17 パトリックの来訪
──その日がとても楽しかったから、2人の記念を物にして残したかった。
だから『なにか、おそろいのアクセサリーを買いたいんだけど』と言ったら、彼女がこう言う。
『私ね、実はずっと欲しかったものがあるの』
そうして連れていかれた露店にあった赤い宝石は、見るからに偽物とわかる模造石だった。
『偽物だしそれにしては高いし、他のにしよう?』と言ったんだけど、どうしてもこれがいいらしい。
『ね、それよりさ、この宝石をこのネックレスの中に入れたら、世界に1組だけのペアになると思わない?』
そう言われると確かにとても素敵なものに思えて、結局ぼくは買ってしまう。
買うと彼女はとても喜んで、デート中に何度もネックレストップから宝石を出し入れしていた。
あきらかな偽物だったはずなのに、彼女が持つと、なぜかとても美しく感じる。
人通りが途絶えて2人きりになった。
彼女は彼女の宝石におもむろにキスをした。
そして、それをぼくの唇へ。
もうかなりぼくは、彼女のことが好きになっていたから、そんな間接キスを受け入れた。
……そのあとは、さもありなん。
ぼくは彼女のものとなり、ぼくの宝石も彼女のものへ。
その日から、彼女は変わってしまった。
だからぼくは、その日からずっと探している──
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首の引っ掻き傷は2~3日で綺麗に治るらしい。
実際、痛みについては一晩経った時点でほぼほぼなくなっていた。
でも、首に包帯を巻いて学園に行けば騒ぎになるし、昨日だけで2度も気を失ったこともあいまって、イザベルは傷が治るまで学園を休むことになった。
とはいえ、普通に過ごす分には支障がない。
部屋着のままだと本当に病人のような気分になってしまうから、目覚めて早々に私服へ着替えたイザベルは、遅めの朝食を終えて紅茶を用意してもらうと侍女を下げて、自室で1人考え事をしていた。
(なんとか、シーナにこれ以上の命令をされないようにして、ゲーム終了まで逃げ切りたい。
……私だって、私の幸せを手放したくないもの)
フランツに話すという最重要ミッションを達成することができたから、次のトピックは、学園に通う残りの3ヵ月間をイザベル自身がどう過ごすかだ。
最初に思い浮かんだのは『学園を退学や休学する』という手段だったが……そのような手段はイザベルの将来に大きく影を落とすはずだ。たった3ヵ月間の安全の代償としては大きいと感じた。
(それに……家にいれば安心とは限らないし、危険視するのはシーナだけじゃないわ。最悪なのは、私達とシーナの関係に、第3者が気づいてシーナが危険にさらされた時……私達が共倒れになるということ)
となると、こうなった以上、いっそシーナの側で彼女をフォローしながら、刻一刻と変わる状況を見定めていくほうが得策に思えてきた。
(とりあえず、フランツ様には、私を近づけないようにしてもらおう。私側の努力ではどうしようもないとなれば、シーナは仲介を諦めるはず)
シーナとはほんの短い時間しか共有していないけれど、シーナが即断即決と実行力に優れていることを、イザベルは身に染みて理解していた。
その思い切りのよさと判断の速さによって、イザベルも他の攻略対象者達も敗北したのだから。
シーナに命令されたら従わざるを得ないイザベルは、そもそもフランツに近づくべきではない。
けれど、フランツがイザベルも警戒するようになれば、シーナは『イザベルを利用してフランツとの仲を深める』といった手段をあっさりと手放して、別の手段に移るだろうことが予測できた。
(あの決断力は本当にすごいわ。私だったら、どうしても思考する。自分を納得させる時間がいるもの)
考えてから動くから、イザベルは、ミスや失態を犯すことがほとんどない。だからこそ、フランツの婚約者に選ばれたのだと思うし、1度の失敗で足元をすくわれることがある貴族社会では、長所ともいえる性格だった。でも、緊急事態ではいつだって一歩遅れてしまう……昨日のように。
イザベルの中で劣等感として感じている部分だ。
過去に似たような出来事があれば、思考を省略することもできるし、日頃から広域に知識を身につけることでカバーできることも増える。でも、欠点は欠点のままで残り続けた。
思いもよらない問題に直面する時や挫折感を味わう度に、イザベルは自分の凡庸さを思い知る。
(……彼女から、学べる部分もあるかもしれないわ。それに、シーナは私に『酷いことをするつもりはない』と言っていた。もちろん、警戒は必要だけれど……実際、まだなにもされていない以上、必要以上に恐れることもない)
イザベルがそこまで考えた時、控えめなノックの音がして、戸惑った表情の侍女が、イザベルへの急な来客を告げた。
「イザベルお嬢様、急なお話なのですが……パトリック・バーリー様がお嬢様とお会いしたいと、取りつぎを希望されています。いかがなさいますか?」
(パトリックが? こんな時間になぜ?)
