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諸葛孔明物語~「偽史三国志」  作者: 珍寿
青年諸葛孔明物語
6/29

家族

この時代、気に入った人物は進んで養子に迎えられているようです。

 日は暮れに迫り、遥か遠く山脈の向こうに隠れようとしている。西空は眩しい程に夕焼けで染まっていて、この日最後の足掻きとばかりに私の視界をその光が照りつけてくる。

 目障りで仕方ないが、それも間もなく地の果てに没すると思えば、多少の哀惜の念も湧いてくる。

 鬱々としていく気分と共に、やがて辺りは暗い闇に包まれることだろう。


 つまりは、そろそろ野宿する場所を探さなくてはならないという事だ。

 勿論、逃げている以上は一歩でも距離を稼ぐ事が大事ではある。しかし、月光を頼りとして進むには満ち具合が心許ない。

 それに、咄嗟の事態に対応できるだけの体力を温存する事こそ逃亡者たる我等の優先事だ。

 そう思案しながらも足を急がせていると、前方に複数の明かりが見えた。

 はて、このようなところに何故……そう疑問に思うまでもなく悪い予感は走る。

 低い丘の上にあるその周りには数十体の人馬の影があり、明かりの正体が篝火だと気づくのにもそう時間はかからなかった。

 そして、向こうも私達に気づいたようで、瞬く間にその中の五騎が私達に向かって駆けてきた。


 騎影が近づくにつれてその武装が明確なものになってくいく。


 劉備の配下や在地の田舎兵の装備とは明らかに違う統一されたそれは、すべての者が一様に胸当てを身に付け鉄製の帽子を被り、手には矛を携え、首には青い布を巻いている。


「そ、曹公の騎兵かっ!」


 それは紛れも無き曹公軍軽騎兵の兵装だった。

 せめて、もう少し時が過ぎていれば夜陰に紛れることも出来ただろうになんとも間が悪い。

 そして、昨日までの私であったなら喜んで投降したであろうに、決意から半日と経たずに至ったこの状況である。

まったく運命とは皮肉なものだ……


「先生…」


 范彊、張達の二人は脅えて私の後ろで縮こまっている。

 齢十にも満そうにないうちから大人たちの勝手に振り回され、今また命の危機に晒されているのだ。

 その心情を思うと先に生を受けた者として心が痛む。

 だが、それと並行して、こんな事で泣き言を言うようでは困るとも思う。

 なぜなら、この子等も結局はその大人になるのだから……


「大丈夫だ…、無抵抗であればすぐに殺されはしない。それよりもしっかりと胸を張って堂々としていなさい。」


「「はい」」


 私が二人を励ますと、二人は私の言葉に従い、しっかりと自らを両足で支え屹立したようだ。

 私にはそれを振り返って見る余裕は無かったが、見ればさぞ微笑ましい立ち姿だったに違いないと惜しむも、今は危難が迫っている現状を鑑みて前方に集中する。

 この子たちの為にもこの場を切り抜ける手段はあるはずだ。

 私は目を凝らし知力を傾けてこの状況を分析していった……

 すると、すぐに違和感を覚えた。

 騎兵の中の一人、おそらく隊長格であろう男の姿に意識が持っていかれるのだ……

 その対象が近づいてくるにつれてその男の顔が明確なものとなったことで、私は漸く確信を持った。


 それは見知った顔だった。




「麋子方殿!」


 曹公軍の兵装をした騎兵を率いていたのは、先日の作戦会議で劉備に意見していた縻芳だった。

 あの時とは違いその表情は顔色が暗く憔悴している様に見え、声をかけるも二の句が告げられなかった。


「やはり軍師殿だったか……いったいこのようなところで何をしているのか?御案内仕る故、早く殿の待つ夏口に向かわれよ」


 麋芳は私たちに近づくと、表情をやや険の含んだものに変え、下馬する事無く沈んだ声で責めるようにそう言ってきた。


「なんと!劉将軍は夏口にいらっしゃるのですか?殿軍を自ら率いられたので、まだ後方にいらしゃるのだと思っておりました。」


「…状況が変わったのだ。戦における万事は臨機に運んでこそ兵法と謂うもの、軍師殿は応変の才には乏しい様だな…」


 とぼける私に、麋芳は見えすいた嘘はつくなとばかりに辛辣な言葉をかけてきた。本軍から離れて今の状況が全く読めない以上、腹の探り合いなどしても無意味なことを分かっている私は、素直にその言葉を受け入れることにする。


