25 試練の終わり
光が収まりシーナを改めて見た時、イザベルは、本当にアイテムの全てが無効化されたのだと気づいた。
今のシーナ・リーファースは、一般的に見れば、今なお可愛いと形容することはできるけれど、これまでの彼女と比べると、外見上の魅力を大きく損なっていた。
キラキラと揺れていたカラメル色の髪の毛は艶を失い、陶器のようになめらかだった肌もくすんでいて、涙で崩れたファンデーションが目立つ。
シーナがその視線に気づいて、自身の頬を手でなでながら自嘲した。
「『魅力』も、アイテムで上げてたんです。本当の私は……こんな感じ」
「……ありがとう。シーナさん」
「いえ。あんなの見たら私でも……あれが悪い力だったってことわかります。私は元に戻っただけ」
「素材はいいもの。恐らくとても頑張る必要はあるけれど、あのレベルにはまたなれるわ。シーナさんが望むなら、今度は私が手伝ってもいい」
「そんな風に言われたら本当に利用しますよ?」
「ええ、いいわ。それなら私の持ち得る全てを使って、あなたのステータスを上げてあげる」
イザベルは心からそう言った。
苦しい時にイザベルの手をつかんでくれて、躊躇なく力を失ってくれた。
見た人全てが振り返るような魅力は消えてしまったけれど、今のシーナが、イザベルは好きだ。
フランツの周りを侍従達が取り囲んで騒然としている。でも、フランツが淀みなく指示している声が聞こえるから、イザベルはほっとしていた。
どうやら意識を失うほどの怪我ではないようだ。
赤い宝石がイザベルの体内から出てきた辺りから、イザベルは侍従達の存在を感じなくなっていたけれど、侍従達のほうも狐につままれた様だった。
気づいたらフランツが怪我をしているという状況に、慌てふためいている。
「シーナさん、あなたを、すぐにでもここから出してあげたいけれど……少しだけ待ってくれる?」
「はい。フランツ様のところに行ってください」
イザベルとシーナがそう話した時、鉄格子は侍従の1人によって、あっさりと開かれた。
「お話し中すみません。リーファース様、薬箱はどちらにございますか?」
「あ……奥の棚の上に」
「ありがとうございます。不躾ながら失礼します。こちら、手枷の鍵です」
侍従はそう言って鉄格子の中に入ると、シーナに小さな鍵を手渡して、薬箱を取りに行った。
イザベルが振り返ると、侍従達はそれぞれに用事を言いつけられたようでフランツを囲っていた人が減り、フランツと目が合う。
けれどフランツがイザベルへ目を向けたのはほんのわずかの時間で、その目線はすぐにシーナへと移った。そして、フランツはシーナへ声をかける。
「リーファース。君の靴を今取りに行かせている。上に、君の私物を保管している部屋があって、その隣の部屋にパトリックを寝かせるつもりでいる。
すぐに帰ってもいいし、彼を見舞ってもいい。必要なものがあれば、侍女か侍従に言ってくれ」
「はい、ありがとうございます、フランツ様」
フランツとシーナの会話が続く。
内容は全て必要事項だ。優先度が高いからそうしていることは、イザベルもわかっている。
でも、フランツの語り口が穏やかであるほどに、イザベルの内心は穏やかさを失い、焦燥と疎外感に襲われた。
今回に限らずイザベルは、フランツにいつだって一線を引かれている。
でもこれまでのフランツは、イザベル以外の女性とは、さらに距離を置いていた。
年頃の女性としては唯一イザベルだけが、彼の近くにいることを許されていた。
だから、これまでは平静でいられたのに。
(2人は、いつの間にこんなにも、仲良くなっていたの? 私が何年もかけて近づけた距離を……シーナは簡単に詰めてしまった)
まるでシーナとフランツの2人しか、このフロアにいないかのようだ。
「……こちらこそ、君にはとても感謝している。
長年の憂いを、私はついにはらうことができた。
君のおかげだ……ありがとう、リーファース」
そして、フランツが微笑んだ。
イザベルは目を見開いて、呆然と見つめた。
心がじくじくと痛み、体が震えて、今少しでも気を緩めたら、泣きそうで。
