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諸葛孔明物語~「偽史三国志」  作者: 珍寿
青年諸葛孔明物語
3/29

流血千里-前編

逃れられぬ宿命、迫り来る曹操の大軍、破滅への道がいま開かれる。

※正史や演義で活躍した人物は、本作では、そこまで目立ちません。

 最近、不思議な夢ばかり見る

 私にとって大切な存在が、邪悪な凶星によって次々と吸い込まれていく夢を

 それでも、私は悲しみや怒りに心を乱すことなく、受け入れているのだ

 なあ?不思議だろう?

 結局、私にとってのそれは、大切な存在ではなかったのかもしれない

 友を奪われ、家族を奪われ、里を奪われ、尊厳を奪われた

 私には何も残ってはいない

 あとは、この不思議な夢が早く覚めてくれることを待つばかりだ……





「孔明!、孔明!、おい! どうした?」


 意識を取り戻した時、そこは、隆中ではなかった。

 透き通った青空の下、遙か地平まで見通せる澄みきった平地の真ん中に、大きな台が設けられ、そこに私は立っていた。目の前には平伏する兵士や民がいて、同じ台上には、劉備の配下共であろう装いの男達も立っており、馴れ馴れしく私を呼びかけていたのは、猫の様な髭を生やした肥えた豚だった。


 それを手で制した男、即ち劉備は、したり顔で私の方を見つめてきた。あの黒い眼球に赤い瞳で…


 悪寒が走り、生唾を飲み込み、そして目を伏せた。すると劉備は、私から視線を外した様だった


「張益徳。軍師殿は疲れているのだ。無理に急かせる必要などない……皆、面を上げよ。こちらが荊州では臥龍と名高い諸葛孔明殿だ。本日より軍師として、我が陣営に加わって頂く事になった。」


「「おお!!!」」


 劉備の配下共は私の名を聞くや、一斉に声を上げて私の方を見つめてきた。

 各々、期待で瞳を輝かせながらである。


「さあ、軍師殿。貴殿からも、皆に声をかけてください!」


 促されたが、当然、応えてやる義理もなければ義務もない。配下共の熱視線と劉備の邪悪なる瞳を躱せる位置へ視線だけでも向けてやった。


「………」


「くっ、」


 どうやら、無視は許されないらしい、私の背後に立っていた男が動いた。真昼間から酒でも飲んでいたのだろうか、顔を真っ赤にした長身のその男は、手に持っている大刀の刃を私の背に当ててきた。


「よ、よろしくお願いします」


 しかたない……仕方なかったのだ……こいつらは本気だ……臥竜だって命は惜しい……


「おお~!」

「これで我らは太公望や張子房を得たも同じぞ~!」

「ありがたや、ありがたや~」

「勝った~勝ったぞぉ~」



 嗚呼、愚かで無知な民、雑兵共が好き勝手に叫び喜んでいる……手を合わせて私に向かって拝む者、奇天烈な踊りを踊る者、立ったまま笑う者、泣いて感謝している者、その表現方法は様々で、張益徳と呼ばれた肥えた豚や、長身の酔っぱらいは、揃って豪快な笑い声をあげている。


 全く、何が嬉しいというのか……

 劉備め、いったいどういう仕掛けを施したのだ?

 表情を見ても、あの凶悪な双眸だけがギラギラと輝いている。

 そして、私の視線など気にもしないで、劉備は次の行動に移った。


「皆に伝えたいことがある」


 騒がしい場を鎮める様に劉備が声を張った。

 場が一瞬にして静まる。


「もう間もなく、この荊州は騒乱の時を迎えるだろう。幸いにして軍師・諸葛孔明殿をお迎えした我が陣営であるが、このまま南下して来る曹操軍にぶつかるのは得策ではない。戦えば必ず勝てるだろうが、此方も疲弊し、勢力の拡大ができないからだ。そこで、この度の曹操軍の相手は、荊州の劉氏と江東の孫氏に任せ、我らは民たちを守るため、戦火の及ばない荊州南部へと進むこととする」


 なっ、いきなり何を言っているのか劉備……そんな虫のいい話が通用するわけがあるまい?

 今回の曹公の南征には貴様の首もその対象になっているのだぞ!?

