時空(ショートショート)
作詞をしていたら浮かんだ。浮かんだから作詞をした。ただただ思考を巡らせ書きなぐった。
夜空を見上げながら思った。私は何故あるのか、私は何処にあるのか。
この広大な宇宙が広がる中、大きさに比べると微生物にすらなれないのである。
そんな事を考えていると宇宙に興味が湧いてくる。あの日どこかでみた宇宙論理証明、宇宙の仕組み、そして膨張し続けてる宇宙にやっと撮影されたブラックホールすら飛び越えた超銀河団たち。
何よりも、プラネタリウムに映し出される多々の星々が走馬灯の様に頭を駆け巡る。
星はどれ一つとして重ならない姿で存在しているのだ。
私は何故あるのかと考えていると、地球は何故あるのかと思う。
地球は何故あるのかと考えていると、太陽系は何故あるのかと思う。
太陽系は何故あるのかと考えていると、星は何故あるのかと思う。
星は何故あるのかと考えていると、宇宙は何故あるのかと思う。
それぞれが「存在」しているのだ。
私があの日みた小さな星だとしたら、きっと友達はそこから5Mpcほど離れたあの星なのだろうか。光年という尺度に変えれば1630万光年。
4200Mpc等という距離が実在すると考えればそれはとても近い。
じゃあ恋人との距離はどうなのだろう。個人的に願望として上げるなら15光年くらいであって欲しいところだ。
私は人との距離感が極端すぎるのだろうか。そんな疑問すら浮かんでくる。
ならばあの人にとっての距離感はなんなのだろう。様々な疑問が浮かぶ。
それは人それぞれであり、形も何もかもがどれ一つとして同じものは存在していないのである。
それはたとえ一卵性双生児であっても、どこかに必ず違いが産まれ、Aという人物はAという存在として確立しているのだ。
火星という星が火星として存在しているように。
生物が存在していていながら形はどれ一つとして同じものはない、これはまるで惑星たちのようである。
個々が多々の距離感で形を変えそこに存在している。これは地球における生物の世界と宇宙における惑星の世界は似ているのではないだろうか。
いわば宇宙とは人間社会そのものなのである。
歪んだ惑星、歪んだ人。
光り輝く惑星、光り輝く人。
影に隠れる惑星、影に隠れる人。
様々な惑星と人の存在が確立している。
あの人はどの星だろうか、ならばあの人は、そう思いながら暗闇の星空の中に椅子を起き、腰掛けて眺める。
曲がる心、歪む心、見つめる先は螺旋の星々。
近づきたくて手をさし伸ばす。そこには掴みきれない程の星がいる。なんて美しい光景なのだろう、心が射抜かれる。
歪みゆく宇宙、星空、世界。
私という確立された存在にとって、この星々は、人は、すべてを包み込みたくなるほど大切で寄り添っていたいのだ。
私は何故あるのかと最初に問いた。それは、ここに存在する為にあるのだろう。どんな事になろうと、ここにいる以上私は存在しているのである。
私もあの惑星となんら変わりはない一つなのである。螺旋に絡み合っている光景の一つ。一人ぼっちでは輝けないのだ。それは、微かな光であっても。
誰かが居るから私がいる、私が居るから誰かがいる。
ならば私も歪んだ人ですら認めよう。その人が私を照らす星となっているかもしれないのだ。
一つ一つの存在は星。私はここに存在している。誰かと照らし合いながら。
それが、存在。
近代物理で言えば宇宙は物理とエネルギーの時空連続体である。宇宙には無限の可能性がある。人間社会もまた然り。どこまでも無限に存在しているのだ。




