第2話(幽霊マンション)-1
ープシュッ
あ…誰かが缶ビールの蓋を開けたみたいだ。
窓の外ではミンミンゼミが鳴いている。
昨日から高校生活最後の夏休みがスタートして,
その夜, 俺は…。
「…って何でいるんだよッ!!」
太郎はベッドから飛び起きると
自室でくつろいでいる長身の女性に怒鳴った。
「ゴフッ…, 急に起きんなよ, せっかくのビールがこぼれるじゃねぇか」
長身の女性は咽せながら太郎の方に振り返った。
この女性があの有名な"トイレの花子さん"だ。
昨夜, 太郎は肝試しで行った廃校で彼女と出会い, 紆余曲折あって彼女に身体を貸したのだ。
「それ, 親父のビールだろ! 勝手に飲むなよ! 俺が疑われるだろ」
太郎が花子さんからビールを取り上げようとするが,
花子さんはその手を軽やかにかわす。
「昨夜, おまえを家まで回送してやったんだから文句言うなよ」
ーあれ? 昨夜, 花子さんに家までの道のりなんて教えてなかったはず…。
太郎が言葉に詰まっていると, それを察した花子さんがニタァと笑う。
「おまえの身体に入ったとき, 頭ん中も見させてもらったわ」
不適な笑みを浮かべながら, 花子さんは自身のこめかみをトントン指差す。
「頭の中って…おまえ」
「生まれてからの記憶だな。小学生のとき寝しょんべん, 中学生のとき告白してフラれる…, それとエロ本のかくしー」
「あ! おまえ…!」
太郎が慌てて花子さんの左手から"オトナの雑誌" を取り上げる。
「ま,ベッドの下に隠してなかっただけ褒めてやるよ」
隠し場所については, 太郎青年の名誉に関わるためここでは割愛。
「…現実なのか」
「夢オチじゃなくて残念だったな」
深夜の廃校に置き去りにされたこと, 蜘蛛みたいなオバケと橋の上で闘ったこと,
そして何より目の前に"トイレの花子さん"がいること, 全部現実だ。
「で…, 何でまだいるんだよ。」
「最初の質問に戻ったか」
花子さんはそう言うと, 胸元から何か取り出した。
「ジャーン!」
花子さんは得意げに, 取り出したものを太郎に見せつける。
そのときの表情は急にあどけなかった。
「何だよ…それ」
それは, 夏休みに配られるラジオ体操のスタンプカードだった。
かなり年季が入っているようで, 所々黄ばんでいる。
「スタンプ!スタンプが4つも押されたの!」
花子さんはスタンプの欄を指しながら, 興奮している。
「言ってる意味がわかんねぇよ!ラジオ体操参加したら誰でも貰えるじゃん」
花子さんとの会話が噛み合わず太郎がイライラし始める。
「このスタンプはな…, 昨日の蜘蛛野郎を昇天させたから貰えたの!」
「は?」
「鈍い奴だな…。このカードは, 倒した"イレギュラー"のランクに応じてスタンプが押されるの!」
「"イレギュラー"って昨日のオバケのこと?」
「そうだ。スタンプの数は0からスタートしたから, 昨日の奴はランク4ってことだな」
「…そんで, そのスタンプを全部集めたら何かあんの?」
「生き返ることができる!」
太郎は頭の理解が追いついていなかった。
オバケを倒す→スタンプが貯まる→花子さんが生き返る…?
