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■「先輩、大好きですよ」


 バラバラになったパズルのピースばかりが集まっていく。それでも全体像は見えない。ここまで来たのなら、真実は本人に説明してもらうしかないだろう。


 俺はそれをさせるだけの証拠を持っていた。


一叶いちか、いるよな?」


 ノックをして返答を待つ。


「はーい、今開けますね。先輩」


 かちゃりとドアが開き、一叶いちかの笑顔で迎えられる。


「ちょっと話があってな」

「次回作ですか? もう考えついたんですか?」

「それは、まだ思い付かないが……」

「あ、わたしへの告白ですか? いいですよ。どんとこいです」

「……」


 いつもの一叶いちからしい言葉が空しく俺の心を通り過ぎていく。


「先輩、ツッコんでくださいよ。どうしたんですか?」

「告白するのはおまえの方だよ」

「え? いやだな。知っているくせに。先輩、大好きですよ。きゃはっ」


 彼女はふざけながら奥の部屋へと歩いて行く。


一叶いちかの母親に会ってきた」


 その言葉だけで十分だろう。背を向けていた彼女の身体が硬直するかのように固まる。


「……」

「父親は健在というのもわかっている。家出の理由が嘘だってのもバレている」

「……」

「おまえを責める気は無い。実際、俺はここ数ヶ月楽しかった。一叶いちかとのなにげない会話も、一緒に物語の世界を共有できたこともだ」

「……」

「だから真実を教えてくれ。一叶いちかが俺に嘘を言ったのも花音の指示なんだろ?」

「……ごめんなさい」


 震えた背中でそう呟く一叶いちか


「この前見せてもらったイラスト。あれがお前の理想なんだろ? そして今の一叶いちかこそ、昔の一叶いちかが憧れていた姿だ」



 自己愛なんかじゃない。彼女はこの小悪魔的な性格に憧れていたんだ。自分をさらけ出せるこの姿に。


「……ごめん……なさい」

「謝る必要はないよ。責めるつもりはないって言っただろ。俺は真実を知りたいだけだ。本当のことを教えてくれ。おまえは俺の作品をどう思ってたんだ? もしかして、花音に頼まれて俺のファンになったり、作品を褒めてくれとか言われたんじゃないのか?」


 理由がわからない。花音が黒幕だとしたら、なぜそんなことをさせるのか?


