 やれやれと言うように肩をすくめてながらククトが机の上にあった遠征道具を床におろして座った。その隣にセウ、そして向かいにエーリヤとダグワスが座る。

「あとで炊事場の連中に感謝することだな、セウとククトの分は多めだ」

 おぼんからダグワスが器とスプーンを置く。灰色の陶器の中には小さく切られた野菜が散らばり柔らかく煮た白い穀物が注がれていた。もはや野生で取れる食物はほぼなく幻隗石のエネルギーにより育成をしている畑からとれたものばかりだ。

 そして四人それぞれ両手を合わせて少しばかり祈るように目を閉じる。それからスプーンで器から救って食べ始めた。

 村での久しぶりの食事に一口食べるとセウはほうっと息を吐いた。味つけはあっさりとしていて、噛むにつれてわずかな甘みが広がる。ゆっくりと食べる隣に座るククトは勢いよくかきこんでむしゃむしゃと食べていた。

「ククト汚いよ」

 ククトの食べ方に正面でエーリヤが顔をしかめる。

「保存食がうまくないのはお前も知ってるだろ」

「いいじゃないか、エーリヤ。ところでちょうどいいから少しだけ話がしたい。ま、食べながら聞いてくれればいいんだが。まだ北の村からキコたちが帰ってきてないから幻隗石の設置はあいつらが帰ってきてからだ。北の方の『断絶』の情報と一緒に向こうで採掘された幻隗石を持ってきてもらってる。今朝出たばかりだ、あさってには戻ってくるだろう。こっちもこっちで準備がいるからそれはいいんだが」

「あれ、だからキコとレギーを見かけなかったのか」

 スプーンでゆっくりと器の中身をかき混ぜながらセウが言う。

「向こうの方が人口少ないから行ってもらってる。それと設置するだけの幻隗石はあるはずだからそれは問題ない。どっちかというと問題なのは『断絶』の起きやすくなっていることだ。あ、エーリヤにはさっき話しはしてるから今回の探索結果は知ってるぞ」

 何か言われるのではとセウとククトはちらりとエーリヤを見やったがエーリヤはもくもくと手を動かし続けるだけで何も言うことはなかった。何かダグワスが言ってくれていたのかもしれない。

「危険とわかってても行くのが探索者だ。それに幻隗石を設置したほうが『断絶』の速度を少しばかり遅くできるのは知ってるだろう?少しでもこの世界を存続させるためには俺らがやるしかない」

 世界を少しでも存続させるため。

 まるでもうこの世界が終わるだろうと悟っている者の言葉だった。

「今回は範囲が広すぎるからお前ら、俺、キコとレギーで分けてさっさと配置を済ますぞ。ただし、幻隗石に少しでも明るさの変化が見られたすぐにでも逃げること。これは絶対だ」

 真剣な眼差しでダグワスが探索者の後輩たちを見る。

 背後から迫る死の恐怖。暗闇のバケモノとの鬼ごっこ。あそこまで背筋が冷えたたことはない。

 ごくりと口に含んでいるものを呑み込みながらセウは頷いた。

「場合によっては幻隗石を増やすことも視野にいれている。それはキコたちが持ってきた幻隗石の量にもよるが。今までも何人もの探索者が『断絶』されていったんだ。向こうに行ったら最後死体すら残んねえ。本当に気をつけてくれ」

「大丈夫だって、今回でどのくらいの段階から『断絶』が起きやすくなったかっていうデータは取れてる。次も大丈夫だって」

「ククト、それはフラグだ」

「あ」

 セウの冷静なツッコミにククトがしまったという顔をする。それを見てエーリヤも

「あーあ、これでククトは消えちゃうのかな」

 と、セウにのった。さらにダグワスもご愁傷さまというように両手をすり合わせた。

「ああ、惜しい奴をなくしたな」

「ちょっとまて、勝手に殺すんじゃねーよっ」

 叫ぶククトに声をあげて三人が笑う。

 その後もセウとククトが不在の間に起きた村での他愛無い話をエーリヤとダグワスがし、村の近状を聞き終わったところでその場はお開きとなった。

 ダグワスが器を返してくるからとまたおぼんにのせて全員分の器とスプーンを回収する。おぼんを持ち上げようとした直前に急に思い出したようにポケットをごそごそとまさぐって取り出したものをセウに差し出した。

「幻隗石の欠片だ、設置には使えないサイズのだ。どうせこの後に塔に行くつもりだろう」

「ありがとう、助かる」

 礼を言うとセウはそっと黄色の欠片をダグワスから受け取ると自分のポケットに突っ込む。

「セウはなんというか真面目というか勤勉というか」

「好奇心が強い、だろ」

 エーリヤとククトがダグワスとセウのやりとりとを見て言った。

「ま、いいじゃねえか。んじゃお邪魔したな」

 ダグワスがおぼんを持って玄関の扉に手をかける。

「また追って連絡はするさ、おやすみ」

「おやすみ」

 すっかり機嫌をなおしたエーリヤが手を振る。セウは軽く会釈し、ククトは片手をあげてダグワスを見送った。

 ばたんと扉が閉まるのを確認するとセウは塔へ行く支度を始めた。幻隗石を入れるためのランプを壁から取り外し、先程もらったばかりの幻隗石を取り出す。

「もう行くの?」

 エーリヤの問いにこくりと頷くと続いて部屋を明るく照らしている幻隗石の傍に行き、そばにあるトングでもらった幻隗石を掴む。そしてそのまま光っている幻隗石に接触させた。すると、火が燃え移るかのように小さな幻隗石もオレンジに光り始めた。しっかりと火が移ったことを確認するとランプの蓋をあけて内部に幻隗石を入れる。これでランプの出来上がりである。

 一方でその間にククトは自分の分とまとめてセウの荷物も二人の部屋に運んでいた。

「んじゃ、、行ってくる」

「いってらっしゃい」

 セウがランプをもう一度確認してから玄関の扉を開く。背中にエーリヤの声を受けながらオレンジに光るランプを片手に外へとセウはでた。




 家の外にはオレンジの光が爛爛としていた。村の中を歩く人影はほとんどなく、ダグワスと同じように炊事場で夕飯をいただく者たち、食器を返しに行く者たちを時折見かける程度だ。

 村の中心に建っている塔は随分と昔からあることしか誰も知らない。昔からあるというのに利用するものも誰もおらず随分と長い間放置されている。

 誰もその塔の正体を知らないのだ。

 昔からずっと、誰一人として、何故建てられたのか、いつから建てられたのか、何一つ知る者はいない。

 天高くそびえ立つ塔はてっぺんすら見えず、ただそこにあるだけだ。

 その不思議な塔の内部には様々な言語の、様々な本があった。文字の形式が違うことから言語が異なるものが混じっている、ということを判断することはできるが、その程度だ。セウには読めない大量の本が、一体何万冊、否、何億冊あるのだろうかというレベルでぎっしりと詰まっている。

 遠征から帰ってくると空いてる時間を見つけては塔で本を漁るのはもはやセウの趣味だ。村人たちの識字率はそこまで高いとは言えず本という物自体がわからない者も多いため、セウの行動に首を傾げる者もいる。それでも自由気ままで基本的に人のやることにあまり口を出す者のいないこの村でセウを咎める者は誰もいない。

 今日はどのあたりの本を開いてみようか、もう少し上の階まで足を延ばしてみるのもいいかもしれない。

 前回行った場所を思い出しているうちに塔の入口へとセウはやってきた。

 塔の扉にはかつては紅色で綺麗に塗装されていた名残がわずかに残っている。全盛期には綺麗な装飾もほどこされていたのだろう。

 古びた取っ手を掴みぎいっとゆっくりと塔の扉を開く。外の幻隗石の灯りがわずかに中へと入り込む。

 セウは手に持ったランプをかかげて扉を開けたままでそっと中へと入った。

 入ったばかりのスペースは大きく広い空間になっていた。一階の広場を迷いなく横切って入口の向かい側、奥にある螺旋階段に向かう。塔の内部の壁際にはこれでもかというぐらいぎっしりと本が所せましと並んでいる。螺旋階段の両脇すらも壁際に本だながずらりと空間を占めていた。

 階段が見やすいようにと、セウがランプかかげて段差の位置を再確認する。

「あれ」

 そして気づいた。螺旋階段の後ろにやや小ぶりな扉があることに。周辺の壁の色とは明らかに違い、暗い色だ。よくよく見ると手をかけるためのドアノブがない。

 セウは何度もこの塔に足を運んでいる。螺旋階段も何度も利用している。だからこそこんなところに扉があったら気づかないわけがないのだ。

 この先にも何かあるのだろうか。

 セウの中で好奇心が膨れ上がる。きっとこの奥にも多くの本があるのだろうか。『断絶』やこの世界に関する資料があるのだろうか。

 これは行くしかない。

 もともとは上の階に行くつもりだったが見たことのない扉の発見によりそれは中止だ。

 取っ手のないの扉の前に立ちランプを持っていない手でそっと押してみる。鍵はかかっておらずあっさりと奥へと扉は押し込まれていった。

 中には光はなく、真っ暗だ。セウの手にあるランプだけが下へと続く階段を照らしていた。

 ぐっと気を引きしめて、少し背をかがめながら未知の扉の向こう側に足を踏み込み、階段を下る。扉の向こうは背をかがめずとも立てるだけの天井の高さがあり、頭上を気にするかわりに、ランプで足元を照らしながら慎重に下っていく。

 途中階段はゆるりと半円をえがいていた。おそらく今はちょうど塔の真下にいるのだろうとセウあたりをつける。

 階段はセウの想像してたほどは長くなく、すぐに下の階へとたどり着く。最後の一段を降りて、辺りを見渡すと大きな広場になっていた。作りは塔の一階とそっくりだがこちらの方が狭いだろう。

 そして何よりも違うのは天井に埋め込めている光る石だ。幻隗石のオレンジの光と真逆の水色の光があちらこちらに点在し、周囲を照らしていた。

「綺麗だ」

 村に残されている数少ない本で読んだ話を思い出す。昔は闇に瞬く小さな光がかつて夜の空いっぱいに瞬いていたという。もしかして昔はこんな風景がいつでも夜には見られたのだろうか。

