入学式
「だめだ、失敗した」
鏡野高校入学式の日、新入生には似つかわしくない、男子トイレの個室の中にひとりの男子生徒の姿があった。
私立鏡野高校に入学し夢と希望に溢れていたはずだった。1年A組、小野零。僕だ。
一体何がいけなかったのだろうか。
僕が今こんな所で項垂れているのには理由があった。
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1年A組の教室にて、入学式が終わり、各クラスの教室で早速ホームルームが行われていた。
担任の先生の簡単なスピーチの後、クラスでは自己紹介が行われた。
どうやら僕はこの自己紹介で失敗したらしい。
他人事のように言うが、そう思ってしまうのは無理もない。
高校に入ったら自己紹介があるだろうと思って、何か月も前からフレーズを考えておいたのに、見事に失敗したらしい。
僕の予定ではクラスの笑いをかっさらって、クラスの人気者に!などと考えていたのだが、現実はそう甘くなく、僕が話し終わった後のあのクラスの空気といったら、お通夜のほうがマシなレベルだろう。
どうやら初日にして黒歴史を作ってしまったらしい。
自己紹介でおかしいヤツだと思われてしまったのか、ホームルームが終わった後も誰にも話しかけてもらえず、勇気を持って隣の席の人に話しかけてみたが、二言で会話が終わってしまった。
この空気に耐えられなくなり、教室を出て向かった先がこのトイレの個室であったわけだ。
なぜ僕がここまで自己紹介に拘っていたのか。
理由は至極簡単、友達が欲しかったのである。
中学校の頃は友達といえる友達はおらず、基本的に一人だった。
お弁当を食べる時も一人、昼休みは図書室での読書が日課だった。
そんな生活から脱却すべく、少し背伸びしてわざわざ家から遠い私立を受け、華の高校デビューを飾ろうとした結果がこの様である。
かといってこんなところにいては友達ができるはずもなく、狭い個室の中で刻々と過ぎる時間に焦りを感じていた。
過ぎて行く時間になんとか追い付こうと頭をフル回転させ、僕の頭の中にはたったひとつの冴えたやり方を思い出した。
「よし、部活に入ろう」
もちろん僕はこれまで部活には入ったことが無く、放課後は何をしていたかと聞かれるとすぐには答えられない。
アニメとか動画とかを観て時間を潰していたような気がする。
中学時代にも何度か部活には入ろうと思ったのだが、初年度を逃し、タイミングがわからないのと、絶対に先輩に怒られたくないという偏屈な態度が足取りを阻んでいた。
今は高校生活も始まったばかり、タイミングはバッチリだ。
この際、高望みはしない。
友達ができるなら、どんな部活にでも入ってやる。
あ、でも怖い先輩がいないところにしよう。
……あと、運動部はちょっとな。
そんなわけで、部室棟に足を踏み入れた。
部室のドアの上部にあるガラス窓から中をチラチラ覗いていると、もうすでに新入生が入って人間関係を形成し始めている部活もあり、焦りが加速していく。
廊下を歩いていると、反対側から新入生らしき男子生徒が、僕と同じように部室内を気にしながら歩いてくる。
これは一世一代のチャンスではないか。
話しかけるしかない。
前から歩いてくる男子生徒とすれ違う直前、相手と目が合ったところで意を決して話しかけてみた。
「あの、1年生?」
第三者から見たら完全に怪しい。不自然すぎたか。
瞬時に脳内で反省会を行いながら祈るようにして相手の言葉を伺っていると、
「うん」
良かった、返事が返ってきた。
だがここからが勝負だ。このまま会話を終わらせてはならないと思い、なんとか続けた。
「あ、俺も1年。どっか部活探してんの?」
「うん、探偵部を探してて」
「あ、それならあっちにあった気がする。丁度俺も行こうと思ってたんだ。一緒に行こう」
「おお、ありがとう」
こうして、少し強引だったものの、新入生と距離を縮めることができた。
初めての友達、とはいかないまでも初めてのまともな会話。
少しだけ安堵し、先ほどまでフルスロットルで動いていた心臓も落ち着いてきた。
しかし、勢いに任せて言ってしまったけれど引っ掛かるところがあった。
探偵部という言葉に聞き馴染みがなく、部室も見たことがない。
つい話を合わせるために出まかせを行ってしまった。
ミステリ小説を読むみたいな活動内容だろうか。
運動部ではなさそうだし、ミステリは好きなほうだし、悪くはないかと思っていた。
男子生徒と歩いているうちにいくつかわかったことがある。
彼の名前は「真田大和」というらしい。
そして、僕と同じ1年A組の生徒だった。
あんな自己紹介をした僕と仲良くしてくれたことに感謝だ。
ふと、沈黙を埋めるために質問をしてみた。
「なんで探偵部に入ろうと思ってんの?」
「俺、将来『学者』になりたくてさ」
真田はそう答えた。