「私には何の才能もありません…目の前で無辜の民が虐げられているのに、何も出来ずにただ臍を噛んで見届ける事しか出来なかったのですから……」


 そう言って俯きつつ麋芳の顔を覗き見ると、意外そうな顔をして私を見ている。どうやらこの男にはまだ良心が残っているようだ。


「…失礼した。今の言葉は忘れていただきたい…」


 少しの間を置いて謝罪の言葉を述べてきた為、私は僅かな笑みをたたえて頷く事でそれを許し、劉備の居場所までの案内をするように手で促した。すると麋芳は了承の言葉とともに無用に頭を下げてきたので、先ほどの非礼をまだ気にして詫びたのだと私は思い、この男は頭が切れるのに不器用な性格だと内心で笑った。


「ひとまず馬を手配する。暫し待たれよ」


 縻芳が配下であろう騎乗の男に目で合図をすれば、男は諾と頷き、あの篝火が焚かれてあった低い丘の上へと駆けていった。


 視線を再び私に戻した縻芳は、そこからさらに下げて私の背後にいる二人の子供にその照準を合わせてきた。その瞳は暗く沈んでいて欝を帯びており、閉じた口元は口角が痙攣していて今にも言葉を発しようとしているが、葛藤があるのか躊躇しているように見受けられる。

 やはり、私の予感は当たりだったようだ。麋芳は間違いなくこの子達を狙っている。思えば最初から違和感があったのだ。

 なぜ彼らが曹公軍の兵装をしてこの地にいるのか?

 曹公軍の追撃を撹乱するため?否、劉備は既に夏口にいると聞いた。ならば最早追撃が追いつく可能性はない。それに私は、先刻、曹公軍の軽騎兵が張飛によって壊滅させられる光景を見たばかりだ。あれでは、さすがの曹公もすぐには立て直せまい。そしてあの後一箇所へ集められていた流民たち。或いは異変を察して私たちのように逃げた者もいたかもしれない…導き出される結論はひとつ、麋芳等は先刻の虐殺の後始末をしているのだろうということ…

 と、とにかく、まずは麋芳に私の意思を伝えることが先だ。


「麋子方殿、この二人も連れて行きたいのですが?」


「…それはできぬ。殿より民たちの保護を仰せつかっている以上は、我等が責任をもってお預かりしよう。」


 予想通りの回答だった。麋芳の後方に控える兵たちの獲物が視界に入りぎらりと光を放ったような気がして、生唾をゴクリと飲む。最悪の事態が想定できる以上、素直にこの子達を目の前の男に引き渡したほうが危険は少ないに決まっている。それでも、私は逃げることはない。せっかく手に入れた優秀な駒をこんなところでみすみす取られてたまるか!

 考えを纏め舌を十分に唾液で湿らせてからその口を開いた。


「麋子方殿、何を焦っているのです?貴殿等が預かるのも、私が連れていくことも同じではないですか?」


「!?…焦ってなどいない。貴殿は急ぎの身故、我等が預かる方が良いと判断したまでだ。」


「いや、それはおかしい。そもそも私は急いでなどいませんし、劉将軍も今私を必要とはされていないでしょう。そうでなければ護衛もつけずこんな戦場の只中に仮にも軍師であるこの私を放置するはずがないではありませんか。それに、子供たちを陣地にて保護することは危険が多すぎます。もし戦となった場合一体誰がこの子達を守るというのか。貴殿ならお分かりでしょう?」


 麋芳は私の問い詰めを眉一つ動かさず無表情のまま聞いていたが、表面上は装えてもその瞳に焦燥の色があることを私は見逃さなかった。そして、私の気づきを察知したのか目の前の男は遂に隠すことを止めてその顔に感情を顕した。


「…状況が変わったと先程も申したであろう!軍師殿は紛れもなく我が軍の軍師であり、今まさに殿から必要とされている時なのだ。さあこれ以上の問答は無用。さっさと引き渡していただきたい」


 最早、強硬手段も辞さないという剣幕で子供たちの引渡しを迫ってきた。どうやら私の知らないところで劉備本営に切迫した何かが起こっているのだろうか…それでも、いまはこの子達を守らなければならない。


「お断りいたします。貴殿らが曹操軍の兵に身を窶し、長阪で生き残った民を虐殺していることを、この諸葛孔明が知らぬと思っておいでか?」


「なっ…」


 ふっ、(なまじ)な正義感がある為に、完全なる悪者になりきれていないから言葉に詰まる。仕える君主がまともであれば大成しただろうにもったいない男だ…。しかし、今はその優柔さに付け入らせていただこう!


