第7話 (迷い猫)-1
朝,外からツクツクボウシの鳴き声が聞こえるようになった。
夏休みも終盤だ。
「はぁ〜, 今日も予備校かぁ」
太郎が誰もいないリビングで,
冷蔵庫を開けながら独り呟いた。
太郎の両親は共働きで朝が早い。
太郎が起きる時間には既に二人とも出社している。
「あいつ,勝手に生き返ったんかな」
街外れの廃墟で別れてから花子さんは3日も帰ってきていない。
血塗られた貴婦人を昇天させたことでスタンプが貯まったのだろうか。
「なら,別にいいけど…」
厄介な存在が消えたというのに太郎の心は釈然としない。
朝食を済ませると,予備校に向かうべく玄関の扉を開けた。
「わッ!?」
扉の先に九堂が立っていた。
「いきなり出てくんなよ、ビビるだろ」
「私は15分前からここにいました」
「いや,前みたいに勝手に家にあがればいいじゃん。死神なんだし…。」
「そうすることも考えましたが,その方がビビらせるかと思いまして。」
そういえば,九堂と1対1で接するのはこれが初めてかもしれない。
いつもは花子さんもいて,花子さんが九堂との会話を繋いでくれていたことに今気がついた。
何となく気まずい。
「怪我は大丈夫なのか?」
「あれくらいなら1日で治癒します」
「それは良かった…」
『ところで』
2人が同時に何か言いかけた。
「太郎さんからどうぞ」
「お…おう。花子さんのコトなんだけど─」
「私もそのことでお伺いしました」
「3日前から家に戻らないんだ。何か知ってるか?」
九堂は黙ってスーツの内ポケットから何か取り出した。
「花子さんのおばけスタンプカードじゃないか」
それは確かに花子さんが大事にしていたスタンプカードだが,以前と様子が大分違った。
首に掛ける紐が切れており,端々が焦げてボロボロだ。
「これをどこで…」
「大川美船邸の跡地で」
九堂は3日前に焼失した廃墟跡で見つけたそうだ。
「ちょっと待てよ。それに─」
太郎はスタンプカードを確認する。
「まだ2つ残ってる」
スタンプカードは押印する部分が2ヶ所空欄になっていた。
つまり─
「四谷花子は生き返ったわけではありません」
九堂が続けた。
「貴婦人を昇天させた分を足したら全部揃うんじゃないのか?」
「大川美船の分は既に私が押しました」
「…じゃ,あいつはどこに行ったんだ?」
「それを知るために今日お伺いしたのです」
しばらく沈黙が続いた。
「死刻表のあいつの名前は?あいつ,厳密には死んじゃいないからいるはずだろ」
「その件ですが,3日前に死刻表から名前が消えました。」
「そんな…」
死刻表から名前が消えることが意味するのは,
魂が死神の管理から外れることを意味する。
「今の状況を鑑みると,四谷花子は"消滅"した可能性が─」
「ふざけんなよ!そんなことをわざわざ言うために来たのかよ!」
咄嗟に太郎は九堂の襟首を掴んだ。
「私は,彼女が太郎さんの元に帰っていることを期待してここに来ました」
九堂は太郎をじっと見つめたまま静かに言った。
その瞳は青く,吸い込まれそうな闇を感じた。
太郎は襟首を掴んだ手を緩めた。
「…悪かったな。お前だってあいつのこと心配して来てくれたんだよな。」
「こちらこそ気に触ることを言って申し訳ありませんでした」
蝉の声がより一層うるさく感じた。
「何かわかったら教えてくれよ」
太郎が再び玄関の扉を開けて家の中に戻ろうとした。
「予備校には行かないのですか?」
「今はそんな気分じゃないんで…」
背後に九堂の視線を感じながら太郎が呟いた。
「太郎さん!」
九堂が閉まりかけた扉を開けて手を差し出した。
「これはあなたが持っていてください」
それは花子さんのスタンプカードだった。
「あ…,うん」
太郎は生返事をしてそれを受け取った。
「何かわかったら私の名前を呼んでください!すぐに駆けつけますから!」
扉が閉まる刹那,九堂がそう叫んだ。
太郎が気がついた時には夕方近かった。
九堂と別れて自室のベットに横たわってから何も手がつかない状態だった。
"あの時,花子さんだけを置いて逃げなければ─"
"まさか,その後で彼女が消滅するなんて夢にも思わなかった"
"いや待て,まだ消滅したと決まったわけじゃない"
ずっとそんな考えが頭の中を堂々巡りしていた。
「ちくしょう」
太郎は壁に思い切り頭突きした。
何もできなかった自分がとてつもなく情けなかった。
『いいか, "痛み”は生きている奴の特権だ。死んだら痛みを感じなくなる。』
出会った当初,花子さんがそんなこと言ってたっけ…。
「…そうだ!」
太郎は咄嗟にスマホを手に取った。
(続く)




