4- もう一人の自分 x2緑青
洋館の廊下は何処までも続いていた。
蝋燭の火と、窓から差し込む月明かりが神秘的な雰囲気を作り上げている。
元はレインクライシスのエリアだ。
レインクライシスのエリアには幾つか共通点がある。
無駄に高解像度のテクスチャを使っていたり、どこかで見たようなオブジェクト、物と物との接地面が目立つ。
現状、ライムワールドのエリアや建築物が実装されていない関係でクオリティーの面からはそこまでの差はないが。
なんというか荒っぽさがあるのはご愛敬といったところだろう。
流石に非NCVRのエリアに比べれば幾分見栄えがいいのは確かだ。
ただ、地面の絨毯を足でよけるとその後ろまで存在している、少し傷つけると砂となる。レインクライシスがそこまで作りこんでいるはずはない。
何とも言えない気持ち悪さに身を震わせる。
ふと、気配を感じて前へと視線を向けた。
だが、その先にいは何もない。
キィンという甲高い音かなったかと思うと、小さな輪っかが地面に転がっていく。
「なんだ?」
しゃがんでそれを手に持ってみる。
指輪のような形をしたそれは名前も効果も全て文字化けしていた。
「…………っ!?」
唐突に鉄を引き裂くような音がした。
ノイズが走る。正確にはノイズに感じるような何か。
平衡感覚が失われていく。
そして、時が止まる。
音が静止し、色が失われる。
モンスターはおろか、自分以外から音という音がまるで聞こえない。
「……なんだこれ、新しい魔法? いやバグか?」
通信が切断されて異常がでたのかと思いステータスを開く。
空中に浮き出されたのは見慣れたUIではなく、そこには文字化けした意味不明な言葉の羅列が並んでいた。
明らかな異常。
ログアウトボタンがあるであろう場所を押そうとしても、何も反応しない。それは、他の部分も同じだった。
キャラクターデータのフリーズなんて聞いたことがない。
アンノウンでは。
「嘘だろ……」
レインクライシスの起こした事件。
十一人の衰弱死。
リアル未帰還。
何故かそんなものが脳裏に浮かんだ。
「クソ……」
アンノウンの外部ツールを直接呼び出す。
真っ黒い板に白い文字、最低限のデザインしかされていないコンソール。
自身の状況確認のためのコードを入れる。
赤いエラー文が大量に流れていく。
どれも見たことがないものだ。
「なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ!」
そして、最後に目についたエラー。
Device is not connected.
「認識されて……ない?」
さらに詳しいエラーの内容から見て、ヘッドギア型の神経接続機器に繋がっていない。
だが実際、自分はここでキャラクターを操作している。
起こりえない矛盾。
胸を焼き尽くすような焦燥感。
「頼む! ……頼むから!」
祈るようにアンノウンの強制停止操作をコンソールに打ち込む。
途端、それまで正常に動いていたコンソールが文字化けして、意味の分からない文章に埋め尽くされる。
「……質の悪いジョークハックか!?」
世界が剥がれていく。
床が崩れ、壁が空へと消えていく。
その先に広がるのは真っ黒な空間。
「なんかのイベントの演出だろ……」
逃避。
だが、もう一度コンソールを叩けば文字化けした赤い文字が流れ続ける。
異変は次の段階へと移りだした。
黒い何もない空間から。
ゆっくりと”何か”がこちらに向かってきた。
それはかろうじて人型をしているノイズの集まり。
耳をつんざく引き伸ばされた音を発しながら近づいてくる。
咄嗟に手に持った剣を中段に構えていた。
同時に火花が散り、衝撃で後退させられる。
攻撃された。
──敵。
それも、わけのわからない何か。
だが、剣を振った。
