5 ダニエルのトラウマ
立派な体躯に、不釣り合いな、弱々しくかすれた小さな声。
その声で少し冷静になったイザベルは、ダニエルが可能な限り小さな接触で、イザベルを拘束しようとしていることに気づく。
イザベルのくびれ部分と肩から首にかけてを、それぞれ腕で囲っているだけだ。輪っかに体を通しているような隙間が空いている。
輪が小さいからイザベルが急にしゃがんだりすればつっかかるはずだが……イザベルが動けば、ダニエルは驚いて拘束を解くかもしれない。
(でも、逃げづらいわ……突き放すこともできない)
シーナはそれを見込んで、ダニエルに拘束させたんだろうか。
シーナを見ると、イザベルが飲まなかった紅茶のカップを自身の席に引き寄せたあとは、ティーテーブルに片ひじをついてあごを乗せ、にやにやと見物している。
ダニエルのトラウマを知っているイザベルが、追い込まれた状況でどう動くのか、見定めようとしているのかもしれない。
未攻略な場合のダニエルは女性に触れることができない。彼の母親が、幼い頃から長年に渡り彼を、害虫のように扱っていたからだ。
(だから彼は将来を悲観している。剣術を正義の為に役立てたいのに、彼は女性に触れられないから。
悪者に知られたら致命的な弱点。……シーナが、彼の心を救ったんじゃないの? なぜダニエルさんは、シーナと行動を共にしながらも、過去を克服できていないの……?)
過去を克服できないまま、なんらかの理由でシーナの命令に背くこともできないようだ。
傷つき震えながらイザベルを拘束しなければならないダニエルを、イザベルは不憫に思った。
だからだろうか。気づいたら、声をかけていた。
「大丈夫、大丈夫」
イザベルはそのように言うと、ダニエルがくびれに回している腕を「よしよし」と撫でた。
そして、腕に触れたことで硬直している彼に振り返って微笑む。そうしている間も、イザベルは、ダニエルの鍛えぬかれた太い腕を優しく叩いたり揺すったりする。
イザベルがダニエルにできるのはここまでだ。
イザベルはダニエルの恋人になる意志がない。だからここまで。でも、彼の悲しい記憶を、少しでも上書きできればいいなと思う。
そして、他者からの救いがなくても……ダニエルならきっと自らの力で、立ち直る。だから、イザベルは考えながらこう続けた。
「ダニエルさんは、自分の力で克服できますよ……あなたの崇高な夢と、積み重ねた努力が、いつかきっと実を結ぶ時がくる」
一拍の間が空いて、イザベルの肩に、ぽたりと滴が落ちた。ダニエルが泣いている。
「うぅ……ああ……ぁ」
ダニエルは肺の中の空気を絞り出すようなうめき声をあげて、イザベルの拘束を外した。
イザベルを解放したダニエルが、よろけながら後ろに下がりひざをつく。酷く消耗した様子で、肩で息をしている。
「リック、エリー! 彼女を拘束しなさい!」
(あ。感動してたら即行で捕まったわ)
シーナの声で、逃げることに思いいたったイザベルは、再びあっさりとつかまってしまった。
庇護されることに慣れているイザベルと、既に3人を攻略済のシーナでは、圧倒的に場数が違う。
パトリックとエーリッヒは、女慣れしている分、拘束に遠慮もない感じだ。片腕ずつ、がっちりとつかまれて、今度は身動きが取れない。
でも先ほどのダニエルを見て、イザベルは希望を見いだしていた。今のほうがよほどピンチなのに、どうにかなりそうだと思えてくる。
(残り2人も、シーナの洗脳を解けばいい。ダニエルさんは、打ち勝った)
イザベルはシーナをまっすぐと見つめた。
しかし、シーナはカップを片手に立ち上がると、イザベルを通り過ぎてダニエルのもとへゆったりと歩を進める。
「高かったのに、頑張って解いちゃったの?
まあ、心が折れるまで、また飲ませればいいだけだけれど……あなた達に買ってもらって。……もう一度飲ませるからこっちを向いて? エル」
「……嫌だ」
「はあ、面倒臭い」
少し間が空いて、ゴクッという音が聞こえた。
イザベルが懲りずに身動ぎをしてみると、パトリックが担当している左腕の拘束が緩んでいる。
パトリックは、呆然と傷ついた表情でシーナ達を見つめていた。
その視線を追ってみると、シーナの口移しで紅茶を流し込まれているダニエルの姿が見えた。