↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々史記  作者: ンバ
第八十 楽毅列伝
PR
89/274

三、合従連衡、暴君伐つべし

3.

當是時,齊湣王彊,南敗楚相唐眛於重丘,西摧三晉於觀津,遂與三晉擊秦,助趙滅中山,破宋,廣地千餘里。與秦昭王爭重為帝,已而復歸之。諸侯皆欲背秦而服於齊。湣王自矜,百姓弗堪。於是燕昭王問伐齊之事。樂毅對曰:「齊,霸國之餘業也,地大人眾,未易獨攻也。王必欲伐之,莫如與趙及楚、魏。」於是使樂毅約趙惠文王,別使連楚、魏,令趙嚪說秦以伐齊之利。諸侯害齊湣王之驕暴,皆爭合從與燕伐齊。樂毅還報,燕昭王悉起兵,使樂毅為上將軍,趙惠文王以相國印授樂毅。樂毅於是并護趙、楚、韓、魏、燕之兵以伐齊,破之濟西。諸侯兵罷歸,而燕軍樂毅獨追,至于臨菑。齊湣王之敗濟西,亡走,保於莒。樂毅獨留徇齊,齊皆城守。樂毅攻入臨菑,盡取齊寶財物祭器輸之燕。燕昭王大說,親至濟上勞軍,行賞饗士,封樂毅於昌國,號為昌國君。於是燕昭王收齊鹵獲以歸,而使樂毅復以兵平齊城之不下者。

(訳)

この当時は斉の湣王《びんおう》が強く、

南方で楚相の唐眛《とうばつ》を重丘に破り、

西方で三晋を観津《かんしん》に挫き、

かくて三晋と秦を撃って

趙を助けて中山《ちゅうざん》を滅ぼし、

宋を破って領地を千余里広げた。


秦の昭王と幾重にも争って帝号を為し、

已めたが、これに復帰した。


諸侯は皆、秦に背いて斉に帰服しようとした。


湣王は自らを矜《ほこ》り、

百姓は(戦役に?)堪えられなかった。


こうして燕の昭王が斉の討伐について

諮問すると、楽毅は答えて言った。


「斉は覇国の余業です

(桓公の築いた基盤があるから今も強い)。


領地は広大で人は多く、

単独では容易に攻められません。


王が絶対にこれを伐たねばならぬと

お考えならば、趙及び楚、魏に

与するに越した事はございませんかと」


こうして楽毅を遣わして

趙の恵文王と盟約を交わし、

別に楚・魏とも連盟させ、

趙を嚪《く》らって秦に斉を討伐する

利点について説かせた。


諸侯は斉の湣王の

驕慢・暴虐を憚っており、

皆争って合従し、燕とともに斉を伐った。


楽毅が帰還して報告すると、

燕の昭王は悉くを挙兵させて

楽毅を上将軍とし、趙の恵文王は

相国の印綬を楽毅に授けた。


楽毅はこうして

趙・楚・韓・魏・燕の兵を併せる事で

斉を伐ち、済西《せいせい》でこれを破った。


諸侯の兵は引き上げ、

燕軍と楽毅のみが追撃に出て

臨菑《りんし》まで至った。


済西で敗れた斉の湣王は

逃亡して莒《きょ》を保全した。


楽毅だけが留まって斉へ

(降伏を)勧告したが

斉の全土が城を守った。


楽毅は臨菑へ攻め入り、

斉の財宝や祭器を盡く奪取して

燕へと輸送した。


燕の昭王は大いに説《よろこ》び、

自ら済水のほとりへ向かって軍を慰労し

褒賞を行なって士を饗応した。


楽毅は昌国《しょうこく》に封じられて

「昌国君」の称号を為した。


こうして燕の昭王は

斉から鹵獲《ろかく》した物を収めて

帰っていったが、楽毅には

再度兵を以て斉の城で

下っていない者の平定に当たらせた。


(註釈)

当時はかなりの勢いがあった斉。

燕単体ではとても敵わない相手です。


そこで楽毅は他の四国と

合従連衡して斉に対抗。


斉の湣王の評判が悪かったとはいえ

あっという間に話を纏める手腕が

凄すぎる!


かくて国都の臨菑まで侵攻し

湣王を追い詰めた燕。

引き続き諸城の平定を

楽毅に一任します。


ここからの戦果がまた化け物。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。