第2話(幽霊マンション)-終
「おそい!!」
トイレの扉を蹴りとばして花子さんが登場した。
扉の目の前にいた太郎は反動で後ろに吹っ飛ばされた。
「痛ってぇ」
「非常事態になったら,すぐに呼べって言っただろ!」
花子さんは強力な結界のため,マンションに入れない。
だが,唯一結界の中に入る方法があった
ーそれはマンション内部のトイレを門にすることだ。
もともと花子さんはトイレの地縛霊なので,トイレさえあればどこでも出現することができる。
ただし,第三者に呼び出されないといけないという条件付きではあるが。
「この少年に憑いてた奴はおまえか」
高畑がニタァと笑う。
「おまえが"一条"か。随分辛気くさいおっさんだな。」
「この人は高畑さんだろ。一条ってー」
「憑依は私の専売特許ではないってことだ。」
ここで太郎はようやく花子さんの言葉の意味がわかった。
「一条の幽霊が高畑さんに憑依してるってこと?」
「気づいていなかったのかよ。無理心中を図った一条幸之助がマンションの大家に取り憑いてんだよ。」
「マジかよ…」
「おそらく,おまえが呑気にインタビューしていた時には既に憑依されていた状態だ」
「賢いお嬢さんだ。直接会ってもいないのによくわかったね。」
"一条"が大きく頷いた。
「高畑は,幸之助が包丁で家族を刺殺した後,家に火を放ったと言った。」
「そうだ。それでどうしてわかるんだよ」
「当時の記事を片っ端から調べたが,どこにも"包丁"の記載はなかった。一条本人しか知り得ない情報だ。」
「…でも高畑さんは不動産屋からそう聞いたって」
「不動産屋がマンションが建つ30年も前の事件にそこまで詳しいわけないだろ。」
「だいたい,『片っ端から調べた』っていつ調べたんだよ」
「おまえをマンションに潜入させていた間,私がただ油を売ってたと思うか?」
「あの時…か」
「お前が白い服の女を追っていたときだ。近くにある図書館で調べていたんだよ」
どうりで太郎が呼んでもすぐに出てこなかったわけだ。
「まぁ,おまえの謝罪は後で聞くとしてまずはこのおっさんだ」
花子さんが指の関節を鳴らした。
「威勢のいいお嬢さんだね。残念だがここで消えてもらう。」
そう言うと花子さんに向かって拳を握る動作をした。
「ぐっ…」
花子さんが宙に浮いた。
見えない力で首を絞められているようで,苦悶の表情を浮かべる。
「て…めぇ…」
「一度死んでるから苦しまないはずだが,それは演技かな?」
「…ざけんじゃねぇ!」
花子さんはまるで首を絞める両手を振り払うような素振りをした。
次の瞬間,床に落下し大きく咳き込んだ。
「ほう…私の念動力を振り払うとは」
「太郎!後ろ向け!合掌!一礼!」
「はい!」
太郎は花子さんに言われた通りにする。
すると首に強い衝撃が走って一瞬意識が飛んだ
ー太郎の身体に花子さんが憑依したのだ。
「エクスカリバーは持って来てるんだろうな」
"花子さん"が言った。
((さっき俺が吹っ飛ばされたとき落としたからリビングにあるはず…))
「あのおっさんを突破しないと無理そうだな」
トイレのある廊下からリビングに行くには"一条"をやり過ごさなければいけない。
「少年に憑依したのか。だがまだ身体を使いこなせていないようだな。」
"一条"が右手をパーに開いて上下に揺らした。
すると"一条"の手の動きに合わせて"花子さん"が床と天井に交互に叩き付けられた。
「ぐ…」
いくら花子さんが憑依しているといってもこれでは身動きがとれない。
「部屋の中だと高さが足りないね」
"一条"がやや不満げな表情を浮かべる。
そのとき,その手が止まった。
「この…!!」
本郷正音が"一条"を後ろから羽交い締めにしたのだ。
「今よ,早く!!」
「やるじゃん,まさ姉!!」
その隙に"花子さん"がリビングへと急ぐ。
「ア”ア”ーッ」
"花子さん"がリビングに転がっていたエクスカリバーを回収した瞬間,
本郷正音の悲鳴がリビングにこだました。
腕を押さえてのたうちまわっている。
床には血の跡がついている。
「手間をかけさせやがって」
"一条"の右手には所々が錆びた出刃包丁が握られていた。
「チェストォオオッ!!」
"花子さん"はその隙を逃さなかった。
のたうちまわる本郷正音には目もくれず"一条"に向けてエクスカリバーを思い切り振り下ろした。
『ゴギ…』
鈍い音がした。
"一条"の左腕にエクスカリバーが当たったのだ。
「う”…ぐ」
左腕を押さえながら"一条"がうずくまる。
「どうだ?久しぶりの痛みは。憑依していると痛みを感じるだろ。」
「この…」
左腕を押さえながら一条が玄関の方に走り出した。
「待てコラ!!逃げるのか!」
"花子さん"が追う。
マンションの廊下に出ると鼻をつく独特の臭いがした。
((これってガソリン…!?))