「うーんと…,おまえが生き返るのと, 俺の部屋にいることの関係は?」
「つまりだ, 私が生き返るまでの間, ここで世話になるってことだ」
「…!?トイレから解放してやったんだから, 俺の家である必要はないだろ!」
太郎は, 見ず知らずの女性が自分の部屋に滞在することに対して拒絶反応を示した。
「ごもっともだが, そうもいかんのだ」
花子さんは缶ビールを一口すすった。
「私は昨夜,トイレの地縛霊ではなくなった。
その代わりに, おまえに憑依することでこの世での存在を保っている」
「それは, つまり…」
「おまえからあまり離れられないってことだ」
(いやいや…,スタンプ全部集めるまで俺に取り憑いてるって…)
「ちょっとそのスタンプカード見せろ!」
太郎が花子さんからスタンプカードを取り上げる。
(えっと…, スタンプを押す欄は1 ,2, 3…)
「…全部で31個だ, もともと1ヶ月分だから」
花子さんがぼそっと言った。
「マジかよ…, 31個集めるまで俺に取り憑いてんのか…」
「何だその顔は!こんな美人としばらく一緒にいられるんだから感謝しろよ。
それに, 私はおまえのお友達の命の恩人でもあるんだぞ, わかってんのか。」
「う…」
(美人かどうかはともかく, 昨夜の一件でこいつが先輩達の命の恩人であることに間違いない…。)
「…要するに強いオバケをぶっ倒して, 早いとこポイント貯めて, おまえを生き返らせることができれば, 俺はおまえから解放されるってことだな」
「そういうことだ」
「あとさ…, スタンプ押してもらったって言ってたけど, 誰にー」
そのとき太郎のスマホのバイブ音が鳴った。
「やば…」
見ると不在着信が30件以上入っていた。
それはほとんどがりょうちゃん, 次いでナツミ先輩,残り数件がケンジ先輩からのものだった。
今は,りょうちゃんからの着信中だ。
「…もしもし」
『太郎くん!無事なの!?今ドコ?昨夜はホントごめん!中々電話にでないし,警察行くところだったよ…』
りょうちゃん曰く,太郎が廃校に置き去りにされてから現在まで
行方不明という扱いになっていたらしい。
『あの廃校でケンジ先輩が急におかしくなっちゃって…, 太郎くんを置いて車を出しちゃったの』
昨夜, 太郎も2階の女子トイレの窓からその光景を目撃していた。
『…で, 廃校行く前に行った橋の手前でケンジ先輩が正気に戻ったんだけど…』
りょうちゃん達は,正気に戻った先輩が車の急ブレーキを踏んだところで気を失ったらしい。
肝試しメンバー3人は車内で気を失ったまま朝を迎え,
目覚めた後, 慌てて廃校に戻って太郎を捜した。
ーが, 太郎の姿は見当たらず, 電話の着信にも応答しないということで途方にくれていたらしい。
『とにかく, 無事でよかった。あと…』
「なんだよ…」
『あのとき…あの赤い橋に太郎くん, 来てないよね…?』
太郎は言葉に詰まった。
花子さんが自分に憑依して, 超人的な脚力で先輩の車に追いついたとは言えなかった。
困った目をしながら花子さんの方を見ると,
花子さんは首を横に振りながら手で"バッテン"のジェスチャーをしている。
「…いや, いるわけないじゃん。車に追いつけるわけないし, そのまま1人で歩いて家に帰ったよ。」
『そうよね…。じゃ, 私の見間違いかもね。後でみんなと直接謝りに行くね。』
「いいよべつに…。置き去りにされたこと, 怒ってないから」
『そう…。ケンジ先輩は, 廃校の入口で太郎くんを見送ってからの記憶が全くなくて, 橋の手前で気がついたって。ほんとに申し訳ないって, ベソかいてるよ』
受話口の向こうからケンジ先輩の『うるせぇっ』という声が聞こえてきた。
「俺もみんなからの電話に気がつかなくてごめん…。そろそろ切るわ, またね。」
『うん』
そういって太郎はりょうちゃんからの電話を切った。
スマホをベッドへ投げ出し, 顔を上げる。
「あれ?あの野郎, どこに行きやがった…!」
ついさっきまで横にいたはずの花子さんがいない。
すると, 1階の方からTVの音が聞こえてきた。
「あの野郎…」
太郎は慌てて1階へと向かった。
(続く)