Episode1-5 Die Sterntaler
御伽噺の朝と夜の概念は狂っている。
常に夕焼けが染める黄昏の森や、6時間ほどで昼夜が変わる早送りの海、太陽が沈み切らない白夜の城など、ところによって大幅に違う。
月を追いかける魔狼、ハティであるハリエットが地上に存在するせいなのかは定かではないが、ハリエット本人は追いかけるべき月はこの御伽噺に無いと判断していた。
常に流星が空を駆ける星降りの平原で、ハリエットは静かに魔女を屠り続けている。
夜目が利き動作の素早い、猫科を思わせる姿をした魔女は小柄な個体はさほど脅威では無いのだが、大きいものになると『街』を襲えば壊滅させられるのではと思うほどの戦闘力がある。
別に街を守る義理は無いのだが、なんとなく。
この御伽噺を守り、主人公争いを円滑に行わせるためには、主人公候補が心安らげる場所は必要ではないだろうかと思ったためだった。
魔女を倒しても際限は無い。
それを理解していてなお、ハリエットは魔女を屠らずにはいられなかった。
珍しく、魔女が数匹まとまって現れる。
一体では勝ち目がないと踏んだか、やや大柄な個体に付き添うようにゆっくりと、小柄な個体が二匹闇夜に目を光らせていた。
ちっ、と舌打ちすると右腕を異形化させ、魔女へと振り下ろす。
しかし、三体を同時に相手取るのは流石のハリエットにも厳しく、小柄な個体が一体、ハリエットの背後へと回り込んだ。
正面に右腕を叩き付け、小柄な個体を一体潰す。
しかしその向こうには大柄な個体。
背後にはもう一体。
ぎり、と歯噛みした瞬間、何かの音と光が弾けた。
「……!?」
「支援するわ!」
柔らかくも芯のある声。
それに振り向くより早く、ハリエットは正面から睨み付けてくる大型の魔女を仕留めた。
何が起きたかは解らないが、魔女からの攻撃が無効化されたのだとは推測出来る。
ならば、状況理解より早くさっさとこいつらを仕留めてしまうべきだ。
最後の一体が霧散した後、ハリエットは右腕を元に戻しながら声の主へとゆっくり振り向いた。
「……礼なんか言わないわよ。頼んでないし」
「別にお礼されたくて助けたわけじゃないわ。良いのよ」
声の主は、少し癖のある蒼銀の髪をループテールに纏め、夜空のような紺碧のワンピースの上に同じ色のケープを羽織っている。
どこか聖職者のような出で立ちであり、温和ながらも凛とした振る舞いや無償の奉仕精神がその印象を強めるのを手伝っていた。
「あなた、魔女を退治してくれていたの? わたしはアノニム。あなたも主人公なのかしら」
「……ハリエットでいいわ。わたしは主人公じゃない。黒子みたいなものよ」
「ふぅん?」
アノニム、と名乗った少女は星の輝きを思わせる金色の双眸で、興味深げにハリエットを見つめる。
大きな瞳をぱちくりとさせ、小首を傾げるとハリエットとの会話を継続した。
「わたし、『星の銀貨』。能力がサポート型だし、一人で魔女と戦うのは少し不安なの。でもあなたみたいに強い子が手伝ってくれるのなら、とても心強いわ」
そう言って、一枚の銀貨を取り出してハリエットに見せる。
磨き抜かれたそれは空に輝く星にも負けておらず、それに、どことなく神聖さすら帯びているように感じられた。
どうやら先程はこれが魔女の攻撃を弾いたようだ。
星の銀貨と言えば、自らを犠牲にしてでも周囲を助けようとする少女の物語であるグリム童話だ。
となれば、先程の『礼をされたくて助けたわけではない』という台詞にも合点が行く。
アノニムが『星の銀貨』であるならば、自分を助けるのは当たり前のことで、そこに見返りなど求めるはずがないのだと。
だが、そこには落とし穴がある。
そう思ったので、ハリエットはぼそりと呟いた。
「そう……でも、おまえのその物語はそもそも貧しい少女が身を削る話。自分が満たされていないのに他者に施しても、最後に待つのは自滅しかないんじゃないかしら。わたしのことは気にしないで。おまえの助けなんて借りないから」
「それでも構わないの。わたしが破滅したとしても、それでみんなが笑顔でいてくれるなら、わたしはきっと間違っていないと思うの」
「……変わってるわね」
冷たく言い放っても、アノニムは朗らかな笑顔を崩さない。
それに何を言っても無駄だと断じたハリエットは一度口を噤むと、小声で「街に戻るから、付いて来たいなら好きにしなさい」と呟いた。
星降る夜空を背にして街へと向かうハリエットに、星の少女は軽快な足取りで付いていく。
ざわ、と風が草を揺らした。
この平原の夜が明けることは、ない。
雨のように注ぎ続ける星が、一帯を蒼く照らしていた。