何もさせない即死攻撃や、GMの使うBANの類ものではない。
アンノウンのルールに乗っ取った攻撃。
「だったら……ッ!」
剣を握りしめ相手へと叩きつける。
ノイズはそれを受け止め、返す刀でこちらを切りつけてくる。
咄嗟にそれを受ける。
再び剣が交差した。
剣を振るならば人間相手に負けるはずがない。
自信があった、何者にも負けない。
実際、対人戦ではそれに近い結果は出してきたし、NPCが相手なら尚の事、負けるはずがなかった。
故に。
「なんで!?」
ありえないはずだった。
目の前の相手が、自分かそれ以上に強いなんてことは。
けれど、驚いたのはそれではない。今までも少ないがそういう経験はあった。
だが、初めてだった。
反応の仕方、切り返しのタイミング、果てはテンポ感まで。
ありとあらゆる全てが既視感のある動きだったのだ。
そんなことが認められるはずがないのに。
一太刀切り合うごとに感じる。
自分がブレ、根底から覆されるような痛み。
相手の攻撃は鋭さを増し、腕が鉛が流れているかのように鈍くなる。
ノイズが薄れ、見慣れた顔と目が重なる。
最初に感じたのは、やっぱりかという諦めに似た絶望だった。
「なんなんだよ……お前はッ」
ぶつかり合う剣戟から火花が散り。
そして、消える。
「ルルだ」
耳障りなノイズが晴れ、聞きたくない音が響く。
大切なものを汚されたときの胸を焼く言い知れぬ不快感。
茜色の髪を左サイドにだけメッシュのように伸ばし。
切れ長の薄い目に。
中性的な輪郭。
シメンシトリーの真逆をいく半分和服、半分軍服の衣装。
鏡で写したかのような姿。
「それは……私だ。私がルルだ!」
思わず叫び声を上げる、それは一から自分がデザインしたキャラクター。
何時間とかけて、すべて、自分が理想とした姿。
誰よりも、何よりも大切な、この世界のアイデンティティ。
それが何かわけのわからないものに汚された。
絶対に許せない行為。
だというのに。
それは、あまりにも
”そのまま”
だった。
「……今まで一度だってお前がルルだったことなんてない。お前はお前だ」
その表情は憐憫に憂い、はるか高みから見下ろすかのような目をしており、その吸い込まれるような瞳に、目を背けそうになる。
「違う……違う! 違う! 違う! 私の、私のだ! 私のルルが、私にそんな顔をしない! するはずがない!」
それはよくできた偽物だ。
本物は自分以外にありえないのだから。
偽物に向けて剣を振り下ろす。
それは今まで拮抗していたのが嘘のように軽々と弾かれた。思わず体制を崩し倒れこんでしまう。
「お前は……そんなだから……いつまでも……。ほら。見ろ。自分の姿を」
切っ先を突き付けられ、その剣先に映し出された自分の姿。
ありえない光景だった。
そこにいたのは、一番見たくないもの。
剣さえ落とした震える手で覆い隠すほど、この世界で、それだけは見たくなかったものが、そこにはいた。
「あぁあぁああっ…………ぁあぁぁ……あぁ」
顔の造りは似ているはずなのに、ひどく卑屈な印象を与える瞳。冴えないボサボサの髪は肩まで伸びており、痩せ細った体は不健康そのものだった。
現実。
忌み嫌う、リアルの自分の姿。
頭がおかしくなったのか、
もはや何が起こっているのか、状況の理解ができなかった。
目の前に今、この瞬間まで操作していたはずのルルがいて、リアルの自分が今にも切り裂かれそうになっている。
これがリアルなのか。
ゲームなのか。
現実からもゲームからも目を背け。
何もかも投げ捨てて逃げ出していた。
「ぁあああッ! ぁあああぁぁぁぁぁあ!!」
目の前は真っ暗闇。
それでも。走る。
絶叫しながら。走る。走る。
逃げ切れないと知りながら。
瞬間、何かに切り裂かれた。
もはや抵抗などできるはずもなく。
どこまでも、世界は闇に包まれていた。