9 フランツの追及
「イザベル、なにがあった?」
フランツに問いかけられたイザベルは、返答に悩みながら椅子をおろした。
(中途半端に答えるとエーリッヒが100%過失で制裁を受ける感じに……かといって経緯説明をするには前世やチートアイテムなんて話になってしまうし、椅子を持って殴りかかるような姿を見られているのに、なにもなかったと言うのはおかしいし)
「いえ……少々、私の価値観と違って驚いたのですが、他愛ないことです。差し支えありませんわ」
悩んだ結果、そんな返答をした。
質問の答えにはなっていない気もするが、イザベルの返答を聞いたフランツは若干険がとれて「そうか、それはよかった」と答えたので、イザベルはほっとした。
フランツがエーリッヒに向かい歩く。
「だ、そうだ。さすがだな、人たらしと名高いエーリッヒ・アスタフェイ。イザベルに無理に触れた上で庇われるとは……君が、彼女のリボンタイを外したと考えて間違いないか?」
否、先ほどの答え方は悪手だったようだ。
イザベルが答えないので、フランツは状況で判断をくだした。
イザベルの立ち位置からはフランツの表情が見えないけれど、フランツと向き合っているエーリッヒの顔色が、どんどん悪くなっていく様子はよく見える。
「ええと……その件については違うんですが……どの辺りから見てたんでしょう」
「彼女に触れた君が突飛ばされた辺りからだ。『次、触れたら相応の犠牲を覚悟するように』という警告も受けていたな? そして地面には、彼女のリボンタイが落ちている」
いついかなる時もフランツの側にいる侍従達がバラバラと到着し始めていた。全力疾走でバテている従者の1人から、リボンタイを拾い渡されたイザベルは「ありがとう」と小声で受け取った。
落ちたものを身につけるのはあまりいい気分ではないけれど、身につけずに他の生徒達から奇異の目を向けられるほうが困る。
エーリッヒは神妙な顔で「なるほど」とうなずくと、情けなく眉尻を下げて冗談みたいに続けた。
「……神に祈る時間をいただいても?」
「祈りの有無で過去は変わるのか?」
イザベルには馴れ馴れしいくせに、フランツには敬語なあたりが腹立たしいが、死の危険を感じてショボくれているエーリッヒは哀愁を漂わせている。
イザベルはリボンタイをつけてから、おずおずとフランツに声をかけた。
「フランツ様、エーリッヒさんは確かに手癖に難がありますが……情状酌量の余地はあって……今後の態度を改めるなら私は許そうと思っています」
「イザベルちゃん……!」
「態度を改めますよね? エーリッヒさん」
「もちろん、心から改めるよ!」
助けに入ったイザベルを、エーリッヒは救いの女神のような目で見ている。
「……彼にどこを触れられたか言えるか?」
「ええ、言えます。腕とあごと唇です」
「エーリッヒ・アスタフェイ……イザベルの恩情に免じて、身辺整理に3日間の猶予を与えよう」
「フランツ様!?」
許そうという話をしたはずなのに、なぜか、不穏さに具体性が加算された。
フランツは、なんとも形容しがたい表情でイザベルに振り向いた。
「なぜ君は許すと言えるんだ」
「……指で少し触れた程度ですから」
「私は、君の唇には、指一本触れたことがない」
イザベルの思考が一時停止した。
目を見開いたイザベルは、フランツが拗ねた顔をしているような気がしてきて、体温が急激に上昇していく。
(もしかして……嫉妬? フランツ様が……!?)
「そうですけれど……フランツ様なら、私は逃げません。……あの……さ、触りますか?」
思い切ってそう伝えるとフランツも固まり、イザベルと視線だけが交わった。
「いや……対抗心で君に触れるつもりはない」
「……そうですか」
(フランツ様は私を大切にしてくれているのよ。傷つく必要はないわ)
イザベルは心の中でそう言い聞かせ、それでも少し傷ついていた。フランツが嫉妬しているのかもと思ったから、恥を忍んで心を伝えたのに、同じ熱量の心は返ってこない。
むしろこのイザベルの言葉で、フランツは先ほどの不穏な感情の揺れ動きすら消えてしまって、すっかり普段の冷静さを取り戻している。
「それよりも、イザベル。今日、廊下で別れてからの君は、普段と言動が違いすぎる。この場所での出来事も含めて、なにが起きたのかを……偽りなく正直に、全て話してほしい」
(もういいや、全部そのまま話してしまおう)
前世もチートアイテムも、フランツをさして動揺させはしないだろう。多少の信用を失うかもしれないが、嘘みたいな本当の話も、ありそうな作り話も、失うものは変わらない。
「わかりました。ですが、人の目のある場所では……」
「そうだな、場所を変えよう。……君は今日体調が悪かった。大事を取り早退し、私も念のため君に付き添う」
放課後まで待つ、などということはしてくれないようだ。フランツはそう言うと、早退手続きと2人分のカバンを持ってくるように侍従に指示を出した。
家に帰ってしまえば、シーナに命令されるといった不安もなくなり、イザベルとしても渡りに舟だ。
でも、フランツの勝手に決める横暴さと、先ほどイザベル1人が恥をかいたことが面白くなかったので、イザベルは小さなわがままを言うことにした。
「早退するほどの体調なので、腕につかまっても構いませんか? フランツ様」
「……ああ、もちろん。しっかりつかまれ」
そうしてイザベルのわがままが承認されて、フランツから腕を差しのべられてみると、どれくらいの距離感でつかんだらいいのかわからなくて、結局イザベルは、極々控え目にフランツの腕に触れた。
シーナに触れられた時の作り物の感情とは、似ているけれど全然違う。フランツへの想いはもっと、切なくて、苦しい。
イザベルは、ドクドクと鳴る自身の心音が、フランツにどうか聞こえませんようにと願いながら、馬車の停留所に向かい歩いた。