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諸葛孔明物語~「偽史三国志」  作者: 珍寿
青年諸葛孔明物語
2/29

隆中対...決

遂に来てしまった…劉備との対面、孔明の天下三分の計は示されるのか!?

 夢をみた

 長い夢だった

 妙に現実性を帯びた夢だった

 いや、荒唐無稽な児戯にもひとしい酷い夢だった

 だが……私の心を狂わせ、危険な世界へと誘う蠱惑的で甘美な夢だった


 そもそも、あの万事において控えめな均が、私に歯向かう筈が無い。

 月英にしてもそうだ、研究があるからと初夜から自室に篭ったのは彼女の方ではないか……


 嗚呼、夢だ、夢なのだ、夢だったのだ! きっとそうに違いない


「ん、ん~ん~」


 両手を上げて背伸びする。腕がなかなか上がらず、まるで久々に動かしたかのような鈍い痛みが背筋に走った。

 窓から外を伺うとシトシトと雨が降っていた。


「はて、いつの間に降ったのやら……しばらく雨は降らないはずだが……」


 一人でそう呟き、珍しく天文の読みが当たらなかったことを不思議に思い首をかしげる。


「諸葛ぅ~孔明殿……」


 突然、背後から声がした。

 反射的にビクッとする。

 もし、尿意を催していたとしたら危なかったかもしれない。

 悪寒が走る、汗が一気に溢れてきた。

 まさか!?

 私はこの声の主を知っている。

 あの悪夢には続きがあるのだ。

 生唾を飲み込み、恐々として振り返る。


 ギョッとした。


 そこには、一人の貴人が座していた。

 実際に会うのはこれが初めてだが、

 間違いない…


 劉備……玄徳……。


 それは、想像を絶する容姿だった。

 整った顔立ちに柳のような髭を生やし、いかにも君主然とした装いではある。

 しかし、その両眼がいけない。

 真っ黒な眼球に瞳だけが赤いのだ……。

 肌も青白く、唇には血が通っていない幽鬼の様な貌。

 その両眼だけが、生命力に溢れていて、それでもって現世に執着しているかのように伺える。歳は四十を過ぎたと聞いているが、随分と若く見え、故に強い妖気を纏ったその男を前に、私は……


「はい」


 と、小声で答える事しかできなかった。

 そんな情けない私の返事など気にした様子も無く、劉備の目は私を見据えたままだ。


「まさか本当に三度も訪れる事になろうとは、ん゛ふ……いや失礼、お初にお目にかかります。寡人(わたし)は新野城主の劉玄徳と申します。この度は、荊州にて臥龍と名高い貴殿を、我が陣営にお迎えすべく参りました」


 まるで、こうなることを知っていたかのような言葉は、いまいち要領を得ないが、兎に角、今はこの誘いをどう断るかに知力を傾けつつ、恐縮する素振りを見せて考えを纏めたところで、唾液でしっかりと舌に湿らせてから口を開いた。


「これはこれは、漢室を支え武功比類なき劉将軍にまで、私の様な田舎者の名が知れているとは、大変光栄に存じます。されど、私は所詮、荊州という井の中に棲む蛙に過ぎません。もし、将軍が一地方を平定し、そこで生を終えようとお考えならば、私で事足りましょうが、今一度、天下のために忠勤を励もうとお考えならば、蒯異度や韓徳高、それに、龐士元でなければ、とてもその役目をになうことはできません。そして、どうやら、将軍は後者をお望みの様子……訪ねる相手を間違えましたな……どうか、お引き取りを……」


 よし……完璧だ!

 見事に断りの言葉を述べ終えた私は、劉備から視線を外して顔を見ない様にした。

 すぐに返事はこないが、これで引き下がってくれるのであれば、それで良し。

 たとえ引き下がらなくとも、十分な先制を与えることができたことだろう。


 しばらくの間、雨音だけが聞こえていた。

 どうやら雨が本降りになった様でザーザーと音が強くなり、ガラゴロと雷がしている。


 ん゛〜ん゛〜、ん゛〜〜〜


 そこに何やら聞き慣れない音が加わる。


 ん゛~ん゛~、ん゛~~~


 どうやら、私の前方に対座している男、つまりは劉備から出ているようである。


 ん゛~ん゛~、ん゛~~~


「りゅ、劉将軍?」


 気になって声をかけても反応がない、

 そして、様子がおかしい。

 劉備の体が、ん゛~という音に合わせて波打つ様に震えているのだ。

 顔を見るために視線を向けてみる。

 思わず二度見した。

 なんと、口を閉じながら笑っているらしい。

 なんとも心胆を寒からしめる笑い方だ……


 その光景は、暫く続いた…


「ん゛〜ふ……やはり、孔明殿は別格に違いますねぇ、私の知る限りあなたが一番ギャップがありましたよ。曹操が本当に小さいおっさんだったことにもかなりウケましたが、あなたはそれ以上です。たまりませんねぇ……」


