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■「それでもいいです」


 言ってから後悔する。しまった、一叶いちかにこんな自分をさらけ出すなんて失態じゃねーか。


 案の定、にまぁっと悪女的な笑みが浮かぶ。


「見せてください。これは正統な要求です」


 被写体が一叶いちかなんだから拒めるわけもない。


「ほれ」


 俺は撮った画像を画面に読み込んで一叶いちかに見せる。水槽を眺める少女。ただそれだけの構図なのに、この写真の一叶いちかはまるで別人のように映っていた。


「ぁ……」


 小さく声をあげて、写真を見とれるように固まってしまう彼女。


「感想は?」


 この前の仕返しだ。感想は強要されるものなのである。


「先輩とおんなじですよ。物語が始まりそうです」


 これで一叶いちかも共犯だ。俺だけが夜一人で寝るときに、今日のことを思い出して恥ずかしくて悶え苦しむことはないだろう。


「ね、先輩。ちょっと休憩していいですか? というか、もうちょっと明るくて椅子があるところに行きたいです」


 俺は一瞬で、彼女が何をしたいのかを理解する。


 だから出口付近にあるフードスペースへと向かう。今回の見所であるイルカもアシカもスルーだ。


 席に着いたとたん、一叶いちかは持ってきたタブレットでお絵描きを始める。予想通りの行動だった。


「先輩、その写真。ここに置いてください」


 さきほど撮した写真をもとに、一叶いちかはラフ画を描いていく。その集中力は2時間ほど続いた。


 その鬼気迫る勢いに圧倒され、俺はずっと一叶いちかから目が離せなかった。


 くぅーとかわいく一叶いちかのお腹がなる。


「先輩お腹空きました。なんか、簡単に口に入れられるものを買ってきてください」

「はいよ」


 いつもだったら「ワガママ言うな」とか「俺はパシリかよ」と文句を言うところだが、今日ばかりはそんなことを口に出せる雰囲気じゃない。


 恐れているわけではない。一叶いちかが描くイラストを心待ちにしているのだ。


 そしてさらに、俺がイメージした架空の少女の物語も膨らんでいく。



**



 一叶いちかが描き上がったラフ画をドヤ顔で俺に見せる。


「で? なんで一叶いちかがモデルになってるんだ? 俺がイメージした少女は小悪魔系じゃねえぞ」


 モノクロの線画のイラストを見て俺は首をひねる。身体的な特徴はすべて彼女だ。にやついた小悪魔的な笑みも、一叶いちかそのものである。


「だって、先輩。わたしをモデルにしたんじゃないんですか?」

「構図として一叶いちかを使わせてもらっただけで、イメージはぜんぜん違う!」


 やはり二人三脚をしたら一歩目でコケるタイプだった。


「じゃあ、どういう少女をイメージしたんですか」

「そうだな。オズの魔法使いでいうならブリキの木こりかな」

「ブリキの木こりは男性ですよね?」

「心が空っぽという意味でだよ」


 一叶いちかが一瞬固まる。自分のイメージと違ったものだから、齟齬を修正するのに思考がフリーズしているのか? と思ったら、出来上がっていたイラストに修正を加えていく。


