二十一前、左遷
21-1.
項王使人致命懷王。懷王曰:「如約。」乃尊懷王為義帝。項王欲自王,先王諸將相。謂曰:「天下初發難時,假立諸侯後以伐秦。然身被堅執銳首事,暴露於野三年,滅秦定天下者,皆將相諸君與籍之力也。義帝雖無功,故當分其地而王之。」諸將皆曰:「善。」乃分天下,立諸將為侯王。項王、范增疑沛公之有天下,業已講解,又惡負約,恐諸侯叛之,乃陰謀曰:「巴、蜀道險,秦之遷人皆居蜀。」乃曰:「巴、蜀亦關中地也。」故立沛公為漢王,王巴、蜀、漢中,都南鄭。而三分關中,王秦降將以距塞漢王。項王乃立章邯為雍王,王咸陽以西,都廢丘。長史欣者,故為櫟陽獄掾,嘗有德於項梁;都尉董翳者,本勸章邯降楚。故立司馬欣為塞王,王咸陽以東至河,都櫟陽;立董翳為翟王,王上郡,都高奴。
(訳)
項王は人を遣わして
懐王に命を致らせた。
(「命を捧げる」という旨を告げさせた)
懐王は「約束の通りにせよ」と述べ、
そこで懐王を尊んで「義帝」とした。
項王は自ら王にならんとし、
まず諸将や相らを王侯に
任じようと考え、こう述べた。
「天下に初めて難事が起きた際、
仮初に諸侯の後裔を立てて
秦を討伐したが、躬ら被堅執鋭して
事業を首め、野に暴露する事三年、
秦を滅ぼし、天下を定めたのはすべて、
諸相、諸君、そして
籍の力によるものである。
義帝には戦功が無いと雖も、
もとよりその領地を分割して
王とすべきものであろう」
武将や宰相らはみな
「それが善い」と言った。
かくて天下は分かたれ、
諸将は擁立されて王侯となった。
項王と范増は、沛公に
天下を窺う意思が有ると疑っていたが、
業はすでに講解しており、
また、
(先に咸陽に入った者を王とするという)
約束を違える事も憚られ、諸将が
その事から叛いてしまうのを恐れて、
そこで、密かに謀って述べた。
「巴・蜀は道が険しく、
秦から遷った者は皆、蜀に居る」
また、
「巴・蜀もまた関中の地である」
と述べ、沛公を立てて「漢王」とした。
漢王は巴・蜀・漢中(が領地とされ)、
南鄭が都となった。
関中は三つに分けられ、
秦から降伏した将軍を
その地の王として防がせ、
漢王(の進出)を塞ぐようにした。
項王はかくて
章邯を立てて雍王とし、
咸陽以西の王として配置、
都は廢丘とした。
長史の欣は、もとは櫟陽の獄掾で
嘗て項梁を助けた事があり、
都尉の董翳は、もとは
章邯に楚への降伏を勧めていた。
故に司馬欣(長史の欣)を
立てて塞王とし、咸陽以東、
黄河に至るまでの王として配置、
都は櫟陽とした。
董翳は翟王となり、
上郡の王として配置され
都は高奴とした。
(註釈)
論功行賞!!!!
秦を打倒し、功績のある諸将は
各地の王に任じられました。
「先に咸陽に入った者は関中の王とする」
先のこの約束を
ちゃんと履行しなさい……という
懐王からのお達しがありましたが、
依然として劉邦を警戒している
范増(と項羽)は
劉邦を僻地の巴蜀に飛ばします。
「いちおう、蜀も《《関中》》だよね?」
「元・秦の人間もたくさんいるって噂だよ」
と、もっともらしい事を言ってますが、
要は厄介払いです。
さらに、秦の降将である
章邯・司馬欣・董翳を
関中に配備し、劉邦が中原へ
上ってこれないように仕向けたのです。
古代中華では、右側を上、左側を下とし、
地図の左(西)側に
劉邦が飛ばされてしまった事から
「左遷」の語源となっています。
徳川家康もこのパターンでしたね。
辺境に飛ばされた筈が、
そこを発展させて、逆に
文化の中心にしちゃうっていう。
かくて「漢王」となった劉邦。
封地がそのまま国家の名称に
なるパターンが多いので、
劉邦が興した国も「漢」となります。




