豫讓 一、士は己を知る者の為に死す
7.
豫讓者,晉人也,故嘗事范氏及中行氏,而無所知名。去而事智伯,智伯甚尊寵之。及智伯伐趙襄子,趙襄子與韓、魏合謀滅智伯,滅智伯之後而三分其地。趙襄子最怨智伯,漆其頭以為飲器。豫讓遁逃山中,曰:「嗟乎!士為知己者死,女為說己者容。今智伯知我,我必為報讎而死,以報智伯,則吾魂魄不愧矣。」乃變名姓為刑人,入宮涂廁,中挾匕首,欲以刺襄子。襄子如廁,心動,執問涂廁之刑人,則豫讓,內持刀兵,曰:「欲為智伯報仇!」左右欲誅之。襄子曰:「彼義人也,吾謹避之耳。且智伯亡無後,而其臣欲為報仇,此天下之賢人也。」卒醳去之。
(訳)
豫讓(予譲)は、晋の人である。
かつて范氏及び中行氏に事えたが、
名が知れる事は無かった。
(二氏のもとを)去って
智伯(智瑶)に事えると
智伯は豫讓を甚だ尊び、寵愛した。
智伯が趙襄子(趙無恤)を伐つに及んで
※趙襄子は韓・魏と共謀して智伯を滅ぼし、
その後嗣をも討って領地を三分した。
(※晋陽の戦い)
趙襄子は智伯を怨むこと甚だしく、
(殺すだけでは飽き足らずに)
その頭骨に漆を塗って
※飲器にしてしまった。
(※盃、または尿瓶)
山中へと遁走していた豫讓は言った。
「ああ……!!
士は己を知る者の為に死して
女は己を説ぶ者の為に容づくる。
今、智伯は我を知り、
(その知己を殺されたからには)
我は、必ずや死を賭してでも
報讐を為さねばならぬ……!!
(仇を討って)智伯へ報せたならば
則ち、吾の魂魄にも恥じるところはない」
そこで豫讓は姓名を変えて
刑人(罪人)と為り、
宮室に入りて廁を塗って
(豫讓は左官屋に扮装していた)
懐中に忍ばせた匕首で
趙襄子を刺そうとした。
趙襄子は廁に立った際に
胸騒ぎを覚えたため、
廁塗りの刑人を執えて尋問すると
まさしく豫讓その人であった。
懐の内に刃物を持っており
「智伯の仇を討とうとしたのだ!!」
と白状した。
左右の者が豫讓を誅殺しようとすると
趙襄子がこう述べた。
「彼は義人である。
吾が謹んでこれ(豫讓の復讐)を
避けておればよいだけのことだ。
それに、智伯は亡び後嗣も無いのに
その臣下が仇を討とうとしておるのだ。
彼こそはまさに天下の賢人であろうな」
結局、豫讓は釈放された。
(註釈)
晋国には※六卿と呼ばれる豪右たちがおり、
(※韓・魏・趙・范・中行・智)
紀元前458年に范と中行が滅び
韓・魏・趙・智の四姓が
晋の国土を分領していました。
彼らの専横を憎んだ晋の出公は
その打倒に乗り出しますが
あえなく返り討ちに遭います。
傀儡の幼主を立てて
権力を一手に握った智伯は
そのまま韓・魏・趙の三氏に
「領土を割譲せよ!」と要請しますが
趙氏の当主の趙無恤だけは
肯んじずに、韓・魏に共闘を持ちかけて
逆に智伯を討ち滅ぼします。
こうして晋の統治は崩壊し、
韓・魏・趙の三国に分裂してゆくのでした。
趙無恤はかつて、智伯に酒の席で
屈辱を受けたことから
彼のことを蛇蝎の如くに嫌っており、
その三族を討ち滅ぼしたあと
彼の頭蓋骨を酒の盃に
してしまったといいます。
(一説によれば、尿瓶にされてしまったとも)
刺客列伝、三番目に登場する豫讓は
智伯から厚遇を受けていた義士であり
主君の仇討ちの為に
尽力・奔走する内容となっております。
「士為知己者死」
〝士は己を知る者の為に死す〟
という名文句がここで飛び出しました。
これが「知己」の語源です。
豫讓はまず
左官屋に扮してトイレに潜み
趙無恤を殺そうとしますが、
趙無恤の第六感が警鐘を鳴らしたのか、
見破られてしまいます。
豫讓が智伯の仇を討つ為に
行動を起こした事を知った趙無恤、
彼を義士と認めて解放します。
趙無恤もなかなかの度量を
持った人物であることが窺えます。