 セウは天井を見上げながらゆっくりと歩く。幻隗石とはまた別の物質が光っているようだがこれは一体なんなのだろうか。

 見たことのない景色に、天井の光たちについ目を奪われる。

 かたっとセウの進行方向から音がした。それはとても小さな音だったが、静かなこの空間には充分すぎるほどの大きな音だった。

 なんだ。

 ランプを正面にかかげえて思わず身構える。村の人の近寄らないこの塔にセウ以外に誰かがいるとは到底思えない。

 カサリとまた物が擦れ合う音がした。

「誰だ」

 セウの正面には青い大きな光が一つあった。その光はセウの持つランプのような入れ物に入っていて、周囲を明るく照らしていた。その青い光が照らしているのはセウの周辺だけではない。一番傍の青いランプの持ち主をしっかりと照らしていた。

 そこには一人の少女がいた。

 青い光が少女の整った横顔を不思議な透明感でより際立たせる。きらきらとした光が少女の瞳に反射し、輝かせる。

 青い光に照らされる一人の少女。

 思わずはっと息をのみ手に持っているランプを取り落としかける。

 こんなところにどうして人が、しかも女の子だ。

 青いランプを持つ少女の年齢はセウとほぼ一緒であろう。膝下までの長いワンピースに首元を隠すような羽織に膝下から延びるブーツ。そして青い光を受けてきらめく長い髪。

「君は、一体…」

 セウの声に少女はゆっくりと少年の方に向き直る。ランプを持っていないもう片方の手には一冊の本が抱えられていた。

 少女は何も語らずじっとセウを見つめる。端正でまるで作り物のような造形の少女にセウは言葉を発せない。少女に静かに見つめられ身動きがとれない。

 どのくらい二人見つめ合っていたのだろうか。ようやく心臓のバクバクが収まってきた頃にセウが先に少女に話しかけた。

「君は一体誰なんだ。この村では見たことない顔だけど」

 狭い村だ、知らない人はいないと断言はできるぐらいにセウは村の人たちの顔は把握しているつもりだ。それにこんなにも綺麗な顔をした少女を見たら忘れるわけがない。

 セウの問い少女はしばらく間をあけてから口を開いた。

「わたしはこの塔の管理人です」

 抑揚のない、静かな声で少女は答えた。

 そんなの聞いたことがない、管理人ってなんだ?

 そもそもこの塔には誰もおらず、ずっと長いこと無人であると思い続けてきた。

 沈黙が二人を包む。気まずさにセウが少女に尋ねる。

「昔からいるのか」

「はい、もっともわたしが管理人なってからはあまり長くありませんが」

 昔からいるというならば見かけたことがあってもおかしくないはずだが、セウには見覚えが全くなかった。

 ククトやエーリヤに比べたらセウはそこまで喋る方ではない。話しかけられることの方が多いものだからこういうときにどう対応をとればいいのかわからない。

 どうしようかと考え視線を漂わせているとひふと少女の持つ本に目がついた。

「なあ、管理人ってことはここにある本たちについて何か知っているのか」

 どぎまぎして、思わず声がひっくり返る。しかし、少女はセウの様子を気にすることなくどこまでも事務的に答えを返す。

「知っています。この塔にある蔵書は全てわたしの管轄下にあります」

 ひゅっとセウの喉がなる。

 ランプを握る手がじわりと湿り気を帯びてくる。

「ここにある本たちはなんなんだ」

「この塔にある本は過去の遺物であり、記録の書物。いわばこの世界の歴史そのものです」

 過去の歴史。

 今ではほとんど村には大昔の情報が残されていない。『断絶』によって歴史を知る者たちも、記されたものもほぼ皆無に等しい。

 しかし、ここにはそれが、セウの知りたいことがあるのかもしれない。

 思わず一歩、セウが少女に向かって踏み出す。

「どういう本があるのか、何が書いてあるかわかったり……するのか」

「はい。ここの蔵書に関することはなら」

 セウの緊張した声に対して少女の言葉はどこまでも冷たい。

 問いには答えるが常に必要最低限の返答しか少女からは返ってこない。

 この少女の存在はよくはわからない。けれでもここの本たちについて何か知っているというならばこれはチャンスではないのだろうか。セウ一人では解読のできな本たちもこの塔の管理人を名乗る少女がいれば何かわかるかもしれない。

 すうと息を吸って吐き、自分を落ち着かせる。それから長年の疑問を吐き出した。

「なら、訊きたい。この世界のことについて、『断絶』について俺は知りたい。本当に世界が終わるのかどうかを、それに関する本を俺は探してるんだ」

 ゆらりと少女の持つランプが僅かに揺れた。一瞬の静寂の後に少女は答えた。

「この世界はもうじき終わります。『断絶』を完全に止める手段はありません」

 表情一つ変えず、どこまでも感情のない声で少女は世界の終焉を告げた。

 セウは何も返せなかった。

 心のどこかでそれは理解していたといのに。

 絶句したままにさらに一歩、少女に近寄る。

「それは確定事項です。その結末を人類には変えることができません。これは神が決めたものなのです。わたしたちはただそれを受け入れることしかできません」

「何を言って……」

 感情の籠らない少女の声が静かな空間に響き渡る。

「なんでそんなことが断言できるんだ。そんなことまで本に書いてるとでも」

「少なくともこれまでに世界は五回消滅を繰り返しています。それらの記録もこの塔に残っています。そしてまた世界は再生し消滅することも」

 嘘みたいな話だ。突拍子もない言葉にセウはついていけない。

 それから少女は言った。

「けれどもあなた方も気づいているのでしょう、世界の崩壊は近いと」

 少女の容赦ない言葉にセウは唇を噛みしめる。

 今を生きる人たちが誰もが本当は気づいている、気づいていても知らないふりをして過ごしてきた。いわゆる暗黙の了解だ。

 終わりが近いと知っていても抗ってみせようとセウは一人ずっと決めていた。塔の本たちに密やかな望みをかけて生きてきた。それも今少女の言葉が槍となりセウを突き刺す。

「お前は知ってる上でここにいるのか」

「わたしはここでこの塔を管理し、この世界を記録し続けるだけです」

「記録って……こんなところでどうやって」

「わたしには世界の現状を知るための手立てがあります。そしてそれをここで記録し付けているのです」 

 あまりにも事務的な答えだった。機械のようでもあった。

 オレンジの光と青い光が合わさり少女の長い髪を不思議ない色合いで彩る。天井の星々たちは淡く発光しながら静かに二人のやりとりを見つめていた。

「そうか」

 それしかセウには答えることができなかった。

 何かを言うにしても思考が追いつかない。滅びが決まっているという言葉に加えて世界を記録し続ける?なぜこの少女はそのようなことを請け負っているのだろうか。

 ぶんぶんと頭をふって、少しでも頭を整理しようとセウは別の話題を少女にふる。

「俺はずっとこの村にいるが君みたいな子は見たことない。一体いつからここにいるんだ、外に出たりはしていないのか」

 先ほどからいくつも引っかかるような発言ばかりだ。特に何よりも今までこの村にいたというのに見たことがないというのが不思議なのだ。

「いつからいるのかと言われましてもわたしにも詳しくはわかりません。先ほど目覚めたばかりなので、あなたがわたしを見たことがないのは不思議ではないかと」

 またセウの理解できない不可思議な発言を少女はするまるで。今までずっと寝ていたような言い草だ。それに関しては、今までの無機質な雰囲気とは異なり、違い首をかしげて言っているあたりそれは本当のようである。

 話題を変えても疑問は解決するどこか増えるばかりだ。

 少女は先程目覚めたばかりだと言った。しかし、その一方で塔にある本全てを把握しているとも言った。そしてさらにずっと塔にいたとも言っている。

 わけがわからない。情報量が多すぎて頭が痛い。

 黙り込むセウに少女は言う。

「あくまでわたしは塔の管理人にして世界の記録を綴るのが使命です。そして終末世界で生きる者たちを見守るのもまたその一つ。本来この塔に生きるものたちが近寄ることはほとんどありません。同時に本当はあなたとわたしが出会うこともなかったのでしょう。だから早く帰りなさい、ここは人の来るような場所ではありませんから」

 あくまで淡々とした物言いであるが、後半は力強さがこもっていた。セウに静かに早く去れと追い立てていた。

「君はずっとここにいるつもりなのか」

 言葉による返答はなかった。ただ指でセウが降りてきた階段を示しただけだった。

 きっとすぐにでも出てってほしいのだろう、少女の瞳はセウではなく背後の階段をじっと見つめていた。しかし、セウはそう簡単にあきらめきれなかった。熱が出てもおかしくないぐらいの不思議と理解不能の連続に持ち前の好奇心がうずうずとする

 この場所はなんなのか。

 少女が記している世界の記録とはいったいどんなものなのか。

 何故少女は世界がもうじき終わるとあそこまではっきり断言できたのか。

 そして何よりも少女は一体何者なのか。

 しかし、今日はきっと少女はもうこれ以上何も語らないのだろう。ここは一度引き下がるべきだ。

「わかった、今日は引き上げるよ。でもまた来るよ」

「何故ですか」

「俺は知りたいって言っただろ。この塔の本にはとても興味があるんだ」

 セウが優しく少女に微笑む。どことなく少女の外見に懐かしさを感じていた。根拠はないけれど、その懐かしさがこの少女をほっといてはいけないと心のどこかで、自分でもよく理解できない何かが叫んでいた。

「それじゃあ、おやすみ」

 小さく手をあげて少女に背を向け、来た道を戻る。

 少女からは何も言葉はなかった。




 次の日遠征の疲れもあってかセウとククトは見事までに爆睡をかまし、エーリヤによってたたき起こされることとなった。。特にセウは塔の地下で出会った少女のことばかりぐるぐると考えていたせいでなかなか寝付けなかったためにククト以上に眠気がすさまじい。