『学者』という言葉には心当たりがあった。
今日のホームルーム、自己紹介の悪夢の少し前のことだ。
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入学式後のホームルームのことである。
「1年Aクラスのみんな、入学おめでとうね!」
と、明るい声で入学を歓迎しているのは、
「1年A組の担任!今咲愛!みんなよろしくね!」
僕らのクラスの担任だった。
教室内の生徒は先生のテンション感に若干困惑しているが、先生は構わずに話を続ける。
こういう状況に慣れているのだろうか。
「早速だけど、重要なコト! まずはこの動画を見て!」
といい、片手に持ったリモコンを勢い良く振りかぶって前のスクリーンで、ある動画を再生し始めた。
流れ始めた映像には上空から撮った都会のビル群が映っている。ニュース番組の映像だろうか。ドローンかなにかで撮影しているのだろう。
しばらく上空から見た都内の映像が映されていると、急にビルとビルの間の小路から2つの人影が飛び出してきた。
初めに飛び出してきた人物は灰色のTシャツを着ていて手には大きめのアタッシュケースを持っており、後ろから来るスーツを着た男に追われている。
テレビの特番でよく見る犯人の逃走劇のようだ。しかし、違和感を覚える。犯人は必死に走っているように見えたが走ってはいない、直線状に移動している、という表現のほうが正しい。
Tシャツの男は後ろを気にしながらスケボーに乗っているような様子で足を動かさずに地面を滑っている。
男は開けた大通りに出たところで逃げる方向を変えた。右や左に曲がったのではない。
ましてやUターンをしたわけではない。犯人は前に進むのではなく、上に進み始めたのである。
彼は空中に浮かび上がり、明らかに重力の束縛を超越して空を飛んでいる、というような、座標が上にずれているかのように動いた。
大通りに出てそれを見たスーツ男は犯人を追うのをやめ、その場に立ち止まった。
ここでカメラがスーツ男に寄り、緊迫感が一気に高まる。
Tシャツ男は構わずに逃走を続ける一方でスーツ男は何やら不審なジェスチャーを始めた。
最初のジェスチャーは腕を周りに広げるような、何かを周囲に撒くような動きだ。
そして次に犯人に向かって腕をぴんと伸ばし、指を銃のように曲げ、犯人に狙いを定めた。
腕の直線状に犯人が重なったときにスーツ男が何かを言った。
「——座標生成、———スフィア」
その瞬間、強い光で画面が白く輝いた。
光が落ち着いて犯人を見ると、無から出てきた格子状の光球の中に閉じ込められていた。
ほんの一瞬の出来事に状況を理解できている生徒は少なく、教室内がざわざわとし始めた。
短い映像が終わり、まだクラスの余韻が醒めていない状態で先生は話し始めた。
「これが、みんながこれから学んでいく『学術』です。マジックみたいだったでしょ!」
そういって我がクラスの担任は説明を続ける。
「『学術』はみんな小中で何なのか習ったよね、大会とかも見たことある?実際使ったことある人は少ないと思うけど」
これが、『学術』なのか。小中で概論は習ったことがある。
言霊の力を使い、ファンタジー世界でいう魔法のようなものを繰り出す。
公共の場での使用は禁止されているので、高度なものはフィクション作品だったり、テレビで見る学術闘技の試合以外ではほとんど見ることはなかった。
「この『学術』、誰でも簡単に使えるわけではありません。それに間違った使い方をするととっても危険です。高校では『学術』を扱う『学術実践』の授業があります。心してかかるよーに」
緩い口調だが、空気変わったのが伝わってきた。
「みんなの中から優秀な『学者』になってくれる人がいればいいなと思ってます!あ、ちなみに今見せた映像に出てきた学者さんは先生の教え子で『数学者』なんだよ!」
先生は誇らしげに言った。
『学者』といえば公共の場での学術の使用が許可されていて、学術絡みの事件を学術で解決する警察、いやヒーローのような存在だ。
思えば僕も学者に憧れていた時期があったような気がする。
もう、なんで憧れていたのかすら忘れてしまったけれど。
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などと思いながら歩いていくうちに、探偵部の部室の前に着いた。
探偵部の部室はほかの部室とは少し異質で、部室棟の端っこに位置していた。
ガラス窓にはカーテンがかかっており、中の様子が全く見えなくなっていた。
さらに、やけに年季の入った「探偵部」の看板が異質さを増していた。
真田はドアノブに手を掛け、僕はその後ろに立った。
「入るぞ」
真田が静かに、ゆっくりとドアを押す。
キィーという軋んだ音と共に部室の様子がだんだんと目に入ってきた。
その光景を見て、僕と真田は言葉を失った。




