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028.

「アウトゥリア侯爵家が懇意にしている医者……申し訳ございません、思い当たりません」


 さすがにディーノも貴族たちの医者のことまでは知らないため、侯爵家へ向かっている。アウトゥリア侯爵家は王宮の西に位置するため、王宮の壁近くの大通りを馬車は走る。

 途中、北西にあるラルゴーゾラ侯爵家の前を通ったが、夫人が帰宅しているかどうかまではわからなかった。


「アディはラルゴーゾラ侯爵夫人に蹴られてしまったみたい」

「怪我は大丈夫かな? 心配だな。骨が折れていないといいのだけど」

「あぁ、もう、アディったら、どうして、こんなことを」


 ラルゴーゾラ侯爵夫人にまとわりついて、侯爵家に連れて行ってもらおうと考えていたのかもしれない。そんなふうにルーチェは考える。


 ――やっぱり、アディはヴァレリオのことが好きなんじゃないかな。


 ただ、それはルーチェの憶測でしかないため、リーナには黙っておく。アディが見つかれば、答えもわかるだろう。

 ラルゴーゾラ侯爵の邸から、アウトゥリア侯爵の邸までは離れていないため、馬車はすぐに立派な門構えの邸宅にたどり着く。馬車が停まっているようには見えない。


「どこに行ったのかしら、あいつ。とにかく、侯爵家へ行ってくるわ。ルーチェは待っていて。ディーノ」


 リーナはディーノを伴って侯爵家へと入っていく。ルーチェはまた馬車の中で留守を預かることになる。

 トーニオがアディを医者に診せに行ったのなら、それでいい。しかし、アディが憎き王族の飼い猫だと気づいたとするなら、医者に診せに行くとは限らないだろう。王族の飼い猫を看病して恩を売るより、虐待して気分をスッキリさせようと考えるかもしれない。


「あぁ、アディ、無事でいて……!」


 ルーチェは最悪の事態を想像する。あと数刻で三つ時だ。

 診察している医者の手の中で、アディがアデリーナに転換したとしたら。トーニオに虐待されている最中に転換したとしたら。


 ――王家が二十年も隠してきた「呪い」が、明るみに出てしまう。


 それはおそらく、国王の望むところではない。もちろん、呪われている三兄妹だけでなく、妃殿下やその王子王女も望んでいないだろう。二十年という年月は、それほどまでに重いものだ。


「おいっ、待て! 待てと言っている! 早く捕まえろ! 何をしている!」


 遠くで、誰かが何かを追いかけるような声が聞こえてくる。「アディ!?」と、思わずルーチェは馬車を降り、声が聞こえるほうへと走り出す。こういうとき、走りにくいワンピースなどを着ていなくてよかったと、男装をしていてよかったと思うものだ。


「猫一匹、なぜ捕まえられん!?」


 邸から離れた庭のほうから、誰かを叱責するような声が聞こえる。ただ、木々の垣根が邪魔をして、なかなかそちらのほうへ向かうことができない。


「アディ!? アディー!」

「うわっ、何だ? どこへ行った!?」

「トーニオ坊っちゃん、塀を超えてしまいます!」

「ええい、逃がすな! 捕まえろ!」


 トーニオと使用人たちの声なのだろう。垣根の境目を見つけ、ようやく向こう側の庭に出たとき、ルーチェの目に入ってきたのは、白壁の塀の近くで棒を持った男たちの姿だ。庭仕事をするための器具なのか、鋤や鍬のようなものを持って金色の毛玉を追い詰めている。

 いつかバルコニーからルーチェに葡萄水をかけた若者が、そんな使用人たちをけしかけながら激昂している。


「手負いの猫だぞ! 早く捕まえろ!」

「し、しかし、王女殿下の猫だと……」

「怪我をさせてしまっては……」

「なぁに、多少痛めつけても構わん! 献身的に看病したと言い添えておけば、公爵家への奉公も取り消してもらえるかもしれないからな!」


 ぷつん、とルーチェの中の何かが音を立てる。及び腰の庭師の手から鍬を取り上げ、下がっておくように命令する。怒りに燃えるルーチェの菫色の瞳には、愚かなトーニオしか映っていない。