「ねむい……」

 あくびをしながらエーリヤに引っ張られて三人並んで炊事場に向かう。

 歩きながらもセウは一人で昨日のことを思い出していた。昨夜は塔からは考え事をしながら歩いていたために全く家とは違う方向を進んでしまい、ほとんど村を一周するようにして家にたどり着くはめになってしまった。さらに家を再び通り過ぎるという馬鹿をやらかした。おかげで家に着いた時にはククトもエーリヤもとっくに就寝しており、貯水庫水でタオルを濡らしさっと体を拭いて着替えるとセウも布団に潜り込んだ。

 炊事場はセウたちの家からしたら南の方角にある。南側には村の畑があり必要なものがあれば朝一で採取してきたり、近くの保管庫から取り出すこともある。

 村人の食事は村の一部の女性陣が交代で村の人たちの食事をまとめて作っているためにあまりそれぞれの家庭で料理をすることはない。燃料となる薪がそこまで多くないために火の代わりに幻隗石を使うのだが、各家庭で行うよりもまとめて作ったほうが幻隗石の消費が抑えられることから基本的には家で料理することが少ないのだ。

「おはよう」

 朝食をもらいに行くために家を出た村人同士の挨拶があちらこちらで交わされ、片手をあげて返したり会釈したりそれぞれの形で朝の挨拶が行われていた。

 朝はまだ薄暗く、幻隗石もまだオレンジに光っていた。もう少し明るくなる頃には火つけ担当の村人が今度は消して回ることになっている。

 炊事場には人が並んでいて順番に朝食を入れた器を受け取っていた。

「おはよー、今日はナチアとタシアも当番なんだね」

 朝食を受け取りながらエーリヤが声をかける。村人たちに朝食を注いで器を渡しているのは昨日セウとククトの馬を馬小屋に返してくれた双子だった。

「昨日はありがとう、荷物も家に置いといてくれて」

「セウに見破られちゃったしねえ、いいのよ」

 礼を言いながらナチアからセウが器を受け取る。中には昨日と同じ穀物をすりつぶし練ったものが団子なっていくつか入っており、柔らかく煮られた野菜が添えられていた。

「そういえばセウ昨日の夜は随分と遠回りをして帰っていたねえ」

「げっ、見られていたのか」

 隣でククトの朝食を器に注ぎながらタシアが言った。

 夜に出歩く者はほとんどいないので見られていないと思っていたがそうでもなかったらしい。

「やっぱりセウには首輪でもつけてないとダメじゃないかしらねえ、エーリヤ?」

「え、ちょ、なんであたしっ!」

 思わぬ飛び火を食らってエーリヤが声をあげる。セウはそれだけは絶対に嫌だと首を振っていた。

「二人とも、後ろ」

 双子にからかわれその場に立ち止まっているセウとエーリヤにククトが注意を促す。

「あ、ごめんっ」

 ククトに言われてようやく後ろに人がいることに気づきセウは慌てて列から離れた。

「いんや、気にすんな」

 セウの後ろにいた男性、ガジーが器をナチアから受け取りつつ、大丈夫だと手をふる。

「ふーん、それともククトのほうかな」

 セウとククトとエーリヤ三人が来た時と同じように三人並んで今度は炊事場の隣に設置されている食事スペースに向かう。それを見ながらタシアが言うとガジーは困ったように双子に言った。

「お前らもからかうのは大概にしろよ?」

「はーい」




「で、今日は二人とも何するの?しばらく村を出ないなら暇でしょ」

「うーん、俺はなんか適当に仕事探すつもりだけど。セウはどうすんだ?」

「あー、俺はちょっと塔に用事あるから」

「これはいつも通りの流れ?」

 朝食を食べながら今日一日の互いのスケジュールを確認する。

 探索者としての仕事は村の外でやることの方が多いために遠征から帰ってきて村にいる間は基本的に暇なのだ。その間他の人たちの仕事を手伝ったりして過ごすのが恒例だ。エーリヤはついこの間のようにセウとククトに置いて行かれたりして探索者としての仕事がない間は村の女性たちと共に機織りの仕事についている。

 村の人々にはそれぞれに仕事があり、どれかが欠けると村人たちの生活が円滑に回らなくなってしまう。まさに一心同体と言っても過言ではないぐらいに互いに密接な関係なのだ。

「というか、用事?」

 普段なら塔に行くとしか答えないセウのいつもとは違う言い方にククトとエーリヤがいぶかし気にセウを見た。

「誰かに会うの?」

「いや、別に」

 昨夜の少女が脳裏に浮かんだものの反射的に否定してしまう。

「ねえククト、これどう思う」

「塔で誰かと会うのは確実だと思いますねえ」

「なんだよその会話」

 ひそひそと話すように口の横に手をあて会話するククトとエーリヤをじとりと見る。

 いつもの塔に行くときの表情とは違う。それをしっかりとククトとエーリヤが見抜いていた。

 それを知って知らずか、ぶっちゃけ間違ってはいないのだとセウは心の中で呟く。

 仲のいい二人にさえどうにも塔の地下で会った少女に関してなかなかに切り出せずにいた。なんて説明したらよいかわからないのもある。

 塔には実は少女がずっと一人でいました、とまではいいがそこから先をどう解説したら納得してくれるのかが全くもつて見当がつかないのだ。最終的には追い出されたようなものだからなおさらだ。

「まあ、いずれ話すよ」

「おっとー、これはどう思いますかククトさん」

「俺らの知らないところで彼女でも作ってしまったんですかねえ、エーリヤさん」

「お前らその会話やめろ」

 丸聞こえなひそひそ話にため息をつくと器に残つた朝食を一気にかきこんだ。

「んじゃ俺は行くからな」

「はいはい、またあとでね」

 まだ食べ終わっていないククトとエーリヤを置いて先に自分の分の器だけを片付ける。器は使用した分だけ自分で洗って返却するのがルールだ。昨日の夜のように自宅で食事をとるのもいいのだが、最終的には洗って炊事場に返却しなければならない。

 食器洗い専用の水でたわしを使いごしごしと洗い、傍に置かれた乾燥場に器を置いた。ここでも幻隗石は使われており、水ダメ池の底に置いてる幻隗石が器がの汚れが水に混じっても綺麗なままであるように浄化の役割を持っている。

 幻隗石とは不思議なもので特定のルーン文字を書いた上に幻隗石を置くことで灯りにも水の浄化にもなるとても便利な石だ。村に残された数少ない資料によるとこれで昔は魔法みたいなことも起こせたらしい。そこまではわかってもその使い方に関する詳細がのっている本がほぼないでルーン文字と幻隗石の関係性は未だによくわからない。

 そういえば、あの塔の少女の持っていたランプは青い光発していたがあれも幻隗石の一種なのだろうか。

 彼女に何を聞こうかとぐるぐると考えているうちに気づけば塔の傍までやってきていた。考え事をしていると時間がどうも早く経つように感じられる。

「行くか」

 天高くそびえている塔を見上げて呟く。

 まだまだ聞きたいことはたくさんある。知りたいことはたくさんある。

 昨日の少女にもう一度会いに行こう。




 塔の内部は昨日に比べたら外が明るくなってきているのも手伝ってか入口の扉を開けていると、ランプなしでも見渡せるほどにはなっていた。

 昨日のように螺旋階段の裏に近づくと、昨日と全く変わらない位置にやや小さめの扉はあった。そっと押してみるとやはり鍵はかかっておらず、扉の先には地下への階段が見えた。

 そこまできて階段が暗いことに気づきランプを持ってくるべきだったと失敗に気づいたが、今更に家にランプを取りに戻るのもめんどうだ。まあいいやと、そのまま階段をゆっくり下り始めた。幸いなことに階段一つ一つの段差はそこまで大きくない上に壁に手を当てて下ることができるぐらいではあった。

 転げ落ちないように注意しながら階段を下り続ける。一歩地下に近づくたびに昨日の少女はいるのだろうか、またすぐにでも帰れと言うのだろうかと様々な思いが過ぎる。

 階段のほぼ最後まで来ると水色のほのかな明かりが最後の数段を照らしていた。この先に昨日の少女がいるのかと一瞬足がとまるが、ぐっと拳を握って一気に駆け降りた。

 そこはない一つ昨日と変わらなかった。天には小さな水色の点が散りばめられている。

 そして正面には

「また来るとは物好きですね」

 昨日と同じ場所に少女が立っていた。違うのは青いランプと本を持っていないことだ。

「塔に出入りしているのはいつものことだけどな」

 昨日よりもずっと距離を詰めていく。地下とはいえ外の明るさに比例しているのだろうか、昨日に比べたら周辺が明るいことに気づいた。

 少女の目の前で立ち止まって何を言うか考えた末にたどり着いた結論を言い放つ。

「どうせ世界が終わるなら自由に生きたっていいだろ」

 ずっと考えていた。もし少女の言葉が避けようのない事実であるというならばこれからどうしようかと。けれでも結論としては世界が終わるのが確定事項だとしても今更あり方を変えるなんてそうそうできるものでもないしそれならばいつも通りに過ごそう、そう決めたのだ。

「あと、俺以外に塔に人がいるのなんか嬉しくて。あんまり皆興味を示さないし」

 両手をそっと下腹部の上で重ねた状態で少女は自身より少し身長の高いセウを見上げた。

「人があまり近づくような場所ではないと言ったのですがお忘れでしょうか」

「ああ、でも俺は君に用があるからきた」

 少女の生気を感じられない瞳がセウの瞳を見る。。

「昨日も言いましたが、あなたは塔の外で生きる者、わたしとは無縁であるべき人間です、必要以上に関わる必要がございません」

 頑なに少女はセウを切り離そうとする。近づくなと宣言する。セウにはそれがどこか怯ええてるようにも見て取れた。

「そのさ、お前は世界の記録者なんだろ。なのに塔に引きこもってるなんてもったいないか。せっかくなんだ、外に出よう」

「わたしの言葉を聞いておりましたでしょうか、わたしには関わらないほうがいいと」

「だからなんでそうなるんだよ。こんな場所にこだわり続けないでもっと自分の目で世界を見てみなよって言ってるんだ。それに俺は塔の管理人である君に訊きたいことがいっぱいあるんだ、知りたいことがまだあるんだよ」

