行きつけの店
「いらっしゃーい」
しがないサラリーマンでしかない俺は、今日もいつものように居酒屋に来ていた。
就職してから、会社に行く日はいつもこの店に通っている。
もう、3年目に突入しようとしていた。
その頃になると、店員さんも、俺の顔を覚えていてくれて、それどころか、注文しなくても、席にまで運んできてくれるという状態だった。
俺はこの日も、いつものカウンターの奥の席を陣取った。
「はい、生ビール大ジョッキと枝豆、裂きイカお待たせしました」
「ありがとです」
俺は、いつもと同じように礼を言った。
その時、店員の薬指に指輪がはまっているのを見つけた。
「結婚されたんですか」
「ええ、1週間も経ってませんけど…ああ」
彼女は、俺の視線に気づいたらしく、薬指の指輪に軽く触れていた。
「これですか」
「そうですよ。昨日までつけてなかったのにって思って…」
「結婚したのはこの前の日曜日だから、3日前ですね」
彼女が指折り数えて、確認をした。
「ただ、その時に、指輪が完成してなくて、模造品をはめたんです。それが、右手にはまっているほうで、ちゃんとした完成品を左手にはめようと決めていたんです」
「でも、昨日は両方ともなかったですよね」
「両方とも一緒にはめたほうが、いいじゃないですか」
そう言って、彼女は笑って厨房へと戻って行った。
俺は、ビールを飲みながら、そんな店の中をぐるりと見回した。
築50年経っていると言っていたこの建物の中で、いろいろなことが起きただろう。
俺が知っているのはここ3年間という、短い間だけだ。
俺は、そんなことを考えながら、枝豆に手を伸ばした。
裂きイカをつつきながら、今日のことを思い出していると、すぐ横の席に誰かが座る感覚がある。
「せんぱーい、ここでなにしてるんですかぁ?」
すでに出来上がった女性の後輩が、俺に絡んでくる。
「なにをしてるかって、一つしかないだろう。酒飲んでるんだよ」
「ひとりでぇ?さみしぃー」
完全に酔っているとしか思えない言動を見せている。
「お前、人変わってるぞ」
「えぇー?そんなことないれすよー」
俺の肩に腕をまわして、酒臭い息を吐いてくる。
「どこかのおっさんかっつーの」
腕をはねのけて、俺は彼女に言った。
「いいゃないれすやぁ、そーんなろと、よーやって(いいじゃないですか、そーんなこと、どーだって)」
「こりゃ、さすがに駄目だろう。うら若き女性が、こんなに酔っちゃ」
俺は、完全に酔っている彼女を元の席へ戻そうとしたが、逆に、俺の腕を引っ張ってテーブルへと連れてきた。
そこは、会社の同僚が集まっていたが、全員彼女の同輩らしい。
俺の知っている顔は彼女だけだった。
「ほい、私の先輩でーす」
「おぉー」
なぜか拍手まで起こる。
「…完全に出来上がっているんだな」
「なんのころれすふぁ?(なんのことですか?)」
「相変わらず、俺の方に腕をまわしてくるな」
だが、この後の記憶が、徐々に薄れていっていた。
「あー、いてて…」
二日酔いのようだ、頭が割れるように繰り返し痛みの波が襲ってくる。
「いつのまに帰ってきたんだ…」
俺はシャツとパンツだけしか着ておらず、腹の上にはタオルケットが一枚だけかぶっていた。
横を見ると、なぜか彼女が眠っていた。
ブラと俺のズボンをはいているが、何をしたか全く記憶にない。
彼女も俺と同じようにタオルケットをかぶっていたが、寒かったようでカーペットの下に潜り込もうとしていたようだった。
「俺は昨日何をしていたんだ…」
なにも記憶をしていないというのは、どうしても思い出そうと努力するものだ。
だが、彼女がもぞもぞ起きてきたのを見て、考えを途中でやめた。