 アディはルーチェに気づいていないのか、塀のほうを見上げ、飛び上がって超えられるか目算をしている様子だ。


「逃がすなよ! 殺さないように手加減しろよ!」


 トーニオの、その嬉しそうな声。ルーチェは鍬を持つ手をぎゅっと握りしめる。彼が侯爵子息であることを忘れそうになってしまう。


 ――伯爵家の娘が侯爵家のご子息を暴行することは、結構な罪になるだろうな。アディは喜んでくれそうだけど、リーナはどうだろう? まぁ、婚約はなかったことに……。


「――するわけにはいかないなぁっ!」


 鋤を構え、トーニオを横から殴ろうとしたルーチェだったが、婚約を解消することになったときのリーナの、フィオの悲しげな顔を思い浮かべて、手を持ち変える。


「ぼ、坊っちゃん!」

「へ?」


 トーニオの頭上から鋤を振り下ろす。ビュンと空を切り、トーニオの肩をかすめ、鋤は芝生に突き刺さる。それはトーニオの靴ギリギリのところだ。


「っひ……!」

「……王女殿下の飼い猫だとわかっていての愚行、見逃すわけにはいきませんねぇ」


 鋤をぐいと引き抜くと、芝と土がぼこりとついてくる。結構な深さまで刺さったらしい。ルーチェは鍬を再度構え、トーニオを見て微笑む。


「使用人の方々への命令を解かなければ、今度こんなふうになるのはあなたの足ですよ?」

「わ、わかった! わかったから! やめろ、やめ――」


 使用人たちは慌てて手にしたものを芝の上に放り投げる。王女の猫だと知りながら追いかけるのは、彼らの本意ではなかったらしい。


「お、お前! こんなことをして、許されるとでも!」


 ルーチェは無言で鍬を振り上げる。もちろん、愚かな侯爵家の息子に向かって。


「ひ、ひいっ!」


 驚いて尻もちをつくトーニオの股間の下あたりに、鍬が再度突き刺さる。多少は手加減したため、芝に深々と刺さってはいない――はずだ。鍬から手を離すと、ぐらりと棒が傾く。


「ぼ坊っちゃん!」

「大丈夫ですか!?」


 ルーチェは慌てて庭を探す。しかし、金色の毛玉はどこにもいない。


「アディ!? 猫は!?」

「あ、あの、猫なら、塀を飛び越えて……」


 使用人の一人が、塀の向こうを指差す。どうやらさっきの騒ぎに乗じて、アディは逃走したらしい。

 ルーチェは慌てて来た道を引き返す。アディはルーチェの姿を見ていないかもしれない。だとすると、塀の向こうからさらに逃走している可能性がある。

 大通りは馬車の往来が激しい。今の時間帯は、議会が終わり帰路に着く馬車も多い。馬に蹴られ、車輪に轢かれてしまっては大変だ。


「アディ! アディー!!」


 ルーチェは徒歩のままで侯爵家から飛び出す。しかし、塀のそばにも、大通りのどこにも金色の猫の姿はない。アウトゥリア侯爵家から朱の宮殿の屋根は見えるものの、地面に伏せて猫と同じ目線になってみると、他の街邸や国立施設群に邪魔されて屋根を見ることができない。つまり、アディには方角がわからない。


「どうしよう。アディー!」


 だが、アディは普通の猫ではない。木に登り、朱の宮殿の位置から方角を知り、星の別邸に戻ることも、ラルゴーゾラ侯爵家へ向かうことも、できるはずだ。


「……どっちだろう? アディはどっちへ向かったのかな」


 怪我の程度はわからないが、ルーチェの背よりも高い塀を乗り越えて行くことはできたらしい。だとすると、大怪我ではないだろう。


「……行くか」


 ルーチェは、北へと向かう。馬車で来た道を戻っていく。ラルゴーゾラ侯爵家の邸へと。




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