第7話 (迷い猫)-2
「花子さんがいなくなったって?」
いつもの喫茶店で橘がアイスコーヒーを飲みながら言った。
「この前,廃墟で別れてからそれっきりなんです」
「…で,私に何をして欲しいのかな?」
太郎は少し言葉に詰まった。
目の前のアイスコーヒーの氷がカランと鳴った。
「君が連絡してくるということは他に手段がないときだろ?」
橘は太郎の顔を覗き込んだ。
「…はい。四谷花子が入院している病院を教えてください。」
橘は少し驚いた様子だった。
「病院について詳細は職務上明かせないんだが…」
「そこを何とかお願いします!」
「"本体"と面会したところで,どうすることもできないだろ」
「今はうまく説明できないですが,手がかりを掴めるかもしれないんです」
橘は呆れた様子でアイスコーヒーを飲み干した。
「残念ながら病院の場所を明かすことはできない」
「そんな…」
「ただ─」
橘が一息ついた。
「私が取材しに行くところを『偶然目撃してしまう』ことはあるかもしれない」
橘がニヤリと笑った。
「ほんとですか!?ありがとうございます!」
その後,太郎は最寄り駅から2駅離れた駅のロータリーにいた。
その場所で"偶然",橘を目撃することになる。
橘はロータリーを突っ切ると駅前の通りを進んだ。
しばらくすると,上り坂になり,駅前の賑やかさがなくなった。
「暑いな…」
太郎が前方を歩く橘の汗ばんだシャツを見つめながら呟いた。
太陽が照りつけるアスファルトの道を15分程進んだだろうか。
進行方向右手に病院らしき大きな建物が見えてきた。
橘は病院の受付へと進んでいく。
太郎が躊躇していると,橘が指で"こっちへ来い"とジェスチャーした。
急いで受付に向かう。
「ここにお名前をどうぞ」
受付の看護師が書類を差し出した。
咄嗟に太郎は橘を見た。
橘が頷く。
太郎はすぐに名前を記帳する。
「担当の者が参りますので,しばらく待合室でお待ちください」
太郎と橘は番号札を渡されて長椅子に腰掛けた。
「橘さん,そんなにあっさり面会できるんですか?」
「一応,四谷花子の親戚という設定にしている」
この男,よく淡々と嘘をつけるものだ。
10分程待っただろうか。
中年の看護師が太郎達の番号を呼んだ。
「面会は30分となります。時間厳守でお願いします。」
どうやらこの看護師に着いていけばいいらしい。
病院の奥へと進んでいくにつれ消毒薬の匂いが強くなっていく。
太郎はどうも病院の雰囲気が苦手だ。
エレベーターを2回乗り継いで病室があるフロアへとやってきた。
途端に帰りたい衝動に駆られた。
なんせ,四谷花子とは"初対面"なのだ。
本当に会って良いものか不安になった。
「積極的に話しかけてあげてください。ただ,あまり大きな声は出さないようお願いします。」
病室の扉を開ける前に看護師から説明された。
いよいよ四谷花子と対面するのだ。
太郎は手の汗をズボンで拭った。
病室は個室で,一番奥にベッドがあった。
「四谷さん,お見舞いの方がいらっしゃいましたよ」
看護師がベッドに横たわる女性の耳元でそっと囁いた。
「それではどうぞ。お帰りの際はエレベーター横の受付にお声がけください。」
そう言うと看護師は席を外した。
病室には橘と太郎が残された。
「太郎君,さぁ早く」
ベッドまでの一歩が踏み出せない太郎を見かねて橘が急かした。
太郎は恐る恐るベッドの女性を覗き込む。
そこには紛れもない"花子さん"の姿があった。
しかし,血色のない口元には生命維持のための酸素マスクが装着され,
腕には点滴のチューブが繋がれており,普段の花子さんより大分痩せ細って見えた。
「初め…まして」
太郎は掠れた声で呟いた。
当然だが反応はない。
「何か手掛かりは掴めそうか?」
橘が花子さんを見つめながら言った。
「少し時間をください。どうだ,九堂?」
太郎は橘の後ろに向けて声をかけた。
「誰かいるのか…?」
橘が咄嗟に背後を振り向いた。
しかしそこには病室の鏡に映る太郎と橘の姿しかなかった。
「実はもう一人花子さんの"知り合い"が来ているんです」
そう,今回は死神である九堂も太郎達に同行していたのだ。
死神は普通の人には見えないし,声も聞こえない。
「…それは誰なんだ?」
「あまり詳細は言えませんが,花子さん側のお友達と言えばいいでしょうか」
「言っとくが"お友達"ではなく管理者だ」
九堂がサラッと言った。
「友達みたいなもんだろ。それより"糸"は視えるか?」
「ああ,はっきり視えるぞ!少なくとも切れてはいない!」
「良かった…。ほんとに。」
太郎がその場にへたり込んだ。
「一体君は何の話をしているんだ!俺にも分かるように説明してくれないか?」
橘は目の前の状況が飲み込めず,イライラしているようだ。
「すみません,実は今日ここに来たのは花子さんの"糸"を見に来たんです」
「糸が何だって?」
「肉体と魂を繋ぐ糸で,死神しか視ることができないんです」
「し,死神だって!?ここにいるのか!?」
橘が一歩退いた。
「ええ…まぁ。」
九堂が太郎の方を睨んだ。
その時,病室の扉が開いた。
「面会の途中だったかな?主治医の松本です」
松本は40代くらいの背の高い男で白衣が似合っていた。
「あ,どうもお世話になっております」
橘が慌てて場を取り繕った。
「四谷さんに面会が来るのは久しぶりです。沢山話しかけてあげてくださいね。」
そう言うと松本は九堂を避けながら窓のカーテンを閉め始めた。
部屋が一気に薄暗くなる。
「あの…先生?」
太郎が松本に声をかけた。
松本は太郎を無視して椅子を入口の目の前に置くと,
まるで通せんぼするかのようにどっかりと座り込んだ。
「これから往診でしたら,もう失礼しましょうか」
橘が松本の横を通ろうとすると腕を掴んでそれを制した。
「いや,君たち3人と話をしに来たんだよ。」
松本の剣幕に押されて橘はベッドの方へと後退りした。
「"3人"って…。あんた何者だ?」
(続く)




