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016.

「ルーチェ様、アデリーナ王女殿下がお見舞いにいらっしゃっております」

「……ごめん、まだ熱が」

「そうお伝えしておきますね」


 ルーチェの寝室からエミリーが出ていく。リーナには申し訳ないと思いながらも、ルーチェは寝台(ベッド)から起き上がることができずに伏せったままだ。国立調査団から帰ってきてから、熱が下がらないのだ。

 幸い、流行病のようなものではなかったが、環境の変化に体が疲れてしまったのだろうと医者は言っていた。ヴァレリオと久々に鍛錬を行なったのも理由の一つではあるだろう。体の節々が痛く熱を持っている。

 とにかく、安静にしなければならない。念のためにリーナの面会も断っている。当然、星の別邸にも行くことができていない。


「はぁ……」


 溜め息をついて、ルーチェはごろりと転がる。

 自分の弱さに、ルーチェが一番驚いている。結婚がご破算になるかもしれないと想像したら、熱が出た。ある種の拒絶反応なのかもしれないとルーチェは思っている。


 ――私、フィオとの結婚に夢を見ていたんだなぁ。


 リーナにフィオのことを「好きだ」と言わされてから、自覚した感情だ。その感情に振り回されるとは思ってもみなかった。

 しんと静まった部屋でぼんやりと天井を眺めながら、フィオは毎日こんなふうに過ごしているのだろうか、と考える。何とも孤独な時間だ。やはり、日中もフィオと過ごす日を作ってみてもいいかもしれないとルーチェは思う。


「結婚したら、の話だな……できないかもしれないもんな」


 ロゼッタから、訂正の書状がジラルドに届いているだろう。王家に必要なのは真実の愛ではない。呪いを解くのに真実の愛は必要ないのだ。

 それを知ったら、フィオが婚約の解消を申し入れると思っていたのだが、その知らせはまだ伯爵家には届いていない。回復するまで伏せられている可能性はあるものの、連日リーナが見舞いに来てくれて、ルーチェの体調の回復を祈って、帰っていく。リーナはフィオとの結婚を諦めていないのだ。


 ――星の別邸には、もう行けないかもしれない。


 星の別邸は、ルーチェにとって居心地のいい、可愛いもので溢れている最高の場所なのだ。あの邸で過ごしたかった、とルーチェは嘆きながら眠りに落ちた。




 目を開けると、窓の外が茜色に染まっている。夕刻だ。三つ時の時鐘が聞こえないほどの深い眠りだった。ルーチェは額に手をやろうとして、それに気づく。右手がしっかりと、誰かの手に握られていることに。

 椅子に座り、寝台に突っ伏しているのは、茜色に染まった――。


「リーナ?」


 何もかもが夕日の色に染まっているリーナは、夕刻になると起きられなくなる。誰かを呼んで、連れ帰ってもらわなければならない。ジータは一緒に来ているだろうか。ルーチェがジータを呼びに行こうとリーナの手を離そうとした途端、右手がぎゅうと握られた。


「……行かないで、ルーチェ」

「リーナ? でも、あなたを別邸まで送ってもらわないと」

「いいの。今夜はここで眠るわ。もう伯爵にもエミリーにも伝えてあるから」


 ゆっくりと顔を上げたリーナは、悲しげだ。なのに、強がって微笑んでいる、そんな印象を受ける。


「……エミリーから聞いたわ。何もかも。ごめんなさいね、あなたを騙すつもりはなかったの」


 嘘をつかなければならないほどの不利益な魔法があるのだと、ルーチェも理解している。ルーチェにはその魔法を解くことができないということも。


「フィオの婚約解消を、伝えに来てくれたのかな?」

「そんなまさか。どうして? フィオは絶対にルーチェとの結婚を取りやめたりしないわ」

「ロゼッタからの書状に書いてあっただろう? 真実の愛では呪いは解けないんだよ。だから、私たちが婚約する意味なんて」


 リーナがいきなり、むぎゅとルーチェの頬を両手で挟む。唇が突き出すような変な顔になる。リーナは肩を震わせて、「当たり前じゃないの!」と笑う。


「ひぇ?」

「わたくしたちの呪いは、真実の愛なんかで解けるわけがないの。おとぎ話なんかより、もっとずっと厄介なものなのよ」


 やはり、王家は呪われているのだ。しかし、ルーチェはリーナの言葉に違和感を持つ。「わたくしたちの呪い」ということは、つまり、「リーナも呪われている」ということに他ならない。フィオだけでなくリーナも不利益な魔法がかけられているのだ。