 今まで変化のなかった少女の表情がわずかな驚きの色に染まる。

 村を一周してまで考えていたことをセウは一度に吐き出した。

「こんなところにいたらせっかくの人生もったいないだろ、それに俺は自分の好きなように生きると決めたんだ、ちょっとぐらいこの終わりゆく世界でさ、付き合ってくれ」

 微笑みながらセウはそっと手を少女に差し出す。そこまでやって、まるで男女の付き合いを申し込んでるようだと恥ずかしくなる。しかし、言い切ってしまった手前、

 何故かほっとけないと思えた。

 かなり強引にでたセウに何を言ってるのかわからないというように少女は差し出された手を見て、それからゆっくりと視線を落とした。

 迷うようにわずかに少女の手が持ち上がるもののすぐに両手をさっと後ろに回す。

「それは聞けません」

 少女が俯いてセウの言葉を拒む。はらりと長い髪が肩から垂れる。

 まあこういう展開になるよなあと困ったようにため息をついた。

 だから強攻手段にでることにした。俯ている少女の後ろにさっとまわってその手首をとる。

「え、ちょっと待ってくださいっ」

「一度世界を見てから決めるんだな」

 少女の声も聴かずそのままぐいぐいと手をひっぱり階段の方へと連れいてく。少女の細い手首をセウのかさついた指で一周させたままセウは階段に足をかけた。

「あの、離してください、わかりましから」

「逃げない?」

「逃げてもあなた相手は分が悪そうです」

 じーっとセウは少女を見つめる。表情の変化が乏しいためにその真意がなかなかに読めない。

「それにそこの階段は暗そうです、ランプがいるでしょう」

「それもそうだ」

 行きはセウ一人だっために暗くても階段を降りてきてしまったが今は少女が一緒にいるのだ。暗いままで歩かせるのも申し訳がない。

「少し待っていてください」

 セウが少女から手を離すと長い髪を翻して少女は奥の方へとかけていった。それからすぐに青い光が灯っているランプを片手にセウの元へと戻ってくる。そしてランプをセウへと差し出した。

「あなたが連れて行くのでしょう、ほんの少しだけですからね」

 念を押すように言って、少女はランプをセウへと手渡し、受け取ったセウは大きく頷くと足元を青い光で照らしながら階段をゆっくり上っていた。

「なあ、そういえば名前を聞いていなかった。俺はセウだ。君は?」

「名前ですか?」

 こてんと少女が首を傾げる。

 何故尋ねるのか、というには違う。

 自分の名前はなんだろう、そういう雰囲気だ。

「何もないのか」

「……ノアとでもお呼びください」

 ノア、ゆっくりと唇を動かして少女の名を呼ぶ。名前を聞けるなんて昨日の段階では考えられなかったことだ。

 気づくと入ってきた扉の前まで来ていた。扉は開けたままにしていたために塔内部に差し込んでいた光が眩い。

「外は明るいだろうからランプはいらないけどそのあたりに置いといてもいいのか」

「構いません」

 後ろを振り返るとノアは約束通りきちんとセウについてきていた。そこでようやく暗くてわかりにくかったノアの髪の色と瞳の色がはっきりとわかった。青いランプのせいで青く見えていた髪は綺麗な銀髪で、瞳の色は吸い込まれそうな深い青の色をしていた。

「どうしましたか」

「いや、なんでもない」

 思わず見とれてしまったなど言えるわけもなく、慌ててランプを扉の傍におく。

 さて、塔を出たらどこに行こう。ククトもエーリヤもそれぞれの仕事をしているはずだ。もしかしたらククトは仕事が見つからずに家にいるかもしれないが。

「とりあえず、外に出よう」

「外……」

 青の瞳が扉の方を見る。。まだ何かに迷うようにわずかにノアの顔が俯く。

「大丈夫だって」

 今度はそっとノアの手を取った。

「何も心配することなんてないよ」

 ノアが顔をあげる。青い瞳がセウの瞳にぶつかる。

 思わず滑るように言ってしまったセウは後から急に恥ずかしくなりぱっと思わず手を離した。

 自分でも信じられないほど自然に先程から差し出してしまうのはなぜだろう。この手引いてやりたいという思いにかられる。

「少しだけ、ですから」

 ノアが念を押すように繰り返す。

「わかったよ。でも、なんというか見てほしいんだ」

 出てきた扉とは向かい側にある大きな扉に向かって二人並んで歩く。塔内で誰かと歩くのはいつ以来だろう。小さい頃はよくわからずククトやエーリヤも共に遊びにきていた。螺旋階段を疲れるまで登り続けたり、絵のついてる本を開いて文字は読めないけれども眺めてみたりしたものだ。

 胸を這い上がるなんともいえない懐かしさと、横にいるノアという少女を連れ出すという緊張感。

 自分でも何故少女をここまで連れ出したいと思ったのはわからない。

 ただ身勝手だとしてもやりたいと思った。ただのエゴだとしても、塔に閉じ篭ったままではだめだと思った。外の世界を拒絶したままはよくないと思った。

 本当にそれだけだ、思うがままに行動しただけだ。

「んじゃ、行くか」

 セウが塔から、ノアを連れて外にでる。

 外は朝食の時間がとうに終わり、それぞれの仕事をこなす人々で活気づいていた。

 セウに続いて恐る恐ると塔の外に出た。ふわりと温かな風が頬を、髪をなぜる。

 静かな塔の内部と異なり、多くの村人の声が耳に届く。多くの村人たちがせわしなく動いている音が聞えた。

 地下とは全く異なる香りがした。土の香りが、人が生きているという香りがした。

 視界にはたくさんの衣類を籠に詰め込んだ女性が歩いているのが最初に目についた。それから走る幼い子どもに談笑しながら歩く男性が二人。

 聴覚、嗅覚、視覚。ありとあらゆる感覚器官がノアに多くの情報をもたらす。人々がここに生きている情報を、今まで間接的に受け取ってきた情報がノア自身に降りかかる。

 セウが黙ったままのノアを見る。この村では、この世界では唯一とってもいい銀色の髪がさらさと風にゆれていた。

「さてと、ここにいても仕方ないし村を回ろう。塔にいたってことはノアも村の一員なんだから」

 ぽんと背中を叩くと体を一瞬びくりと震わしてノアがセウを見上げる。

「いえ、わたしは」

 セウの言葉をノアが否定しようと言葉を発した時だった。

「セウ、ちょうどよかった。今日からテテチの実を収穫するから手伝えって言われたんだ。だからお前も手伝いにって」

 ククトが駆けてきた。塔の外にちょうどいたセウに走りながら声をかける。そしてすぐにセウの横にいる見たことのない少女に気づいた。

「セウ、この子は……」

「塔の地下で会ったんだ。ノアっていう」

「塔の地下?そんなとこあったっけ」

「昨日行ったらあったんだ、それでノアにあった」

 ぼうっと立ったままのノアをククトが首を傾げながら言った。

「どこかで会ったこと……あるわけないよなあ。銀髪なんてみたことないし、それにすんごい美人だし」

「それで収穫なんだろ」

「そっ、俺とセウがいる間にやってしまうってな。俺らは体のいいように使われるってわけだ」

「それ、ノアもいいか」

 えっというようにノアがセウを見る。

「ま、いんじゃねえか。村の人も邪険には扱わねえだろうし。それに収穫を手伝ったものには新鮮なものを食わしてくれるしな。行かないほうが損ってもんだろ」

 うんうんとククトが一人で頷く。

「でも、そんな」

 いきなりの提案に後ずさるノアの手をセウがとる。

「大丈夫だって」

「収穫はいつも人手足りてねえし、むしろ喜ばれるだろ」

 笑顔でノアを見つめるセウとククト。初対面だというククトすらあっさりとノアを受けいれる。

 諦めたようにノアは小さくわかりましたと答えた。ノアの答えにセウは嬉しそうに笑うとこっちだと歩き始めた。

「あの、手、離してください」

「あ、ごめん」

「いやー、セウ随分と積極的ですなあ」

「うるさい」

 ノアに言われて手を離すもククトが茶化す。なんとなくほっとくと何処かにいってしまいそう気がしてついノアの手を掴んでしまう。それもほぼ無意識に。

 その事実に気づいたときにかっとセウの顔が熱くなった。朝から俺は一体何をしているんだろうと。

「ほほう?その表情は無意識かな」

「うるさいって言ってんだろ」

 ククトに遊ばれながら村の端にある畑に向かう。その道中ではノアの銀髪はやはり目をひくのか片端から声をかけられてばかりだった。何も答えないノアの代わりにセウが適当にあしらう。中にはククトと同じようにセウをからかう声も少なくはなかった。

「にしても、塔に人なんていたのはびっくりだぜ」

「それは俺が言いたい」 

 何があったかのあらましをククトに話しているセウの後ろに無言でノアがついて来る。たまに物珍しそうに周囲を見渡すぐらいでおとなしく歩いている。

 ノアが世界は確実に終わると断言したことまでに関しては言えなかった。誰が聞いているとはわからない昼間に話すのも気が引けたというのもある。

 歩くこと十五分ぐらいだろうか。少し前に朝食をとった場所のすぐ傍に広がる畑にたどり着いた。ほのかに甘い香りが周辺には漂っている。 

「ここが村の人たちの食料を育てている畑だ。そっちの右側は主食の穀物、左側がそれ以外だ」

 セウが説明しながら畑にそって左側に進む。炊事場の横を通り抜け歩くと背の高い青々後した葉が広がる場所で止まる。木の高さはセウの身長ほどもあり、緑色の中に赤い実が点々と散っている。

「ククト、セウ、手伝いに来てくれたのか。助かるよ。それと……あれっ?」

 今年も綺麗な実がいっぱいなってるなとセウが畑を眺めていると、背中に大きな籠を背負った少年がセウたちに近づいてきた。その年の少年にしては少し小柄で、むしろ大きな籠に背負われてるようにも見える。