「……一体、何を仰られているのやら、皆目見当もつきません」


 一頻り笑って気が済んだのか、劉備は落ち着いた様子で訳の分からぬことをほざいた。

 言葉では私も落ち着いてはいるが、その両目は強烈に相手を睨み据えていることだろう。

 そう、臥竜とはいえ竜は竜だ。

 竜の眼に睨まれたらひとたまりもないのだ……ふふっ。


「いえ、こちらの事です。お気になさりませぬよう……それより、孔明殿、あなたは二つ勘違いをされているようだ」


「勘違い?」


「ええ。まず、我が陣営は知謀の士など必要としていない。そもそも、戦場に立ったことすら怪しい、まして、指揮経験など皆無であろう素人の貴殿に戦略・戦術を聴くことは間違いでしょう。それに、貴殿が先ほど挙げられた二名は、主君を覇者に導けなかった老いぼれです。今更召し抱えてやる程、我々に余裕はありません。」


「なっ!?」


「次に、私は天下を望んでなどいない。漢室がどうなろうと関心がありません。」


「はぁ……それでは、いったい何の御用でいらっしゃったのです?」


「ん゛ん゛ん゛ん゛~ふっ、諸葛孔明殿、貴殿は実に愉快な方だ……いや、真実などいつもこの様なものなのでしょう」


「劉将軍、用件をお聴かせ下さい。一体、私に何を求めておいでか?」


「ん゛ふ、貴殿には我が陣営の軍師となって頂きたい」


「……知謀の士は、必要無いのでは?」


「はい。必要ありません」


「……私に田単の師になれとでも?」


「田単の師ですか……いや、謙遜しなさるな、貴殿にはそれ以上の価値があります。ん゛ふ。寡人はいずれ益州に入り、そこで独立しなければならない。そして、その為には、人が要ります。人を殺す術ではなく、人を服す術を持つ人が……そこで、荊州一の逸材にして、血縁豊かな貴殿が我が陣営に加われば……もう、わかりますよねぇ?」


 話し方が、一々、カンに障るが、ぐっと堪えて私は思考にはいった。

 どうやら、劉備は私の名を利用して荊州の人材を集めようと企んでいるらしい。

 曹公の荀文若、然り、江東の二張、然り、在地の名士を幕僚として厚遇することで、自軍にその地の優秀な人材を集めるという手法は、古今東西を問わず行われてきた。

 劉備にとって私は、荊州の人材を呼ぶ良い餌になるとでも思っているのだろう。


 舐めるなっ!


 この孔明、如何に千金や名誉を与えられようとも、貴様にだけは膝を屈する事はない。


 それに、もしこの依頼を受けようものなら、私は推薦者として一生劉備に仕えなければならなくなる。

 そんなのたまるか!

 私は元直の様な卑劣で且つ無責任な事はしない。

 正々堂々とこの誘いを断ってやる!

 まさかの拒絶に驚愕する劉備の顔が目に浮かぶ。

 んふふふはははははは、劉備めぇ!覚悟しろぉぉゃ~


 ガラゴロドーオォォォォンンン!!!!!

 突然、外から激しい光が差し込み、その刹那、地響きとともに大爆音が我らの体を襲い、私の思考を飛ばした…どうやら、月英の作成した集雷器に雷が落ちたようだ…


 外から目の前にいる劉備に意識を戻すと、目を半眼にし、体を硬直させ、そして、手を震わせていた。 私の目には、劉備に怯えが生じたように見えた。


 好、很好!(いい、いいぞぉ!)、噂では劉備は雷が苦手と聞く……まさに、これは私の怒りを代行した神による聖なる鉄鎚なのだ!

 ここに至って、形勢が逆転した。

 始まりから押され気味だったこの舌戦は、神の雷というこれ以上ない聖なる加護により、私に傾いたということだ。


 余裕のない相手との舌戦に勝つなど、もはや赤子の手をひねるも同然に易い。

 温情をかけてやる必要も無いし、何より時間がもったいない。

 せめて見苦しくならないように、最後の一言で終わりにしよう…


「ああ……因みに今この隆中に通じる三つの道には、我が精鋭を三十騎ずつ配しております。無いとは思いますが、もし貴殿が我らの誘いを断れば、この村、貴殿以外は皆殺しですよ」


 りぃゅぅぅぅびいぃぃ~

 な、なんだ、なんなのだこの男は!

 見れば、すっかり涼しい顔に戻っている。いや、すこし、侮蔑の色が出ている!?

 なんだったのだ先程の怯えは? 今は私の番のはずぅ!

