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006.

 日が暮れかけた頃、夕刻の三つ時が鳴る。聖教会本部にある大時鐘の音が、貴族街とは違い王宮内ではかなり大きく聞こえる。

 その三つ時の音を合図にして、リーナが大きなあくびをした。とろんと半分閉じかけた常磐色の瞳が、彼女の眠気を表しているかのようだ。


「ごめんなさいね、ルーチェ。眠くなってきたの。楽しかったわ。また会ってくれる?」

「もちろん。いつでもお会いできますよ。今日は大変楽しかったです」


 茶会の終了だ。すぐさまジータがやってきて、リーナを支えながら星の別邸へと戻っていく。ずっと眠っていたアディもリーナのあとを追いかける。

 庭の蓄光魔石がぽつぽつと灯り始める。大小様々な光は幻想的だ。風が少し冷えてくると、ディーノがようやく口を開いた。


「では、フィオリーノ王子殿下のもとへご案内します」


 魔石カンテラをつけたディーノの後ろを、ルーチェとエミリーが追いかける。エミリーの足が遅いことを悟ると、ディーノはすぐに歩調を緩める。エミリーは申し訳なさそうな表情をしているが、ルーチェはその配慮を嬉しく思うのだ。

 邸内に入ったディーノは応接室の扉を開け、エミリーに話しかける。


「お連れの方はこちらでお待ちくださいませ。食事を用意しております」

「わたしはルーチェ様のおそばを離れるわけにはまいりません」

「王子殿下とルーチェ様のお世話は私が責任をもって行ないますので、ご心配なさらぬよう。冷えた体を温めてくださいませ」


「しかし」と食い下がろうとしたエミリーを、ルーチェが制する。ここではルーチェもその侍女も客人なのだ。


「ご配慮、痛みいります。エミリー、ここで待っていてくれるかな。何かあったら申し伝えるから」


 エミリーは渋々客人扱いされることを了承して、応接室へと入っていった。


 エントランスの近く、中央階段を上った先には広く開放的な部屋があり「こちらは共用の居室です」とディーノが説明する。伯爵家と同じようにテーブルやソファ、椅子などが整えられている。


「この共用居室を境に、ルーチェ様の左手側、橙色の絨毯側が客室、右手の赤い絨毯側が王女殿下の居住空間となっております」


 赤い絨毯の廊下には、いくつか不思議な形の棒や棚がある。ルーチェは顔を輝かせる。


「あれはもしかして、アディの遊び道具では?」

「はい。日中はあのあたりが日向ぼっこに適しておりますので、先程の東屋とこの赤の廊下を気に入っておられる様子です」


 結婚すると、リーナだけではなく猫のアディも一緒に暮らせるようだ。ルーチェは嬉しくてたまらない。可愛いものに囲まれるのは幸せなことだ。

 ディーノはさらに階上へと上って行くため、ルーチェは慌てて後を追う。


 三階にも、中央から絨毯の色が変えられている。リーナの部屋の上が藍色の絨毯、フィオリーノの部屋。客室の上が緑色の絨毯、ジラルドの部屋だという。

 ディーノは藍色の絨毯の上を進む。そして、扉の前で立ち止まる。


「こちらに王子がいらっしゃいます。挨拶が終わり次第、お食事をお持ちいたします」

「はい、お願いします」


 ディーノはすぐにいなくなる。ルーチェは深呼吸をして心を落ち着けたあと、コンコンと重厚な木の扉をノックする。「どうぞ」という声がどことなくリーナに似ているような気がする。兄妹なのだから似ていて当然だと思いながら、ルーチェは扉を開いた。




「失礼します」と言って入室すると、目の前に美しい顔があった。リーナにそっくりな常磐色の丸い瞳と、三つに編んだ長い金髪。人懐っこい笑顔。リーナが絶世の美女なら、その兄は絶世の美男子だ。王子にしては簡素な服を着ているため、その美しさが際立っている。


