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Rhapsody III: 純愛のセレナーデ

 人間は、自分たちの理解を超えた"定義できないもの"を『怪物』と名付けた。


 自分たちが矮小な(くだらない)存在であることを棚に上げ、他者を勝手に恐れて不気味がる。


 それでも、本当に人間(ヒト)が触れてはならない存在(モノ)も確かに()て。


 俺は、それを──ただ、美しいと思った。







 遺跡の口を抜けると、石の冷たさがほどけ、(ぬる)い風が頬に触れた。

 ルナの意識がほどけたせいか、静止していた世界にも遅れて音が戻ってくる。葉のこすれる気配と、遠くには鳥の声。


 握っている手は驚くほど軽い。指の細さと温度が、歩幅に合わせてわずかに強弱をつけてくる。こちらが半歩だけ早めれば、彼女も半拍だけ進めて、すぐ同じテンポにそろう。砂の粒を踏む音まで、いつのまにか二つでひとつの音になっている。


「これからどうしようか」


 俺が口を開くと、ルナは首を傾げてこちらを見る。


「……いっしょなら、なんでもいいよ」


「ん、俺もだよ。だけど、住む場所をどうするかは考えなくちゃな」


「……おうち?」


「ああ」


 ルナが、少し考えて口を開く。


「……おうちができたら、またしてくれる?」


 歩きながらも、わずかにうつむき、そっと頭を差し出してくる。どうやら撫でられるのがよほど気に入ったらしい。


「もちろん」


 そう答えて、繋いでいないほうの手でルナの頭をやさしく撫でる。後ろ髪が、ふわりと(かす)かに揺れた。


「……ん」


 空気がやわらぎ、肩先が小さく弾む。


「そういえば、遺跡では俺ばっかり聞いてたけど。ルナも何か聞きたいこととかあるんじゃないか?」


「……うん」


 少しの沈黙。たくさんの問いの中から、一つを選んでいるらしい。


「……どうして、ユウは……にんげんに、興味がないの?」


 ──ああ、そうか。


 人間が、人間に無関心。人でない少女がそれを不思議に思うのは、当たり前のことだ。


「あー、そうだな。生まれた村が酷いところだったから、かな」


 ──言いながら、違和感を覚える。


 仮に生まれたのがあの村じゃなかったとして、俺はこうならなかっただろうか。

 いや、きっと関係ない。俺がどこに生まれようが、同じ所へ()きつく。


 俺という人間は、人間という生き物──その仕組み自体に関心が持てない。


 俺が久遠優朔()である限り、いずれは人に無関心になる。


 ──そして、ルナと出会う。


 そんなふうに考えを巡らせ、糸がふと途切れたとき。


 ルナが、足を止めた。

 足もとで砂が、さく、と鳴る。


「……わたしが、こわしてあげる」


 首をわずかに(かし)げ、温度のない声で──その一言は、少女の口からあまりに平然と落ちた。


 ルナが言う「こわす」だ。比喩ではなく、そのままの意味だろう。

 村一つを、壊す。人間の側の尺度では、それは驚天動地(きょうてんどうち)の大罪に分類される。


 俺は、あの村に対して大した感情を持っていない。もしあるとして、それは遺恨(いこん)でも悔恨(かいこん)でもない。

 人間という枠組みに生まれた俺にわずかに残された、人に対する感情の残滓(ざんし)。言わば、遺伝子に組み込まれた習性のようなもの。

 興味がないのに、観察してしまう。関心がないのに、模倣してしまう。それが人間社会で生きる術だと、引き継がれた遺伝子が教えてくるから。


 ──けど、今は違う。


 ルナと出会い、名前をつけてからは。

 人間のことなど、これまで以上にどうでもよかった。

 元から遺恨はない。興味もない。


 けれど──


「……ありがとう。行こうか」