「麋子方殿、確かに私は経験も浅く戦の駆け引きも心得ぬ青二才だが、それでも、劉将軍の軍師として遇されている身だ。そして先ほど貴殿もそれをお認めになられた…だからといって驕るつもりは毛頭ないが、ならば、今この場でいったい誰に命令権があるか貴殿ならもうお分かりであろう?

 それに、たかが流民の一人や二人取り逃がしたとて、巷に真実が語られたとしても孺子の戯言、狂人の妄言と切り捨てられるのは目に見えている。まして、この二人は私が見ると言っているのだ。ここで言い争って時間を浪費するよりも、貴殿には他に優先するべきことがあるのではないか?」


 我ながら無茶苦茶な論法だが、このような切迫した事態の場合、勢いに任せて押し切る方が良い。特に目の前の男は、自分の犯した罪を悔いて心にゆとりがなく、それが態度にも現れている。初めこそ強気だったが、弾劾され論をまくしたてられてからはみるみるその顔は青ざめ生気がなくなっている。


「だ、だが、殿より…」


「それとも何か?張益徳殿は良くて、この私がいけない理由があるとでも?」


 ………


 麋芳は絶句した。そして私を見る目に確かな侮蔑の色が浮かんだ。

 別に私は自分がどう思われようとも構わない。ただ、最後の言葉で、完全に麋芳の反論の芽は摘み取ることができた。

 あの時、落とされた長阪橋を挟んで対岸にいる若者に対して、その従姉である少女を拐かし犯し殺した事を堂々と自白した張飛を引き合いに出してしまえば逆らえるわけがないのだ。


 近くに馬の嘶きが聞こえてきた。音の方へ振り向くと先程の騎兵が、一頭の馬を引き連れている。茶色を基調とした毛並みが美しく肉付きもしっかりとしていて、一目で手入れが行き届いていると分かる名馬だ。


「軍師殿の馬をお持ちいたしました。」


 張り詰めた場の空気を読まず朗々と自らの任務の復命を報告する部下に麋芳は無言のまま頷きでかえした。


「殿の下へ案内仕る。ついて来られよ…」


「これはこれは、縻子方殿自ら御案内頂けるのですか?」


「そうだ。軍師殿を確かに殿の下にまで案内するためだ…」


 縻芳はそう言い残すと馬首を南に向けてそのまま3人の部下と共に駆け出した。会話の流れが途切れたことでそれ以上の舌戦を嫌ったのだろう。


「ふぅ…やれやれ…」


 危機を脱した事による安堵と疲れから嘆息したあと、私は連れてこられた馬に范彊と張達を自ら持ち上げて載せてやると、その手綱を曳きながら縻芳の後を追おうとした。


「お待ちください」


 足を踏み出そうとしたところに、後ろから声をかけられた。


「何か?」


 応じながら振り返ると、声の主は先ほど馬を曳いてきてくれた男だった。その表情は、さも奇異なものを見たという訝しげな貌をしている。


「何故お乗りにならないのです?」


 まあ、当然の問いかけであろう。だが分かりきった事を聞くというのは、大抵、相手に不愉快を与えるということをはたしてこの兵士は知っているのだろうか…


「さすがに3人は乗れまい?」


「その馬ならば大丈夫ですよ。」


「だが、暴れたりしたら子供たちが…」


「ハハハ、ご心配は無用ですよ。この春麗(しゅんれい)は雌ですし、速く駆ける事こそ得意ではありませんが、気性も従順かつ穏やかなのことで評判を得ていまして、実際のところ春麗に乗れなかった者は今まで1人も居ないんですよ」


 咄嗟に馬を見て乗れそうにない理由を述べてみたが、どうやら墓穴を掘ったようだ。

「乗れなかった者はいないんですよ」等と要らぬ気遣いをしてきた上に、どこまでも鈍いこの男も相当なものだが、それ以上に見栄を気にして真実を話さなかった自分に腹が立った。

 そして、もう隠していても無意味だと意を決した私は正直に申し出た。


「実は…馬には乗れないのだ…」


「ええ!そんな馬っ、あ…す、すみません」


 事情を男に伝えると、男は慌てた様子で自身の馬に鞭を入れて先を駆けてゆく縻芳を追いかける。しかしこのままでは早々追いつくことはできないだろう。男も馬鹿ではないようで大きく息を吸い込む動作が見えた次の瞬間、馬鹿でかい声で麋芳に呼びかけた。


