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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

不完全な一口を天国で 〜親を捨て、家族を壊した罪人の私が、最後の一杯に捧げた生涯〜

作者: 雨後晴天
掲載日:2026/02/03




「その一口は、どれほど便利な道具で淹れた液体より、ずっと温かくて不完全だった」





最初に目に入ったのは扉だった、重厚感のある木の扉。


開ければ、三階分の高さがある天井。壁には数え切れないほどの本が立てられている。



正面にはカウンター、円上のカウンターには少女が立っていた。少女は微動だにせず、こちらを見ている


吸い込まれるぐらいの碧眼は白髪によってより一層強調されていた。微笑む口は美しく、どこか人形のような、人の作る笑顔とは私には到底感じられなかった。



「こんにちは」



無機質で、でもどこか透き通っている声が私のような老人の耳にも聞き取りやすい。



「こんにちは、早速なのだがお嬢さんここはどこなのかね?」


「ここは特に名前はありません。ですが、皆様は口を揃えて 天国だ と仰っています。」


天国という言葉に思わず顔を見上げる。



「天国か…そうだったな、私は死んだのだったな…それで、私は天国とやらで何をすればいいのかね?肉体労働は、なるべくお断りさせていただきたいものだが。」


視線を天井から少女に切り替え、苦笑する。



「いえ、肉体労働などはいたしません。そして何をというなら、今までの人生を話してもらう、です。」


淀みない回答は、どこか機械のように感じる


「ほう、私が話して、君はどうするのかね?」


首を傾げて少女を見つめる



「私は来客者様の思い出をいただいて、来客者様は気が済みしだい、この建物から出ていただきます。そうすると、来客者様は今までの記憶を失い、次の人生へと進みます。」



「そうなのか、なら私も聞いてもらおうかな」


「はい、分かりました。では、名前と…それより、場所を移しましょうか。立っていると疲れてしまうので。」


「それは、お気遣いありがとう、お嬢さん。」


「当然ですので。それでは案内いたしますね。と言っても、すぐ右にあるテーブルなのですが。」


と言って少女は右手でそのテーブルを指した。冗談を言っているが表情は全く変わらない。





私の前には二つの椅子と椅子の中心にある円上のテーブル。少女はコーヒーを注ぐためかカウンター近くにあったキャビネットからコーヒーを作るための抽出器具を取り出して来て、テーブルに置いた。まだ注がないようだ。少女はイスに座る。


「それでは聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」






「コーヒーの匂い、味、色、湯気…全てが大好きでした。効率ばかりが求められ誰もが一瞬で手に入る安らぎも欲しがるこの世界で、私はあえて、豆を挽き、湯を注ぐ……その非効率極まりない動作に、私は人生の全てを捧げた挑戦者でした」




私、ゼーレン・ルーエはシュリアス国という、大国の地方のコーヒー豆の産地に生まれました。



幼い頃、両親が飲むコーヒーは大人の象徴に見えたものです。ですが、青年になった私は都会の賑わいに憧れ、一度は故郷を、そしてコーヒーを離れました。




都会での日々が過ぎていき、妻ができました。



病弱な体質でしたが、特に大きな病気もなく、娘を授かりました。



妻は、子育ては緑のある静かな場所でしたい、と言っていて、私は再び故郷の土を踏みました。




時が過ぎるのは早かった。いつの間にか娘は18になっていて、背丈は妻と同じぐらい。時折、昔仕事で会った妻の面影を感じました。



祖父母が大好きな娘は、大好きな人が淹れたコーヒーを飲んで、これ、すっごい美味しいって、微笑んでいて、私はそんな娘を見ているとこちらも幸せな気分になれました。




私達は両親の仕事を継いで、事業を拡大し、食用肉の生産などをして充実した日々でした。



日をまたぐ事に娘が立派な女性へと育って行くのが嬉しかった。



そこで心配なのは、娘の親離れです。


運がいいのか、悪いのか、ちょうど国全体が流行病で、無理な移動なんて自殺行為でしたから、おかげであの子が遠くに行くこともなく、私は内心少し流行病に感謝していました。






ですが、私は忘れていたのです。流行病の根元は野鳥から感染した食用の豚や鳥だったと。






家で育てた豚肉を、自分達も食べるなんて良くあることですから、運悪く私の両親はかかってしまったのです、流行病に。


妻は病弱でしたから、基本私が看病していました。娘は、祖父母が大好きでしたから、部屋に引きこもって…今思えば両親の看病という名目で、ちゃんと妻と娘を見れてなかった。




地獄なんて言葉では表せない日常から数ヶ月立ちました。日に日に病状は悪くなるばかり。手の打ちようもなく、治療法も全く分かりません。




医者にみてもらおうとしても、予約制です、と。予約をしようとしても、どこも手一杯で電話をかけても出ないですし、出ても予約でいっぱいだと。


仕方ないのです。私と同じような状況の人なんてありふれていたんですよ。




私はなすすべなく、咳き込んで、苦しそうな二人を見るしかありません。親孝行も終わっていなかったのに。




その時両親は言いました。私達を山に捨てていってくれって。今思ったら、世話をするのに、精神的に疲れていた事が、感づかれていたのかもしれません。なにせ、私が自室で毎晩泣いて泣いて、泣くばかり。聞こえていないと思っていたのですが、両親には辛い思いをさせました。




そして翌日、両親に、山に連れて行ってもいいか?


