11 曖昧な強制力
気づいたら、自身の部屋にいた。
ざわざわと人の行き交う音がする中で、イザベルはぼんやりとベッドの天蓋を見ていた。
「イザベル様!」
「よかったです、お目覚めになられて」
「私、人を呼んで参ります!」
イザベルが起きたことに侍女達が気づくと、慌ただしく時間が動き始める。
「……私? に……なにが、あったの?」
「体調不良で早退されて、馬車の中で気を失われたのですよ」
「……ああ、そうだったわね」
侍女の1人が、イザベルが起きようとするのをサポートしながら、簡潔に答えた。その言葉で、イザベルは気を失う直前の出来事を思い出す。
「フランツ様は?」
「目が覚めたら、一目無事を確認したいと、別室で待たれています。いかがなさいますか? イザベル様」
「……ええ、お通ししていいわ。5……いえ、10分後にお願い。あと、それまで1人にしてくれる?」
「承知しました」
うなずき退出する侍女から視線を外し、イザベルは記憶を洗い出す。
エーリッヒが『命令は額面通りの意味しかなくて、こちらの受け取り方次第なんだ』と言っていた……その意味を考える。
(それはつまり、シーナの思惑をおもんぱからなくてよいと言うこと。言葉の曖昧な部分を曲解しても、それを私自身が信じられたら、フランツ様に打ち明けることができるかもしれない)
フランツといえば、気を失う前に、とても大胆なことをしてしまった気がする。……が、イザベルは頭を振ってそれについての思考は後回しにした。
(それよりも、シーナだわ)
イザベルは、赤い宝石を使用されてからの、シーナの言葉の1つ1つを丹念に思い出す。
(私達は、私の質問にシーナが答えるという形式の会話をしばらく続けていたわ。
宝石を使用されてすぐ言われたのは、シーナに私は『もう抵抗できない』という言葉。これは事実その通りで……シーナがすることに私は物理的な抵抗ができなかった。でもそのあとは? ……通常のアイテムは使えないけれど、赤い宝石だけは私にも使えると言って、その理由は私を『フランツ様攻略の強力なサポートキャラに反転させる《裏技》だから』だと言っていた)
それはつまり《通常のアイテムは攻略対象にしか使用できない》ということ。そして《イザベルには赤い宝石以外のアイテムは使用できない》ということだ。
だが、それについての思考も後回しにする。
今、イザベルが知りたいのは、シーナの言葉の中に、自分に都合よく改竄できる部分があるかどうかだ。
(……サポートキャラにできると言っていたけれど、それはただ単純に、アイテムについての説明をしただけで『サポートしろ』という命令ではなかった。この時点ではまだ私は、シーナからなにも、命令されていない)
それに『サポートとはなにか?』と聞いた時の答えは……『《反転したあとのゲームのイザベルは》主人公のステータスを上げる為に、アイテムを渡したり助言をする』だった。
だから、ゲーム通りにシーナをサポートしなければならないと思い込んでいたイザベルは、シーナに練り香水をプレゼントしたのだ。
(その他にシーナから言われたことはあと1つ……アイテムで服従させられて、私はシーナに抵抗できないのだと、実演されたあとの言葉。これがたぶん、シーナから私に課せられた唯一の《命令》)
そして、先ほどイザベルの首を絞めたもの。
『ええ、そうです。だから、フランツ様と両思いになれるように、尽くしてくださいね、イザベル様』
この言葉の前に言われていたことと繋ぎ合わせると、どちらも《シーナの為に》という意味合いだった。でも、だからこそシーナは、その主語に頓着せず、自然と省略した。
(だから、その主語を置き換える)
『ええ、そうです。だから……《イザベルが》フランツ様と両思いになれるように……《フランツに》尽くしてくださいね、イザベル様』
そのように無理やり主語を置き換えると、シーナの言葉は命令ではなく、恋のライバルへの激励に変わる。
そして、イザベルはこの置き換えが正解だと確信した。
イザベルの体内でドクドクと蠢いて、イザベルの言動を牽制しようとしていた赤い宝石の蠢きが収まったのだ。
それはつまり、これからイザベルがやろうとしていることが、シーナの命令に背くものではないと、アイテムが判断したということ。
(記憶が確かなうちに、思い返す時間を持ててよかった。シーナからの命令が1つしかなかったということに気づけたし、その命令への対策も立てることができた)
ちょうどその時、ノックの音がして、フランツと侍女がイザベルの部屋に入室した。
イザベルは静かに深呼吸して、自身の思考をこのまま騙し続けることに集中した。
****
「イザベル……もう起き上がって平気なのか?」
「はい、お陰様で。フランツ様も、どうぞお掛けになってください」
ベッドサイドに用意された椅子に、イザベルの勧めを受け入れたフランツが腰掛けて、イザベルを見ている。
そして、どのように切り出そうかと悩む様子のイザベルに、フランツが問いかけた。
「どうした?」
「……先ほどのお話を、もう一度やり直したくて」
「その件はもういい」
イザベルは、話を切り捨てられたと感じたが、フランツがそのあとに「君に負担がかかる」と続けたから、ただ心配しているのだと気がついて、「私は大丈夫です」と応えた。
弱音を吐かないように気をつけていたから今まで気づかなかったけれど、フランツはイザベルが思っていたよりずっと、優しい人なのかもしれない。
「色々……あって、上手くお話できない部分もあるかもしれません。ですがフランツ様だけに、お伝えしたいことがあります。それはとても信じがたいことで……あと、2人きりがいいのですが……」
「……それを話しても、君は平気なのか?」
「はい、今のところは」
「人払いしたい理由は?」
「……聞かれたくない内容を含むからです」
ここから先は慎重を期す必要があった。
フランツ以外の誰の耳にも入れるわけにはいかない。なぜなら。
(今から話す内容は、私とフランツ様の弱点になりうる話。私がシーナに逆らえないことを、攻略対象外の人間に知られたら……《シーナを通して私を従わせる》といったことができてしまう……敵が数倍に膨れ上がるわ)
シーナは隷属する者以外からしてみれば、力ない平民女性だ。脅すことはたやすいはず。特に、貴族にとっては。
そして、万が一シーナが、ゲームと無関係な第3者の手に堕ちた場合……シーナに隷属しているイザベルやその他攻略者達は、ゲームの破滅エンドよりも悲惨な末路になりえた。だから、イザベルはこの条件だけは譲ることができない。
(お願いです、フランツ様……)
体が緊張で震える。血の気も引いていく中で、フランツを見つめる。
気を紛らわす為にシーツを強く握っていると、フランツに気づかれた。
フランツは一瞬だけ痛ましい目をそれに向けると、手を伸ばしイザベルの固く握っていた手に触れて、指をほどいて柔らかく包み込んだ。
「わかった。私に話してくれることを、嬉しく思う……イザベル、君の信頼に応えよう」
それはとても優しく愛のある仕草で、イザベルは驚いて声を出せず、一拍を置いてうなずいた。
フランツの手は離れない。その瞳も、イザベルを見ている。
(なんだか今日は、とても不思議。フランツ様がこんなにも私に触れて、見つめて、いたわる言葉をかけてくださるなんて……)
実は全部、夢なんだろうか。
前世を思い出したことも、シーナに会ったことも、フランツとこのようなやり取りをしていることも。
そんな風に頭の片隅で考えながら、イザベルは人払いの済んだフランツと2人きりの私室で、口を開いた。




