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第7話 哀の不時着

 重力が見えざる手を伸ばし、ベアトリクスの身体を絡め取る。

 彼女を待ち構える運命は非情だ。

 落下した先──緑青色の屋根の直下は、湖ではない。


 固く、冷たい石畳だ。


 アルヴィンが伸ばした手が、かろうじて彼女の細い腕を掴んだ。

 咄嗟に反応できたのは、上出来としか言いようがない。

 とはいえ状況は……控えめに言っても絶望的だ。


 アルヴィン自身、さながらサーカスのパフォーマーのような体勢である。

 右足を突起にひっかけ、逆さ吊りの状態でベアトリクスの腕を掴んでいる。


「くっ……!」


 二人分の体重がかかり、足先が悲鳴を上げた。

 双子が異変に気づいて人を呼んでくれればいいが……いや、それまで握力は持つまい。

 悲愴な思いがこみ上げる。

 だがベアトリクスの関心事は、そんな所にはなかったらしい。


「あなたもしかして──手紙を、読んでいないのっ!?」

「何の話だっ!?」


 生きるか死ぬかの局面である。

 それは今、確認すべきことなのか──?

 彼女の真意が、さっぱり理解できない。


「挑戦状が、どうしたんだっ!?」

「挑戦状!? どう読んだらそんな解釈になるのよ!? もう、なんでこんなに鈍感なのっ!??」

「頼むから分かるように説明してくれ!」


 アルヴィンが叫び返すと、ベアトリクスは一瞬沈黙する。 

 彼女の白い頬が、みるみるうちに赤く染まった。


「そ、そこまで言うのなら、直接教えてあげるわよっ。よく聞きなさいっ!! 私があなたのことが──」



 バキッ!!

 ひときわ大きな、そして不吉極まりない音が、語尾をかき消した。


 二人は……顔を見合わせる。

 柱の根元も、長い年月で腐食していたのだ。

 散々二人から負荷をかけられ、ついに役目を放棄したのである。


 結果、柱は傾き始める。

 もはや重力に抗う術はない。

 救いがあったとすれば……地面ではなく、湖の方へ倒れたことか。


 二人と黄金の大天使は、容赦なく空中へ放り出される。

 直後、三つの水柱が盛大に上がった。

 



 

「もう、何をやってるのよ! アルヴィン!!」


 アリシアが思いつく限りの悪態を口にしている。  

 三月の湖で寒中水泳とは……気の毒に思わないでもない。

 エルシアは、隣で頬を引きつらせるヴィクトルを見やった。


「ちなみにこれ、首席は誰になりますの?」

「該当者なしだっ!!」


 腹立たしげに吐き捨てると、ヴィクトルは踵を返した。

 足音荒く、立ち去っていく。


 目の敵にしているアルヴィンを、またしても退学に追い込めず、はらわたが煮えくりかえったような表情だ。

 いい気味である。


 それにしても──と、男の背中を見送りながらエルシアは思う。 

 ベアトリクスは、なぜあれほど首席に固執したのだろうか。

 プライドを傷つけられた仕返し……それだけではないような気がした。


 そして受け取ったままになっていた、挑戦状の存在を思い出す。

 エルシアはポケットから封書を取り出した。


 封を切ると、花柄の白い便せんが顔をのぞかせる。

 そこには几帳面な、女性らしい筆跡でこう書かれていた。



『愛しのアルヴィンさまへ

 

 入学間もない時期に助けていただいてから、ずっとあなたのことを想っていました──』



 ──???


 エリシアは思わず、文面を三度読み直した。

 頭の中が疑問符で、たちまち埋め尽くされる。

 訳のわからぬまま、続きに目を走らせる。




『──あなたの幸薄い顔を見る度に、胸がキュンとします。あなたが恐る恐る話しかけてくるのを、冷たくあしらった時の顔なんて最高! ゾクゾクします』



 なんだか風向きが変わってきたように思う。

 エルシアは眉をひそめる。



『でも双子先輩だけが独占して、本当にズルいと思います。私だってイヂメたい……!! でもまだ、あなたのご主人様になるのに、力が不足していることは分かっています。


 だから、もう一度考査で首席になれたら、私のモノになってください!

 きっと幸せにします!


あなたのベアトリクスより♥』



「えーっと……」


 軽い頭痛のようなものを感じて、エルシアは天を仰いだ。

 やはり、恋をしていたのだ。


 アルヴィンではなく──ベアトリクスが。


 鉄の女は、少々独特な愛情表現の持ち主だったらしい。

 彼女が口にした「アルヴィンを下さい」は、オルガナを退学……ではなく、文字通りの意味だったのか。 


「不器用な人間が不器用な人間に恋をすると、こうなるのですわね……」


 エルシアはひとり呟く。

 さて、この手紙をどうすべきか。

 速やかに彼女は、最適解を導き出した。


「エルシア、何をしてるのよ?」


 便箋を破り捨てるエルシアに、アリシアが怪訝な目を向ける。


「な、なんでもないのです! それよりも二人を早く助けてあげるのです!」

「失敗したのに助けてあげようなんて、ほんとエルシアは大人よねー」


 そうなのだ。手のかかる後輩だが、見捨てるわけにもいかない。

 自分が火に油を注いだことは棚に上げて、エルシアは嘆息する。


 オルガナに雪がちらちらと舞う。 

 春の訪れは、もう少し先になりそうだ。

 双子はやれやれと、ボートを探し始めた。




 

 この年の期末考査は、前代未聞の該当者なしとなった。

 睡眠不足に極度の疲労、その挙げ句に寒中水泳……アルヴィンは一週間寝込むこととなる。


 彼女の恋がその後どうなったか、あえてここに記す必要はあるまい。

 卒業までの残り三年間、熾烈な首席争いが続いたことだけは書き添えておく。





(迷宮の魔女編につづく)




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