と聞いてしまったのです。




妻や娘に了承も得ずに。両親はゆっくりと微笑み、それでいいんだ、と。両親は出発する前にコーヒーを飲みたいと言いました。ですが私は作った事も飲んだ事もほぼありません、あっても昔の、遠い昔です。そんな人が作ったらどうなるかといえば、それはもう酷い出来なのでしょう。


両親は作る事もできませんし、妻に伝えたら、事がバレてしまいます。




私はどれほど馬鹿なのでしょうか。手順もバラバラでお湯の入れ方もなっていない。自分には仕方ないと暗示をかけて、両親に対する罰当たりな行動からは目を背けていたのです。両親はそれを宝物を持つかのように両手で包み込みました。


一口飲むたびに、二人の顔に広がる、諦めとも赦しともつかないあの微笑みが、当時の私には何よりも恐ろしかった。






…そこからのことは、よく覚えてないです。ただ、ずっと自分かも分からない人の泣き声が耳に染み着いています。


気づいたら、娘は帰ってきた私の目の前で泣き崩れていて、妻は両親のベッドの近くにもつれかかっています。地獄から解放されると信じていたのに。大切なものを捨ててまでこうしたのに、そんな感情が襲っていたのは覚えてます。




当時の私は愚かでした。数日後から、段々家族は崩壊していきました。誰にでも想像はつくはずなのに。祖父母を大好きな娘から、家族と同等の関係を築いた妻から、それを引き離したのですから。






娘は祖父母がいなくなってから、不可解な行動が多くなっていました。熱したばかりの沸騰器の側面を、躊躇なく持っていたり、手がぼろぼろになっても、痛いなんて一つも言わなくて。


ご飯を食べている時も今までは、不味い時があっても、引きつった顔で美味しいって言ってくれていたのに、今は全く何も感じていないように私は思えたんです。


妻は病弱な体にストレスが重なって…ちゃんとあの時感染症対策をすれば、妻は死ななくて済んだのでしょうか…?いえ、ごめんなさい。聞いても分からない事ですよね。




そこからというもの、私は無気力で、いわば持ち主のいない人形のような。


娘は妻がいなくなってから、別人になって行くかのように、私を見ているのに、しょうてんが合ってないんです。


家の中は放置された廃棄物でまともに鼻呼吸ができないのに、娘はそんな素振りさえも見せない。





ある日、私はコーヒーを煎れたんです。どうしても両親の顔を思い出したくて。


何で私がそんな事、今言えるのでしょうか。私があんな事言ったから…コーヒーを煎れたら娘が、私のことを見たんです。嬉しかった。


妻がいなくなってから、物が見えてるのかどうかも、分かりませんでしたから。偶然じゃ絶対にない。確信とまでは行かないですが、これでも親ですから、分かった気がして。




床に座っている娘の近くに置いたら、飲んだんです。そうしたら娘が引きつった顔で美味しいって…私にはその笑顔が、救いなどではなく終わりのない罰に思えたのです。




そこからは娘がただ表情一つ変わるためだけに、コーヒーを淹れてきました。淹れるごとに上達していって、もちろん私が飲んでいました。


ですが、豆を挽いている音、沸かした後の湯気、娘が一つ一つに反応して笑顔になってくれる。それが私なりの罪への償い方なのかもしれないと、盲目ですがそう信じたんです。 そこから1年ほど経ちました。感染症が収まり始めると共に、コーヒーの淹れ方もなってきました。娘にも飲んでもらおうと、決意した事をよく覚えてます。




いつも通りの手作業。湯を沸かしている時でした。ドアをノックする音が聞こえて、私が出ました。目の前に立っているのは警察で、私は何が起こったのかが分からず、そこに立っている人を凝視していました。警察は


「ゼーレン・ルーエ。〇年〇月〇日、〇〇山において発見された二遺体に関する保護責任者遺棄致死の容疑で、逮捕状が出ています」





「今から署まで同行願います。……手を出してください」





冷たかった、夏だったのに。手錠のガチャンと鳴る音が、やけに大きく聞こえて。ですがそれより、娘に、最後に飲んでもらいたかったんです。


私は娘に飲んでもらって、美味しいねって…昔、私に見せてくれた笑みを見せてくれれば、私の償いは終わると、信じて生きていたので。


ですが、いくら私が叫んでも、娘にコーヒーは飲ませられず。私は牢獄その生涯を閉じました。







「結局、あの子に最後の一杯を届けることはできなかった。あの子は今、どうしているでしょうか。まだ私の淹れたコーヒーを待っているのでしょうか……ごめんなさい。こんな事聞いても、あなたが困ってしまうだけですよね。…良ければ、私にコーヒーを淹れさせては頂けませんか? 」






少女は私を見下しも、軽蔑する様子見せずにこちらに道具を渡してくれました。


豆をひく時もお湯を注ぐ時、こす時、真剣に私の手つきを見ていました。




コーヒーを差し出すと、少女は黙って、私が淹れたコーヒーを飲み、その瞬間、彼女の瞳に、ゼーレンが一生忘れることができなかった「あの夏の日」の光が確かに宿った。








「……お父さん。これ、すっごく美味しいよ。ありがとう」







私はその言葉を聞き、膝から崩れ落ちた。



1年間の手作業、そして牢獄での数年。すべてはこの安堵のためにあったのだと、ようやく理解した。



最後までお読みいただき、ありがとうございました

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