■「かわいく撮れました?」
日曜日。
駅で待ち合わせすることになった。というのも、一叶は一度家に戻って着替えてくるとのこと。
まあ、あの部屋に引っ越したわけじゃないんだから、服はそんなに持ってきてないだろうしな。
そんなことを考えながら数分待っていると、時間の5分前に一叶が到着した。
「先輩!」
私服だったので、一瞬誰が目の前に来たのか判断するのが遅れる。
「よお、早かったな」
「先輩だって早いじゃないですか。やっぱりわたしとのデート。そんなに楽しみだったんですか?」
「ちげーよ。俺は人と待ち合わせるときは基本的に10分前集合にしてるだけ」
「いいんですよ。そんな言い訳しなくても」
「ほんとだっつうの!」
一叶の私服は俺が予想していたものとは違った。小悪魔的なギャルっぽい服装か、はたまた童貞を殺すような攻めた服装だと思っていたのに……。
実際の彼女の服装は、ファストファッションで揃えたかのような地味なもの。それでも、その中で一番のお気に入りを選んだろうなという感じは伝わってくる。
まあ一叶の場合は、絵描きが趣味だし、そっち方面で金を使っているのだろう。だから、ファッションにはあまり金をかけないタイプか。
「行くぞ」
俺が移動しようとしたとき、一叶が普段見せないようなは気弱な表情をしながら目を泳がせて俺に問う。
「変……じゃないですよね?」
「ん?」
「服装です。わたしデートするの初めてなんですから」
「いや、変ではないだろ。そういう子はよく街で見かけるぞ」
ファストファッションはもともと若い子に向けて作られているのだ。そこまで違和感があるわけでもない。
「そうですね。あー、なんかよくいるモブキャラですよね。こんなにわたしは美少女なのに」
「だから自分で言うなって」
すぐにいつもの一叶に戻る。けど、なんだろう、説明できない違和感が残った。
**
楽しそうに水槽の魚を見て回る一叶を見て、素朴な疑問を投げかける。
「一叶は魚に興味があるのか?」
「なんか、先輩の質問の仕方だと、食べる魚の方に聞こえますけど」
「一緒だろ。泳いでいて『うまそう』とか思ったりしないのか?」
「なんですか? そのサイコパスな答えは。水族館は神秘的な場所なんですよ。先輩のその俗っぽい考えは捨て去ってください」
「冗談だよ。俺も料理よりは生態系に興味がある。大昔、何かのネタにできないかなって、調べたことがあるからな」
歩いて行くと、目の前に見えてきた水槽は珊瑚礁をイメージしたものだった。チンアナゴたちが俺たちを出迎える。
「あはっ! かわいい!」
にょきっとしたコミカルな生物に興味津々な一叶。
何かコメントしようと思ったのだが、下ネタになりそうだったのでやめる。まあ、チンアナゴにはそんなに興味はないけど、一叶の楽しそうな表情に水を差すのもよくないだろう。
「そういや、一叶の今日の目当てはイルカか? それともアシカか?」
水族館の人気者といったら、その二つがあげられる。
「わたしはそこまでおこちゃまではありません」
「あ、あれかクラゲとかか? あれは幻想的だよなぁ」
根がオタクならクラゲ好きは多い。俺の私感だが。
「クラゲもいいですけど、わたしは深海魚の方が好きですよ」
そうきたか。そういう予想を外す答えは新鮮でもある。
「意外だなぁ」
「神秘的じゃないですか。太陽の光も届かない深い海。わたしたちの住んでいる地上とはまったく別の法則に従っているんです」
「一叶ってロマンチストなんだな」
「それ、女の子が男の人に言う台詞ですよ」
「まあ、素人であろうが創作者側ならロマンチストにもなるって」
一叶は絵描きなのだから、ロマンチストでも問題ない。
それから神秘的な海を堪能し、通路上にある深海魚の剥製標本を見上げる。
「リュウグウノツカイですね。これ好きです。たしか人魚伝説のモデルですよね」
飾られている標本は全長4m近くある平べったい魚だ。
「人魚はジュゴンって説もあるけどな、まあリュウグウノツカイでも間違いではない」
「ナマで泳いでいるところ見たかったなぁ。一緒に泳げたら素敵ですよね」
この魚は水深200から1000メートル以内に生息している。普通の人間にその水圧は耐えられない。イルカじゃないのだから、一緒に泳ぐのは難易度が高すぎだ。
