18 ライラックピンクの宝石
パトリックが鞄から取り出した本には『サポートアイテム集』という文字が刻まれていた。
イザベルは思ったままを口にした。
「この本……第2版のほうだけ知っているわ」
「うん、そっちだけ残しておいたから。
アイテムに関する本は、国中の本を保管しているはずの王立図書館でさえ索引になくて……学園だけに存在するんだ。
そしてこの本にだけ、例の宝石が載っている」
イザベルも図書館で見つけたアイテム集を、他の人に見られないよう別の棚に移したけれど、パトリックも同じようなことを既にしていたようだ。
パトリックが、栞のあるページを開いた。
赤い宝石と、それを薄めた色合いの宝石が載っている。
どちらも、入手方法は『不明』と記載されている。イザベルは薄い赤紫の宝石を指差した。
「パトリックさんが探していたのは、この宝石?」
効果欄に『全てのアイテムを無効化する』という記述がされていた。
課金アイテムを無効にする、というアイテムが、なぜあるのかは不明だけれど……ゲームが簡単になりすぎてつまらなくなった時用だろうか。
「うん。少し、イザベル様の髪色に似ているね」
「そうね。でもたぶんそれは、クンツァイトだからだと思う」
「……君の家名がどうかした?」
パトリックの質問に、今度はイザベルが苦笑いする番だった。確かにルビーなどとは比較できないほど、マイナーな石だ。
「私の家の名前でもあるけれど……宝石の名前でもあるの。リチア輝石の中で、ライラックピンクの色味を持つ石だけが、クンツァイトと呼ばれているわ……宝石言葉は『浄化』『守護』『無償の愛』」
「なるほど。君に縁のある宝石なのか。
……実は赤い宝石を持ってきたんだ。色が変えられるか、確かめてほしい」
そう言うとパトリックは、自身の首の後ろに手を回して、制服の中に隠れていたネックレスチェーンを外した。そして、ネックレスごと、赤い宝石をテーブルに置く。
そのネックレスは、シーナが持っていたものとまったく同じものだったから、イザベルは警戒した。
「なんで、シーナさんと同じネックレスを、あなたが今、持っているの?」
「別にたいした理由じゃないよ。元々、ネックレスも宝石も、ぼくがシーナに贈ったのが始まりなんだ……おそろいで。でも、今、中に入っているのは昨日新たに買ったやつ。
……ああ、なにか企んでいると思った? 気になるなら、本の記載を満足いくまで確認したらいい。それくらいは待つよ」
イザベルの質問に、パトリックは笑みを浮かべ、のんびりと紅茶を飲み始めた。
今の表情が、彼の外面なのだろう。
イザベルが本を手に取ってもその表情はもう変わらなかったから、イザベルはため息をついた。
(これ以上ゆさぶっても、パトリックからは今聞いた以外の情報は出てこなさそうね)
手に取ったついでに一応、本も確認してみた。
学園にあったものと同じシリーズで、学園の所有印が押されている。中身も偽造の形跡はない。
結局イザベルはパトリックの言う通りにした。
「……宝石を借りるわ」
「うん、どうぞ」
パトリックの了承を得ると、イザベルはテーブルに置かれた丸い鳥籠のようなネックレストップに触れた。そして、輝きのない宝石をいぶかしむ。
「これは本当にあの宝石? 彼女が持っていたものは、もっと内側に輝きがあったように思うのだけど……」
昨日、それほどしっかり見たわけではないけれど、イザベルは目の前にある石が、昨日と同一のものとはとても思えなかった。シーナの持っていた宝石は、もっと妖しい魅力と輝きを持っていた。
「本物だよ。この宝石は、シーナが持っている時だけ美しく輝く。それ以外の人が手にしても、無価値の石にしか見えないんだ」
「そう……不思議ね。アイテムだからかしら?」
パトリックの言葉にそう応えながら、イザベルは赤い宝石を取り出して手のひらに乗せた。
この瞬間が一番緊張したけれど、イザベルにはなにも起こらず、赤い宝石も無価値な赤い石のままだった。
「……変わらない、か。見間違いだったのかな」
パトリックが落胆している。
「もうちょっと、試してみましょう? なにか、条件があるのかもしれないし……」
「昨日みたいに腕でもつかんでみる?」
「いえ、待って……私も試したいことがあるから」
目的のためでも、フランツ以外の男性に触られるのは嫌だった。
それに、イザベルはどちらかといえば、心が宝石に影響する気がした。シーナの命令に対する宝石の強制力が、解釈次第で変わるように。
「……あの時、私は、初めてこの宝石の存在を知って……なんて怖いアイテムなんだろうと思ったの。だって、私の心が、相手の都合のいいように変わってしまうなんて……私がいなくなるみたいで恐ろしいでしょう? だから、私はギリギリまで逃げようと頑張って、最後まで私を『守ろう』とした」
宝石の色が少しだけ変わる。
パトリックが変化の条件に気づいた。
「……宝石言葉だ。クンツァイトの石言葉に、君の意志をのせてみて」
イザベルはパトリックへとうなずいて、再び宝石を見つめる。
「アイテムで人の心を変えるなんて、邪道だわ。誰も幸せになれない……シーナも。だから私は、そんないびつな力をなくしたい」
この言葉は『浄化』とみなされて、宝石の色が更に淡く変わる。
「……これ、そういえば声に出さなくてもいいと思う?」
「うん、いらないだろうね。だって、昨日は別に声に出してなかったよね?」
さすがに『無償の愛』を切々と語るのは恥ずかしいと思ったイザベルは、パトリックに聞いてみてよかったと思った。
「あ、そっか、そうよね」
「『無償の愛』を語りたいなら聞くけど?」
「あらそう? 絶対嫌」
イザベルが間髪いれずにそう応えると、パトリックが吹き出した。
「意外とイザベル様って可愛いね」
素で笑うパトリックを渋い顔で無視したら、更に笑われた。
イザベルは、恥ずかしさと怒りが半々くらいの複雑な思いで、心の中でごにょごにょと『無償の愛』を宝石に語った。
すると、シーナが使っていた時はほの暗く輝いていた赤い宝石が、淡い光を内に秘めたライラックピンクの宝石へと姿を変える。
「できた……」
「行こう、イザベル様。君の婚約者のところへ」
パトリックが本やネックレスを手早く鞄の中に納めて、イザベルを急かした。