唇を噛みしめる。
(……フランツ様の怪我の状態を確かめないと。私のせいで、怪我をされたのだから)
そう思って逃げ出したい気持ちを抑えた。
心を凍らせて思考も止め、フランツへとただただ歩を進めた。
目的地までそれほどの距離はなく、瞬く間にたどり着いて、侍従達に少し場所を開けてもらう。
すると、フランツの足元には、血に濡れた止血布と、赤い刃を防ぐ時に使ったと思われる壊れた懐中時計が転がっていた。
いずれも、ぐっしょりと赤く染まっている。
想像よりもずっと凄惨な状況に、イザベルは嫉妬していたことを忘れて血相を変えて、フランツの側で膝をついた。
「フランツ様、手を見せてください!」
「たいした怪我ではない」
「では、見せてください」
イザベルが身を乗り出すと、手当て中の侍従の手を止めてまで、フランツは負傷した右手を隠した。
「イザベルこそ、怪我はないか?」
「私に見せられないほどの……怪我なのですか?」
真剣な要求を2度もそらされて、イザベルの声が涙に濡れる。フランツは観念してその手を見せた。
ベリベリとガーゼを剥がした手のひらは、いくつもの箇所がえぐれていて、固まりかけた血がテラテラと光っている。
フランツはその指が全て動くことをイザベルの目の前で証明すると、傍らにいる侍従に再び手当てをゆだねた。
「ごめんなさい、フランツ様……」
「気にするな。……指は動き、貫通もしていない。傷はいずれ治る」
「でも、痛みが……何日も、続くはずです。利き手が使えなくて不自由です。傷跡も、残ります……」
「……こういう話になりそうだったから、今、イザベルと話すのは避けたかったんだがな」
「……避けられるわけありません」
「ああ。だから観念した」
涙を流すイザベルの頬を、フランツがなでた。
利き手ではないから少しギクシャクとしているものの、その手のひらは優しくイザベルの涙をぬぐって離れていく。
「懐中時計の中心に、以前手に入れた赤い宝石を埋め込んでいた」
「赤い宝石を……? どうして、フランツ様が」
「イザベルに話を聞く前から……私も、リーファースを調べていたからだ。あれはダイヤモンドでも傷をつけられない未知の鉱石だった……だが同じもの同士なら、小さく圧縮されているほうが固いはず。そんな勝算はあった……破損した金属で思いの外、手を切ったが……赤い宝石も同士打ちは想定外だったのだろう……混乱したかのように動きを止めた」
その話に、イザベルは愕然とした。
懐中時計でも、赤い刃と比べればずっと小さいのに……その中の赤い宝石で、刃を止めたという。
宝石は美しく光が反射するようにカットされているから、平面部分はさらに小さいはずだ。
「針に、糸を通すような分の悪さではないですか」
「だが、ゼロではない」
「ですが……!」
(少しでもそれていたら、今頃フランツ様は……)
だが、フランツに悪びれる様子はない。
静かで深い青の瞳はイザベルだけを映している。
「どのような無理でも、必ず通した」
「……なぜ、そう、言い切れるのですか?」
「……イザベルが、後ろにいた。防ぎ切れなければ君が死ぬ。ならば私は、万に一つの可能性でも必ずものにする」
その言葉は『命を懸けるほどイザベルが大切だ』と言っているようで、イザベルは息を止めた。
でもこれまで何度望んでも、フランツから同じくらいの心が返ってきたことはない。
それでもイザベルは『言えばまた傷つくかもしれない』と思いながら、言葉に心を込めた。
「私はフランツ様と、共に生きてゆきたいです。
心よりお慕いしているのです、フランツ様。
……ですから、どうかこのような無茶……は……」
だが、イザベルは最後まで言えなかった。
フランツの親指がイザベルの唇に触れて、これから始まるはずだった苦言を止める。
そして、固まるイザベルにフランツは微笑んだ。
その微笑みはシーナに向けたものよりもずっと、甘やかで優しく、幸せそうで。
フランツが、イザベルに初めて心を返す。
「私も、同じ思いだ……イザベル……この先も側にいてほしい……私は君を、愛している」




