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038.

「アウトゥリア侯爵はなぜ陛下に謁見を申し込んだんだろう? 息子の言葉を過信して、『コレモンテ伯爵令嬢の素行は良くない、王子との結婚は破談にしたほうがいい』と進言しにでも行ったのかな?」

「その可能性は大いにありますね」


 アウトゥリア侯爵家へ向かう馬車の中で二人は溜め息をつく。爵位を持つ貴族が国王に謁見を申し込むことはあれど、子が同じことを願い出ても却下されることのほうが多い。「王女殿下へ求婚の申し込みに来た」というヴァレリオは、侯爵家の嫡男である上、先に手紙を出しておいたために謁見が通ったのだ。侯爵家の三男では立場も状況も違う。

 国王にも無下にされ、王女からは辱めを受けたと勝手に勘違いしたトーニオがどんな行動をするのか、ルーチェにはさっぱりわからない。とにかく、一つでも情報がほしいため、手がかりがありそうな侯爵家へと向かっている。侯爵が戻っていればいいが、そうでなければ立ち寄りそうな場所を聞き出さないといけないのだ。


「今日は馬車の往来が少ないんだね」

「国王の帰還に備え、今日は一日、関所でも出入りの規制を行なっておりますので」


 ルーチェが今乗っているのは、王家の馬車だ。だから、平民区に出るときも貴族街に戻るときも、すんなりと通されたのだろう。馬車と人の出入りが制限されているのならば、リーナを貴族街の外に連れて行くのは難しいのではないか。そんなふうに、ルーチェは考える。貴族街に留まっていることを考慮して窓から様子を見ていたが、侯爵家の馬車は近くを通らなかった。


 ルーチェが「ミレフォリア公爵家に嫁入りをしたアリーチェの妹」と名乗ってアウトゥリア侯爵家を訪ねると、侯爵夫人は驚きながらももてなそうとしてくれた。「トーニオが葡萄水をかけてしまった未来の王子妃」だということは明白なので、謝罪のために一席設けようとしてくれたのだ。しかし、時間がない。ゆっくり香茶を飲んでいる暇はないため、夫人にはすぐに本題を切り出した。

 侯爵を乗せて朱の宮殿へ向かったはずの馬車は、まだ戻っていないらしい。夫人は「侯爵はそのまま議会へ向かったのでしょう」と応ずる。トーニオが同乗しているかもしれないとは思ってもみないようだ。

 残念ながら、夫人は侯爵とトーニオが他に立ち寄りそうな場所を知らなかった。侯爵が朱の宮殿へ向かった理由さえ知らなかった。


「アウトゥリア侯爵家から王宮に向かう途中に、ミレフォリア公爵家がございます。公爵家でご子息を乗せることも可能かと」


 ディーノの助言でそのままミレフォリア公爵家に向かったが、やはりトーニオは不在であった。「父侯爵と王宮へ向かう」と自慢気に使用人たちに言いおいて出かけていったらしい。ルーチェの登場に、庭師たちは怯え上がってすぐに白状してくれた。

 しかし、やはり馬車は戻ってきていない。庭師たちに尋ねても、トーニオが立ち寄りそうな場所に覚えはないという。


「他に立ち寄る場所がないということは、つまり、馬車に乗ったまま移動している可能性が高いということかな?」

「確かに。議会がある今の時期、街邸を長期間留守にしている邸宅はなく、勝手に馬車で乗りつけることはできません。だとすると、そのまま走り続けている可能性のほうが高いでしょう」

「でも、侯爵家の馬車で走り続けるかな?」

「乗り換えている可能性があるということですか?」


 家紋のついた馬車で走り続けるのは目立つ上、リーナの姿を見られたら言い逃れができないものだ。どこか通りの死角になるところで乗り換えたと考えるのが自然だ。

 しかし、今日は平民区から馬車は乗り入れることができない。それに、騎士が多く警備に当たっているため、不審な動きをすればすぐに「何をしている?」と馬車を止められるだろう。騎士は死角がないように配置されているはずと考え、ルーチェは馬車を停めるよう御者に伝える。