「そんなにお気に入りか?」
「だって、こんなに長い身体で、優雅に泳ぐんですよ」
「深海魚だから生態はあんまり知られてないぞ。優雅かどうかはわからんって」
「わたしの中では優雅なんですよ」
一叶の頭の中では、さぞ華麗にこの魚は舞っているのだろう。まるで竜宮城のように。
「そういやさ。ここに飾られているリュウグウノツカイは珍しいというか貴重な姿なんだよな」
「どういうことです?」
「大抵の個体は、こんな完全には残ってないんだよ。リュウグウノツカイは何か緊急事態が起こったときに尻尾……というより身体の半分を切るんだよ」
自切という。
「トカゲの尻尾切りみたいな?」
「そう。でもさ、トカゲと違って再生はしない。切断されたまま一生を過ごす。まあ、内臓とかは前に集中しているから、生きるのには不必要な部分ではあるんだよな。長ければそれだけ天敵に見つかりやすいし、逃げにくくもなる」
「じゃあ、この展示されてるこの子は勝ち組だったんですね」
標本は綺麗に尾びれまで整っている。この大きさになるまで、危険な目に遭わなかったのだ。
「逃げるために大切なものを切り離すってのは、身につまされるんだよな」
比喩ではあるが、自分も似たようなことをしてきたからだ。
「先輩にとって、小説は半身のようなものなんですね。でも、先輩はリュウグウノツカイではありません。きっとトカゲです。すぐに生えてきますよ」
「簡単に言ってくれるな。けど、無理だよ」
10年近く経っても再生はしない。半身はもがれたまま空っぽだ。もう小説は書けない。
「先輩。もし、先輩が半身で不自由なのであれば、わたしがもう半身になります。比翼の鳥ってあるじゃないですかぁ。一緒に飛びましょうよ」
1つの翼と1つの眼しか持たない雄雌一匹ずつのつがいの鳥。たしか古代中国の伝説上の生物だったか。
雄鳥と雌鳥が隣り合い、互いに飛行を支援しなければ飛ぶことができないというお話。
悪くはないかもしれない。けど……。
「いい話っぽくしてるけど、俺とおまえは赤の他人だ。二人三脚でさえ、失敗しそうな関係だぞ。飛べるどころか、一歩目でコケるわ!」
「あー、ひどいなぁ、せっかく慰めてあげたのに」
「慰めなくて結構。俺は今の生活にそこそこ満足しているんだから」
「初恋の人が結婚してても?」
は? 雪姉への好意がバレてるは知っているが、初恋の話はしたことがないぞ。
「おま、それ誰に聞いた?」
「鹿島先生です」
月音の野郎か! 予想外の所から背中を撃たれた感じだ。
思考が固まって動揺を隠せない。こいつの前では醜態は見せられないからな。
「ちょっとトイレ行ってくる。先に行って適当に観てていいぞ」
そう言って一叶から離脱する。しかしまあ、雪姉という弱点があるうちは、俺は彼女に敵わないのかもしれない。
**
館内を探し回り、ようやく一叶を見かける。俺を待たずにだいぶ先の方まで進んだようだ。
彼女がいたのは巨大なエイがいる大きな水槽。その周りを熱帯魚たちが泳いでいる。
声をかけようとして、息を呑んだ。
彼女と水槽が一体化したような幻想的な青の風景。
まるで一枚の絵のような状況が目の前にあった。
思わずスマホを取りだして撮影してしまう。
なぜ、そんなことをしたのか? 自分でもよくわからなかった。
「水族館の少女か」
頭の中に浮かぶのは、架空の少女の物語。それが徐々に膨らんでくる。
「ちょっと先輩! 遅くないですか?」
振り返った一叶が、俺に向かってずんずんと歩いてきた。
「一叶がどんどん先に行くから探すのに苦労したんだよ」
「あと、先輩。わたしのこと撮影しませんでしたか? そんなにわたしの姿をスマホの壁紙にしたいんですか?」
「するか!」
「じー」
一叶が近寄ってきて、俺を見つめる。
「なんだよ」
「かわいく撮れました?」
「かわいくは撮れねーよ。プロじゃないんだから。ただ」
「ただ?」
「物語が始まりそうだった」
思わず恥ずかしい台詞がぽろりとこぼれる。
◇次回「それでもいいです」にご期待ください!
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