昨日、イザベルが唯一話していない攻略対象だ。エーリッヒ曰く『シーナに傾倒している』とのことだが、この世界の彼の考え方がわからない。
(学園を早退してまで来訪するなんて、どうして?)
イザベルは侍女に、彼の要件を聞こうとして……質問内容を変えた。それ以上に、侍女の態度が気になったのだ。
「……彼を見て、どう思った?
私はパトリックに会ったほうがいいと思う?」
侍女はそんなイザベルの問いに驚きながらも、彼女自身の考えを伝えた。
「バーリー家の者が、クンツァイト家に事前連絡もなく来訪するのは不躾ではございます……ですが、お嬢様の力が必要で、助けて欲しいと……とても沈痛なご様子でした。なので、私としては、会っていただければと思います」
「そう。じゃあ、来客室にお通しして」
「ありがとうございます。承知しました」
侍女がほっとした顔をして、足早に立ち去った。
イザベルも軽く身だしなみを確認して、自室をあとにした。
そうして、来客室で向かいあったパトリック・バーリーの印象は、ゲームの中の万人向けの姿とも、攻略した時にだけ見せる姿とも違った。
ゲームよりも少しやつれているからだろうか。
もっとずっと大人びている。
「会ってくれてありがとう……首、どうしたの?」
「ああ、これは……少しかぶれただけ。それより今日はどうしたの? 学園も早退したんでしょう?」
大声を出したら駆けつけてもらえるように、侍女を部屋の外に待機させている。でも静かに話す分なら、2人の会話は聞こえない、そんな距離にした。
だから、イザベルがそのように話を向けると、パトリックもさっそく要件に入る。
「シーナが誘拐された」
「……誰に?」
「確証はないけれど……君の婚約者、フランツ・ウイスニウスキーの可能性が高い」
「あの方は、そのような不道徳なことをなさらないわ。確証もないのに、なぜそうなるの?」
「だけど君は昨日、フランツ様に話したよね? シーナの秘密を。そして今日、君もフランツ様も学園に来ていなかった……君が休んだ理由はどうやら、その首のせいみたいだけど。
シーナの自由や将来を奪うことは、君の安全と彼の安寧を守るには有効な手段だ」
淡々と話されて、イザベルは口をつぐんだ。
言われてみれば、確かにそうだと思ってしまったのだ。非人道的ではあるけれど、終業式までの3ヵ月間を、他者が入り込む余地のない場所で拘束しておけば、被害は広がらずゲーム期間も安全に終わる。
だからイザベルはこのように考えを改めた。
「……確かに、そうかもしれない。でも、3ヵ月でしょう? 私からフランツ様に確認するのは構わないけれど、その間に会うことはできないはずよ。
可哀想だけど、私達は、シーナを解放してしまうリスクがあるもの」
パトリックがここに来た要件も『シーナに会いたい』といった内容だろうと、イザベルは見当をつけた。
しかし、パトリックの表情は深刻だ。
そして、その口を重々しく開く。
「3ヵ月じゃない……一生だ。もしくは、殺される」
「え……どうして……?」
「3ヵ月でゲームが終わるというのは、シーナと君だけの主張だから。そして、ゲーム期間が終わったあとのことは誰にもわからない。アイテムの効果がそのあとも半永久的に続く場合……無効化する手段が見つからなければ、彼女を消すほうに考えが向くのは必然だと、ぼくは思う」
イザベルは息を詰め、パトリックを見つめた。
想像以上に、事態は重いのだと気づく。
「だからぼくは、ずっと探していたんだ。シーナの力を無効化する手段を。そして昨日ようやく、わずかな希望を見つけた」
「……手段があるの?」
「うん、たぶん」
「どんな方法? どうやって見つけたの?」
矢継ぎ早な質問に、パトリックが苦笑いした。
「キーパーソンは君だよ。イザベル・クンツァイト様。昨日のシーナと君を見て気づいた」
パトリックが、鞄から1冊の本を取り出した。
随分、見覚えがある色味の本だ。
「……元々、シーナを除けば、君の立ち位置だけがおかしかった。シーナと同様に前世の記憶を持ち、攻略対象ではないのにこのゲームに深く関わっている。赤い宝石を使われてもなお……反転だっけ? 確率7:3……彼女に完全服従するわけではないことが、唯一君だけ明文化されていた。
そして……赤い宝石をシーナが君に使う時、宝石の色が一瞬、淡い色味に変わるのを見たんだ……あれは、ぼくが探していた宝石だった」