 既に日は暮れかけている。急がなければ、とルーチェは馬車から降りて甲冑を着込んだ騎士たちに声をかける。


「不審な動きをしていた馬車、ですか?」

「どれほどの馬車がここを通ると思っているんですか」


 通りで警備に当たっている二人組の騎士は、怪訝な様子でルーチェを見てきた。男か女かわからないのだろう。王宮の警備騎士ではないため、顔見知りではない。

 しかし、彼らはすぐに馬車が王家のものだと気づいたらしく、ピシリと踵を合わせて態度を改める。権力は偉大だな、とルーチェは質問を続ける。


「例えば、紋章のない馬車が何度も通るとか、ドレスの裾が扉からはみ出ている馬車だとか、カーテンを閉め切っている馬車だとか」

「そのような怪しい馬車は……」

「見てないですねぇ」


 二人は眉をひそめながら確認し合う。ディーノが二人に渡すための金を用意しようとするのをルーチェが止め、紙とペンだけを要求する。

 二人は指輪をしていない。ルーチェは今朝のエミリーとの会話を忘れていないのだ。


「貴族のご令嬢方は少し難しいかもしれないけれど、貴族の邸で働いている独身のメイドなら何人か紹介できるんだよね。あなたたちは興味ないかな?」

「独身の女の子……!」

「ああっ、しばらく前に車輪がキィキィうるさくて、ガタガタ揺れている馬車なら通りましたよ! 整備不良なんじゃないかって話したじゃないか。なあ?」

「止めるかどうか話したな。そういえば、あの馬車何回も俺たちの前を通っていたような……」


 騎士二人は不審な馬車を思い出したらしい。ルーチェはすぐに紙に何かを書きつけ、二人に手渡す。


「ありがとう。私はルーチェ。コレモンテ伯爵家を訪ねてくれたら、悪いようにはしないよ」

「ありがとうございますっ!」


 二人は嬉しそうに頭を下げ、「彼女ができるかも!」と喜んでいる。ディーノは「お金で解決できないことがあるとは」と目を丸くしている。


「馬車は東に向かったみたい。急いで追って!」


 しかし、ルーチェたちがキィキィとうるさい馬車を見つけたときには、とうとう日が落ちてしまったのだった。




 油を差していないのか、キィキィと車輪がうるさく鳴いている。家紋もない、手入れのされていない馬車が貴族街の大通りを何度も通るわけがない。特に、今日に限っては。


「ディーノ、剣を」


 ディーノは馬車の中に隠してあった短剣を渋々ルーチェに渡す。ルーチェは前を走る馬車を睨みながら、御者に並走するように指示を出して、王家の馬車のステップに立つ。飛び移る気だ。


「ルーチェ様、危険です!」

「百も承知だよ。でも、行かなきゃ」

「くそっ、そこの馬車! 止まれ!」


 こちらの御者やディーノが制止しても、ボロ馬車は止まらない。あちらの御者は何事もなかったかのように、平然と馬車を走らせている。

 大通りを四頭建ての馬車が二台、並走している。王家の馬車のステップには、剣を持った何者かが一人――そんな状況を見て、通りを警備していた騎士たちに緊張が走る。何人かは馬車を追いかけてきている。

 それを確認して、ルーチェはタイミングを見計らってからボロ馬車に乗り移る。そのとき、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がして、ルーチェは鍵のかかった蝶番を短剣の柄で壊し、扉を開け放った。風の圧力で扉が落ちても、気にしない。ルーチェは、目の前の光景を見て、一瞬で冷静さを欠いた。


「おっ?」

「何だあ?」


 二人の汚い男の下に、可憐で可愛らしかった服――ボロボロにされた服を着た、自分の婚約者の姿がある。猿轡を噛まされ、涙を流し、起き上がろうとして長かったはずの菜の花色の髪が落ちる。