 ──俺の返事は最初から決まっていた。

 この少女が俺のためにする行動を、拒む理由がどこにもなかったから。


 この少女が俺のためにやろうとしていることは、(ひとえ)に俺のための行いだ。

 聞いた瞬間に分かった。ルナの発言と行動には、裏がない。計算がない。

 遺跡で俺にどう思われるかをあんなに気にしていたのに、さっきの言葉の温度には「好かれたい」という計算は微塵(みじん)も含まれていなかった。


 ──いや。

 仮にそんな計算があったとして、それはそれで可愛いと思う。


 でも、違う。

 ルナのそれはただ純粋に、“ユウのため”の行為。

 ユウが嫌なら消す。ユウが嫌だと、わたしが嫌だから、消す。


 そんな、混じり気のない行為と動機。

 “相手だけのため”と、言葉にするのは容易(たやす)い。

 でも、真にそれをできる存在は、この世にどれほどいるだろうか。


 俺が知る“人間”には、絶対にいない。

 誰かを無益に助けるときでさえ、他者からの視線を気にしている。

 恩を着せ、見返りを求める。

 くだらない。本当に、くだらない。


 俺はその醜さを受け入れなかった。いや、受け入れようとさえ思わなかった。

 そんな勘定(かんじょう)でしか生きられない存在に、俺は価値を見出せない。


 ──けど、例外(ルナ)がいた。


 探し続けて、ほとんど諦めかけていたとき、唯一(ルナ)と出会った。

 時間も、種族も、何ひとつ関係なく。俺と彼女は、出会った瞬間から共鳴して(惹かれ合って)いた。


 ルナは、俺がくだらないと切り捨てたものとは何もかもが違っていた。

 美しくて、可愛くて、そして何より、純粋で。


 今から彼女が行おうとしている破壊行為さえ、俺に対する純粋な“好意”でしかない。

 そこには、俺に好かれたいという計算もなければ、壊される村や人間に対する悪意も存在しない。


 ただ、相手だけを想ってする行為。


 その感情に付く名がこの世にひとつしかないことを──俺でさえ、知っている。


 無邪気に手を握って、俺の顔を覗きながら、わずかに身を揺らして歩く彼女を横目に、

 鼓動はしばらく、鳴り止む気配を見せなかった。







 木立の影が浅くなり、頭上に夜空がひらける。(こずえ)の隙間を月が横切り、道が薄く(しら)んだ。ルナが空を見上げる。


「……ユウの村まで、とぶ?」


「おお、飛べるんだ。それはいいな」


 答えた瞬間、身体がふわりと持ち上がった。

 跳ぶでも、飛ぶでもない。ただ浮かんで、空気の上を滑っていく。


 ルナならここから村まで瞬時の移動もできるはずだが、それは言わなかった。俺たちはあえてゆっくりと進んでいく。


 ふと、ルナが空を見上げる。何かを考えたあと、ゆっくりと口を開く。


「……しばらく、よるのままにするね」


 すぐにその意図を理解して、頷く。繋いで歩きだした最初の夜を、まだ終わらせたくなかった。


 夜の固定。彼女の意識が世界に触れ、歯車(じかん)の噛み合わせが静かにズレていく。星の流れは止まり、海の面は眠り、誰もそれに気づかない。この夜は、俺たちのためだけに延びている。


「……ユウ」


「ん」


 俺の手を包む細い指に、静かな力がこもった。


「……て、はなさないで」


「離さないよ」


 触れている(てのひら)の温度は変わらない。風だけが頬を撫で、雲の縁が月明かりを儚く散らしている。


 聞こえてくる音はほとんどない。地上では、眠った世界の呼吸(うごき)だけをしている。


 その呼吸の上を、二人の影だけがゆっくりと移動していく。


 いくつもの海と陸の縁を渡るあいだ、下の(あかり)は言語を変えるように並びを変えた。直線が格子へ、散在が帯へ。弓なりに続く海岸線の光が長く伸び、黒い山並みが濃く重なり、川が銀の細い糸になって走る。