「うーん。だったら、ちょっと表情変えればいいんじゃないですか。こんな風に」


 口元と目を少し描き直しただけなのに、それは俺のイメージにぴたりと当て嵌まる。


「おお! いい感じ」

「これ以上齟齬があるとめんどいんで、先輩の考えた物語をきちんと教えて下さい」


 一叶いちかは、ずけずけとそう聞いてくる。


「そう言われても断片しかまだないよ。それにこれは小説になるかもわからない。出版の可能性なんてゼロに近いぞ」

「それでもいいです」

「なんで、そんな俺の戯れ言に本気になってるんだよ」


 その答えに一叶いちかが身を乗り出してビシっと俺を指差す。


「ビビッときたんですよ。こういう感覚は大切です。ただし、いくら先輩でも半端な物語を示すようなら容赦なくダメ出ししますからね」

「お手柔らかに頼むわ。こちとらまだリハビリ段階なんだから」

「それで? 断片でもいいんで物語を教えて下さい」


 しかたがないので、俺は話の断片を整理しながら口に出す。


「あらすじはこんな感じだ。少女は生まれつき感情があまり動かない性格だった。笑わない、泣かない、怒らない、そんな感じだ。自分には心がないと少女は考える」

「舞台はファンタジーですか? 現代ですか? ジャンルは恋愛? それとも人間ドラマですか?」

「舞台は決めてないけど、ジャンルはSFだよ」

「S……どこがですか?」

「それをこれから説明するよ」


 SFにしたのは、単純に好みの問題。読者受けを考えていたら、候補から外しているだろう。


「少女に恋する少年が出てくるんだ」

「イケメンですか?」

「想像に任せるよ。俺のイメージはギャルゲの量産型主人公なんだけどな」

「先輩がモデルじゃないんですか?」


 ドキッとする。一叶いちかを撮影したのは俺なんだ。この物語はその投影でもある。でも、そんな恥ずかしいことは認められない。


「バカ、そんなこと恥ずかしくてできるか。10代じゃねえんだからさ」

「少女はわたしがモデルだとしたら、少年は先輩でぴったりじゃないですか」

「だから、あれは架空の少女だっての。口の達者な小悪魔さは一ミリたりともないから!」


 言い訳は空しいだけだ。それは自分自身がよくわかってる。


「まあいいです。続けてください」

「少年は一生懸命、心が何かを教える。愛が何かを教えるんだ」

「先輩、質問です。愛ってなんですか?」


 こいつは話の腰を折りまくるな!


「辞書引けよ」

「そうじゃなくて」

「話続けるぞ。少年は少女を連れ回し、この世のありとあらゆる綺麗なものを見せるんだ」

「……」

「でも少女の心は動かない」

「……」

「少年は少女にプレゼントをする。高価なもの。綺麗なもの。美味しいもの」

「わたし、anelloのバッグが欲しい!」

「おまえにはやらんわ」

「愛が欲しいです」

「愛は物じゃない」

「話をもどしましょうよ。それで?」


 話を逸らしまくってる奴に、そう言われるとイラッとする。


「とにかく何をプレゼントしても少女の心は動かないんだ」

「うまく行くわけないですよね。現実の女の子だって、そんなに物に釣られるわけじゃないんですから」


 現実の女の子というか、おまえのことだろうが。


「今度は彼女を笑わすために、少年はおちゃらける。ギャグを言ったり、ボケたり、巧みなオチで誘導したり……それでも少女は笑わない。だから、少年の友達を呼んでパーティーをして、みんなで少女を笑わせようとしたんだ」

「なるほど。でも、うまくいかないと」


 一叶いちかも物語の構造自体は理解しているようだな。


「その通り、最終的には少年はどうしたらいいかわからなくなってしまう。そんな時に少年の母親が亡くなるんだ」

「……」


 唐突だが、これはあらすじだから理由はあとで考える。


「少年は涙を流す。その姿を見た少女はこう聞くんだ。「なぜ泣くのか?」と。少年は母親との思い出話をする。シングルマザーで苦労しながら少年を育てたこと。それでも少年は母親の幸せそうな顔を見て、幸せに育ったこと。でも自分は母親にもらった幸せを返せていない。親孝行できずに逝ってしまった。だから悲しくて、悔しくて泣いているのだと」

「まあ、わりとベタな話ですね」

「ここまではな」


 俺はニヤリと笑う。


「少女は話を聞いて、自分はこの少年が亡くなったときに涙を流せるのだろうかと考える」

「先輩は死んじゃうの?」

「俺じゃねえっての! あとゲスな先読みは嫌われるぞ」


 一叶いちかに話していると、本筋から逸れまくる。でも、それもまたいい経験なのかもしれないな。


「あはは、冗談ですよ。続けてください」

「少女は気付くんだ。自分は簡単に笑ったり怒ったりしないだけで、少年のことを考えると心が苦しくなるのだと。涙を流すかどうかはわからない。けど、少年を失いたくない。心がないのなら、そんな風に思わないのではないかと」

「ほうほう、なるほど」


 わざとらしい頷きも、話が逸れないなら安心できる。


「で、あるとき、神様のお告げがある」

「唐突過ぎますよ」


 予想通りの反応。


「あらすじだし、話の骨格だから、小説にするときは説得力のある設定とか状況を作るよ。でだな……」

「ほい」

「少女には人間らしい心があった。そのことを告げられる。そして実は、他の人類こそが心を持たず、ただ人間らしい反応をしているだけの人形だと知らされる」


 俺がジャンルをSFだと言ったのは、これがテーマだからだ。



◇次回「雑すぎます。ボツです!」にご期待ください!


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