 セウとククトを見てから、その後ろにいる銀髪のノアが気になるようで少し驚いたようにまじまじとを見つめる。

「ヘテ、こいつも一緒もいい?人手は多いほうがいいと思ってな」

 ククトが親指でノアを示しながらヘテと呼ばれた少年に訊く。

「いいぞー、ただ結構な肉体労働になるけど大丈夫かお嬢さん。ま、セウとククトを適当に使っていけば平気か。まってなー、籠とかとってくるから」

 ノアが返事を返す間もなく一人でヘテは全て決めると籠を撮るために傍にある小屋の中へと入っていた。

 残されたセウとククトはヘテのあっさりとした受諾には決めるの早いと本人の不在の空間にツッコミを入れる。

 それからヘテは大きな籠を二つ手に持って三人の前に来ると地面に置いた。どちらもヘテが背負っているものと同じで紐が二つ付いており背負うタイプのものだ。

「お嬢さんへの説明はよろしく。というか、あとは全部よろしく、追加の籠も適当にとっていけ、いつも通りだから。んで右から四列分は頼んだ。じゃっ」

「はいはい、わかってる……っていうか消えるのはえーよ」

 言うことだけ言うとヘテは少し離れた木々の間へと走って消えていった。収穫時期は忙しいとはいえ、いくらなんでも去るのがはやい。

「なんというか、相変わらず、というべき?」

 ククトが言いながら、ヘテが置いていった籠の一つの中を覗き込む。中には三人分の収穫用の鋏が入っていた。

「とりあえず、やるか」

 少年二人は籠を一つずつ取ってヘテが示した場所へと移動を始めた。ノアもセウから籠をわたされて、周囲を見渡しながらも二人のあとに続く。 

 セウは歩きながら籠の中の鋏を一つ取り出してノアに渡した。不思議そうにしてノアは鋏を受け取って刃を撫でた。

「たぶん研いだばかりだから刃には気をつけてくれよ、手切るから」

 セウがノアに注意するとはっと刃から手を離す。

「それからその鋏で実の少し上の茎をこうやって切るんだ」

 ククトがちょうど傍になっていた赤い実を手に取り、茎をちょきんと切る。そして得た実を籠の中へとそっと入れた。

「あと、実は真っ赤なんじゃなくて少し上が青いぐらいで大丈夫だ。わかんなかったら俺かセウに訊けば大丈夫だ。それと籠の中へと入れるときはそっとな、適当に入れると傷めたりすることがあるからさ。ま、こんなふうにして収穫していくんだ。っと、ヘテが言ってたのはこの一角だな」

 テテチの実が大量になっている木は一列ごとに整列して植えられている。列ごとの間は人が二人通れるぐらいの間隔である。緑の中に散らばる赤くて丸い実はとても魅惑的で、特に真っ赤に熟しているものはセウとククトの胃をきゅうと締め付ける。

 抱えていた籠を地面に降ろして端から収穫するにはちょうどいい実を探していく。収穫しても良さそうな実を一つ手に取るとノアを手招きしてセウは呼んだ。

「これとかもう収穫していいやつだから。鋏の使い方は大丈夫か」

 ノアの小さな頭がこくりと頷く。セウはノアを促すようにほらと手に取った実を示す。

 セウの顔をちらりと見てからおずおずと茎に鋏をいれて、ちょきんとゆっくりと切った。ずしりとセウの手に実の重みがかかる。

「そうそう、そんな感じだ」

 セウが嬉しそうに笑いながらテテチの実を籠に入れる。

「収穫できる実はまだまだいっぱいあるからな。ゆっくりでもいいからさ、手伝ってほしいんだ」

 鋏を握りしめたままノアが後ろにずっと続いているテテチの木を見る。

「たくさん、あるのですね」

「そうそう、その前にノア、一つ食べてみるか。収穫するの初めてってことはもぎ立て食べたことないんだろ」

 ノアの目の前に真っ赤に熟しきったテテチの実をククトが差し出す。どうすればいいのだろうとノアがセウを見る。

「一個ぐらい平気だって、それに熟してるのはすぐに食べることになってるし。俺らもあとで貰えるからな。食べてみなよ。あ、鋏持ってってやるから」

 セウがノアの手から鋏を取り、代わりククトがテテチの実を渡す。

「皮も食えるからそのままがぶっていくんだ」

 ククトが手に実を持って齧るふりをしてノアに食べ方を教える。

 セウとククトに見守られながら少しためらったあと、小さく口を開けて丸い果実にかぶりついた。

 しゃきりとした感触と共に果汁が口の中に広まっていく。同時に瑞々しい香りが鼻を抜けていく。噛むたびにしゃきりしゃきした感触と共に新たな果汁が口の中に広がっていく。

 また一口とかぶりつく。

「な、うまいだろ」

 小さな実にかぶりつく少女を微笑ましく少年二人が見守る。

「外の世界もいいもんだろ、作業は食べてからでいいから」

 セウがもぐもぐと口を動かしている

 ノアの分の鋏を足元に置いてからセウとククトは自分の作業へと戻る。

 傍からしたら無表情にしか見えなくても、テテチの実を食べるその様がおいしいと示しているようにしかセウには思えなかった。

 ノアが喜んでくれてよかったと思いながらしばらく集中してテテチの実の収穫に勤しむ。しばらくするととんとんと肩をノアに小さく叩かれた。

「あの、種どうすればいいですか」

「あー、その辺に捨てても大丈夫だよ、それか埋めちゃうか。どうせその辺に埋めても幻隗石で結んでるライン上にない限り育つことはない。もうこの辺もある程度は幻隗石による補助がないとここまで豊作には育たないから」

 ノアに説明しながら靴の踵で地面をがりがりと削って穴を作る。ノアがかがんで穴に種を入れると両手でそっと穴を土で埋めた。そのまま傍に置いてあった鋏をとって立ち上がる。

「じゃあ、手伝ってくれ。俺の後ろ側を頼むよ」

 こくんと頷いてノアも収穫の手伝いにはしる。先程ククトが教えてくれたのと同じような色合いの実を探しては実の少し上あたりを鋏で切っては籠に入れる。しばらく進んで籠がいる位置から離れるとセウが籠をずらして、また収穫をしてを繰り返す。

 ノアの向かい側、同じ列の反対側ではククトが収穫をしていた。

 たまにセウとククトとちらりとノアの様子を確認する。しかし、二人の心配も杞憂でノアはすぐに慣れたようすで順調に収穫をしていた。

 もくもくと作業を続ける三人の間を、ほのかな甘い香りを心地よい風が駆け抜けていく。

「そういえばノアってずっと塔にいたんだよな。食事ってどうなってたんだ」

 せっかく塔の外に連れ出したというのに何も話さないも寂しいのでセウがノアに話しかける。

「本来わたしには食事は必要ないので食べていません」

 とてもあっさりとした答えに思わずそれを聞いていたククトまでぎょっとして手を止めた。

「マジで?何も?」

「ていうか、どんな体になってんだそれ、普通人間って食べないと死ぬぞ」

「わたしはそういう体質なので」

 ちょきんとテテチの実を収穫しながらノアが淡々と返す。

「なんかそれって勿体なくねえか、食べないってことは人生いろいろ損してるだろ」

「それはククトだからだろ、でも生きていくためには俺たちにはとても大切なことだ。ノアも生きてるんだから食べないとだめだ」

「何故ですか」

「何故って」

 セウが言葉に詰まる。そう訊かれても食べるという行為自は生きる上で欠かせないものだ、だから食事をとる。けれどもノアにはそれが必要ないからいらないと断ち切った。

 食べるという行為が当たり前である二人には理解できない。食べるという行為に理屈がいるのだろうか。

「うーん、例えばさそこまで腹がすいてなくてもうまいものがあるとさ、食べたくなるじゃん。」

 最初に口を開いたはククトだった。止めていた作業を再開しながらククトが続ける。

「おいしいものこっそりつまみ食いしたり、それで怒られたり。俺もうまくいえないけど、生きるために食べるんじゃなくてさ、こうやって誰かと一緒にいる中で食べたり、作ったりして、日常の一部として当たり前なんだ。日常の何気ない一コマとしてあって、ただ誰かと一緒にいられるって認識できる儀式みたいなもん」

「儀式……」

 ノアが手をとめ、ククトの言葉を繰り返す。

「たとえ世界が明日で消えてしまうとわかっていても俺たちはいつもみたいに食べるんじゃないかな。それがいつものことだからだ、日常だから。最後なら最後でぱあっと豪快な料理をいっぱい作って皆でどんちゃん騒ぎながら一緒に食べたりするのもいいよな。この村での食べる時っていつも誰かしら傍にいるからさ、せっかく一緒にいるんだ。一緒に食べよーぜ」

 ノアのいる木の向こうでククトが熟しきった実を手に大きく齧り付いた。

「ククトってただの腹ペコじゃなかったんだ」

 セウがわざと驚いたふりをすると少し拗ねたようにククトが言い返した。

「あのなあ、俺だって色々考えてんだぞ」

「つうか、なんで食ってんだよ」

 ノアを挟んでセウとククトのくだらない応酬が続く。わいわいと騒ぐ少年たちの会話を聞きながらノアはまた次の収穫できそうな実を探す。

「ただ生きるために食べるのではない……」

 たった今収穫したばかりのテテチの実を手にノアがぼそりと呟く。

 それに少年たちは気づくことなかった。




 ゴーン、ゴーン。

 テテチの実でいっぱいになった籠が二つになったころ昼食の時間を示す鐘の音が響き渡った。

「うっしゃ、昼飯だ」

 ククトが歓声の声をあげてテテチの実でいっぱいになった籠を背負う。セウも同様に最初に持ってきて今では収穫物でいっぱいになった籠を背負った。

「鋏だけ危ないから持ってきて、それとまだその籠は置いてていいから、重いから置いてて」

 ずっしりとした重みが両肩にかかるせいで後ろに重心を持っていかれないようにと、やや前かがみになりがらセウがノアに教える。

 籠の中身を落とすことのないよう焦らずに歩いて収穫した籠を集めている場所に向かう。ヘテに会った小屋の隣には収穫された実がつまった籠が大量に並んでおり、そこにセウもククトも同じようにして籠を置いた。それからノアから鋏を受け取って小屋の壁にかける。

