生物室
高校生活2日目の放課後、真田と話していた。
「今日のガイダンス、どうだった?」
「あれは本当にヤバいって。あれを毎年やってんのかよ」
と真田は答えた。
そう、今日のガイダンス、学年全員を恐怖に陥れ、高校生活2日目にやってもいい内容なのかいまだに疑問である。
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まだ本格的な授業が始まったわけではないが、ガイダンスと称し、学校生活や授業の説明が行われるそうで体育館に集められた。
「みなさん、これから『学術実践』の授業が始まります!中学まではなかったこの授業、中学ではなかった理由をちゃんと考えてくださいね」
並んでいる生徒たちの前に立って1年生の主任の先生が大きな声を上げて説明した。
もう座ったまま30分以上話を聞いているので身体が痛いし眠くなってきた。
空気が弛緩してきていることがなんとなくわかる。
すると、話していた主任の先生の話が急に終わった。
一瞬静まり返ったかと思えば、主任の先生は突然右手を挙げて指をパチンと鳴らした。
次の瞬間、どこからかゴゴゴゴゴゴゴ…と何かが動いているような音が鳴り始めた。
「上!」
生徒の内の誰かがそう叫んだ。
僕らは上を見上げると、信じられない光景が目に入ってきた。
音の正体は天井の揺れだった。
体育館の天井を支える梁が震えており、その揺れが次第に勢いを増していく。
呆気にとられながら見ていると、天井にヒビが入り、やがて全体へと広がる。
現実なのか確証が持てなかったが、体育館の天井が崩れ始めている。
それを見た瞬間から地獄が始まった。
泣き叫ぶもの、走り出すもの、覚えている学術で身を守ろうとするもの。
肝心の僕は何をしていたかというと、何もできなかった。
どうすればいいのか、迷っているうちに何も考えられなくなっていき、頭がいっぱいになり、立ち尽くすことしかできなかった。
やっと脳の整理が追い付いたと思ったら、もう天井の大きな破片が頭上に来ていた。
ああ、こうやって死ぬのかな。
僕は静かに目を閉じることしかできなかった。
目を閉じてからどれくらい経ったであろうか。
10秒くらい経ったはずだが、まだ死んではいないのか。
もしくはもう死んでいて感覚がなくなってしまったのだろうか。
恐る恐る目を開けてみると、目の前には僕の潰れた身体が、
あるわけではなかった。
体育館の床と自分の身体が見えた。
上を向くと天井の破片がそこに静止していた。
「さあみんな、びっくりしたかな」
主任の先生は淡々と喋りだした。
「まあ、これは毎年やっているもので、みんながこれから扱う『学術』の力の大きさについて身をもって体感してほしかったわけだ」
先生が話しているうちに破片が上へと浮きはじめ、天井にパズルのピースのように戻っていく。時が逆行しているようだ。
これも学術で行ったというわけか。
指パッチンで天井破壊に時を戻す、何でもありじゃあないか。
入学して2日目でこんなことやっていいのか?こっちは死をも覚悟してたんだぞ。PTAにこれ怒られないのか?
