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8 誰にでも優しいエーリッヒ

「ねえイザベルちゃん。なんか大変そうだし、そのボタン、とめてあげようか?」


「いえ……結構なので放っといてください」


 軽薄な声がするほうへ、イザベルはうろんげな目を向けた。イザベルに馴れ馴れしく声をかけたエーリッヒは良い笑顔で、チャラ~ンという効果音が彼の背後から鳴っている気がする。


「そう? 気にしなくていいのに。紳士的だよ、オレは意外と。女の子の肌も見慣れているし?」


「そのお心遣いだけで十分ですわ」


 今のイザベルは、中庭にエーリッヒとほぼ2人きりの状況になっている。


 イザベルにもアイテムが効いたことを確認して、会話も一段落すると、シーナは『じゃあ、あとはよろしく』と言って教室に戻っていった。


 ダニエルは気を失っていて、このままにしておけない。


 パトリックとエーリッヒの2人がかりでも、大柄なダニエルを保健室まで運ぶのは厳しかったようで、パトリックが人を呼びに行く間、エーリッヒが中庭に残ることにしたようだ。


 イザベルには特にやることがなかったけれど、身支度を整えないと教室に戻れない。


 でも、時間差でやってきた震えに指が上手く動かせず焦りもあって、エーリッヒから胸元を隠しながらボタンをとめるということがなかなかできなかった。


 すると、エーリッヒがブレザーを脱いで、イザベルの胸元を隠すように、イザベルの肩にかけた。イザベルは驚いて顔を上げる。


「じゃあ、上着を貸してあげよう。1人にはしないから、落ち着いて整えたらいいよ」


「あ……ありがとう……」


 呆然としながらお礼を言うと、エーリッヒはイザベルの頭をポンポンして「どういたしまして」と変わらぬ笑みを浮かべている。


 自然すぎて『触らないで』と言うタイミングを逃した。それに、エーリッヒは上着を渡したら満足したようで、あっさりとイザベルへの興味をなくして、ダニエルの介抱に取りかかり始めている。


(言葉通り、心配してくれてたんだ。私が、身支度を整えられずに震えていたから。『誰にでも優しい』エーリッヒは)


 イザベルは、前世にプレイした乙女ゲームのルートに想いを馳せかけて、それどころじゃなかったと、ボタンをとめる作業に集中した。胸元が隠れている安心感からか、先ほどまでの困難が嘘のように、簡単にとめることができた。


 呼吸がしやすいように、ダニエルの服を緩めてるエーリッヒに近づいて、改めてお礼を言って上着を返すと、エーリッヒが言う。


「ていうかさ、こちらこそありがとう。ダニエルのこと。君が彼に言った言葉……結構感動したんだ」


「エーリッヒさんは、ダニエルさんの昔の話をご存知なんですか?」


 イザベルは先ほどよりは心を許して、エーリッヒの隣に座った。気を失っているダニエルは、起きてる時より穏やかな表情になっている。


「いや? ……でもなんとなく、苦しんでいることには気づいてた。たぶん、オレ達はみんな、なにかしらのいびつさを抱えていて……そこをシーナに、狙われたんだと思う」


 諦めたような達観したような物言いに、イザベルはエーリッヒの整った横顔を見つめた。


 エーリッヒのトラウマは……『恋人』だ。

 彼が愛していた女性は、病を彼に伝えないまま儚くなった。


 病気と知らなかったエーリッヒは、しんどそうな素振りや上の空になることが増えた彼女と喧嘩別れしている。


 よく人を観察して、優しく周りに振る舞うのも、恋人を作らないのも、彼女を忘れられないからなのだろう。


「ねえ、イザベルちゃん。シーナに真っ向から反抗しないほうがいい。今回みたいに、無駄に傷つくばかりだ。オレ達の首にはもう、外れない鎖がつけられている。でもさ……」


「でも、そんなわけにはいかないわ。フランツ様を……シーナが私の婚約者を狙っているもの」


 諦めの言葉を聞いていられず、話を奪ったイザベルの声と体が震える。


 命令一つで自分の意志と違うことをさせられる。シーナの気分一つで、たやすく未来を閉ざされる。


 あのお茶会を軽く考えていた。ここまで酷いことになるなんて、思いもしなかった。


 どうしたらいいかわからない。希望が見えない。ただ、イザベルには、今も変わらない目的がある。


「フランツ様を渡したくない……こんな目に合わせたくないの……」


「……君を陥れて、悪いとは思ってるよ」


 エーリッヒはそう言うと一旦言葉を区切り、しばらくしてから口を開く。


「ダニエルは真っ直ぐすぎて分かりやすいし、パトリックはシーナに傾倒してるから……2人には言えなかった、けど……多少、心を守る手段はあるんだ」


「……どうやって?」


 すると、エーリッヒが『もっと近づくように』というジェスチャーをした。質問の答えを小声で伝えようとしているのだと思ったから、イザベルは素直に距離をつめた。


「……例えばさ……『オレと君でキスをしろ』と命令されたら……」


 エーリッヒが流れるようにイザベルのあごをつかんで、その親指でイザベルの唇に触れた。


 イザベルは安易にエーリッヒに近づいたことを後悔した。


「ふざけないで!」


 全力でエーリッヒを突飛ばし、お茶会の時のティーテーブルまで走ると、椅子をつかんで振り上げた。


 そうして椅子を投げようとしたところで踏みとどまれたのは、ほぼほぼ確実に、無関係のダニエルに直撃することに気づいたからだ。


(自分の浅はかさが嫌になる。お茶会といい、今といい。もっと私は自分を、慎重な人間だと思っていたのに……!)


 仲間だと思ってしまった。同じ苦しみを知っている人だから、励まし合い助け合える人だと信じてしまった。


「エーリッヒ・アスタフェイ。これは警告よ。二度と私に触れないで。次、触れたら相応の犠牲があると思いなさい!」


「ええと、こんなに拒絶されるとは思わなくて正直ショックなんだけど……もしさっきみたいな命令をされたら、今ので達成だ、って言いたかったんだ」


「……え?」


「『唇同士で』という指定がないんだから、指でもいい。命令は額面通りの意味しかなくて、こちらの受け取りかた次第なんだ。もちろん、シーナにバレないようにカモフラージュする必要はあるけれど」


「じゃあ、それって……」


 イザベルが言いかけた時、冷たい別の声が聞こえた。


「そこでなにをしている」


「フランツ様……」


 青みがかったシルバーの髪に青い瞳。その冷たい雰囲気もあいまって、氷の貴公子といったていだ。


 イザベルが呆然と婚約者を見つめる後ろのほうでは、エーリッヒが「あ、死ぬかも……」とひとりごちていた。

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