 ぞろぞろと収穫をしていた他の人たちも来て重くなった籠を順々に置いていく。

「よう、セウ、ククト」

 その中にはダグワスもいた。セウの斜め後ろにいるノアに気づくとセウに誰かと尋ねる。

「えーっとな、離せば長くなんだが、塔で会ったんだ。それでちょっと連れてきた」

「見たことない顔だ。そうか、なんか訳ありのようだな。詳しくはまたあとで聞くとして、初めましてだな。俺はダグワス。こいつらの上司みたいなもんだ」

 よろしくとダグワスが手を差し出す。無機質な瞳が一度セウを見る。

「握手ってことだよ、ノア」

 それを許可と取ったのか白い手をダグワスの差し出された手に合わせた。緩やかにノアがダグワスの手を握るとダグワスがしっかりと握り返した。

 ノアの様子を見てククトがセウに耳打ちする。

「さっきから思ってたけど、何セウ、あの子やたらとお前の確認とるけどなんか脅しでもしたの」

「何もしてねえよ、たぶんわからないだけだろ」

「本当かあ、お前やたらとノアのこと気にかけてるし、やっぱりあれか、あれなのか」

「それしか言えないのか、お前」

 セウがあきれ顔でククトから離れてじとりと見る。やれやれというようにククトは肩をすくめた。

「にしても、銀髪の少女なんていたか。もしかしてセウがずっと隠してた極秘の彼女か」

「なんで皆そろいもそろってそういう方にしか言えないんだっ」

 ダグワスの言葉にセウが叫び、その叫びになんだと集まっていた村人たちがセウを見る。

 そこでようやく周囲も銀髪の少女に気づいたらしくざわつき始めた。

「なに、セウにやっと彼女ができたのか。しかもえんらい別嬪さんじゃないか」

「え、エーリヤと付き合っているのかと思ってたたぞ」

「馬鹿いえ、ククトもいるだろ。男二人女一人で生活しているのに浮いた話がないと思ったらそうか、とんだ隠し玉がいたもんだ」

 さすがのノアも自分のことを言われていると気づきどうすればいいのだろうかとダグワスを見て、ククトを見て、それからセウを見た。

 再びからかいの的になったセウはため息をつくほかなかった。

 言われてやんのーっとククトが笑う。そうこうしているうちにテテチの木の栽培責任者であるヘテが現れて言った。

「はーい、一度静かに。午前の仕事お疲れ様でした。午後も引き続きよろしく。てなわけで昼飯はできてるらしいからこれから昼食休憩とする。解散!」

 最初と変わらずに言うだけ言ってすぐにヘテは消えてしまった。嵐にように現れて消えるヘテに慣れている村人たちはすぐに隣の炊事場へと向かい始めた。。

「俺たちも行くか、あ、いや、こっちで食べるか」

 ククトがノアを気にして提案する。セウとしても同じことを考えていた。何よりもノアと人の多いところに行けば自分が絶対もてあそばれるに違いない。特に双子だけには会いたくない。

「そうだな、ヘテに言えばその辺のスペース貸してくれるだろ」

「なら俺がもらってくるからセウとノアはその辺にいてくれ」

「ありがとな」

 炊事場に向かうククトを見送ってから振り返ってノアを見る。

「どうだった、世界の記録ってのも塔に閉じ篭っているよりもこうやって実際に見て回る方がいいと思わないか」

 ノアは何も言わない、相変わらず感情のない青い瞳でセウを見つめる。

「ここはこうやって人が生きてんだってのがわかる一部だと思う。この畑で採れたものが俺たちの血肉となって生かしてくれるんだ」

 セウが畑を見渡しながら言う。

 しばらく沈黙が続いた後にようやくノアが口を開いた。

「わたしは塔のあの地下であなたたちがこうして暮らしているという情報を収集して記録し続けていました。だからここであの果実を育て採取しているという情報はありました。けれど」

 そこで一度言葉を止め、顔にかかる髪をいじりながら少女は続ける。

「先程食べた果実は、その、とてもおいしかったです」

 その言葉が、その一言がセウの体中を巡って弾けた。

「そうか、そう言ってくれて本当によかった」

 二人並んで、まだ収穫途中の畑を眺める。ついでにセウが他にどんなものを育てているか、いつ頃に何が取れるかと話した。

 形としては知っていもノアは静かにセウの話に耳を傾けていた。

 畑の全ての解説が終わる頃にちょうどおぼんに人数分の器のせたククトが帰ってきた。ヘテに使ってもいいと言われたベンチに並んで座り昼食をとる。ノアは興味深そうに器

 の中身を覗いていた。セウに食べてもいいんだよと言われたあとにゆっくりとスプーンですくい咀嚼していった。

「それは村の女性陣が交代でご飯を作ってんだよ。メンバーによって個性が出るからこれがわりと楽しみなんだ」

 ゆっくり食べていたノアが食べ終わるとククトが食器を返しに再び炊事場に向かった。ククトが去った直後に今度はヘテがやってきてセウに籠を運ぶ手伝いを頼みにやって来た。テテチの実でいっぱいになった籠を運ぶというのでさすがに見るからに非力そうなノアにも手伝ってもらうわけにもいかず、おとなしくノアはベンチで留守番という形になった。

 一人畑を眺めながらた黄昏れていると、セウではない声がノアにかかった。

「やほう、お嬢さん」

 先ほどセウを呼んで一緒に行ったはずのヘテだった。その手には真っ赤なテテチの実があった。

「お近づきの印におひとつ……といっても収穫を手伝ってもらってる人には皆にあげてるんだけどなあ」

「……収穫を始めるときに一つ食べてもいいと受け取りました」

「ふふっ、それに関してはセウから聞いているよ、ついでにちょっと怒ったけど。あ、別にお嬢さんは責めてないやい。セウから気に入っていると聞いたもんだからな、もう一つぐらい貰っても平気さ」

 ずいっとテテチの実を差し出してくるヘテから素直にノアは受け取った。

「なんでもずっと塔にいたんだって?もぎ立てのテテチの実の味を知らずに過ごしたなんてそりゃもったいない。こんなにおいしいのに」

 ポケットから新たにヘテが赤い実を取り出して齧り付く。それを見てからノアもまたテテチの実に齧り付いた。

「どんな形であれ僕たちはお嬢さんを歓迎するさ、今更も揉めても仕方ない世界だし」

 ヘテが豪快にテテチの実に齧り付く音が響く。

「色々と気になることも多いけど追及はしないよ。何よりも僕の栽培しているテテチの実をおしいと言ってくれた、それで十分だ」

 むしゃむしゃとあっという間にヘテは自分の分を食べきってしまった。残ったのは綺麗に実を食べられた種だけだ。

「こんな世界だけど僕は僕でこの生活が好きなんだ。昔みたいに日の光がないせいで栽培は難しくなってしまった分幻隗石にたよった方法でやらなくちゃいけない。けど誰かが僕の育てたもの食べておいしいって言ってくれる。ただそれだけ僕には充分すぎる褒美だ。それだけ僕は頑張ろうと思える。大変な時期には皆がこうやって手伝いに来てくれるしね」

 最後にノアにウィンクをするとヘテは去っていった。テテチの実を渡して言いたいことだけを言うだけ言ってまた一人になったノアは本日二つ目のテテチの実に齧り付いて、

「おいしい」

 小さく呟いた。




 昼食を終えたあとも午前と同じように割り振られた場所に散ってそれぞれ収穫を続けた。

 ノアも黙々と茎を鋏で切っては実を籠に入れるのが午前中に比べてさらにスムーズになり始めた。その様子を見て密やかにセウとククトは顔を見合わせしてやったりという表情で微笑んでいた。

 そして気づけばあたりは暗くなり始め、そろそろ村の幻隗石に灯りが灯ろうとする頃には収穫を手伝っていた人たちは再び集められてヘテにより解散となった。

「あー、働いた働いた」

 ククトが肩を回してごきごきと鳴らす。その隣でセウも同じようにさんざんテチに荷運びを手伝わされて凝った肩を回していた。

「ノア、疲れなかったか。いきなり一日働かせちゃったけど」

 熟してすぐに食べれるテテチの実をいっぱい入れた小ぶりの籠抱えたノアをセウが気遣う。。

「にしてもヘテに随分と気に入られたなあ、一番ノアが今回はもらってるって」

 帰り際にヘテにもらったテテチの実の量はセウとククトにとっても予想外でむしろこんなに今まであげた人なんていただろうかと思わせた。

「わたしは大丈夫なのですが、これはどうしたらよいのでしょうか」

 籠を抱え直しながら助けを求めるようにセウを見た。

「そりゃ、ノアが食べたらいいんだよ。ノアがおいしいって言ってくれたからヘテもあげたんだろ」

「しかし、わたしにはこの量は多すぎます」

「なら、このあたしが特別に料理してやろう!」

 セウもククトも後ろにいるノアを振り返って歩いていたために聞き覚えしかない声にぎょっとして前を向いた。

 前方には腰に手を当てどんと立っていたのはエーリヤだった。

「セウ、村中でその子の話は話題になってるよ、なんでもようやくあのセウが嫁を決めたとかなんとかで」

「おいまて、なんで嫁にまで飛躍してんだ」

 人口の低い村なのだから当然話題は村中に伝わる。そして噂話には尾ひれがつくものだ。

 もはや何度目かわからない同じやりとりになる気配を察してセウは天を仰いだ。

「だってほらあたしたちってもう結婚してもいい年齢でしょ」

「だからってなんで俺だけこんなにいじられるんだよ」

 セウの言葉を聞き流してぴょんとエーリヤはノアの前に来た。

「えへへ、こんにちは。あたしはセウとククトの幼馴染のエーリヤ。よろしくね。あなたはなんて言うの?」

 セウやククトとはまた違う明るいエーリヤにノアが戸惑う。

「わたしは……ノアです」

「そっかあ、ノアね。ところでその腕いっぱいのテテチの実なんだけどね、よかったらそれをパイにしようと思うの。どうかな」

「こいつ性格は問題あるけど料理がうまいのは保証すんぜ」

「ククト一言余計」

 容赦ないエーリヤの蹴りがククトの脛にきまる。大げさにククトはうめき声をあげるとその場にうずくまった。一瞬の出来事にあっけにとられはしたものの、ノアは抱えたいた籠をエーリヤにずいっと差し出す。