てか、この学校で学べば、こんな能力が使えるようになるのか。
「まあ、高校でこのレベルまではやりませんが」
やらないらしい。まあそうだよな。
生徒全員がこのレベルの学術を使っていたら秩序が保たれないであろう。
こうして、死を覚悟したガイダンスは幕を下ろした。
正直、あの後の話は何も頭に入ってこなかった。
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「いや、アレはどう考えてもやり過ぎだろ。泣いてたヤツいたし」
「そういう真田はどうだった?泣いてたりして」
真田は急に真剣な顔になって、
「いや、俺は動けなかった」
僕と一緒だった。
「瓦礫を破壊しようと、学術を出してみるつもりだったが、ダメだった。ああいう状況では何を守ればいいのか瞬時に判断できなかった。これじゃあダメだ」
驚いてしまった。真田はあの短時間で攻撃態勢、状況判断をしていたのだ。
僕と同じだなんて考えていたことが恥ずかしい。
そんな会話をした後、真田と別れて、生物室に向かうことにした。
「じゃあ僕生物室行ってくる」
「ああ、昨日言われてたやつな」
「うん、真田は来ないの?」
「なんか今日も書類書かされるみたいなのよ、俺は部室行ってる」
「あ、そうなんだ。じゃーね」
そう言って真田と別れて、生物室へと向かった。
生物室の場所がわからず、着くまでにかなり時間を要してしまった。
生物室の前で相良先輩が壁に寄りかかっていた。
肩には大きなバッグが掛けてあり、中にはギチギチにぬいぐるみが詰まっているのが見えた。
ぬいぐるみたちに同情する。すごく狭そうだ。
「遅かったわね」
やばい、怒ってるかも。
「すいません、迷ってて」
「着いてきなさい、まあ今日は見てればいいわ」
相良先輩は生物室のドアを豪快に開け、僕は後に続いた。
生物室の中には初めて入ったが、おおよそ想像していた通りだった。
中学校のころの理科室とさほど変わらず、変わっているところとすれば、ガラス窓の棚にびっしりと薬品やら標本やらが飾ってあるという点だ。
ゲームや映画で見る科学研究所のようだと思った。
「ふうん、見た感じ異常はないかんじね」
相良さんはつまらなそうに呟いた。
「あのー、今日って何のためにここに来たんですか」
まだ怒っていないか不安であったが、恐る恐る聞いてみた。
「あら、そんなことも知らないで来てたの?」
いや、誰からも知らされていないのだけれども。
口には出さず、「はい」とだけ返事をした。
「なんか、最近生物室を無断でこそこそ使っている輩がいるらしいの。そんでそいつらの正体を確かめてほしい、というのが今回の依頼よ」
「依頼って、誰からですか?」
「生徒会よ」
「生徒会、ですか?」
「そうよ、あの忌まわしき生徒会」
スイッチが入ったかのように急に語りだした。
「学内では基本、実践の授業を除いて学術の使用が禁止されているでしょ?」
「けれど、私たち探偵部は特別扱いを受けていて部活動時も学術を使用していいことになっているの」
「それが実は生徒会の許可によるものなの」
「でも、ただで使えるわけじゃあなく、あくまでも学校のために使うという体で許可が降りているわけ」
「それをいいことに面倒ごとを全部押し付けてくるのよ」
なるほど、一筋縄ではいかない複雑な事情があるわけだ。
相良先輩の後ろをついて行って生物室の中を一回りしたが、何も収穫は得られなかった。
「まああとは戸締りさえすればいいわ。窓と棚がしっかり施錠されてるか見てくれる?」
そう言われて、棚が施錠されているか確認していった。
「終わりました」
「じゃあ今日はこれで終わりよ。ハズレの日ね」
僕と相良先輩は生物室の外へ出て鍵を閉めようとした。
その時、生物室の中で「カチャ」と音がした。
ガラスがぶつかるような音。
「私の後ろについてきて」
相良先輩はそう言って生物室の扉を開けた。
中に入るとバッグの中からヘビのぬいぐるみを取り出した。
「憑依: 白蛇」
ぬいぐるみのヘビに命が吹き込まれ、するすると動き出し相良先輩の頭の肩に乗った。
