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僕とあいつと、チョコレート

作者: 冴吹稔

今年ではない、いつかの二月に。どこかで。


=====================================


 閉店のお知らせ


 昭和55年より営業を続けてまいりましたが、体力の限界を覚えたため、一月末日をもって閉店とさせていただきます。

 長らくのご愛顧ありがとうございました。


                        店主 敬白


=====================================



「閉店かあ……」


 僕は少しだけほっとして貼り紙を見た。シンタローは心底悔しそうに貼り紙を睨んだ。

 

「なあダイキ。これ、なんて書いてあるんだ?」


「どこ?」


「『愛』のあと――」


「アイガン……じゃないな。わからないや。でもなんか、ひいきにして利用してもらってた、って意味だったと思うよ」


「ふうん……」


「どうする?」


「うーん。東了傳寺(ひがしりょうでんじ)のあたりにもう一軒あったよな、あそこに行こう」


「わかった」


 再び自転車をこいで、肌寒い風の中を走り出す。ああ、土曜日が来るのがもう一日早かったら、こんなことで午後をつぶさずに済んだのに。

 

 ぼくとシンタローは、駄菓子屋を求めて走り回っていた。ありったけのお小遣いをつぎ込んで、チョコレートをたらふく食べるために。収穫ゼロに終わった昨日、金曜日のバレンタインデーに報復するために。


 コンビニや百円ショップ、スーパーマーケットではだめなのだ。そうした店には今日になっても、バレンタイン向けの包装がされたおしゃれなチョコレートが並んでいるからだ。それを横目に見ながら変哲もない普通のチョコを買うなんて、いかにも惨めなことに違いない。


 それはただの一人の女の子からも想いを向けられなかった、負け組のすることだ。ましてや売れ残りのギフト用を自分で買うなど、なおのこともっての外だ―― と、いうのがシンタローの理屈だ。まあ、気持ちはわかる。 


 レジを通る時に、きっと店員のおばさんやお姉さんたちが僕らを見る。その居心地の悪さは簡単に予想できた。

 あれだ、最近クラスの女の子たちの胸元が妙に膨らんできて、僕たちに聞かせられないものらしい話を交わすようになって以来感じている、あの空気。たぶんあれとどこかでつながっている気がする。


 僕たちは要するに、僕たちを置いてけぼりにしてくれたバレンタインデー、大人の世界のにおいがするそのイベントから遠く離れたところで、そんなものと関係なく、僕らにそれを思い出させることのない無意味な「チョコレート」を、飽きるほど、げっぷが出るほど、もう嫌になるほど口に詰め込みたかった。

 無理に説明するとすればそういうことだ。冷静に考えれば駄菓子屋で買うのも同じことのはずだが、シンタローの頭の中では違うらしい。


 裏通りの駄菓子屋ならきっと大丈夫。ああいうところの店番のお婆さんってものは、僕たち子どもが飴玉や小袋のスナックをかすめ取りはしないかと――とんだ濡れ衣だよ!――絶えず目を光らせてはいるけれど、それ以外のややこしいことには一切口出ししないでいてくれるものなのだ。


 はたして、東了傳寺かいわいの裏通りには、まだ駄菓子屋が健在だった。


「お、なんだこのゲーム。見たことないぞ」


 シンタローが店先の一角吸い寄せられかける。テーブル型筐体に入った古いテレビゲームが稼働しているのだが、それは最近では珍しくなった2D画面の格闘ものだった。

 数分おきに繰り返されるデモでは、赤い胴着の格闘家が素手のパンチとキックで高そうなスポーツカーを破壊し続けている。シンタローは小銭入れから百円玉を取りだしかけたが、かろうじて自制したようだった。