「……私の夫に手を出すな」


 まだ夫ではない、ということなどどうでもよかった。

 ルーチェはまず近くにいた細い男の背を思いきり蹴った。男はバランスを崩して小太りの男に倒れ込む。小太りの男が細い男を「どけ!」と突き飛ばす反動を利用して、細い男をそのまま扉の向こうへ出してやる。外へ転げ出た男は、追ってきている騎士に回収されるだろう。


「っひ」


 反対側の扉から逃げようとする小太りの男の背を剣の柄で殴りつける。背だけではなく、腕も腰も殴りつける。痛みに耐えながら、鍵を外して扉を押し開いた小太りの男の尻を、最後に蹴り上げる。嫌な音を出して、男は扉と一緒に転がり落ちていった。

 ディーノが乗り移って御者を止めたのか、馬車は緩やかに速度を落としていく。


「あぁ、フィオ!」


 ルーチェは呆然としているフィオをぎゅうと抱きしめる。フィオの体は、ガタガタと震えている。間に合ってよかった、と安堵する。


「怪我はない? 髪、綺麗だったのに、あいつら、なんてことを」


 切り落とされた菜の花色の髪が、床に落ちてしまっている。ルーチェはリーナの長い髪が好きだった。自分にはない、美しく可愛らしいものの一つだったのだ。


 フィオの目から零れ落ちる涙を、裾で拭ってやる。一番ショックを受けているのは、彼だろう。拐われ、二人の男から暴行され、すんでのところで婚約者が飛び込んできて大暴れしたのだ。なぜ、どうして、と疑問符だらけだろう。

 だから、ルーチェは努めて明るく微笑んだ。


「いつまでたっても迎えに来ないから、迎えに来ちゃった」


 短剣でフィオの手足を縛っていた縄を切ってやると、白い肌に血が滲んでいる。医者を手配するようにディーノに伝えようとしたところ、猿轡を外したフィオにぎゅうと抱きつかれる。


「フィオ、もう大丈夫だよ」


 震えるフィオの背を撫でながら、婚約は白紙になるだろうか、などとルーチェは考える。悪漢二人相手に暴れ回る王子妃など、聞いたことがない。それは王子妃の役割ではない。王子妃に必要なものは、腕力ではないのだ。

 だが、今後もおしとやかにすることはできないだろう。悪漢に対峙したとき、真っ先にフィオの前に出て剣を振るってしまう自信がある。

 それは、「男装しているから」ではない。守りたいものを守る、それがルーチェの矜持なのだ。それが可愛らしいものなら、なお守らなければならないものなのだ。


「……ルーチェ、ごめん」

「うん、わかってる。婚約は」

「本当にごめん。僕の妻はこんなに格好良くて、強くて、可愛くて、美しくて、あぁ、本当に最高なのに」

「……うん?」


 強く抱きしめられて、ルーチェは困惑する。婚約を解消するのではないのだろうか、と。


「ルーチェ・ブランディ。あなたは、僕の誇りだ。もう一回、言わせてくれ」


 夜の下、フィオの常磐色の瞳がまるで黒曜石のように美しく輝く。


「美しく凛々しく、強くて可憐な僕の女神。格好良くて可愛い、葡萄の妖精よ」


 ――いろいろ、増えた……?


「格好いいものが似合っても、可愛いものが大好きでも、男を投げ飛ばしても、強くても情けなくても、どんなルーチェであっても、愛することを誓う」

「う、うん……?」


 馬車は完全に停まっている。ディーノが騎士たちに何か指示を出している。だが、その内容までは入ってこない。このボロ馬車の中が、妙にキラキラと輝いている。今はフィオしか見えていない。


「どんな僕であっても、胸を張ってあなたの隣に立ちたい。ずっと。一生。あなたのそばにいたい」


 フィオはそっと、ルーチェの頬に触れる。


「僕と、結婚してください」


 ルーチェは笑う。ずっと前から、それを了承しているというのに。


「喜んで」


 最初から、そのつもりだ。出会ったときから結婚したいと思っている。

 それでも、確認が必要だったのだ。

 二人が、二人のままで、夫婦になるためには。




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