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二十七、新たな斉王、漢楚の和睦
27.
項王之救彭城,追漢王至滎陽,田橫亦得收齊,立田榮子廣為齊王。漢王之敗彭城,諸侯皆復與楚而背漢。漢軍滎陽,筑甬道屬之河,以取敖倉粟。漢之三年,項王數侵奪漢甬道,漢王食乏,恐,請和,割滎陽以西為漢。
(訳)
項王が彭城を救援し
漢王を追撃して滎陽へ至ると、
(斉を放ったらかしにしたので)
田横もまた斉の地を接収し、
田栄の子の田広を立てて斉王とした。
漢王が彭城にて敗北すると
諸侯はみな再び楚につき、漢に背いた。
漢は滎陽に布陣すると
河に連なる甬道を築いて
敖倉の粟を運び入れた。
漢の三年、項王が
幾度か漢の甬道を略奪したため
漢王側は食糧が乏しくなってしまい、
恐れて和睦を請うた。
滎陽以西を分割して漢、
(滎陽以東は楚)とした。
(註釈)
項羽が劉邦をぶっ飛ばしているうちに
斉の田氏は息を吹き返してしまってます。
項羽ってマルチタスク苦手そう。
漢は抜け道を作って
食糧の補給路としましたが
楚に邪魔されて窮乏、
和睦を結びます。
これで終わり…………の訳がありません。