「わたし……先輩にとても酷い事しました。わたしの野望……目的のために、わたしは悪魔に魂を売ったんです」

「どういうことだ?」

「これからお話するのはわたしの過去のことです。それで何が起きたのか? 何が目的だったのかがおわかりになるでしょう」




**



 小学校の頃、とても仲の良い友達がいた。


 絵が描けるわたしと、お話を作るのが得意なちーちゃん。


 二人で一緒にマンガを描いたりもした。それは、とても稚拙な作品。


 わたしはちーちゃんに喜んでもらおうと、いっぱいマンガを読んで勉強した。プロが描く本はとても面白くて夢中になってしまうほどだ。


 だからだったのか、そのうち、ちーちゃんの物語には満足できなくなる。


 そして、些細なことで喧嘩して、わたしたちの友情は終わった。


 一人になったわたしは、自分で物語を考えようとした。でも、どんなに一生懸命考えても、それは陳腐な物語。とてもちーちゃんを笑えたものではない。


 わたしは落ち込み、そして絵だけを描くようになった。


 中学生になり美術部に入るも、部活の人たちに馴染めず、さらにクラスでも虐められた。


 そんな時に助けてくれたのが花音先輩だ。


 彼女はわたしの絵を褒めてくれた。


「あなた絵が上手いのね。プロを目指してるの?」

「わたしの才能では無理です」


 卑屈になってしまうのはわたしのクセ。もっと自信満々に生きて行けたらどんなによかったか。


「今の才能ではでしょ? わたしは未来の話をしているの。あなたはまったく成長しない気? プロになりたくない?」

「できればなりたいです」


 わたしには絵しかなかった。だから、それを職業とできるのなら、どんなに幸せか。でも、現実はそんなに甘くない。


「そう。でも、わたしは抜け道を知っている。正確には姉がその抜け道を知っているのよ」

「抜け道ですか?」

「まあ、早く言えばコネね。姉の夫が出版社の人なの。わりと決定権を持った地位の高い人よ。ある程度のレベルの絵描きであれば、仕事を見繕うことは簡単よ」


 どんなに上手くても埋もれてしまう。それがこの業界の仕組み。だからみんな、必死になって這い上がろうとする。


「それでわたしをどうしたいんですか?」

「ある人を騙すのを手伝って欲しいの。まあ、姉に言わせればその人を助けたいんだろうけど」

「騙す?」

「小説を書けなくなった小説家。産業廃棄物Rと名付けましょう。そのRを更生させるの」


 産業廃棄物って……花音先輩は、その人のことをどれだけ嫌っているのだろうか?


「なんでわたしなんですか?」

「あなた絵が描けるじゃない? 彼のインスピレーションを増幅してほしいの。それから、これはわたしの目的だけど、彼を姉から遠ざけて欲しいの。あなたに夢中になれば、彼は姉をあきらめるはず」

「わたしがその人と付き合えと?」


 知らない男の人と付き合えなんて、わたしには無理だ。


「さすがにそこまでは求めないわ。彼を夢中にさせて、姉のことなんかどうでもいいと思わせてほしいの。そのあと、あなたが振ろうが、構わないわ。それはそれで見ものだけどね」


 花音先輩は意地悪そうに笑う。わたしは苦笑しながら、そのRという人に同情してしまいそうになった。


 しばらくしてから、わたしにはある任務が言い渡される。それは演技の勉強。というより、とある特定の性格を演じることだった。


 今、急に性格を変えるのは違和感しか残らない。だから、高校に入学したら、その性格を演じろと。いわゆる高校デビューというやつだ。


 実際にそういう人もいるので、不自然ではないだろうとのこと。


「そのRって人に近づくのに、どうしてもわたしの性格を変えないとダメなんですか?」

「そうよ」


 即答された。わたしには選択の余地もないようだ。


「そのRという方が花音先輩のお姉さまに好意を持っているのですよね? そちらの方に似せた方がいいのではないですか?」


 普通に考えればそうなるだろう。


「それではただのコピーよ。産業廃棄物はオリジナルにしか興味を示さない。だったら、もっと魅力的な別のオリジナルを目の前にぶら下げればいいのよ」

「そういうもんですか? でも、なぜ小悪魔的?」


 花音先輩の考えがよくわからない。


「攻めないことには彼の心は崩せない。無駄になろうが、何度も何度もアタックするのよ。姉への想いが少しでも崩せれば万々歳。だから最初に言ったの、あの人と恋人同士になる必要はないって」


 納得まではいかないが、彼女の方針は理解した。


 その後、わたしは秘密の特訓を受けて演技を学び、着実に高校デビューの準備を進めていった。


 そんな中で、一冊の本を渡される。それが彼のデビュー作だ。


「あ、この作者の人知ってます。たしかに『最強の賭博師が人生ゲームをしていたら異世界転生しちゃいました』を書いた人ですよね?」


 図書館のラノベコーナーで偶然見つけたその本は、調べてみたらかなりのヒット作だったらしい。わたしとしてはデビュー作の『ペトリコールはあなたの匂い』よりもこちらの方が好みだった。


「なに? その恥ずかしいタイトル。姉が求めていたのはそんなんじゃないんだけどね」


 花音先輩は汚物を見てしまったかのように嫌悪感を示す。


「でも、面白かったですよ。わたし夢中になって読んじゃいましたから」


 流行を追っただけの薄っぺらい作品ではない。流行りの設定にきちんと自分の考えを落とし込み、それでいてエンターテイメント性を失わせない作り。


 芯の通った主人公が爽快だった。ヒロインの健気さに涙した。そしてなにより、文章や展開に一切無駄がないのだ。読み進める度に興奮した。


 私はこの作品のファンアートを描いたことがある。それほど気に入っていたのだ。


「いい? 持ち上げるならこっちのデビュー作を褒めなさい」


 花音先輩に念を押される。


「なぜデビュー作を褒めるのですか? ヒットした二作目の方が説得力があるのでは?」


 それは素朴な疑問。



◇次回「わたしは一つだけ失敗を犯しました」にご期待下さい!


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