「それならこれはあなたにあげます。わたしは塔に帰るので」

「え」

 その勢いに思わずエーリヤ受け取る。

「本日はありがとうございました。それでは」

 ノアが小さく一礼し、塔の方へと向かおうとする。その手をセウが掴んだ。振り返らないままノアがその手を振り払おうとする。

「わたしは少しだけと言ったはずです。これ以上付き合う義理はありません」

「そうかもしれない、けどさ、もう少しだけでいいから。エーリヤのパイ食べてみてくれよ」

「何故わたしにそこまで気に掛けるのですか」

「それは」

 なんでだろう。最初はただ好奇心からだ、それから外の世界を知ってほしいと思えた。世界が終わってしまうというならばなおさら。

 けれど今は違う気持ちがどことなくあった。

 心配とは違う。けれども気がかりで、このまま塔に帰してはいけない気がした。このままでは彼女はまた一人あの塔に引きこもるのだろうと思うとここで引っ張り上げないといけない、逃がしてはいけない。

「セウってぼうっとしてる癖にたまに変なところでお節介だよな」

「ノアが放っておけないんだって。もう素直じゃないんだから」

「それはお前が言うな。ここまで来たんだ。せっかくだから夕飯も一緒に食おうぜ」

 ククトとエーリヤがセウの背後ではセウに賛同するように、ノアに笑いかける。

 自分の感情を上手く言葉にできずにいるセウの代わりにククトが逃げようとするノアに話しかける。

「あんなところで一人でいるぐらいならさ、俺たちと来なよ」

「そんな資格、わたしにはないです」

 首を振ってノアが否定する、拒絶する。

「うーん、詳しいことはわかんないけどさ。ご飯は皆で一緒に食べるものだもん、おいでよ」

 エーリヤがやさしくノアに言いながら近寄る。

 ノアの瞳が揺らぐ。迷っている。どうしたらいいのかと、行ってもいいのかと。

「いいんだよ、拒絶しなくて」

 そして最後にセウがやさしく語りかける。ノアの視線は足元に落ちる。

「こんなわたしでいいんですか」

「いいんだって、ほら行こう」

 セウが掴んだ手と反対の手をエーリヤが掴む。

「ようし、今日はかわいい女の子のためだはりきっちゃうぞー」

 嬉しそうにエーリヤが叫んだ。顔を俯かせたままのノアを心配そうにセウが見つめていた。




 基本的に食事は炊事場で作られたものを皆食べているが別に絶対というわけではない。自炊したいときは一言料理をしている女性たちに声をかければいい。ついでに食材も多すぎなければわけてもらえる。

 るんるんと鼻歌が聞こえてきそうな雰囲気でエーリヤがノアの手を握って歩く。

 その後ろをセウとククトがとぼとぼと歩ていてた。ククトの腕にはノアがもらったククトの実がつまった小さい籠がある。エーリヤに荷物持ちと言わんばかりに持たされたものだ。

「材料はそろそろテテチの実が収穫だからと思ってこの間少しもらってたんだ、今日セウたちが収穫に行くって言ってたからいくつか熟れたのをもってきてくれると思ってもともと今日作るつもりだったんだけど」

 がばっと隣にいるノアをエーリヤが見る。その勢いにノアが少したじろぐ。

「こんな子がいるなんて思わなかったよ。セウ、こんなにかわいい子をどこに隠してたんのよ」

「隠してもなにもない。本当にたまたま会っただけなんだ」

「どこで?」

「塔の地下」

「え、そんなところあったっけ?」

 ククトと全く同じ反応をエーリヤが返す。ククトもうんうんと同じようにセウの横で頷く。

「さあ、俺もよくわからない、昨日行ったら螺旋階段の後ろにあったんだ。というか、それノアの方がわかるんじゃないか」

 塔の管理者たる少女の方がそのあたりの事情に関してはよっぽど詳しいだろうと、セウの前歩く少女を見る。

「申し訳ないのですが、わたし自身外に通じる扉があったことに驚いています。ずっとあそこに居続けるものだと思っておりましたもので」

 謎は解けずじまい。ノアにわからなければセウたちにわかるわけがない。

「というか、塔に居続けるつもりだったて、なに、監禁?」

「まあまあ、その辺の込み入った話は家でしよう」

 どういうことだーという視線を向けてくるエーリヤの背中をぐいぐいセウが押す。何かを察してくれてかのように村人たちはノアに深く踏み込まないのが幸いして今のところ昨日の話を詳しくは誰にもしていない。ヘテにも塔で会ったとしか伝えていない。今日はせっかくノアもいるのだから改めて話をしてみるのもいいかもしれない。

 今日の火付け当番が松明を持って村を回っているのかオレンジに灯った幻隗石が家に近づくと見え始めた。

「到着っと」

 エーリヤがノアの手を離しぴょんと家の扉の前に立つ。

「いらっしゃい」

 そして扉を大きく開いてノアを家の中へと招待した。入口の前で立ち止まるノアの肩をぽんとセウが押す。

「ほらほら後ろいるんだから入って」

 エーリヤがにこやかにノアを見つめている。意を決してノアは三人の家の中へとあがった。

 明かりの消されている内部は外からの灯りでわずかに室内を照らしていた。ゆっくり歩きながら室内をきょりきょろとノアが見渡す。

「あ、灯りもらってくるよ」

 ククトが玄関付近にある幻隗石とトングを掴んで外の灯っている幻隗石の元へと向かう。

「ノア、立ってないで座りなよ。お客さんなんだから」

 セウが椅子を引いて座るように促す。こくりと頷くと素直にノアはセウが引いてくれた椅子に座る。と、同時に部屋の中が急に明るくなった。ククトが部屋の中の幻隗石に灯りを灯したのだ。

「実は生地だけ昼につくっちゃてるんだよねえ」

 がさごそとエーリヤが調理場の下の戸棚を漁る。中には小さめの幻隗石があり、冷却のルーンにより冷蔵庫として機能している。

 隣の戸棚からククトが包丁とまな板をとりだしてエーリヤに渡す。それからもう一セット包丁とまな板を取り出して机の上に置くと、テテチの実を二つそれぞれ八等分に切り分ける。種はきちんと包丁で切り出されたいた。

「ほい、パイが焼けるまで時間かかるからその間に少し食べようぜ」

 まな板の上に実を並べてそのままノアの前に差し出した。セウもノアの正面に座り、ククトが切ったテテチの実を一切れ食べる。

 それを見てからノアも一切れ手にとって口に一口含む。

 しゃきしゃきとした触感と甘みが絶妙で無意識のうちにに二切れ目に手が伸びていた。

「あっ」

 手に取ってから恥ずかしそうにしながらも小さくテテチの実を齧った。微笑ましくその様子を見ながらククトがセウの肩に手をかける。

「いんや、気に入ったならいいんだよ。な、セウ」

「なんで俺にふるんだ。というか、今日村の人たちからの扱いがなんかひどいんだけど。いくら人が少ない村だからといっても本当に皆浮いた話大好きだな」

「セウがそういうの興味なさそうな顔してるからだろ」

「だからってなあ」

 エーリヤがテテチの実を小さく切る音が室内に響く。

「ねえ、ノアって塔にずっといたの」

 エーリヤがパイを作るために手元を動かしながらノアに尋ねる。

「はい、わたしは塔の管理を任されています。同時に世界の記録を行い、その今までの記録である本を管理しているのです」

「世界の記録って?」

「この世界歴史そのものです。塔の管理を任されている者はこの世界の現状を常に知ることができます。管理人を通して塔に集積された情報は本となり塔の蔵書の一つとなります。代々塔の管理者はその本たちを管理するのが役目なのです。」

 三切れ目に手を出さずに机の上に手をおいたままノアはテテチの実を見つめる。

「なんかノアってとんでもない役目背負ってるの?でもよかったじゃん、これでセウも塔での本探しも楽になるでしょ。幻隗石の新たな使い方も、もしかしたら『断絶』の止め方ついても」

 何気ないエーリヤの言葉にセウが苦みを潰したような顔して、ノアが昨日言った言葉を思い出す。

「ノア、昨日言っていたことだけど」

「それは変えようがない事実です」

 ノアのぴしゃりとした言葉が波を打つようにエーリヤとククトさえ黙らせた。

 なにとエーリヤがテテチの実をくるんだパイ生地をオーブンに入れようとして後ろを振り返る。

「昨日俺はノアに訊いたんだ。『断絶』を止めることはできないのかと。そしたら言われた。この世界が終わることは確定事項だと、それは避けようながない事実だと」

 ノアがセウに続けて言った。

「この世界は今までに五回の創造と消滅を繰り返しています。そして今は六度目の世界。七度目の世界に向けてまた一刻と消滅へと向かっている最中です。そしてその消滅までの記録を取り次の世界へと渡すことが今のわたしの役目です」

 ノアの言葉を聞きながらエーリヤがパイをオーブンに入れたあと内部の幻隗石に火を灯す。するとわっとオーブンの内側の切れ込みそって光があがる。それを確認してからエーリヤが言った。

「それって『断絶』によって全ての大地が消えたときに世界は消滅してまた創り直されるっていうこと?」

「そういうことになります。世界中のエネルギーが今減少しており、そのエネルギー不足のから大地は保ち続けることが困難になっています。その結果『断絶』が起きるのです。それは前の世界でも確認されている現象です。その記録に関して塔にきちんと保管されています」

 まな板の上にはカットされたテテチの実が三切れ残ったままだった。その一つをエーリヤがつまむ。

「やっぱりそうなっちゃうかあ」

「ま、そんくらい予想の範囲内だろ、結局のところ、皆本当はわかってるし」

 さらにもう一つをククトがつまむ。最後に残った一切れをノアの方に差し出しながらセウが言った。

「ノアだけがその事実知ってたんだな、この世界で」

 エーリヤがテテチの実を切る音だけが部屋に響く。

「そんなとんでもないこと、ノアだけが知ってて、あの塔にいたんだろ。いつか皆消えてしまうことを知りながら、世界というか俺達のこと、記録してた。なんか、それってつらいよな」

