2 夜会
執事とメイド長と今夜の夜会の最終打ち合わせを済ませていると、夜会が始まる時間より少し早く従兄弟のエドワードがやってきた。
うちの家系特有の金の髪に深い青の瞳。黒の上着に銀のスカーフの差し色が効いている。優しくて格好いいこの従兄弟がルイーゼは大好きだ。
「夜会が始まる時間には、ちょっと早いけどねえ、僕の可愛いお姫様の顔が見たくって参上したよ」
いとこのエドワードがウィンクする。エドワードは隣国に留学して、先日帰国したばかりだ。
「伯母様はご一緒じゃありませんの?」
「ご婦人は支度に時間が掛るからねえ。一足先に寄らせてもらったよ」
伯母様が一緒じゃないことに正直ほっとする。
お父様の姉である伯母様は、伝統とか権威とかにとにかくうるさい方なのだ。
子爵家のアランと結婚するときも、もっと高位貴族にすべきと一番反対したのも伯母様だった。
伯母様曰わく、わが侯爵家はこの貴族社会で強い権力、地位を誇る血筋である。
古くから王家を支え、王族の側近や宰相、大臣、国政に携わる官僚として活躍し続けた家だ。
我が侯爵家なら、王族から婿に来て頂いても良いのだと。
王族や高位の貴族に適当な年齢の者がいなかったのと、父が賛成してくれてアランが婿に来ることが決まったが、伯母は面白くないのか、今でも会うとチクリチクリと嫌みを言うのだ。
「今日もお姫様は、素敵なドレスだね」
「ありがとうエディお兄様。お兄様こそ銀のスカーフの差し色が効いて素敵な着こなしですわ」
「ああこれはね、隣国のグランダード織といって銀糸で織ってあるんだ。気に入ったのならルイーゼにも今度プレゼントするよ」
「うふふ。期待せずに待ってますわ」
「それはそうとルー、僕がいない間に、結婚したんだって? 僕と結婚するという約束はウソだったんだね? 僕は悲しみで胸がつぶれそうだよ」
エドワードが大げさに胸を押さえる。
「ふふ、エディお兄様ったらお上手なんだから、あれは小さい頃の話ですわ」
気分が良くなった私はお兄様に特別な秘密を話すことにした。
「エディお兄様にだけ、こっそりわたくしの秘密を教えて差し上げますわ。わたくし、赤ちゃんができましたの」
エドワードは驚いた様子で目を見開く。
あら? 思ったより驚いてくれたみたい。結婚したんですもの、子供が出来るの当たり前よねえ。
「おめでとうルイーゼ。後で、国で一番の幸運な男を紹介してくれよ」
「もちろんよ。私のアランは今日はまだお仕事だけど、夜会までには帰ってくるの」
**
夜会で正装したアランと出席者に挨拶をしてまわる。
伯母様にも挨拶するが、にこりともせず眉をひそめられただけだった。
今日の夜会は、避暑へ行かず王都に残った方々を招いたのでいつもより人数が少ない。
夏の夕べを楽しむ会とのことで、庭には高原から取り寄せた蛍を放ち、ホールには氷の彫刻を涼しげに並べた。
夕暮れの庭をいくつもの蛍が飛び交うのはとても幻想的だ。
パーティの趣向、趣味の良さ、その家で受けられるもてなしの質がその家の女主人の評価になり、夫やその家の社交界における価値を上げるのだ。
や~ん、私ってできる妻だわ!
正装したアランはいつにも増して美しい。物語の王子様のようだ。結婚して半年もたつというのにうっとりとながめてしまう。
今日のアランは私の瞳の色と同じ深い青の上着、金糸の刺繍が美しい。配偶者と同じ色を纏まうのは、愛しているサインだ。
ちなみに私も、アランの瞳と同じ琥珀色のドレスを着ている。
音楽が奏でられダンスが始まる。
今日のパーティーの主催は我が家なので、私たちが一番初めに踊る。
私とアランがダンスホールへ出ると、何組かがそれに倣いダンスホールへと出る。
お互いに挨拶をしてゆっくりと手を取る。
いつもよりちょっと難しいステップ。
アランの巧みなリードに合わせて、優雅に足を運んで行く。
きれいな琥珀色の目を見つめると、アランが私の背中に回した手に力を入れて身体を引き寄せる。
遠心力に負けて体が離れないよう、しっかりと体を合わせてくるりと回転すれば、アランの瞳と同じ色のドレスがふわりと広がった。
「アラン、ダンスがとてもお上手だわ」
「幼い頃から、たくさん練習したからね」
アランが苦笑する。
アランの笑った顔が好き。
アランと素敵なダンスが出来ることに嬉しくなって笑ってしまう。
「もっとクルクル回して」
そのとたん、アランがツラソウナ顔をする。
あら? 私何か間違ったかしら?
楽しい時間はあっという間に終わり、私とアランは離れて礼をした。
ダンスが終わり、また胃がムカムカしたので、アランに断りを入れて2階の休憩室に向かった。
2階には疲れた出席者用に、いくつかの休憩室と談話室サロンが設けられている。
けっこう広めの談話室で、ご令嬢たちが談笑している。
その中の一人に、先日泣かした令嬢がいた。
別に意地悪したわけじゃない。いつも同じアクセサリーを身につけているので、
「そのアクセサリーがお気に入りですのね」と言っただけだ。
そしたら、黙り込んで顔が赤くなったかと思うと、突然ポロリと涙をこぼした。
意味が分からない。
まあ、私のアランにまとわりついていたご令嬢なので少しくらい泣かしてもかまわないわ。
この前は、私のアランを誘ったシーモア男爵夫人にもぶつかった振りをしてワインをかけておいたっけ。
「アラン様、かわいそう」
「ルイーゼ様が、強引に婿に望まれたのですわ」
「アラン様は幼なじみの婚約者がいらっしゃったのに、強引に仲を引き裂かれて」
「侯爵家の権力を笠に着て、ホントわがままな方」
「アラン様のご実家って経済的に困られてたから、お断りできなかったんですって」
「まあ、アラン様もお気の毒」
「ルイーゼ様、そんなに美人じゃないのにね」
ひそひそ、くすくす。
2階の休憩室のソファに座って、こそこそと噂話をするご令嬢たちの話を聞いて、ルイーゼは真っ青になった。
今までずっと夫に愛されてると思っていた。
ついでに、お父様やエディお兄様がかわいいとか美しいとか褒めそやすから、今まで自分のことを絶世の美人だと思っていたのだ。
最初にアランに出会った日、彼はパーティ会場の奥をみつめ哀しそうな顔をしていた。
その瞳があまりに切なげだったから、ルイーゼは胸がきゅんとして恋に落ちたのだ。
でも、今なら分かる。きっと、その瞳の先には彼の愛しい幼馴染みがいたのだと。
とりあえず、ここには居たくない。
廊下の突き当たりは、ステンドグラスをはめた天窓から射す月の光で輝いている。
震える足取りで、ホールへの階段を降りようとした時、背中にはっきりと誰かの手が当たった。
どんと誰かに突き飛ばされた。
次の段に下ろそうとしていた足が、空を舞う。
バランスを崩して足を内側にひねった。
――落ちる。
おなかに、アランの赤ちゃんがいるのに。私はどんな怪我をしても良いから、
神様お願い、この子だけは守って。
お腹をかばって身体を丸める。
背中から、どどどっと、階段を落ちていった。
落ちる途中で、階段の角で頭をぶつけ、ルイーゼは気を失った。
意識を失う前に、ルイーゼは視界の端に青いものが見えた気がした。