「隊長~!待ってくださ~い。軍師殿は~馬に乗れぬそうで~す!」



 そのくそ馬鹿でかい声は、夕闇に包まれた地平に響き渡り、親指くらいに見えるまで先を進んでいた麋芳たちにも容易に届いた様で、彼らはすぐに引き返してきた。

 まったく、やってくれる…このような形で辱めを受けようとは…幼少の頃、まだ実家に馬がいた頃に少しくらい乗馬の練習をしておけばよかったと後悔した。


 戻ってきた麋芳は先ほどよりさらに不機嫌そうな顔になっており、私に声をかけることも無くすぐさま部下たちに指示を出した。

 その結果、子供たちは春麗に乗ったままで牛に騎乗した経験があるという張達が手綱をとることになり、私は私を辱めた陳式という名の男の馬に同乗させてもらうことになり、忌々しいこの上なきこの男に命を預けなければならないという屈辱的なものとなった。


 馬足に頼ってからの移動はそれはそれは早かった。まだ暑さも衰えない夕刻だが、馬上に居る事で絶えず風が吹きつけるので暑さも忘れることが出来て快適そのものだった。だが、生来まともに馬に乗ったことのない私には、その爽快感を帳消しにして猶も主張してくる激しい痛みが絶えずこの尻を苛み続けており、進み始めて一刻あまりで遂に耐え難くなったので、縻芳に小休止を申し出た。


 渋い顔をされると予想していたが、意外なことに縻芳は私の申し出に難色を示さず、土地勘があるのか速やかに水場に近い適当な場所を見つけると、其処で野宿する事となった。


「うっひゃあ~水だ~オラいっちば~ん」


「ま、待ってよ張達~先生、水浴びしてくるよ」


「ああ、そうしてくるといい」


 まるで疲れを知らない子供二人は、馬から飛び降りるとそのまま水場に駆けていった。私も咽が渇いて仕方なかったが、それよりも尻の痛みが深刻であったが為に、馬から滑るように降りたその場所で休むことにした。


「よっこらせっと」


 乗馬で痛めつけられた尻を庇うように、薙いだ草の上に右半身を下にして臥した。まだ鈍い痛みは続いているが、もう我慢出来ない程ではない。緊張こそ解いてはいけないが、漸く体を休めることが出来る今こそ、今後について頭を働かせる時だ。


 情勢は、曹公軍の南下により逼迫しており、早急に行動を起こさなければならない。劉備は当初の予定通り江東の孫氏と盟を結んで曹公を撃退しようと考えているのだろうが、問題は、誰を使者として江東に送るかだ。

 江東の孫氏は、君主の孫権は言うに及ばず、二張を始め頑固で偏狭偏屈な輩が多く、我が兄も大層苦労していると聴く。そんな処に何の事前対策も立てずに怖ず怖ずと乗り込めば、呆気なく返り討ちに遭うのは必定だ。おそらく、劉備が私を探しているのはこの件が理由だろう。


 私としても劉備の下にいると決めた以上は、是非ともこの同盟を成功させたい。今回の曹公の南征を曹公対江東の勢力という構図に導き、孫権軍によって曹公軍を北へ返さなければならない、さもなくば曹公の命が危ぶまれる。


 いまだに奴への恐怖心は振り払えないが、それでも、奴によって地獄の底に叩き落とされた数多の民の無念が、奴の思い通りにはさせるなという遺志が、私を決意させ奮い立たせる。

 密かに自分自身も劉備に毒されているのではと危惧もしたが、そんな迷いはとうに捨てた。


 先ずは、江東の孫氏との交渉役を買って出て、江東に乗り込み同盟締結を成功させて劉備陣営での信用と発言権を確保する。

 すべてはそれからだ…


「よし!」


 当面の目標を定めた所で、次は如何にして江東の将兵を説き伏せるか具体案を模索していく。

 あの曹公の大軍と正面から戦わなければならないのだから、交渉にはそれ相当の反発があることを覚悟するべきだ。二張を始め江東七俊ら、知力弁舌に優れた輩はどうという事は無いが、流石に全てを敵に回しては交渉を進める事は難しい…