「面白そうだけど、操作説明も見当たらないし今日はおあずけだな。チョコ買わなきゃ」


「そうだよ。寒い中ここまで来て、こんな古臭いゲームにお小遣い使えない」


 僕とシンタローは大体千円分くらいの「チョコレート」を――チ〇ルとかボノ〇ンとか黒い雷神とか、厳密にはチョコと分類するにはすこし怪しげなものも含めて、袋いっぱいに買い込んだ。実のところ思い描いた分量には程遠かったが、それでも僕らは歓声を上げて自分自身を鼓舞するしかなかった。


「大漁、大漁!」


「これであと十年は戦える!」


 父さんがよく口にする出所のよくわからないギャグらしきものを真似ながら、僕はシンタローと一緒に門前辻通りへ向かって自転車で坂道を駆け下りた。そうして坂ノ下公園の藤棚まで行って、袋の縛った口をほどいた。


 五円玉の絵が印刷された個包装の袋を開け、中から出てきた円形の塊を一口に、ぱくり。


 正直言って、そんなに美味しくはなかった。こうしたお菓子の、袋の裏側に印刷されている文字は「チョコレート菓子」ならまだいいほうで、どうかすると「準チョコレート」などと怪しげなことが書いてある。口に放り込めばすぐにべたべたと柔らかく溶け、甘ったるく舌や喉にねばりついて徒に渇きを覚えさせるのだ。


 それでも僕たちはその駄チョコをむさぼった。なんだか昔話に出てくる隠者や世捨て人になった気分。


 世におもねることを避け、深山幽谷に庵をむすんで自給自足、手に入るものをもって足るを知る。

 僕たちにはこれしかないんだ。だからこれは世界で一番いいチョコなんだ――僕たちは駄菓子屋で買ったチョコの山を平らげることで、いうなれば世界に反逆しているつもりになっていた。


 その時だった。スマホが震えた――誰かからメッセージの着信らしい。

 アプリを立ち上げ新着を確認すると、同じクラスの女子からメッセージが一件。


「ん……ユカリからだ。クラスの連絡網かなんかかな?」


「え、俺にはなんも来てないよ」


 シンタローがきょとんとした顔で自分のスマホを見た。


「そりゃ、シンタローはクラス違うからじゃないかな」


 あてずっぽうにそう言いながら文面を確認すると――



ユカリ :

 今どこ? 家に行ったけど居なかったね。用事があるから帰ってきて。早く。



(なんだ……?)


 ユカリは僕のお隣さんで、幼稚園からの腐れ縁。お互いの誕生日が一年近く間が空いてるせいで、いまだに何かというとお姉さんぶってふるまう。五年生くらいから身長が伸びて胸が大きくなり、昔のように一緒に遊ぶことはしなくなった。最近じゃクラスの女子グループの中心みたいになっていろいろやってるみたいだ。この間気づいたけど、外出の時にはうっすらと化粧までするようになっている。


 そのユカリが何の用だろう? とりあえず返信――



ダイキ :

 今、坂ノ下公園。シンタローと一緒だけど。



 すぐさま返信が届いた。



ユカリ :

 何やってんのそんなとこで! シンタローって、門脇君? まったくもう!!



 続いてもう一件――


ユカリ :

 門脇君は門脇君でこれから大事な用事があるから、ほっぽって帰ってきなさいよ。十分待たせるごとにペナルティを増やすからね、急いで!



 なんだなんだ。どうしてユカリにそこまで束縛されなきゃならないんだ? あいつが僕の彼女だっていうんならともかく。昨日だって別にチョコを手渡してくれるでもなし、それとなくそばに寄って行ったら明らかに避けられたし。

 そんなことがなかったら、シンタローにここまで付き合って、駄チョコをむさぼるようなこともなかっただろうに。


「なんだった?」


 シンタローが訊いてきたけど、僕にだって答えられやしない。


「わかんないよ。なんか用事があるみたいだから、もうちょっとしたら帰る」


「そっか」


 お互いになんとなく水を差された気分になって顔を見合わせた。チョコはまだ袋の半分以上残っていたが、僕たちはすっかりそれを持て余してしまっていた。


 三十分ほどとりとめもないバカ話をしたあと、僕は先に公園をあとにした。日が傾き始めたせいでハンドルを握る指先がひどく冷たい。門前辻の踏切に差しかかるるあたりでMTB(マウンテンバイク)にまたがった見覚えのある女の子とすれ違った。

