14話―衝突・・・―
「嫌です。あなたについて行く気なんてありません。それに、家に
帰る気だってありません」
淡々と、しかし何か震えを含めた声で水原は言った。
男は目を丸くしていた。
「分かっていましたか、私が連れ戻しに来たのを。…………奥様は
あなたに戻ってきてほしいと思われております」
何を話しているのかが分かった。
この男は水原を連れ戻す気なのだ。だけど水原はそれを拒否している。
連れ戻す、といっても俺は水原が今までどこに住んでいるのかも分かって
いなかったし、どんな家庭事情なのかも知らない。
「それに奥様は……あなたに早く任せたいとおっしゃっていました」
「っ………」
「学校を、転校するんです」
部室内に不穏な空気満ち溢れる。
部長を見たが、部長は目を伏せて何かを考えている。
竜児も愁兎もただ立ち尽くして話を聞いている。
「………すぐにとは言いません。……また私は来ますから、それまでに
お考えください。とはいっても奥様は連れ戻せ、とおっしゃるかもしれませんが」
そういって礼儀正しく頭を下げ、踵を返した。
男は去り際に笑って見せた。
結局その日は解散となり、それぞれ帰宅することになった。
水原は何も言わずに部室を出て行き、竜児はゲームをするために
颯爽と帰っていった。
愁兎は野球部の練習に借り出されて、部室には俺と部長だけが残った。
「部長はどう思います?」
不意にそんなことを俺は訊いていた。
部長が何を考えているのか、それがとても気になったからだ。
「どうって………どうも考えてないな」
その言葉に俺は驚愕した。
何も考えてないってことだ。俺はそれが信じられなかった。
「どうしてですか?………なんで同じ部の仲間なのに……」
部長は俺に背を向けて、窓のサッシに手をかけた。
風に長い髪が揺れる。
そんな時間が永遠にも感じられた。
「それは………分からないか?」
ひどく静かな声だった。
それに俺はわからなかった。
何故止めないのか、これまで一緒にいた仲間じゃなかったのか。
どうして─────さっきまですごく仲がよかったじゃないか。
「水原は………帰るべきなんじゃないのか」
ついにそんなことまで言い出した。
「部長!!!」
俺は叫んでいた。そんなに人のことを考えられない人ではなかったはずだ。
「止めたっていいじゃないですか! ここにいてくれって俺たちが言ったら
いいじゃないですか! なんで誰も助け舟を出さないんですか!」
俺はなんとなく感づいていた。
水原は転校してしまうだろう。
迎えに来るとはそういうことなんだろう。
この部活の誰1人、欠けてはいけないのだ。
そんなこと部長が一番分かっているんじゃないのか。
「それを私に言ったところでどうなる。………ハル、これは水原の問題なんだ」
「でもっ!………」
「私たちに!………他人の家庭に口を挟む権利なんてあるのか!」
それは怒号だった。
裏腹に悲しさも秘めているようで、……俺は、どういうことも出来なかった。
「ハル……私だって同じなんだ。……でも、こんなところで水原は立ち止まっていていいのか?
進むべき道があるんだ。……それを私たちが遮ってはいけないんだよ……」
いきなりの訪問。水原を連れ戻す。転校。
本当にいきなりだ。………もう何がなんだか分からない。
俺はどうすればいいんだ。
「私たちはどうも出来ないから………、いつも通り過ごすしかない」
次の日、水原は部室に姿を現していない。
部室には4人しかいなく、静まり返っていた。
誰も口を開かない。
やはり昨日のことが会ったからなんだろう。
俺は一度水原の所に行ってみようと思った。
俺自身、この空間が壊れるのは嫌だったから。
席を立って、部室のドアに手を掛ける。
「どこに行くんだ?」
とは誰も訊いてこなかった。昨日部長が言っていた。
私も同じなんだ────と。
そしてみんなも同じなんだと思う。
だからこそ、誰も訊いてこないんだ。
水原の教室に行くと、窓側の一番後ろの席に水原は座っていた。
外を眺めている。家には帰らなかったようだ。
「水原」
名前を呼ぶと、少し首を動かしてこちらを見た。
いつもの無表情で。
俺は水原の前の席に座った。
「何しにきたんですか。………鳴川 春希。」
「別に……話を」
沈黙が訪れる。遠くからは運動部の喧騒が聞こえる。
それほど教室は静かだった。
「昨日……私は連れ戻される時。……嫌だって言いました」
水原が口を開いた。
「でもそれは、みんなの言う感情というものからきたのではないのです。
こんな時、普通の人ならば嫌だって言うのだろう、そんな知識から
出てきた言葉だったんです。………でもそれを私が言った時。
自分で言って分からなくなったんです。なんで私は知識の中から
この言葉を選んだろうって。……分からなかったんです」
それは、矛盾していた。
嫌だ、という言葉を選んだ時点で水原はもう感情で動いていたんだ。
本当に嫌だったんだ。それは何故か、楽しかったからだ。
救部で過ごす日々が、楽しかったから。
水原だって感情を持っている。
だって人間だから。
だって嫌だって言ったんだから。
でもそれを……俺は口に出来ないでいた。
言えなかったんだ。
「そうか……」
言葉なんて選べなかった。こんなことしかいえなかった。
「なんか話したらすっきりした気がします」
そういって水原は立ち上がった。
「明日。迎えに来るそうです。母も連れて」
いつもの変わらない声のトーンで言った。
でも……何かが違うのを感じた。
「じゃあ、……明日またです……」
そういって彼女は教室から出て行った。
俺はそのことを伝えに、部室へと重い足取りで向かうのであった。