第1話 試験前の悪戯
キリセル国グレイシス家。
コツコツコツ…。
屋敷内に足音を響かせながらセナローズはとある人物を目標に歩を進めていた。これまで屋内の全ての部屋という部屋を当たってはみたものの一向にその人物は見つかっていない。屋敷に仕えている使用人全員に居所を尋ねるが、誰に聞いても皆揃って首を横に振って「知らない」というだけだった。
「どこにいるのかなー。えーっと、あと探してない部屋は……」
人差し指を軽く顎に当てながら真っ直ぐ廊下を移動。突き当たりの角付近で立ち止まると目の前には一枚の扉。
ここは屋敷を訪れた客人を招き入れる場所。いわゆる、来客室である。
探していない部屋はここだけとなった。外出でもしているのか、と考えてはみたが、父から出掛けた様子はないと情報を掴んでいるのでそれはあり得ない。つまり、セナローズが探している人物はここにしかいない。
早速確かめようとドアノブに手を掛けようとしていや待て、と己の心が制した。
本当に開けてしまっても良いのか。
何か悪い予感がする。躊躇したセナローズはいいやと頭を振り、思いきってドアノブを回して扉を開け中へ入ろうとする。すぐさま足下にある一筋の光に気づく。
ハァ、と呆れたように息づく。よくもまぁ、こんなことを平気と考え付くものだ。
セナローズはその光をヒョイと飛び越えるように避けて扉の上を見上げる。天井には青い掃除用バケツが絶妙な具合にピアノ線に近い糸で吊り下げられていた。
バケツの中には水が入っているだろう。そして扉の前の光はあのバケツを落とすために設置されたピアノ線。部屋に入ったセナローズをこれで全身びしょ濡れにしようとしたのだろう。
こういう仕掛けを作るのはたった一人しかいない。仕掛人はこれを作った後、室内のどこかに隠れているに違いない。
「おーい、いるんでしょう? 隠れてないで出てきなよー」
声を張り様子を窺う。何かが動く気配はない。注意深く探索していたセナローズは半ば諦めた様子でソファーに座り込む。
カチリッ。
「……?」
座った途端、足下から何かを押したような音が鳴った。
なんだろうと、試しになった方の足を上げてみる。テーブルの下には簡単な魔術を使って隠されたボタンが一つ。それを見たセナローズは青ざめた。
まさか……。
この部屋に入る前から感じていた悪い予感を思い出す。しかも残念ながらその予感は当たってしまうのだった。
ガラガラガラッ。
盛大な物音と共にソファーの後ろにあった本棚の本がセナローズに向けて一斉に落ちてきた。
「わああああああああああああああああああ!!!!」
落下した本はソファーの上や、そのまま床やテーブルの上に落ちた本もあるが、大抵はセナローズの上に振りかかった。
一気に本の山に埋もれたセナローズは本を掻き分けて何とか肩まで出ることに成功した。ハァ、と再び溜め息が漏れたとき「あはははははは!!」と笑い声が響き渡った。研ぎ澄まして聞くと声の主は部屋の隅にあるクローゼットからのようだ。
「……イル、笑うのやめて出てきたら?」
むすーっと顔をしかめながら言うと、クローゼットが勢いよく開き、中に一人の少年がいた。セナローズよりも身長の低い金髪碧眼の少年――イルファーナは息苦しくならないようにするためか、横向きで膝を抱えて座っていたらしく、出る際には手前の足から出していた。
「よいしょっと」
イルファーナはクローゼットから外に出る。手を腰にあて自慢気に仁王立ちするその姿はガキ大将みたいだ。この少年こそ、トラップの製作者であり、セナローズが探していた人物でもある。
やはり来客室にいるというセナローズの考えは間違っていなかった。というのも、彼が笑っていることから絶対に自信を持っているに違いない。
予想は的中した。が、自分の注意が足らなかったせいでこんな目に遭ってしまった。
しかし。
「……よく、飽きないよね」
「俺が悪戯好きなのは、お前もよく知っているだろう」
「そうだけどさ。これってイジメじゃない?」
「セナ、それは違うぞ。悪戯は愛情表現だ」
「趣味わる……」
イルファーナは「三度の飯より昼寝好き」ならぬ「三度の飯より悪戯大好き」という言葉のほうがよく似合うほどの悪戯好きな少年なのだ。一日の中でどの時間よりもトラップの仕組みを考え、実行するのが何よりも好きなのだ。
イルファーナに助けてもらいながら本の山から脱出したセナローズはそれを思い出していた。
「でも、本当にこんな事していていいの?」
「ん?」
「もうすぐ本番だよ」
「本番って何が?」
「教会の弓術者試験」
セナローズのこの一言でイルファーナは固まることになる。 セナローズの言葉でイルファーナが固まってから数分。ようやく動き出したかと思えば、冷や汗をダラダラ流しながら苦笑いをした。
「あ……弓術者…………試験?」
「まさかイル、試験のこと忘れていた訳じゃないよね!?」