 やがて、どれほどの地境(ちきょう)を越えたのか、数を数える意味がなくなった。


 ──時の流れが止まっていなければ、どれほどの時間が過ぎていただろうか。


 それでも、体感は一瞬に近い。到着までの時間は、ただ静寂の厚みとして俺たちの間に積もっていく。


 やがて、海と山とがせめぎ合う東方の島国に差し掛かる。

 細かな(いりえ)と入り江の沿岸が夜の海に浮かび、山はすぐ海へ落ちる。

 湾口には赤い防波灯が等間隔に(とも)り、内側は白い常夜灯が薄く縁取る。

 細い平地に家の灯が連なり、河口の橋の赤灯が規則正しく点滅していた。


 沿岸の灯が遠ざかり、外れに一つの島影が浮かぶ。濃い(あお)の海に孤立するその島は、内側にまっさらな荒野を抱えていた。藍の底から、薄金の砂がせり上がる。


 輪郭の低いその島の中央には、砂原がただ無意味に広がっている。

 ここは、広いだけの場所だ。


 俺は島の中央に視線を止める。ルナがそれを追い、時の歪みを静かに解いた。

 世界は何事もなかったように針を回し始める。


 遠い波がひと呼吸ぶんだけ音を立てると、また静寂が戻った。


「ここらへんのはずだ」


 周囲を見回すと、目的の場所はすぐに見つかった。ルナの手を引くように、そちらへ滑る。


 高度を保ったまま、村から斜めに離れた上空へ位置を取る。灯は少ない。屋根の列が小さく連なり、細い路地が糸のように交差している。

 村のまわりには薄金の砂がただ広く続いているだけで、広さ以外には何も置かれていない。


「……あれ?」


 ルナが指さす先を確認し、再び視線を送る。屋根と道の集まり──俺が生まれ、八年間を過ごした村だ。


「ああ。久しぶりだけど……特に何も感じないな」


 答えを聞いたルナが一度、こちらを見る。視線が重なったあと、すぐに村へ向き直る。


「……ユウ、みてて」


「ん?」


 曖昧な返事をして、ルナの方を向く。


 あまりの唐突に、理解が一瞬遅れた。


 ──。


 風が止み、

 世界の呼吸が途絶える。


 空気が重くなり、

 周囲の世界が硬直する。


 ルナが、村の方角へ静かに手をかざす。



「『きえろ』」



 ──瞬間。


 村は、一瞬にして巨大な異物(モノ)に飲み込まれた。


 それはまるで、「(やみ)(とばり)」とでもいうような。


 黒く、音を絶ち、光を通さぬ大きな無機質(ナニカ)


