第2話(幽霊マンション)-9
「む,娘って…」
今,本郷正音が目の前の幽霊のことを
自分の娘だと言った。
太郎は状況を理解できなかった。
「本郷正音は,私の母です…。私は娘の琴音といいます」
白い服の女が太郎に改めて説明した。
「でも…,あなたは」
「そうです,もう死んでいます」
霊能力者とその娘の幽霊ってどういうことだ?
ふと太郎は先日の橘との会話を思い出した。
「…もしかしてあんたらグル?」
橘はこの騒動が人為的に起こされたものでないかと言っていた。
「…そうです」
琴音が答えた。
「じゃ,山口さん一家の事故や黒野を殺したのもおまえらが」
「違います!私はこのマンションの住人を怖がらせただけで人に危害は加えてないです!」
「じゃ,橘さんの上に植木鉢を落としたのは?」
「それは…私です。でも,当てるつもりはありませんでした。あの時わざとあなたに私の姿を見せていました。」
「それは,どういう意味だ…」
「あなたと橘という記者を引き合わせるためです」
「どうしてそんなことを」
「あなたとあなたに憑いている"モノ"に私を助けてもらうためです」
琴音が今までのことを語りはじめた。
まず,地上げ屋の黒野が霊能力者である本郷正音に依頼をした
ーこのマンションで幽霊騒動を起こし住人を追い出すようにと。
これまでにも,本郷正音は黒野から依頼されると
何のいわくもない土地に幽霊の琴音を派遣し,
怪奇現象を引き起こしていたそうだ。
そうすると,住人はすぐに立ち退き,
多額の利益が黒野に舞い込んできた。
本郷正音は報酬としてその一部を受け取っていたという。
今回のマンションも計画通りに事が運ぶはずだった。
「頃合いを見てマンションから脱出するつもりが,出られなくなったんです」
琴音がマンションに潜伏してすぐに何者かによって強力な結界が張られ、外に出られなくなってしまった。
花子さんが最初に弾かれた結界だ。
「母が時々様子を見に来ていたのですが,結界のせいで母と交信できなくなってしまって…」
「…私も黒野の言うままに琴音を行かせてしまった」
本郷正音が重い口を開いた。
娘の交信が途絶えてから間もなくして山口一家の事故が起こった。
それがきっかけでマスコミが幽霊マンションだと一斉に騒ぎ始め,
本郷正音は迂闊にマンションに近付けなくなってしまった。
そんなとき,皮肉にも朝の情報番組から幽霊マンションについてオファーを受け,ロケに参加することになったのだ。
「先日黒野が亡くなった事を知って,居ても立ってもいられなくなって」
マンションにいる娘が危ないと悟った本郷正音は急遽,公開除霊を強行したという訳だ。
「その結界を張った奴は,昔ここに住んでたっていう資産家のー」
「わからない…。ここまでの霊障を起こせる奴なんてそういないわ。」
そのとき,玄関の扉が開く音がした。
廊下を誰かが歩いてくる音がする。
「本郷先生,除霊は成功したのですか…?」
このマンションの大家である高畑だった。
「高畑さん,このマンションにいる悪霊はー」
次の瞬間,本郷正音が勢いよく吹っ飛ばされた。
高畑が軽く手を払っただけで。
「ようやく,ネズミを見つけたようだ」
高畑は次に空を掴むような動作をした。
すると,琴音が喉元を押さえながら宙に浮いた。
まるで首を絞められているかのようだ。
「既に死んでいるのに,苦しむ素振りとは滑稽だね」
「あ…なた…が」
「マンションのオーナーとして住人を守るのは当然のことだろう」
「や…やめて」
琴音は涙を浮かべながら懇願する。
「幽霊は二度も死ねない。だから消滅させてやる。」
高畑が突き上げた拳を一層強く握ろうとした。
「やめて!私から娘を奪わないで!」
床を這いながら本郷正音が絶叫する。
「私から住人を奪おうとしていたくせに面白いことを言う」
高畑は拳を握っている右手ではなく左手で空を振り払った。
本郷正音が再び吹っ飛ばされ,押し入れの扉に叩き付けられた。
「高畑さん,さっきの騒ぎはあなたが…」
「君は,あの記者の付き添い人だね。面白い"モノ"が憑いているようだが,この女のお仲間かな?」
そう言うと高畑が太郎の方を向いて左手で振り払う素振りをした。
太郎の身体が見えない力で吹っ飛ばされ,本郷正音に折り重なるように落下した。
「…ッ!」
あまりの衝撃に声が出なかった。
太郎の下敷きになった本郷正音は先程から動かない。
「さて,まずはネズミから処分しよう。わざと泳がせていたが,お仲間が釣れたからおまえは用なしだ」
高畑は空に突き上げた拳に力を込める。
「た…す…け」
琴音が脱力する。
「ぐぁ"」
今度は高畑が横に吹っ飛ばされた。
太郎が高畑の腰に思い切りタックルしたのだ。
宙に浮いていた琴音が床に落下し,思い切り咳き込む。
「きさま…何を」
高畑がすかさず琴音にしていた時と同じように太郎に向かって拳を握る動作をした。
太郎の身体が宙に浮き,見えない力で首を絞められていく。
「て…めぇ…」
太郎の意識がどんどん遠のいていく。
「生きている人間ほど弱いものはない。あの男のようにくたばれ!」
高畑の高笑いが響く。
((ここはどこだ?))
太郎が目を開くと草原のような所にいた。
川のせせらぎが聞こえる。
どうやら自分は小川のほとりにいるようだ。
対岸には五重塔のような建物が見える。
((マンションにいたはずじゃ…))
空気は澄み切っており,自分の目の前には小川が流れている。
太郎は無性に対岸に行きたい衝動に駆られた。
小川に一歩足を踏み出すと,思いのほか冷たかった。
「なに先に川を渡ろうとしてるんだ」
誰かに腕を掴まれた。
とっさに振り向くとそこには花子さんがいた。
いつもの不適な笑みを浮かべていた。
ーぼんやりとした視界の片隅で誰かが叫んでいる。
「もう誰も死なせはしないんだから!」
徐々に意識がはっきりしてくるとそれが本郷正音であるとわかった。
「離せ, この…!」
どうやら本郷正音が高畑に掴み掛かっている様子だ。
太郎は床に突っ伏して意識を失っていたようだ。
「逃げるのよ!少年!」
太郎はとっさに玄関の方に走り出した
ーが,出口に続く廊下の途中で足をとめた。
「何してんのよ!!早く逃げなさい!!」
「この人は私たちを皆殺しにするつもりよ!!」
本郷正音と琴音が叫んだ。
「賢い少年だ。どのみち助からないと悟ったか。」
高畑が本郷正音を投げ飛ばすと,ゆっくりと太郎のいる廊下へと歩いてきた。
その時,太郎は廊下の真横にある扉の方を向いた。
それはトイレの扉だ。
「この期に及んでトイレに行きたくなったのか?」
高畑がニタァと笑う。
次の瞬間,太郎が渾身の力でトイレを3回ノックした。
「…何の真似だ?」
高畑の顔から笑みが消えた。
太郎は思い切り息を吸ってから叫んだ。
「はーなこさん!!あっそびーましょーッ!!!」
(続く)