そのまさかだった。イルファーナは苦笑いを誤魔化すように高笑いに変えた後、逃げるようにコソコソと後ずさりしながら部屋の外へと続く扉へ向かった。しかし、ドアノブに手をかけようとした直前に「イル」と疑い深い眼差しと共に呼び止められた。
「別に、忘れていた訳じゃねーぞ。ちゃんと弓の練習を怠ってはいないし…………、今日だってほら、悪戯で楽しんだ後にやろうと思ってだな」
「後でやるって、忘れていたと言っているようなものだよ」
ぐっ、と言い逃れが出来なくなったイルファーナは目線を下に向ける。
「試験は七日後なんだよ! そんなに遊んでいたら受かるにも受かれないよ!」
「じゃあどうすればいいんだよ!? まだ試験内容も発表されてないだろ!」
「僕に聞いてもダメだよ! 受験者は何をすればいいか考えて行動するんだから。イルも弓術者になりたいなら少しは頑張ったらどうなんだよ!」
弓術者とは己の「聖気」を弓矢に込め、「闇に堕ちた者」という白き翼を持つ天使とは相異なる存在を浄化するために教会によって選ばれた弓使い達を指す。
弓術者になるには毎年行われる試験に合格しなければならない。先月受験資格年齢の十七歳にようやく達したイルファーナも受けられるのだが、本人は試験のことを忘れていた。
しばらく睨みあっていた二人だったが、やがてイルファーナが諦めたのか「ハァ、」と息をつき、再びドアノブに手をかけた。
「どこいくの?」
「いつまでも気を抜いていたらいけないのはわかっているからな。弓術者は知識も大事なんだろ。時間は無いけど勉強するんだよ」
イルファーナは半ば面倒くさそうに言うと、セナローズは「だったら」と続けた。
「僕の部屋においでよ」
「は?」
「まずはその足元の仕掛けを片付けないとね」
一瞬の間言葉の意味が掴むことが出来ず、イルファーナは呆けていたが、やがて理解すると「やりぃ!」と、ガッツポーズをとった。
その時、イルファーナの後ろの扉が開き、一人の男が現れた。黒い髪、木の色と同じ瞳をした好青年に見える男は、セナローズの実の父親であり、このグレイシス家の現当主であるアナギだ。
イルファーナの出身家リランカドルと懇意にしているのがグレイシス家である。しかし、複雑な事情からアナギは現在イルファーナの養父となっている。
部屋に入るとアナギは二人を見てにこやかに微笑んだ。
「二人とも楽しんでいるところ悪いけど、そろそろお昼が出来上がりますよ」
時計を確認すると、今時分は午前から午後に成り変わっていた。思えば、なんだかお腹が空いていたような気がする。
イルファーナとセナローズが互いに顔を見合わせるとそれぞれのお腹から「グ~!」と都合よく鳴った。アナギはクスリと笑う。
「料理ができたら呼ぶから、それまで手を洗ってくださいね」
「「はーい」」
アナギは料理好きだ。どんな経緯でそうなったかは知らないが、自ら料理の研究に励み、実際に料理人を雇わずランチを出している。その味は天下一品という言葉では言い表せないほど。
イルファーナもセナローズも彼の料理が大好きで毎日食事の時間が楽しみでたまらない。
アナギは開いたままの扉に向きを変え、歩き出した。
足元のピアノ線を踏もうとしているのに気付かずに……。
イルファーナとセナローズは父親兼養父の足を見て咄嗟に青ざめた。
「あ、アナギさん!!」
「父さん踏んじゃダメ!」
「……はい?」
二人同時にアナギを止める為に叫んだ。当の本人は息子二人の叫んだ意味を把握できず、ピアノ線を踏んだ。「ああああああ!!!」更に大きな叫びは虚しくなるだけで、既にアナギは頭の上からバケツ水を被っていた。
数秒間静寂が続き、その間二人の心拍数は速さを増していた。
ゆっくりとバケツを頭から外したアナギの表情は満面の笑み。それを見た瞬間、二人は冷や汗をダラダラと流していた。一番怖いのは怒っているであろうにも関わらず、本当に笑顔でいるアナギなのだ。
爽やか笑顔のままアナギは言った。
「イルファーナ君。悪戯で仕掛けを造る趣味はいいと思いますが、もう少し限度というものを憶えた方が良いと私は考えます」
「はい、俺もそう思います!!」
思わず直立で敬礼するイルファーナが緊張するのを分かっているのか、アナギはバケツを差し出し、もう片方の指で倒れている書棚を指して続けた。
「お昼はもうすぐ出来るけど、イルファーナ君はセナと一緒にまずこのバケツと本を片付けてね」
「ちょっと待って父さん!! どうして僕まで!?」
「セナはイルファーナ君と一緒に遊んでいたのでしょう? こうなることが最初から予想がつくなら止めたはずなのにそうしませんでした。自分の不注意にすぎません」
反発しかけたセナローズだったが、否とは言わせない父親の言葉に唸るしかなかった。
「それと、ランチの後は遊んでないできちんと試験の勉強をすること。いいですね」
穏やかながらも怖い笑みを浮かべたまま、アナギは部屋を出ていった。残された二人は、呆然と彼が消えた方を見る。
最初に口を開いたのはセナローズだった。
「とりあえず、片付けようか…」
「そうだな……」
試験まで残り六日と迫っていた。