「こんばんは、ルーチェ。ご足労ありがとう。僕はフィオリーノ。気軽にフィオと呼んでくれると嬉しいな」

「初めまして、フィオリーノ王子殿下。ルーチェ・ブランディにございます。このたびはお招きいただきありがとうございます」


 深々と辞儀をすると、フィオリーノ第五王子は嬉しそうに微笑む。ルーチェの男装に何も言うことなく、ソファに座るよう促してくれる。ふわりと、柑橘系の匂いがする。リーナの香水と同じものを使っているのだろう。


「急な求婚に応じてくれてありがとう。それから、無理を言って連れてきてしまって申し訳なかったね。色んな人から聞いていると思うけど、僕は日中は伏せっていることが多いから、夜じゃないと顔を合わせることができないんだ」

「お体のほうは大丈夫なのですか?」

「うん。夜になると元気になるものだから、吸血鬼王子だなんて呼ばれているらしいね。格好いい二つ名だから、少し気に入っているよ」


 不名誉な噂であっても笑い飛ばしている王子を、ルーチェは不思議なものとして眺めている。屈託なく笑うところはリーナそっくりだ。初対面のはずなのにそうは感じないところは、妹のリーナと話をしているせいかもしれない。


「ルーチェ」


 優しく声をかけられて、ルーチェはビクリと肩を震わせる。何を言われるのかと思って硬直すると、フィオはルーチェの前に立ち、そのまま跪いた。慌ててソファから立ち上がろうとすると、笑顔で制止される。


「美しく凛々しい僕の女神。葡萄の妖精よ。手の甲にキスをする許可をいただきたい」


 誰からも言われたことがない甘い言葉だ。ルーチェは困惑しながら、「きょ、許可、します」と頷く。

 パァと顔を輝かせたフィオが、するりと手を取り、左手の甲に唇を落とす。柔らかく熱い唇の感触に、ルーチェの体がカッと熱くなる。真っ赤になっているルーチェを見て、フィオは苦笑する。慣れていないのが伝わったようだ。


「ルーチェ、僕との結婚を了承してくれてありがとう」

「こ、ちらこそ、ありがとうございます」

「これから、少しずつお互いのことを知っていこうか」

「は、はい、お願いします」


 フィオは「じゃあ、婚約成立ということで」と微笑んで立ち上がる。

 相手を見極める時間もないままに、一瞬で、あっさりと、大変なことが決まってしまった。ルーチェは困惑しながらフィオの背中に声をかける。


「あの、どうして私なのでしょう? リーナ王女殿下が、結婚しろと仰ったからですか?」

「結婚を決めたのは僕の意志だよ」


 振り向いたフィオの表情に嘘はない、とルーチェも思う。この結婚は、フィオの意志なのだろう。だが、納得はできていない。


「しかし、私とフィオ王子は今が初対面ですし」

「……そうだね。リーナには王子妃の候補を見つけるように頼んでおいたんだ。条件はいくつかあってね。アディが懐くこと、リーナが信頼に足ると認めること、それから――」


 フィオはそっとルーチェの頬に触れる。その指先は少し冷たい。


「――自分らしさを持っている格好いい人だということ」


 ルーチェの心が静かに冷えていく。リーナもフィオも、誤解したのだ。ルーチェの男装は、自分らしさの象徴であるのだと。


 ――嘘なのに。私は格好いいものより、可愛いものが好きなのに。


「だから、あなたがいい」


 昨日の、母親の言葉が頭をよぎる。必ず王子に気に入られなければならない。そうしなければ、行き遅れ、もう二度とこのような良縁には恵まれない。

 ルーチェは微笑む。自分の気持ちに蓋をして、微笑む。


「ありがとう、ございます」


 嘘をついていることを隠して、罪悪感に苛まれていることを隠して、納得したふりをする。そうすれば、絶世の美男子も微笑んでくれるのだから。




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