Episode1-3 Le Chat botté
御伽噺の中には、簡素ながら街としての体裁を保ったエリアがある。
そこでは凶暴性の低い魔女がなんとなくの縄張りを持ち、イかれた値段設定で果物などの食材を始めとして、継ぎ接ぎだらけの服に、殺傷力の低い武器まで売っている。
「ふぅむ、魔女の店と言うからには期待はしていなかったが。なかなか悪くないじゃないか。これを貰うよ」
近くの森で採ってきたものだろうか、籠いっぱいに詰められていたのは瑞々しさが感じられる林檎であった。
それをひとつ手に取った少女はアンバーの瞳でそれを見下ろしながら、ポケットから銅貨を数枚カウンターへと置く。
少女が購入のやり取りを終え店から遠ざかると、後ろで細く束ねたブルーグレーの髪が揺れた。
店主の魔女は触手のような短い腕を小さく振り、彼女の背中を見送る。
少女が次に向かったのは森だった。
先ほどまで居た『街』に店を構えている魔女は、森などに住む魔女からの侵略を受けやすい。
そうならないようにするために、少女は哨戒活動を自主的に行っていたのだった。
とは言え、物語の中と比べれば御伽噺は比較的平和だ。
しゃくしゃくと齧りながら歩いていた林檎は芯を見せ始めたし、特に問題は無さそうだな、と、また街に戻るルートに道を切り替えようとする。
そこに、声が舞い降りた。
「やあ、こんにちはお嬢さん。キミは見た所長靴をはいた猫かな?」
するりと、動作には音も無く。
虚空から現れたかと思えば少女の眼前に降り立ち、金色のステッキでとんと地を突いたのはハクトであった。
「いかにもその通りだが、おまえさん、人に名前を聞くときは自分からって言葉を知らないのかい?」
少女は不敵な笑みを崩さぬまま、耳をぴんと立てる。
品定めするように細められた琥珀を見つめ、紅玉は肩を竦めた。
姿こそ小柄であるものの、この少女の豪胆さは計り知れないものがあると直感的に解る。
となれば、尽くすべき礼儀は通すのが筋。
「これは失敬。僕は白兎。この御伽噺におけるサポート役さ」
「なるほどね。アタイはシャノーブル。……へぇ、兎っていうのかい? ところでおまえさん、王への貢物になる気はない?」
「……遠慮させて貰うよ、そもそも貢物を捧げるべき王が魔女化していない保証もない」
『長靴をはいた猫』の主人公である猫が最初に仕留めたのは兎だ。
ハクトもそれを知っていたが、シャノーブルと名乗った少女の諧謔にはやや冷淡に返した。
シャノーブルはふふんと笑うと、「ならばせいぜいアタイに狩られないように気をつけな」と余裕を含んだ笑い混じりの声を投げかける。
「それにしても、シャノーブル。こんな森にまでわざわざ分け入るなんて、キミは随分物語へのリスペクトが強いようだ」
「そりゃあアタイは騎士だからさ。害するものがいるならば、守るべきものを守る、当然だろ?」
御伽噺へと訪れた、物語の主人公候補は、必ずしもその物語通りの生き方を望んでいるとは限らない。
それどころか、物語の真の主人公になりたいという意思すら希薄な者もいる。
それと比べればシャノーブルはかなり意欲的なほうに思えたし、自らを騎士と言うからには戦闘能力も高いのだろう。
となれば、自分が彼女に焼くほどの世話もないだろうか、とハクトが離れようと思った矢先。
「……居るね?」
シャノーブルの少し太めの眉が顰められる。
ハクトはその言葉を受けて、周囲の様子を警戒した。
――魔女だ。
「サポート役と言ったね。そんなものはアタイにとっちゃ余計なお世話だと、解らせてやるよ、見てな」
シャノーブルが腰に提げていた杖のグリップを握り、引き上げると銀色に輝く刀身が露わになった。
仕込み杖と一般的に呼ばれるそれは小柄なシャノーブルでも扱いやすい程度の長さで、木陰から突如現れた猪のような姿の魔女の突進を受け止める。
「まぁでもおまえさんの存在は都合が良いね。なにせ、守る対象に出来るんだからな!」
ひゅ、と仕込み刀は血振るいと共に空を切った。
その直後、シャノーブルの喉の奥から形容しがたい音が鳴り始める。
我が主君 のためにと名付けられたそれは、『誰かを守る』という条件が揃ったとき発動する彼女の能力だ。
第六感に優れた者には効きづらいという難点はあるが、知能の低い魔女を相手取るのであれば何の問題もない。
魔女の精神が攪拌される。
乱れ、狂い、波立って、完全に五感の制御を失った猪型の魔女は短い足から突如力を失い、その場にごろりと崩れ落ちた。
横倒しになった状態で足をばたつかせており、シャノーブルやハクトのことを目視はおろか気配すら忘れているのではないかと思える様子だった。
たん、と軽い音を立てて地を蹴ると、シャノーブルは仕込み刀を魔女へと振り下ろす。
ざっくりと両断され、魔女は断末魔をあげながら黒霧へと化した。
「さて、獲物よ。これでアタイのことは解ったかい?」
「……うん、怖いほどに。キミは有望な主人公だとね。僕の出る幕は無かったな」
シルクハットのつばを撫でながら賞賛するハクトの言葉を受けて、シャノーブルは得意げに鼻を鳴らした。
長靴をはいた猫は、この御伽噺でどんな富を築くのだろうか。