 クラスメートの一人、サキだ。自転車競技に入れあげてて、放課後はいつも本格的なヘッドギアをつけて河川敷やサイクリング道路を走り回っている元気な子。


「あ、ダイキ君、ちょうどよかった! シンタロー君まだ公園にいるかな?」


 すれ違った直後に、後ろからそんな声が飛んでくる。


「……いると思うよ」


「ありがと!」


 サキは大声でそういうと、公園の方に向かってスピードを上げた。



 家の前まで戻ると、ユカリがいた。門の前に仁王立ちでこっちを睨んでいる。風に吹き乱された前髪が額にかかってセットが台無しだし、何となく目元のあたりが濡れて光って見えた。


「おか……なによ、その袋」


 自転車を押して門をくぐろうとする僕に追いすがるように、奇妙な質問をぶつけてくる。そう問われると、透明なビニール袋に詰め込まれた安物のチョコがひどく滑稽で愚かしいものに感じられた。


「……えっと、その……チョコ」


「……バカぁッ!!」


 彼女はそう叫ぶと、いきなりものすごい勢いで僕の横っ面をひっぱたいた。


「いっ()ぇ!! 何すんだよ!」


「バカ、バカバカ! この寒空に女の子を待たせて袋いっぱいのそんな駄菓子チョコなんか!! メッセ送ってから何分待ったと思ってるの! 本当に、男子ってバカでガキんちょなんだから!!」


 かろうじて自転車ごと倒れずに踏みとどまった僕に詰め寄って、ユカリは両目からボロボロと怒りの涙をあふれさせた。


 事情というか、事の真相を聞き出すまでにはだいぶ時間がかかった。表の騒ぎを聞きつけた母さんが出てきて僕とユカリを玄関の内に招き入れてくれなかったら、たぶん収拾がつかなかっただろう――おかげで、僕とユカリはその後末永くこの一件をからかわれることになったけど。


 昨日ユカリが僕になにもくれなかったのは、一日遅れの今日、昼間いっぱいを使ってクラスの女子仲間たちとともに手作りチョコをこしらえるためだった。要するに市販の板チョコを溶かして型に流し固めただけの代物だけど、女子たちにとってはそのひと手間が重要だったのだ。


 あんまりだ、と僕は思った。


「……そんな凝ったことをしなくてもさ、昨日欲しかったよ」


 市販の物を昨日もらえていれば僕の自尊心は傷つかずに済んだし、今日シンタローと一緒になけなしのお小遣いを散財してしまうこともなかったはずだ。


「仕方ないじゃない。昨日までみんな塾や部活で、集まる暇なんてなかったんだもの……みんながみんな一人で作れるわけじゃないし」

 

 僕のせめてもの抗議はそんな風に、少しばかり意図が伝わらないままで流された。ユカリは少しいびつな出来栄えのチョコのハートを僕に手渡しながらさらに畳みかけたのだ――にっかりと微笑みながら。


「五十分遅れたんだから、ホワイトデーは五倍返しね」


         * * * * * * *


 週明けに知ったところでは、シンタローはサキから公園でチョコを手渡され、やっぱり駄菓子をバカにされたそうだ。そしてクラスの連絡網ではなく個人的にアドレスを交換した、ということだった。


 僕たちのすりむけた膝頭を北風がなぶる季節は、気づかないうちに終わりを告げようとしていた。桜咲く春がすぐそこまで来ていたのだ。



ほんとはチョコレート菓子より準チョコレートの方がカカオ分とか多い高級品なのですが、ダイキ君にはよくわかっていなかったり。


なおこの駄菓子屋巡りに関しては作者の実体験が40%ほど入ってます。チョコレート菓子くらいの水準ですね。バカな中学生だったなぁw

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