 そ、それに、まるでこちらの思考など、お見通しだと言わんばかりの顔でっ…

 それは、本来は私がするべきなのだぞ!

 ふ、ふん……皆殺しというのも嘘に決まっている。

 そんな、易い脅しにこの私が引っかかるか!


「劉将軍、つまらぬ戯言はお止めください。そんな事をすれば、荊州を、いや、海内の民全てを敵に回しますぞ!」


 劉備の赤い瞳が煌々と輝きを増しだした。それは、荒天の為に薄暗くなった我が部屋をその赤光で照らし尽くすほどに…


「別にかまいません。あの曹操でさえ徐州を従えているではないですか。自らに危害が及ばないのであれば、その他がいかに酷い扱いをされようとも、噂話の種にするくらいで特に動くことはない。教養のない愚かな民などそういうもの、どうとでも出来ます。勿論、今回の一件は噂にもならないくらい完全にこの世から抹消してみせますけどね……別に貴殿だけを拉致しても良いのですが、それではあまりに面白くない。断るなら断るで貴殿には相応の罪を背負っていただきます。どちらにしても貴殿は我が陣営に加わるしかない……さあ、これが最後の機会です。諸葛孔明殿、返答や如何に?」


 なんという理不尽か、私の抗議など意に介さず、劉備は決断を迫ってきた。

 ここ、こうなったら、腹を決めるしかない。

 もう、他に手立てはないのだ。


 幼い頃から世話になった隆中の民たちの顔が、頭の中を次々と()ぎってゆく。

 家を充てがってくれた里長、耕作や魚釣りを教えてくれた微兄弟、そして、玉蘭…

 すまぬ!許せ……


 意を決した私の瞳には、劉備にも負けない強い光が宿っていることだろう。

 震える足に喝を入れて立ち上がる。

 身長は私の方が高く、心理的に見下す形の方が、断然、有利になるからだ。

 神罰をも恐れないこの悪魔に、いま、私は持てる全ての力を出して反抗する!


「劉将軍!どうかお帰り下さい!」


 場は白け、直後に後頭部に強い衝撃が走った…


 その後の記憶は……もう無い……




 玉蘭……隆中に移り住んだ我ら兄弟の身の回りの世話してくれた6つ下の少女だった。

 初めて会ったのは、私が16の時、天真爛漫で愛想が良く、そして、悪戯が好きな娘だった……

 幼い頃は、「赤ちゃんてどうやってできるの?」とか「私を先生のお嫁さんにしてください!」などと言って、動揺する私の反応を観察し、よく笑っていたものだ。

 そういえば玉蘭はよく悪戯を働いたが、不思議と一度も不快に思ったことはなかった。

 それだけ、彼女は聡明で、魅力があった。

 世話をしてくれる礼に、読み書きや詩を講じたが、それはそれは吸収が早く、この私が驚く程に早く覚え、上達していった。


 


 いつからだったろうか…玉蘭の視線が幼子の悪戯っぽいソレから、大人の女の目に変わっていたのは……


「孔明先生……私はずっと先生をお慕い申し上げておりました。」


 ある寒い夜、寝台の支度をしてくれた礼を述べた時に、彼女にそう告げられた。

 いつもの如く、からかわれていると思った私は、鰾膠もなくはねつけた。

 玉蘭も小さな舌を少し出したあと、笑っていたからその時は、そのままにしていた。


 月英との婚約が決まった時、家事をしない新妻のために、端女が付けられることとなった。

 必然、玉蘭の存在は不要になった。


「孔明様……蘭の心はいつまでも貴方のお側にあります……………今まで本当にお世話になりました。」


 結婚前夜、寝台で寝ていた私に向かって玉蘭はそう言い残し、翌朝消えた。

 あの時、なぜ私は彼女を引き止なかったのか……


 居なくなって初めて気がつく。


 思えば、玉蘭が悪戯をする相手は私だけで、それも、決まって二人きりの時だった。

 あの寒い夜も、笑って誤魔化してはいたが、その瞳が潤んでいたことを見逃してはいなかった。

 そして、私を慕い健気に奉仕する玉蘭に私自身惹かれていたのだ。

 ただ、立場が、没落したとはいえ貴族である諸葛の家の者としての、或いは、荊州一の逸材であるという自負が、庶人である玉蘭と添い遂げることを邪魔してしまったのだ。


 全く、自分の愚鈍ぶりに腹が立つ。

 今思えば、何ともくだらない立場に縛られて、私は大切な人を失ってしまった。


 以来、私は玉蘭と会っていない。

 この狭い隆中に居るかもわからない。

 いまさら、許しを乞おうなどとは思わない。

 関われば、さらに彼女を不幸にしてしまうに違いない。

 今はただ、劉備配下の毒牙に曝されていないように祈るしかない。


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