 何も発せないセウのかわりにいつも言葉を繋ぐのはククトだった。

 セウがククトを、ノアも自然とククトを見る。

「だってさ、ノアは俺達の村が消えちゃうことをわかってて、今日村の人たちと会った。テテチの実がおいしいってことも知った。いずれ全部なくなっちゃうってわかってるのにさ」

 ククトが両手を頭の後ろで組み、天井を見上げる。

「この世界が終わることなんて心のどこかで皆わかってんだ、別にそんなこといちいち気にして周りを見なくたっていいんだ。むしろせっかく今こうして塔の外にいるんだからいっぱい美味しいもの食べなくちゃ損だろ」

「本当にククトお前ってやつは」

 最後の言葉にセウが思わず笑う。それからセウがノアを見た。

「ま、確かにククトの言うとおりだよ。たとえこの先どんな未来であろうと生きていこうって、この三人で一緒に暮らし始めたときに俺たちは決めたんだ。ほら最後の一切れあげるよ」

 まな板の上の最後の一切れを取りながらノアは絞り出すように言った。

「何故そんなにも真っすぐでいられるのですか」

 ノアがセウに差し出されたテテチの実のひとかけらを見て、それからセウ、ククトの順に顔を見る。

「うーん、なんだかんだこの生活が俺たちは好きだし。だからって自殺しようとかも考えられないし。まあ強いて言うならそれぐらいしか理由が思い当たんないけど。だって今更何かを変えようって無理な話だ」

 がしがしとセウが頭を掻く。普段は全くそんなことを意識せずに過ごしているものだから真正面きって尋ねれられても困惑するばかりだ。

 カチャンとエーリヤが使い終えた道具をまとめる音が響く。

「とりあえず、ノア。もっと表情が豊かになってもいいと思うの。せっかく塔の外に出たんだよ。色んなものに触れられるんだから笑わなくちゃ」

 ノアの背後に回ってエーリヤがぎゅっとノアを抱きしめる。

「そういうわけで、下準備もおわって焼けるまで暇だし、トランプしようよ。ノアもいるんだから四人で」

「突然すぎるし、今までの雰囲気を綺麗にぶっ飛ばしたな」

「とりあえずルール簡単なババ抜きで、最近してないし」

「人の話聞けよ」

 トランプをやる気に満ちた目のエーリヤにセウがため息をつき、ククトもあきれ顔だ。エーリヤの強引さにはセウもククト適わない。

「大丈夫、ちゃんとノアにルール教えてあげるから。それにたぶん同世代でしょ。年が近いもの同士楽しまなくちゃっ」

 トランプ取ってくるねとエーリヤが自室に消える。エーリヤから解放されたノアは手に持ったままのテテチの実の欠片を口に入れた。

「ごめん、ああいうやつなんだ」

 申し訳なさそうにククトが代わりにと謝る。

「いえ、お構いなく。世界の現状を知ることはできるとはいえども、わたしは人類の歴史、流れしか認識をしていません。なのでこういう小さな空間でのやり取りを知ることがないのです。だから、その」

 どう言えばわからないというようにノアが指先をすり合わせる。その仕草だけで十分セウとククトにもノアがどう思っているのか伝わってきた。

「そういう時は素直に楽しいって言えばいいんだよ」

「たの、しい」

 ノアがセウのあとに繰り返す。

「そうそう、ノアはもっと素直になればいんだよ」

「だからそれに関してはお前がいうな」

「セウも人のこと言えないから」

 聞き耳を立てつつトランプを取りに言ってたエーリヤにセウがツッコミを入れてセウにさらにククトがツッコミを入れる。

「ふふっ」

 その様子に思わずノアから小さな笑い声が漏れた。右手を口元にあてて小さく肩を震わす。

「なーんだ、笑えるじゃん、よーしその調子」

 ずっと無表情だった、表面にわずかに困惑を示す以外には何も見せなかった。そのノアが笑っている。思わずノアを見ていた三人も知らず知らず笑みがこぼれる。

 やったと内心踊りながらエーリヤが配ってくれたカードを手にとって自分の持ち手の確認をしていく。

「ババ抜きっていうのはマークの数が同じカードが二枚あったら、二枚一組で捨てることができるの。組を見つけたら机の上にに置いて行ってね。でも一枚だけどれともペアにならないジョーカーっていうカードがあるからそれを最後まで持っていた人が負け。れと自分のカードが人に見えちゃだめだからね」

 エーリヤが自分の手持ちから捨てるカードを二枚取り、エーリヤに見せる。なるほどとわかったとノアが頷く。セウもククトもそれぞれ自分の手持ちからカードを捨てていく。

「さてと、二人ともよさそうね。じゃあ、ノアがわたしから好きなの引いて」

「うん」

 エーリヤが広げたカードの上で少し指を彷徨わせたあとに一枚引き抜く。

「それで、自分の持っているカード見て、同じカード組み合わせがあれば捨てていいからね」

 ノアの視線が今取ったカードと手にあるカード行ったり来たりする。そして一枚のカードを取ってエーリヤから抜き取ったカードともに机の上に置いた。

「そうそう、次あたしねー」

 エーリヤがククトの広げたカードから一枚引き抜く。エーリヤが抜き取ったの確認してからククトがセウのカードから一枚引き抜く。そしてさらにセウがノアからカードを一枚。

 そうしてぐるぐるとカード引いて、ペアができれば捨てを繰り返す。

 ババ抜き一戦目はわりとあっさりと勝敗が決まった。

「うそ、でしょ」

 一戦目、最後にジョーカーを持っていたのはエーリヤだった。

「なんで最初から最後までノアってば一度も引かないの」

 ぱたりとエーリヤがトランプの山に突っ伏す。接戦で最後に残ったのは女子二人だったのだが、意外にも長引くことなくノアが先にペアを作り終了した。それから数戦、何度やるもノアが負けることは一度たりともなく、その強運に三人ともお手上げ状態だった。

 何戦目かわからないところで再びエーリヤが負け、またなのと叫ぶ。

「もう一戦!」

「の前にパイ焦げんぞ」

「えっ」

 最初に勝ち抜けたククトがオーブンの中をのぞいてエーリヤに知らせる。やばいとエーリヤは椅子から立ち上がりミトンを取って、オーブンを開けるとパイをそっと取り出した。一気に部屋中が香ばしい匂いに包まれる。

「わあ、いい感じ」

 きつね色に焦げ付いた生地。甘く広がるテテチの実の焼けた匂い。日中さんざん働いたこともあってか一気に胃がきゅうと締め付けられる。

「ククトはトランプ片づけて、セウはお皿出して」

「なんで一番に抜けた俺がトランプ片づけることに」

「ククトはパイいらないのね、わかった」

「ごめんなさい」

 食べ物の前にはククトは逆らえない。たとえ食べ物が絡まなくてもエーリヤにはかなわないのだろうけれども。

 ノアも何かした方がいいのだろうかと思い目の前に散らばっているトランプをかき集める。ノアが手伝っていることに気づいたククトが慌てて他のトランプも集めてノアの分も含めて箱へとしまった。そこにエーリヤが出来立てのパイをどんと中央に置いた。

「ふふん、今日はテテチの実たっぷりバージョン」

 自慢げにエーリヤが言いながら包丁を取り出す。。

「じゃ、切るね」

 包丁がはいるたびにサクリといい音が鳴る。早く食べたいという衝動を抑えながらセウもククトもエーリヤが切り分けていくのを見守る。

 きっちり四等分。崩れないように丁寧に切り終えると、今度はセウの用意した皿に移す。生地の間から零れ落ちたテテチの実が眩い。

「はい、どうぞ」

 フォークとパイの入った皿がそれぞれに行き渡ったところ確認したところでセウ、ククト、エーリヤが目を閉じて両手を合わせた。ノアも見よう見まねで両手を合わせる。

「よし、食べよう」

 ノアが目を開けるとククトはすでにフォークを持っており、パイに突き刺すところだった。ノアも同じようにスプーンをとって目の前のパイにフォークを入れる。さくりという柔らかな感触がした直後中のテテチの実に突き刺さる。フォークの側面でゆっくりと切れ込みを入れて一口サイズに切り分ける。フォークを入れる度にパラパラとパイ生地が小さくなっていく。

 サクサクの生地と共にテテチの実を口に入れる。

 生で食べる時とは全く異なる甘みが香ばしさとともに口いっぱいに広がる。温かな果汁が口に広がっていく。

「おいしい」

 今度はすんなりと、堂々と言えた。顔をあげると笑顔でノアを見つめている三人がいた。

「あーもう、かわいいなあ」

 今度は横からぎゅうっとエーリヤが抱きつく。

「ノア、今日は塔に帰らないでここに泊まろっ、服ならあたしの貸してあげる。ベッドは一つしかないけどノアって細いから二人でもいけるいける」

「えっ、えっ……」

 ぎゅうっとさらにノアを強く抱きしめながらエーリヤが言う。 

 助けてというようにセウやククトを見るも、全く助ける気はないようでむしろ賛成していた。

「ま、たまにはいいんじゃね。同世代の同性と触れ合うのも大事大事」

 うんうんと絶え間なくパイを口に運びながらククトが頷く。セウものんびりと食べながらそうそうと頷く。

「よしっ決まりね、ならあとでババ抜きもう一戦」

「またか。まあせっかくだからいいけど」

「なんかお泊り会みたいだなあ」

「うち三人は同居しているのに?」

 暖かな空間だった。ノアが会話に参加しいていなくても常に誰かがノアを気にしながら話していた。

 自然とノアから笑みがこぼれる。塔の管理人だということを忘れて一人の少女としてノアはそこにいた。

 おいしい食事には笑いが絶えない会話。それが全てだった。たとえ明日がないかもしれない、それがわかっていても今は笑っていられた。

 今まで冷たい塔に居たノアの中に暖かな風が吹き込んだ。


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