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■「あなたのことは許してあげる」


「……」


 男は震えていた。そこまで覚悟のない奴なのか? それならば安心はできる。何がなんでも一叶いちかの物を手に入れたいという人物でもなさそうなのだから。


「もう逃げられないぞ」

「あと、わたしのバッグも盗ったでしょ?」


 一叶いちかの不機嫌そうな言葉が続く。


「……ごめんなさい。つい」


 観念したのか、男は俯いてしまう。


「あなたはいじめっ子なの? わたしを困らせたいの?」

「違う……ボクはただ、一叶いちかたんの物が欲しくて」


 その口調に何か気付いたのか、一叶いちかが男に近づいていき、そのフードを脱がす。


「佐藤くん」


 驚いた顔の一叶いちか


「知り合いか?」

「部活の子の一人です」


 そういえば学校でこいつを見かけたことがあるような気がする。鈴木と違って、他にも彼と似たような小太りの奴もいたからなぁ。完全に記憶に刻まれていなかったか。


 となると、ストーカーという予想もまるきし外れたわけでもなかったのか。まあ、一叶いちかにとっては部活の仲間ってのは想定外であるかもしれないが。


 ふいに思い浮かぶのは、奇妙な怪文書。


――『岩神一叶を信用するな』


 鈴木でなく、こいつが怪文書を投函した可能性もあるわけか。


 ん?


 なんだろう、この噛み合わない違和感。


 いや、違和感はこいつに感じているのではない。俺が持っている情報に対して、違和感が表れ始めている。


 それはなんだ?


――『岩神一叶を信用するな』


 違う!


 ストーカーの立場で俺を排除したいなら、こう警告するだろう。


――『岩神一叶に近づくな(・・・・)』と。


 背筋がゾクリとする。じゃあ、誰があれを書いたのだ?


 それとも、完全に別件なのか?


「でも、佐藤くん。バッグがなくなった時、一緒に行動してたじゃない」

「あれは、他の子に頼んで盗んでもらったんだ」

「なんでバッグなの? 大事な物は入ってなかったけど、なくてわたしすごく困ったんだよ」


 一叶いちかと佐藤とかいう奴の会話で俺は我に返る。今はこんなことを考えている場合じゃない。


「ごめんなさい」


 彼はただただ頭を下げるばかりだ。その表情から本当に反省しているようにも見えるが、ならば、なぜそんなことをしたのか?


 そこでもう一つ、自分の中で引っかかっていたことが浮かび上がる。さっきの事とは別であるが、これに関しては今確かめるべき事だろう。


「なあ。俺からも質問させてくれ」


 俺は一叶いちかの隣に並ぶと、少年を憐れんだ目で見下ろす。


「い、一叶いちかたん! だ、誰なんですか? この人?」

「わたしのカレ――」

一叶いちかと同じところで働いている先輩だよ! さっきおまえがいた店にいただろうが!!」


 なんか、一叶いちか。今、変な事を口走ろうとしなかったか? 慌てて被せたから無駄に声がでかくなってしまったじゃないか。


「ひぇー」


 俺が大声を出したものだから、彼はびびって仰け反る。


「ひとつ質問だ。おまえが盗んだものの中に日焼け止めと汗ふきシートは入ってるか?」「ひ、日焼け止め? 汗ふきシート? い、いえ、それは盗ってませんけど」

「なるほど。ということは、おまえがバッグを盗むのを焚きつけたのは、クラスの女子だな」

「……は、はい。そうです」


 佐藤は脂汗を流しながら下を向いてしまう。


「先輩、どういうことですか?」

「単純に言えばイジメだよ。ただ、単純に嫌がらせで一叶いちかの物を盗るのはバレたときが怖い。一叶いちかの取り巻きが黙ってないからな」


 そこで一叶いちかは手をポンと叩き、その理由を悟ったように俺に答え合わせを求める。


「なるほど、その嫌がらせを佐藤くんのせいにできれば、自分たちの身は安全だってことですね?」

「そういうこと」

「でも、なんで佐藤くんが女子たちに焚きつけられているって気付いたんですか?」

「こいつはおまえの身につけた物を欲しがっている。だから、盗む。この論理はわかるんだ。けどさ、新品の日焼け止めや汗ふきシートは、おまえが身につけたものじゃないだろ?」


 一叶いちかはすぐにその意味に気付いた。


「そっか、新品だから、佐藤くんには価値がないのに盗るのはおかしいって思ったんですね」

「そう。それに新品の物なら、自分が買ったと言って堂々と使うこともできる。それでいて、いじめる相手にダメージも与えられるからな」

「あー、酷いなぁーもう」


 一叶いちかは大きくため息をついて、肩を落とす。それに対して気が引けたのか、佐藤という男子が恐る恐る彼女の顔色を覗う。


「あ、あの。ボクはどうすれば」

「あなたのことは許してあげる。だから、誰に焚きつけられたか教えてくれない?」


 許すの早すぎだな。まあ、そこは一叶いちからしいブレはないか。


「田中さんです」

「あー、やっぱしぃ」


 一叶いちかは面倒臭そうにつぶやく。


「クラスの女子なんだろ?」

「うん。クラスでの発言力はかなり高い子。取り巻きの子たちのおかげでなんとか対抗はできてたけど」

一叶いちかの取り巻きを崩そうってのが今回の彼女たちの目的だろう」

「佐藤君たちは唯一の騎士ナイトだったのに」


 一叶いちかが恨めしげに佐藤の顔を見る。


「ご、ごめんなさい」


 このままでは他の奴らも籠絡されて、一叶いちかの味方が消失してしまうだろう。


「先輩……どうすればいいんですかね?」

「まあ、こういう場合は元から絶たなきゃダメだろ」

「元?」

「イジメの元凶である田中って奴だよ」

「直接対決ですか? 先輩がビシッと言ってくれるんですか?」

「何をだよ!?」

「『俺のかのじ――』」

「佐藤!」


 再び大声を被せる俺。なんだろうな。一叶いちかの言う台詞がわかりすぎるのも、それはそれで疲れるぞ。


「は、はい」

「このまま一叶いちかのストーカーを続けろ」

「えー!?」

「えー??」


 佐藤と一叶いちかの声がユニゾンする。おまえら仲いいじゃん。


「ちょっと待って下さい先輩。せっかく佐藤くんのこと許したのに」

「田中って奴を騙すためだよ。このままやられっぱなしってのも嫌だろ?」

「まあ、ちょっと悔しいですけど」

一叶いちかが仕返しをしたくないってのであれば、何も仕掛けないけど」

「なにかスカッとする仕返しの方法があるんですか?」

「スカッとするかは相手の情報しだいだな。でもまあ、多少の弱みは握れるかもな」


 俺はニヤリと笑う。釣られて一叶いちかもニヤリと笑った。



 さあ、反撃開始だ!



◇次回「しかたないですね」

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