「その厄介な呪いをあなたに打ち明ける勇気が、わたくしにはなかったの。ごめんなさい。だって、あなたに嫌われたくなかったんだもの」


 あの夜、勇気がないと言っていたのは、フィオのほうだ。リーナは打ち明ける気満々だったはずだ。ルーチェは混乱し始める。


「ほうひへ?」

「どうして、って、ルーチェのことが好きだからよ。あなたに嫌われたくなかったの」


 リーナからの唐突な告白に、ルーチェの頭の中は真っ白になる。


「でも、嫌われたくないというのはわたくしの我儘ね。嘘をついて生きていくより、真実を打ち明けてあなたの信頼を得ることのほうが、大事なんだと気づいたの。これ以上、わたくしの我儘でルーチェを振り回すのは、あなたを傷つけるのは、あってはならないこと」

「リ」

「だから、真実を話すわ。でもどうか、わたくしを嫌いにならないで。どんな罰でも受けるから、わたくしを許してもらいたいの」


 リーナの瞳に涙が浮かぶ。覚悟も、哀願も、リーナの本心なのだろう。絶世の美女にそんなふうに縋られたら、ぐらぐらと気持ちが揺らぐものだ。


「まずは、真実の愛で呪いが解けるのか、試してみましょう」

「はへふ?」


 試すって何を、と問おうとした瞬間には、眼前にリーナの顔がある。頬に添えられている両手はしっかりとルーチェを捕らえている。

 真実の愛を試すということは、つまり――。


「リー……」


 リーナの柔らかな唇が、ルーチェのものに重なる。温かいのか熱いのか、熱があるルーチェにはわからない。優しい柑橘の匂いに、今日は酔ってしまいそうだ。


「ね? 呪いなんて解けないでしょう?」


 戸惑うルーチェを、リーナが見下ろす。ルーチェの体が熱い。熱が上がりそうな気配がしている。何しろ、リーナの言っていることが一つも理解できないのだ。


「ほら、日が沈むわ。よく見ていて」

「……え?」

「わたくしから目を離さないで、ルーチェ。僕の葡萄の妖精さん」


 ――わたくし? 僕?


 窓から茜色が消え、帳が下りる。その瞬間のリーナの姿を、ルーチェは一生忘れることはないだろう。まるで夢を見ているかのような、時間だ。

 リーナの胸の膨らみが消え、腕や腹がきしむような音を立てる。どこかでビリという、服の破れる音がする。


「え」


 柔らかく丸い女性の体が、ごつくて硬い男性の体へと転じていく。喉仏がぽこりと生まれる。


「リ、」


 夜が訪れた瞬間、そこにいたのは、リーナではない。フィオリーノだ。リーナの服を着て、リーナの髪型をして、フィオが溜め息を零す。


「あー、あー、うん。声も元通り」

「フィ、えっ? フィオ、王子? リーナは? リーナはどこ?」


 ルーチェは困惑したまま婚約者の姿を見上げる。フィオは着ていたワンピースの裾をくるくると揺らし、「たぶん背中が破けたわね。これ、気に入っていたのに」と嘆く。フィオの声で、リーナの喋り方。ルーチェの頭の中はぐしゃぐしゃだ。


「さて、改めまして、ルーチェ。今はフィオ。さっきまではリーナ。これ、全部僕なんだ」

「え」

「信じられないかもしれないけれど、これが呪い。王家が秘密にしている、国王の恥。僕がルーチェに内緒にしていたこと。……嫌いになった? 気持ち悪い?」

「ど、う、して」


 呆然とするルーチェを見下ろし、フィオは微笑む。その笑顔の中にリーナの面影を見つけて、ルーチェはさらに混乱する。


「話せば長くなるんだけど、まぁ、夜は長いんだから構わないよね。ゆっくり話そうか」


 熱に浮かされた頭で、ルーチェは思う。あぁ、これは夢なのだと。熱が下がればこんな変な夢は見ないだろうと。

 ルーチェは静かに目を閉じ、夢の中でさらに夢を見るように努めるのだった。




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