 それに、孫権はともかく、荊州の劉氏は間違いなく曹公に降伏するだろう。

 足の遅い民など連れて逃げようものなら瞬く間に曹公の騎馬隊に追いつかれて蹂躙されてしまうに違いない。


「お待ちください」


 劉備を制止しようと言葉を発しようとした時、劉備の配下共の群れの中から声が上がった。


「麋子方か……なんだ?」


 露骨に嫌な顔をしながら、劉備はその男に発言を許可するような仕草をした。

 鎧の上に上衣を羽織った風流な出で立ちと、涼しげながらも威のある容貌から、一応は武官と推察出来るその男は、前に進み出て一礼すると、低いながらも、よく通る声で意見を述べ始めた。


「僭越ながら申し上げます。今の荊州の情勢を見るに、荊州劉氏は曹操に降るに違いありません。君主は若く、家中も蔡徳珪や蒯異度など有力者が曹操に帰順の意を示しているからです。殿におかれましては、いますぐ、襄陽を攻め、この荊州をお取りください。その上で、江東・漢中・涼州の諸勢力と合力して曹操に当たれば戦わずしてこれを退けることができます」


 そうか…劉表様は亡くなられたか…孤児の我ら兄弟を荊州に迎え後見してくれた恩をついに返すことができなかった。せめて、敵討ちだけでもせねば……故人を偲ぶのはそれからにしよう。


 気持ちを切り替え、麋子方の言に耳を傾ける。

 それにしても、なかなかの戦略眼だ。

 たしかに、曹公は、涼州の馬騰や韓遂の動向を気にしていると聞く。

 司隷校尉の鐘元常をはじめ、張徳容や衛伯儒、楊義山等軍事と政治それぞれに明るい者が守っているとはいえ、兵が少なくては万が一もある。

 賢い曹公の事だから、南征を中断して側面となる雍州の守りを優先するに違いない。

 それにしても、劉備の配下にも、まだまだ知恵の働く者がいるではないか!

 麋子方…かなりできる男と見た。


「ならぬ!」


 感心しつつ、麋子方を見つめていたところに、劉備の怒声が響いた。

 衆人の目が一斉に劉備へと移る


「先代、劉景升殿には、流浪の身であった寡人を歓迎し城主にまで遇していただいたという大恩がある。たとえ、無能な君主が跡を継いだからといって、それを乗っ取るなど、寡人には忍びない」


 な、何を言うか!荊州劉氏の後継者争いを誘発させ、荊州の動乱を招き、さらには劉表様までをもその手にかけた貴様が何を言うのかぁ!

 こみ上げてくる怒りの熱を、私は必死になって押さえつけ、耐えた。

 もし、我慢することができなければ、後先考えずに、この自慢の袖箭を打ち込んでいたことだろう。月英と婚約したその日に、彼女から贈られた唯一の物……今となっては彼女とのつながりを残す最後の一品。

 当初は憮然としたものだったが……妻よ、いや、妻だったものよ……ありがとう。


 溜飲を下げたところで、麋子方の進言は続いていた。


「ならば、せめて民は置いていかれませ。劉琮がすんなりと降伏すれば、民たちも戦火を被らずに済みましょう」


「それもならぬ! 民は寡人を慕ってついてきてくれたのだ。それを見捨てるなど絶対にならぬ!」


「見捨てるのではありません。事情を説明すればわかってくれます。殿! 民を戦に巻き込んではなりません!」


「たとえ、戦に巻き込まれないとしても、曹操の下では圧政に苦しむ。それは、死ぬよりも辛いことだ。麋子方よ、もう良い。下がれ!」


「し、しかし、」


「芳よ…殿の命令である。下がれ!」


 麋子方とは違い武辺者のごとき出で立ちの兄と思われる男から一喝されたことで、麋子方は最早これまでと諦めたのか「まずい、まずい」と呟きながら引き下がった。



 ……ずっと傍観していたが、麋芳の意見は尤もで、採用しない劉備は何を考えているのか、その思考が全く読めかった。


「皆、安心せよ。必ず曹操の魔手からお前たちを守ってやる。だから信じてついてきてくれ」


「「おおー!」」

「劉将軍、どこまでもついていきます」

「ありがたや〜劉将軍は救世主様じゃぁ〜」


 劉備の言葉で、不安になっていた民たちも安心したようだった。

 こうして、麋子方の策にのらなかった我々は、先の見えぬまま、その足先を南へと向けるのだった。




 そして、これが、悲劇の幕開けだった…


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