14 監禁
学園からの帰り道。
あまりにも突然過ぎて、悲鳴を上げることさえできなかった。
シーナは見ず知らずの男に羽交い締めにされてなにかの薬品を嗅がされた。そうして、なすすべもなく気を失って、目が覚めると知らない部屋にいる。
「なにここ……地下?」
独り言が、静けさの中に消えた。
外の光はまったく届かない。灯りは部屋の中と外でゆらめきながら燃える燭台のロウソクのみ。
だが、シーナのいる部屋は、部屋の外の殺風景さとは裏腹に、高級そうな調度品が過不足なく配置されている。
床にはふかふかの絨毯が敷き詰められていて、窓代わりのような風景画が美しい。
ベッドには、厚いカーテンの天蓋がついている。
仕切りの先にあるのは、風呂とトイレだろうか。
シーナの目の前にある1人用のテーブルには、裏返した未使用のカップと水差しが置かれていて、この水差しに水滴がついていたから、置かれてからまだそれほど時間は経ってなさそうだと、シーナは思った。
シーナはそのまま寝ていても疲れないほどに、ゆったりとした座り心地のよい1人掛けのソファーに座っていた。
高級な家具の欠点は、重量だ。
部屋の真ん中に、椅子やテーブルを置ければまだ、心の負担を減らせたかもしれないけれど、シーナの力ではどれも動かせそうになかった。
そして……この部屋の中で人道的なものはそれで全てだった。
シーナが少しでも身動ぎすると、その都度『ジャラ……』という音がする。
シーナは、目をそらしていた自分自身の状態に、ようやく向き合った。
シーナには、腕を広げても若干ゆとりがある程度の長さの鎖で、左右の手首を繋ぐ、鉄製の手枷がつけられている。
そして、手枷の鎖の真ん中には、もう一本、長い鎖がついていて、その鎖が天井の中心にある鉄輪を通って檻の外に続いており、檻の外の天井でも同様の鉄輪を通った上で、その下の巻き取り機に繋がっていた。
この巻き取り機で鎖を巻かれたら、シーナは部屋の真ん中へと問答無用に引きずられ、限界まで巻かれると宙ぶらりんになり、手首だけで体を支えることになるのだろうことが、容易に想像できた。
(……そして、着替えさせられてる。手錠がついたままでも着脱ができるようなワンピースに)
制服を着ていたはずのシーナは、肩だしのワンピースを着て、その上にストールを羽織っていた。そして裸足だ。靴は取り上げられている。
シーナをさらった人間は、ここから出す気がないということだ。
「なんで? なんで私がこんな目に遭うの?」
こんなシーン、ゲームにはなかった。
シーナは顔を青ざめさせて、無力に震えた。
ゲームにないということは、シーナの思い通りにはできないということだ。シーナをさらった誰とも知らない人間が、シーナの命を握っている。命だけではない。行動も、なにもかも。
「嫌……助けて……私、なにをされる、の……?
怖いよ、怖い……助けて……助けて!」
重い鎖がジャラジャラと鳴る。
「リック……エリー……エル……」
シーナは、心から信頼している3人の名前をつぶやいた。
もしも、この3人の内1人でも、今シーナと一緒にいたのなら……なんでもしてくれるはずだ。
絶対に裏切らないし、シーナを傷つけない。
言えば必ず助けてくれる。そして。
(……言えれば、だけど)
それが仮初めの繋がりだとわかっているから、シーナはそう自嘲した。
ゲームなら、好感度が80%を越えたヒーローは、心の中に持つ悲しみをシーナに打ち明ける。
それをシーナが受け入れることで、彼らは心の闇を昇華して、シーナと真実の愛で結ばれるのだ。
(でも、アイテムで好感度をMAXにしたせいか、ステータスを上げても恋愛イベントが起こらなかった)
たぶんそれは、チートアイテムの弊害だ。
おかしいと思った時には既に、3人に使用し終わっていた。
その正確な効果を知らなかったのだ。
シーナが前世で、赤い宝石の存在を知った頃にはもう、配信停止になっていたから。
知っていたのは、攻略サイトの掲示板に書かれていた、嘘か本当かもわからない噂話だけ。
(普通のアイテムを使っている間は、こんな風にはならなかったのに。赤い宝石を使ったら、イベントが起きなくなっちゃった。
……女性恐怖症のエルは、今も女性に触れることができないし、エリーは相変わらず女好き……それを……命令で無理矢理従わせてるから、私に怯えていて……憎んでる)
だから、フランツは普通に攻略しようと思っていた。シーナも、今度こそは真実の愛が欲しかった。
そうしてイザベルを罠にかけて、ダニエルの宝石の効果が消えた時には『もう今さら解くわけにはいかない』と強く思った。赤い宝石を使って脅し、再び抵抗することがないように、押さえつけた。
だって、力関係が逆転したら、彼らは自分をどうするのだろう?
(……あんなアイテム、見つけなければよかったな……だって……そうしたら、私はきっと)
シーナは、以前までは彼女に……はにかむ笑顔を向けてくれていたクラスメイトを思い出す。
彼も、もう、シーナに打ち明け話をしてくれる日はこないけれど。
(ゲームだと確か……妹を亡くして以来、病んでしまった家族のために、家ではずっと妹の代わりとして過ごしているって言ってた。学園でも、周りに喜ばれるキャラを演じているから虚しくて……でも、今さら本当の自分を見せるのは怖いんだ、って)
元々、幼い頃から平等に愛されてはいないと感じていて、自分を見てくれる人が欲しかったらしい。
でも彼の家族はもう、彼を彼としてすら見ていないから……ずっと愛に餓えている。
中途入学とその身分の低さから、奇異の目を向けられうつむいていた、弾かれ者の平民からの好意さえ、喜んで受け取ってしまうくらいに。
シーナは、彼の名前を声に出そうとして……口をつぐんだ。
檻の外で反響し始めた足音に気づいたから。
鉄格子の外を怯えながら見つめた。
そうして鉄格子の前に現れたのは……とても意外な人物だった。今のシーナではまだ、目を合わせることすら叶わないはずの人だ。
「目が覚めたようだな……シーナ・リーファース」
見た目そのままの冷ややかな声が、シーナへと向けられた。
眉目秀麗、完全無欠。
だが、その心は潔癖すぎて、認めた者以外を寄せ付けない。笑うことのないその整った顔立ちも、精巧に造られた美しい人形のようだ。
攻略難易度エクストラハード。
氷の貴公子、フランツ・ウイスニウスキー。
思いもしなかった人物の登場に、シーナはその場で立ち上がり、凍りついたように、フランツを見つめた。




