22 告白
足音でわかる。パトリックが駆け寄ってきた。
シーナが「リック!」と呼ぶと、パトリックも「シーナ」と呼び返す。
手錠が邪魔をして、鉄格子の隙間からは少ししか手を出せない。それでもシーナは彼を見ると目一杯、鉄格子の隙間から手を伸ばした。
触れ合って安心したかった。
でもパトリックはその手を、無視した。
心が、水を打つ。
鎖に繋がれている腕は重たくて、持ち上げ続けるのはつらいから、シーナは諦めて腕を下ろした。
『ジャラ』と、鎖同士が擦れる金属音が、急に大きくなったように感じた。
(……そうだった。もう繋いでくれないんだった)
求めたものが手に入らないのは、とても惨めだ。
赤い宝石を使って以来、パトリックはシーナに触れようとしなくなった。
『手を繋いで』と言えば繋いでくれるはず。
けれどそれは……赤い宝石の力だ。
(だから、そういう役割はエリー。エリーなら、赤い宝石がなくてもたぶん……抱き締めて欲しい時に、抱き締めてくれると思うから)
心理的なハードルが1人1人違うなんて当たり前なのに、シーナは3人に赤い宝石を使ってようやく、三者三様であることに気づいた。
エーリッヒは元々触れ合いやすい。ただし、誰とでも。だから彼の周りは、寂しがり屋ばかりだ。
ダニエルはどの女性も苦手だから、むしろそれはそれで開き直れた。
『多少無理矢理でもスキンシップに慣れるのは、ダニエルのためにもなる』などと思えば、簡単に腕を取りにいけた。
でも、パトリックには、どうしたらいいかわからない。触れようとするほどに、心が遠ざかっていくと感じて……寂しさが募っていく。
「シーナ……怪我はない?」
「うん」
「そっか、無事でよかった」
(口では、そうやって優しいこと、言うくせに)
パトリックが向ける微笑みは表面的なものだ。
自分の心を隠す時に使う作り物の笑顔。
シーナも出逢った頃は騙されていたけれど、仲良くなって、本当の顔を知ってからはわかるようになってしまった。
赤い宝石は、攻略対象の好感度を最大にするはずなのに、パトリックから以前のような心が向けられなくなったのは、なんでなんだろう。
(最大値が、低くなったりとかするのかな?
本当の心が私を嫌いになると、容量そのものが小さくなって、最大でも友人止まりになるとか……)
「リックはどうして来たの?」
あんなに会いたかったのに、いざ会うと憎らしくて、シーナはつい、意地悪な物言いになった。
シーナの態度に、パトリックは戸惑いながらも、諭すように優しく答える。
「どうしてって……君を、シーナを、ここから出すために来たんだよ」
「え……出られるの? 私……本当に?」
「うん」
「この手錠を外して、家に帰れる?」
「うん、そうだよ」
『ここから一生出られないかもしれない』
シーナがそう思って絶望したのは、つい昨日の話だ。助けて欲しいと願いながら泣いたのも。なぜ赤い宝石を使ってしまったのだろうと後悔したのも。
(だけど、出られる……元に戻れる!)
「リックすごい! ありがとう……すごいね、どうやったの?」
シーナの心を歓喜が満たし、シーナは助けに来てくれたパトリックに、心からのお礼を言った。
そして、その手際への称賛を込めた質問を。
シーナがフランツに囚われていると、なぜパトリックはわかったのだろう。
そして、あのフランツをこんな短時間で説得するなんて、一体全体どうやったのだろう?
でも、自らせがんだことなのに、パトリックの説明をシーナは最後まで聞けなかった。
「やるのはこれからだよ。シーナの……アイテム効果を無効化する手段を見つけてきた。だから……」
「……全部消えるの? 私の顔や……リック達に使ったアイテムも全部?」
「うん……そうじゃないとここから出せない」
(無効化? リセットじゃなくて? 今まで私がやってきたことはなにも消えないのに、効果だけが消えるの? そ、そんなの)
「絶対に嫌……」
「シーナ」
「聞きたくない! 黙って!」
シーナは鋭い声で、パトリックの言葉を遮った。
パトリックは言葉だけでなく、一挙手一投足まで封じ込められたように動きを止める。
くるくると変わるシーナの言動は支離滅裂で、端から見ればまるで、二重人格のようだった。
「ダメ……困るの……アイテムを無効化するのは」
今、シーナの心は、大きな恐怖が支配していた。
パトリックが『赤い宝石を無効化する手段を見つけた』と言う。でも。
『赤い宝石を使えなくなるくらいなら、一生ここから出られないほうがましだ』という考えが、なぜか大きな説得力を持って、シーナの頭の中を巡っていて……それは、ダニエルが赤い宝石の支配から、自力で抜け出してしまった時の恐怖と似ていた。
あの時もシーナは『どんな手段を使っても再びダニエルを支配しなければならない』という強い使命感と……恐怖心に囚われたのだ。
「……どう、して? シーナ」
『黙れ』と言われたパトリックが、苦しみに顔を歪ませながらもシーナに質問して、膝をつく。
シーナは、ジャラジャラと鎖を鳴らしながら後ろに下がって、床を這う鎖に足を取られて転んだ。
でも、体の痛みなんて気にならない。地べたに座ったまま、手で顔を覆い、イヤイヤと首を振った。
「無理、無理なの! そしたらもっと怖いことが起きるの! 私、もういい……一生ここから出られなくていい!」
「……怖、いこと、って……なに? シーナ」
「なにっ、て……」
シーナの目から、ボロボロと涙がこぼれた。
「わ、わかんないけど、怖いの。なにも力がなくなったら、酷いことされるの! 色んな人に、仕返しされるの! り、リックだって、私のことが嫌い」
「……好きだよ」
シーナの言葉をパトリックの告白が遮った。
シーナが涙を拭いて顔を上げると、パトリックがちょうど倒れる瞬間だった。
「リック!? どうしたの? 大丈夫……」
「来るな!」
パトリックが倒れたことに驚き焦りながら、床を這ってパトリックに近づこうとしたシーナは、フランツの強い静止の声に、びくりと動きを止めた。
でも、フランツはシーナを見ていなかった。
厳しい目で、廊下の先を見ている。
そしてフランツの視線の先からは、フランツの静止にものともしない、規則正しい足音が近づいてきていた。
続いて、透き通るように凛とした声が。
「そのお言葉には従えません……お叱りは、どうかあとにしてくださいませ、フランツ様」
パトリックがここに来ることよりも段違いに。
彼女がここにいることが、シーナは信じられなかった。
彼女は……フランツがシーナを監禁する最上位の理由だったはずだ。たとえここから出られる日が来るとしても、シーナは彼女にだけは二度と会う日が来ないと思っていた。
ライラック色の美しい髪と、その鮮やかな髪色にひけをとらないスラリとした華やかな容姿。
でも、彼女の本当の美しさは、歩き方や姿勢や話し方といった所作からにじみ出るものだ。
「……イザベル様」
シーナがその人の名を呼ぶと……イザベルは、シーナを安心させるように微笑んだ。