「何かいる?」
「いや、僕は見えないです」
「あんたに聞いてないわ、このヘビに聞いてるの」
ヘビは「シャー」っと舌を出して威嚇の体勢をとっている。
僕も少しは役に立とうと、ファイティングポーズで構えていた。
相良先輩は腰を低くして、足音を立てずに棚の周りを歩き始めた。
その時だった。
「シャー!」
ヘビが急に大きな声を上げて相良先輩の肩から飛び出し、なにかに嚙みついた。
「痛え」
男の声が聞こえた。
ヘビがかみついた先にはなにもなかったはずだが、そこには男の姿があった。
「まずい」
「憑依: オンブバッタ」
そう言うと男は足を曲げ、クラウチングスタートのような体勢になった。
次の瞬間、スタートしたかと思うと目で追うのがやっとの速度で走り出した。
「やば、逃げられる」
僕がそう言い終わる前に相良先輩が動いていた。
「憑依:蜘蛛の糸」
男は生物室を出ていったかと思っていたが糸によって入口が塞がれ、上半身に糸が絡みついていた。
「くそう、これじゃあだめだ、だめなんだ」
身動きの取れなくなった男は焦ったようにぶつぶつ呟いている。
「さあ、全て話しなさい、あなたは誰なの?」
相良先輩が男にゆっくりと近づく。
その瞬間、男は学術を使用した。
「憑依: モンハナシャコ」
糸に絡まった上半身から虚空に向けてパンチを放った。
相良先輩は軽いステップで後ろへ避けた。
パンチの勢いは凄まじく、10m以上離れているのに風圧で動かされた。
周りの棚がガタガタと震える。
パンチで糸を振り切った男は今度は相良先輩に向かってパンチを放った。
まずい、あの距離でパンチを放たれたら......
思わず両手で目を覆った。
目を開けると、相良先輩は無傷だった。どころか、ものすごい速さで動いている。
連続で放たれるパンチに対し、それを上回る速度で動いている。
まるで相良先輩だけ早送りされている世界にいるようだ。
「憑依:ビッグ・バッド・ウルフ」
大きめの狼のぬいぐるみをバッグから取り出し、そこに命を吹き込んだ。
「いけぇ」
狼のぬいぐるみは息を大きく吸い込み、次の瞬間、ものすごい勢いで息を吐く。
空気砲のような勢いで、周囲の棚のガラスが割れ始める。
その空気砲は男に直撃し、ものすごい勢いで吹き飛ばされる。
壁に激突し、そのまま崩れるように座り込んだ。
周りにはガラスの破片と薬品、標本が散らばっている。
「ふう、こんなところね」
相良先輩がひと段落付いたように、ため息を吐いた。
「憑依: 蜘蛛の糸」
蜘蛛のぬいぐるみに命が吹き込まれ、そこから出た糸で男の身体を拘束し、壁に固定した。
先刻もこの学術を使用していたようだが速すぎて把握できていなかった。
なんだか間近ですごいものを見させてもらった。
これが探偵部のトップの実力か。
この戦いに関して、僕は見ているだけでなにもできず、ここから何年かで相良先輩みたいになれるビジョンが全く見えなかった。
「さあ、教えてもらうわよ。あんた誰?」
「くそ、くそ」
男はなかなか話そうとしない。
「学校の人じゃあないでしょ、誰?」
相良先輩がさらに詰め寄る。
「うわあああああああ」
急に男が叫ぶと同時に、近くにあった標本の生物を投げてきた。
相良先輩は造作もないようにそれを避ける。
しかし、相良先輩の後ろには僕がいて、その生物が一直線に僕の方へと向かってくる。
まずい、避けられな......い
「ぐおぁ」
相良先輩に押されて、何とか避けられた。
しかし、その隙に男がもう一投してきた。
相良先輩は体勢を崩しており、このままだと直撃してしまう。
だめだ、今度は僕が助けなくちゃ。
傍観者じゃあだめなんだ。僕も動かなきゃ。
相良先輩の前に立ち、両手を大きく広げた。
何やら気持ち悪い生物が僕の身体に当たる。
「何やってんの!」
相良先輩の声がものすごく響いた。
「痛い」
脚を何かに噛まれた。
これは毒?なのか?
噛まれた脚の力が抜けていく。
「ベル!」
相良先輩の声が聞こえた、そこから先は覚えていない。