「奴め,あらかじめ撒いておいたのか」
((ヤバいぞ,マンションに火をつけるつもりだ」
「昔の再現ってことか」
((早く奴を止めないと…!))
だが,廊下には"一条"の姿は既になく,どこに行ったのかわからない。
「あいつ…どこ行きやがった」
辺りを見回すと,マンションの廊下の奥に人影があった。
目を凝らすと少女と細身の女性が並んで立っている。
((おい…あれって))
一目でこの世の者ではないとわかった。
「…一条に殺された奥さんとその娘だろう」
"花子さん"が答える。
すると,少女が上を指さした。
「…奴は上に向かったのか」
エレベーターの方を見ると, ランプが最上階に灯っている。
「よし!走るぞ!!」
4階から最上階まで一気に駆け上がる。
所々に油のようなものが撒かれており,それは屋上へと続いていた。
屋上への階段は,普段,関係者以外が入れないよう鍵付きの扉で閉ざされている。
そのドアノブに手をかけると,案の定,鍵が開いていた。
ここからは一歩ずつ,慎重に階段を上がる。
屋上に到着すると思ったよりも風が強い。
マンションの屋上など見る機会がないせいか,とても広く感じた。
その真ん中辺りにこちらに背を向けて"一条"が立っていた。
「おいおっさん,コンクリート製の建物は燃えにくいから諦めろよ」
「来ると思っていたよ。それは十分把握している。」
「…その割に随分と余裕だな。」
「今,消火用補給水槽に細工したところだ。あと空室のガス栓も全開にしておいた。」
一条の細工によって消火栓などの防火設備の水は出ない状況だ。
そしてガス栓からガスが現在進行形で漏れている。
各階に撒かれた化石燃料。
それの意味することはー
「…建物ごと吹き飛ばすつもりか」
「ご名答!これでここの住人と私は本当の家族になれる…君たちもね」
"一条"の右手にはライターが握られている。
「一つわからないことがある」
「…何だね」
「家族思いのお前ならわざわざ皆殺しにする必要はないだろう。高畑の身体に憑依したままマンションのオーナーとして生きる選択肢もあったはずだ…。」
ここで大きく"一条"が溜息をついた。
「はじめはそのつもりだった。だが幽霊騒動のせいで予定が大きく変わった。」
「山口さん一家か…」
「そうだ!あの家の娘が騒ぎを大きくしたうえに周りを巻き込んで引っ越そうとした!」
山口さん一家の引っ越しを皮切りにマンション住人から退去希望者が続出した。
結果的にその引っ越しは果たせないままではあるがー。
「だから,人がマンションから離れる前に皆殺しにするのか」
「そうだ!素晴らしい案だと思わんかね。ここで死ねばこの土地に縛られて他所へは行けなくなる…私の妻と娘のように。」
「狂ってる。そこまでして家族を欲するのか。」
「家族を欲して何が悪い?皆そうじゃないか。あぁ,それとー」
"一条"が左手をすくいあげる動作をした。
すると屋上の床から4人の半透明の男女が現れた。
「山口さん一家はこうして今も私と共にある」
「事故の時に魂だけ抜いたのか…!」
山口さん一家は現在も昏睡状態が続いている。
"一条"に魂を縛られて肉体に戻れないのだ。
「私の結界もようやく完成した。君のような下等な幽霊だけじゃなく,生きている人間にも効く結界だ。ほら見たまえ。」
屋上から見下ろすと,マンションの敷地入口に人だかりができていた。
いずれもマスコミ関係者,野次馬およびこのマンションの住人だ。
「生きている人間を結界で閉じ込めたうえに,建物ごと吹っ飛ばすってか」
「さて,そろそろ終いにしようか」
"一条"がライターに指をかけたときー
「つっかまえた♪」
花子さんが後ろから"一条"を羽交い締めにした。
その衝撃で"一条"はライターに火をつけることなく手から落とした。
「なっ!?何で貴様がッ…!」
遡ること15分前ー
「…奴は上に向かったのか」
"花子さん"が階段を上がろうとしたとき
「待ってください!!」
後ろから琴音が叫んだ。
「待つって何でだ!?早くしないと…」
「…これは罠です。結界を張るような奴が何の準備も無しに部屋に飛び込んでくるはずがありません。」
確かに,"一条"の用心深さからするとあまりにもずさんすぎる行動だ。
「それに,あいつに追いついたとして,あの念動力にどう対抗するつもりですか?」