「先生、水汲んできただ」


 意識の外から、私を呼ぶ声がした。


 ふと頭をもたげると、そこには范彊と張達が居て瓢に水を汲んで持って来てくれていた。


「ああ…ありがとう」


 ごくっ、ごくっ、ごくっ、ごくっ、ごくっ…


 辛うじて礼を述べてから、差し出された瓢を受け取ると、その吸口を咥えてその中身を喉を鳴らして一気に飲み込んでいく。


 ごくっ、ごくっ…ぷっはぁ~


 今、何よりも体が求めていた命の水は、地下水から湧き出た所為かよく冷えていて、臓腑に沁みいる旨さがあった。


「先生、よっぽど喉が渇いていたんだなあ」


 私の飲みっぷりを見て感嘆するように張達が呟いた。


「先生、まだ飲むか?」


 瞬く間に空になった瓢を見た范彊が尋ねてきた。


「いや、もう十分だ。よく冷えていて旨い水だが流石にこれ以上は腹に悪い」


 瓢を范彊に返してから両手で二人の頭を撫で、次に二人の肩に置いた。当面の私のやるべきことが定まった以上、二人にもそれを伝えておかなければならないと思ったからだ。そして、あわよくばここで二人とは契を結んでおきたかった。

 二人は最初、頭を撫でられた事で照れた様な表情をしていたが、目の前の私の様子を見て悟ったのだろう。二人とも目に鋭さを帯び、口元を締めた。


「私は明日、劉将軍の下に戻らなければならない。そしておそらくは、そのまま江東へ赴く事となるだろう。」


 二人の表情に変化は無い。ひょっとすると劉備陣営における私の地位を理解しているのかもしれない。二人とも私の次の言葉を待っているようだ。


「そこでだ。君たち…いや、お前たちに身寄りがいるのならば、私は責任をもって送り届けるつもりなのだが、どうだ?分かるか?」


「わかんねえ…」


「オラたちが住んでた村に残った身内もいたけど…あんまり仲良くなかっただ…」


「そうか!そうか!」


 私は頷きながら張達と范彊の肩をしっかりと掴んで離さない。勿論、心理的効果を期待してもいるし、もし、離したならばそれがそのまま我らの別離となる気がして怖かったからだ。これは賭けであり、今の私には決して負けることができない勝負。相手が幼子でも加減はしない。。

 逃げ場を断ち、悲しい現実を幼子自白させて自らが置かれた境地を悟らせる私は、良心のある人から見ればきっと鬼か悪魔に映るだろうが、生憎と今は乱世でそんな道徳はどうでも良い。


 次第に涙目になる范彊、もう泣き出している張達…


 私はここぞとばかりに慈父のごとき笑を満面にたたえ、両手を広げてこう言った。


「ならば私がお前たちの身内となろう。彊、達、今から二人は私の子だ。」


「「と、父ちゃーん」」


 二人は我さきにと私の懐に飛び込みそのまま草の寝床に沈んだ。


「アイアッ!!」


 尻に激痛が走ったことは言うまでもない。


「アハハッ、父ちゃんかっこ悪い~」


「こ、こら、達!…父ちゃん大丈夫か?」


「くう~」


「父ちゃん何でそんな痛がってんだ?」


「ん~ん~」


「父ちゃん、さすってあげるよ」


「んぁああ、すまない…」


「父ちゃん、オラ、草をもっととってくるよ」


「ううっ、た、頼む…」




 子供達の介抱により、尻の痛みは快方に導く事が出来た。特に達に至っては草を取るついでに薬草まで見つけてくる働きぶりで、范彊が石で磨り潰したそれを、皮が剥けて痛々しい私の尻に貼れば、忽ちの内にその効能が発揮されていった。そして、子供たちは私への治癒が一段落着いたとみると、すぐに深い眠りについた。まったく、初日から助けられっぱなしで父親の威厳など見せる余地がないが、時折、酷くうなされる達やじっと震える彊の寝姿を見て、大丈夫だと声をかけながら頭を撫でた。

 それが今私ができる、精一杯の親らしいことだった。


 やがて、私にも睡魔がおとずれた。

 ひどく腹が減っていたが、所詮は食欲も睡眠欲には勝てぬのが道理、問題なく眠れそうだ。


 仄かな月明かりに照らされた草原の至る所から放たれる虫の音色が耳に心地良い。疲れた体には至高の子守唄だ。

 夏口に着けば劉備との再対決だが、覚悟を決めた臥龍に最早憂いはない。

 嵐の前の夜の静けさを、私は新しく作った家族とともに過ごすのだった。



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