Episode1-1 De røde Sko
宵闇の帳が降りた、御伽噺の深い森。
タン、と。
少女が地を蹴る音が響く。
その踊りは死そのもの。
死の舞踏は鮮やかに、そして確実に魔女に終焉を刻んでゆく。
異形の脚が音を立てて空を切り、閃いた。
狼型の魔女の脇腹にめり込んだかと思えばそのまま吹っ飛ばし、少女は処刑斧を握る手に力を込め直す。
近くの木の幹にしたたかに体を打ち付けて動きが鈍った魔女の首を的確に狙うと、鈍く光る刃がそこに振り下ろされた。
さようならは言わない。
別れを惜しむような相手ではない。
喪服と見紛うような黒ずくめの少女は、ヴェールの下から覗く鋭く紅い双眸で魔女を睨みつけた。
行動不能となった魔女は埃のように散り散りとなって、空気に溶けては消える。
「ふぅむ、強いねぇ。それでこそ主人公だ」
「……誰?」
その睥睨は、今度は無闇矢鱈と明るい声の主へと向けられる。
いつからそこにいたのか、少女には感じ取ることが出来なかった。
それだけでも警戒するには充分すぎるし、馴れ馴れしい態度は余計にその人物への不信感を募らせた。
黒いシルクハットから大きな兎耳が飛び出した、燕尾服の人物――ハクトは、奇しくも少女と同じ色をした双眸で、無邪気な視線を寄越してくる。
「あぁ、ごめんごめん。僕は白兎。この御伽噺におけるあらゆる争いのサポート役だと思ってくれれば問題はない。キミは、見たところ赤い靴だね?」
「……そうだけど。……ツェツィーリア。私は、ツェツィーリア。赤い靴で呼ばないで」
ツェツィーリア、と名乗った少女は、ハクトへの警戒心を緩めようとはしない。
魔女が蔓延り、さらには他の主人公と座席争いをするのが解っているのだから、気を許す相手を選ぼうとするのは当たり前のことだ。
それに加えて、ツェツィーリアは馴れ合いを好まない性格でもあり、そのせいか余計に言葉には棘が含まれていた。
ハクトはそんなツェツィーリアの態度に特に堪えた様子もなく、やれやれと肩を竦めては軽薄な笑みをその表情に形作る。
「つれないね。せっかく可愛らしいお嬢さんなのに、しかめ面なのは頂けない。笑ったらどう? そのほうがきっと何倍も素敵だよ」
「……そういう……ハノウクセリフ、はやめて。可愛らしい? 私が?」
覚束ない発音で『歯の浮く台詞』と指摘され、ハクトはぷっと破顔する。
年頃の少女なのに、可愛いと言われて不服そうにされるのは少し想定外だった。
それに加えて、ツェツィーリアの反応はやや幼く、背伸びして無理しているようにも見える。
それがなんだか可笑しかったからなのだが、ツェツィーリアはその笑みを侮蔑と捉えたか、眉根に刻んだ皺を深くした。
「僕からすれば主人公は皆愛すべき存在だからね、ツェツィーリア? キミのその波打つ亜麻色の髪も、血のように真っ赤な異形の脚も、これから与える死を予感させるドレスもとても美しいと思うよ。これは嘘偽りない僕の本音だ」
「……そうスラスラと言われると余計に嘘くさいわ。まあ、敵ではない、というくらいなら認めても良いのだけれど……」
「そうさ。僕はキミたちのサポートが仕事。なら、存分に頼って、顎で使ってくれて構わないよ」
その言葉を受け、ツェツィーリアの瞳に宿っていた敵意は微かにその色を潜める。
しかし次にはどこか諦観を帯びた眼差しで、ハクトをゆっくりと見上げた。
「なら、今は私の前から消えて。見られたくないの、踊るところは」
ハクトはただ、くつくつと喉の奥で笑う。
笑みを浮かべる顔を隠すようにシルクハットの鍔を右手で下げれば、「では、そのように」とだけ言い残し、まるで幻か霧か、そこになど居なかったかのように姿がかき消えた。
ハクトの気配の残滓も感じられなくなった頃、ツェツィーリアはゆっくりと異形の脚でステップを踏み始める。
踊りたくない。
私はもう、ダンスなんてしたくないのに。
忌々しい脚は勝手に踊り出す。
それはきっと、全てに死を刻み終わるまで終わらない。
それがいつになるのかなんて私には解らない。
誰かに見せるためのダンスじゃない。
これは、私が赤い靴として生きることを宿命付けられた時から刻まれた呪いだ。
その呪いを解くには、真のヒロインになるしかないのかもしれない。
でも、本当に?
このダンスをやめられるときは来るのかしら?
終わりは見えない。
喪服のようなドレスは夕闇に溶け、赤く艶めく異形の脚だけが影の中に浮かび上がりながらたん、たん、とリズムを刻み続ける。
――少女はまだ、踊り始めたばかりだった。