「ぐ…」
"花子さん"は,一条の念動力に手も足も出せなかった。
本郷正音の助けがあったおかげで,難を逃れたのだ。
「…じゃ,どうするんだ」
「私に考えがあります。」
花子さんが"一条"を羽交い締めにすると
すかさず琴音がその手を延長コードできつく縛り上げた。
「残念だったなおっさん,これでお得意の念動力は使えないぞ」
「い…いつから分離していたんだ」
「太郎がこの屋上に上がってきたときには,憑依していなかったさ」
花子さんがニタァと笑う。
「おまえが念動力を発揮するとき,必ず手を動かしていた。しかも,まさ姉に羽交い締めにされたときには念動力を使わずに包丁で切りつけていた。」
「念動力を使って振り払えばいいものをおまえはできなかった!」
花子さんに続いて琴音が叫ぶ。
「うるさいッ!下等な浮遊霊の分際で!!特殊能力もないくせに!!」
「あなたは肉体を過信していた。生身の人間に憑依することで爆発的な力を得ることはできても,幽霊にできる瞬間移動はできなくなる。」
そう,肉体を持たない霊体であれば瞬間移動できるが,肉体に憑依すれば物理的に生身の人間と変わらなくなる。
念動力を封じられた今,"一条"はただのおっさんだ。
「残念だったな,ゴッ●ファーザーにはなれなくて」
「この少年の"演技"にまんまと騙されたってわけか…」
"一条"が太郎を睨んだ。
「さて…トドメといこうか」
「どうするつもりだ?高畑は生身の人間だぞ。高畑ごと私を葬るつもりか?」
"一条"が不適な笑みを浮かべる。
「おまえだけを消す方法がある」
そういうと花子さんが"一条"のズボンのポケットから何かを取り出した。
「や…やめろッ!!」
それは布に包まれた錆びた出刃包丁だった。
先ほど本郷正音を切りつけるときに使用されたものだ。
「おまえが何で結界を張ったり,人を殺めるほどの強力な念動力を使えるのかが不思議だった」
花子さんが続ける。
「それが単純に肉体に憑依したせいではなく,"依り代"のおかげだって気がつくのが遅くなっちまった」
花子さんは当初,一条のことを地縛霊だと考えていたが,物に取り憑く憑依霊ではないかと琴音から聞かされた。
「ーそれも,自分の"肉体の一部"を依り代とした」
この出刃包丁はおそらく,一条が家族を殺めたときに使用したものだろう。
そして,一条も出刃包丁で自身を切りつけている。
つまり,この出刃包丁には一条の血が付着しているはずだ。
「血液は立派な体の"組織"のひとつだ」
幽霊は自身の肉体の一部が存在していると,爆発的な力が出せるという。
「やめてくれ,それだけは…」
「太郎…やれ」
太郎は出刃包丁に向けてエクスカリバーを思い切り振り下ろした。
『バキンッ!!』
鋭い金属音がして出刃包丁が粉々に砕け散った。
「ア”ア”アァァァーーーー」
"一条"が断末魔の悲鳴を上げた。
高畑の身体から青いもやのようなものが抜けていき,消えていった…。
意識が戻った高畑は重要参考人として警察に連行されていった。
パニックになったマスコミ関係者が警察に通報したのだ。
そして騒ぎの発端となった本郷正音も別のパトカーで連れていかれることになった。
琴音はこっそり母に同伴していくと言って消えた。
「なぁ…」
「なんだ?」
太郎は本郷正音を乗せたパトカーを見送りながら花子さんに話しかけた。
「今回の事件は,黒野さえいなければ誰も傷つかなかったんじゃねぇかな」
「そうだな…。一条もマンションのオーナーとして上手くやれたかもしんねぇ。」
「それとさ…」
「なんだよ,まだあんのかよ」
「あの琴音って幽霊だけど,一条は浮遊霊だって言ってただろ」
「そういや,そうだな」
「てことは,いつか消えちゃうの…?」
幽霊にも寿命がある。
「いや,まさ姉がこの世に存在する限り消えないだろ」
「本郷正音に取り憑いてるから?」
「いや,私が見る限りまさ姉に取り憑いている様子はなかった」
「じゃ,何で?」
「親子の縁は死んでも切れないってことだな」
「はぁ?何だよそれ…」
「いいからさっさと家に帰るぞ。」
「そうですね,今回は私も疲れました。早いとこ家に帰りましょう。」
突然,2人の後ろから会話に割って入る声があった。
「…誰だおまえ」
太郎が振り向くと, 白髪で黒い服を来た少年が立っていた。