 夜でもなければ、影でもない。


 そこだけ“世界が閉じた”かのような感覚。


 世界は既に夜なのに、そこだけが──”異常に暗い”。


 ──帳が、収縮を始める。


 世界の呼吸(うごき)は、まだ戻らない。


 閉じられた内側は、何も視えない。


 ──。


 そして──帳が、完全に(ほど)けたとき、すべては無に(かえ)っていた。 


 そこに残っていたのは、「何もない」という結果だけ。


 屋根も、灯も、人の気配も。

 そこにあったはずの秩序(ちつじょ)は、何一つ跡を残していない。

 砂の面は周囲に(なら)され、沈黙だけが水平に広がる。


 遠い海が一拍遅れて寄せ、また静かになった。


 ──しばらくして、潮の匂いが素直に届き始める。

 風は迂回をやめ、真っ直ぐに抜けていく。

 音は少ないまま、嘘だけが消えていた。


 この前後で、繋いだ手の温度は変わっていない。


 俺はその一部始終を、ただ黙って見ていた。


 当然、恐怖などなかった。


 一つの村が、瞬きのうちに消えゆく光景。その跡さえ残っていない事実。


 俺だけのための行為。ためらいのなかった手。


 俺はそれら全てを──やはり、美しいと思った。







 村のあった場所は、ただの平面になっていた。

 人がいた痕跡も、柱の影も、何ひとつも残っていない。

 砂と同じ色に均された地面が、月明かりを淡く返している。


 その中心に、二人で降り立つ。


「……ユウのいやなもの、ぜんぶなくなったよ」


「……ん。俺のためにありがとうな、ルナ」


 頭に手を置いて、撫でる。前髪の奥で目を細める気配と共に、撫でる手に頭を押し付ける感触が返ってくる。


「……ん……」


 しばらく撫でると、少女の喉から満足の呼気が短く落ちる。


「よし、次は家だな」


「……おうち……わたしがつくる?」


「いいのか?連続で力を使って、疲れたりしないか?」


「……だいじょうぶ。まかせて」


「ルナは本当に凄いな……それなら任せるよ」


 ルナがこくりと頷く。


「……ユウ、こっち」


 繋いだ手は離れない。顔が近づく。意味は分からなくても、意図は分かる。

 額を、そっと合わせる。


「わかった」


 ルナはそう言うと、先程まで村があった場所へと手をかざした。前髪の奥で、(まぶた)が下がる気配がする。

 空気が()ぐ。音になる前に、静けさだけが先に落ちた。


「『創造(そうぞう)せよ』」


 ──影が、先に立つ。壁の影、柱の影、屋根の影。影が先で、物が後。

 影の稜線(りょうせん)が先に交わり、梁の角度が空気へ印をつける。

 面は遅れて重なり、木目と釘の頭が”最初からそこにあった”側へと移る。

 匂いも音も追いつけないまま、形だけが先に世界へ置かれていく。


 ──分かってはいたことだが。


 ”壊す”だけでなく”創る”ことにおいても、ルナの力は圧倒的だった。


「……ユウのあたまのなかから、つくった。どう?」


「完璧だよ」


「……やった」


「よし、これで一緒に暮らせるな」


「……ユウと、ずっといっしょのおうち?」


「ああ、もちろん」


「……!」


 返事を受けて、視線が家の外壁をなぞる。手の握りがわずかに強まる。


「早速入ろうか」


「……うん」


 扉を押す。軋みはない。家の内側は静かで、無機質な空気を纏っている。


「本当にイメージ通りだな。ルナと暮らすのを想定して組んでたから、これなら完璧だ」


「……よかった」


 家の中を並んで歩く。影だけが床を移動し、輪郭は静止を保つ。


 家というものをよく理解していない少女の歩調は、不思議と楽しそうな軽さに映る。


「お、ここは寝室か。ベッドも完璧だな」


 遺跡を出てから、初めて指をほどく。

 ルナから、少しだけ不満げな空気が流れてくる。


 少し広めのベッドに腰を下ろし、先に横になる。


「……ユウ、なにしてるの?」


「寝る時はここに横になるんだよ。ほら、ルナもおいで」


「……いく」


 シーツがわずかに沈む。すぐに潜り込んできて、胸元にぎゅっと抱き着いてくる。


「……ユウ、あったかい」


「……ん、俺も」


「……ん……」


 幸せな静寂が続く。


「……今日はもう遅いし、さすがに疲れたな。このまま一緒に休もうか」


 「疲れた」の意味が分からなかったのか、不思議そうに首を傾げる。

 しかし、そのあとすぐに頷いて、腕の中に納まるように背を丸めてきた。


 抱きしめた腕にわずかに力を込め、目を瞑る。


 初めて、愛しい存在と抱き合って眠りに就く感覚。


 ──意識はすぐに、まどろみへと落ちていった。







 窓の外では、月が雲の縁を細く削っていた。

 外の光と内の影がゆるやかに混じり合い、ひとつの静けさに還っている。


 二つの呼吸は同じ刻の中に刻まれ、鎮魂歌(レクイエム)のように静かに、けれど確かに重なっていく。


 五百年のあいだ眠らなかった少女は、いま──静かな寝息を立てて眠っていた。

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― 新着の感想 ―
愛に気づくシーンも最高にメロいし、最後優朔さんの隣で安心して寝ちゃうルナちゃんが可愛すぎてキュン死ᐡ т · т ᐡ
愛という美しいものに気づいて自覚していく描写と、それに対する少女の無邪気さ。 その純粋な愛からくる、好きな人への見返りを求めない奉仕。 その行動自体には驚かずにはいられませんが、納得してしまうほど純粋…
情景が伝わってくるような美しい文章が素敵でした! ルナちゃんのイラストも、自分の描いていたイメージとぴったりで嬉しいです。 次回が楽しみで仕方ありません!
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