五・六、これぞ商鞅法
5.
令旣具,未布,恐民之不信,已乃立三丈之木於國都市南門,募民有能徙置北門者予十金。民怪之,莫敢徙。復曰「能徙者予五十金」。有一人徙之,輒予五十金,以明不欺。卒下令。
(訳)
法令が既に具わっても発布しなかった。
民が信じぬ事を恐れたのだ。
そこで、三丈の木を
国都の市場の南門に立てて
「(この木を)北門に移し置ける
者がおれば十金をあたえる」
として、民を召募した。
民は怪訝に思い、敢えて
移そうとする者はいなかった。
今度は、
「移せる者に五十金をあたえる」
と述べると、
これを移した者が一人あらわれたので
そこで五十金をあたえて
欺かぬ事を明らかとし、
ついに法令を下知した。
6.
令行於民朞年,秦民之國都言初令之不便者以千數。於是太子犯法。衞鞅曰:「法之不行,自上犯之。」將法太子。太子,君嗣也,不可施刑,刑其傅公子虔,黥其師公孫賈。明日,秦人皆趨令。行之十年,秦民大說,道不拾遺,山無盜賊,家給人足。民勇於公戰,怯於私鬬,鄕邑大治。秦民初言令不便者有來言令便者,衞鞅曰「此皆亂化之民也」,盡遷之於邊城。其後民莫敢議令。
(訳)
法令が民に施行されて朞年(まる一年)、
秦の民で国都に之き、
初礼の不便を訴えた者は千を数えた。
ここに於いて太子が法を犯したので、
衛鞅は言った。
「法が行われぬのは、
上からしてこれを犯しているからだ」
太子を法にのっとって処罰しようとしたが、
太子は主君の後嗣であり
刑罰を施す事はできぬとして、
その傅役の公子虔を刑に処し、
その師の公孫賈を黥の刑とした。
翌日、秦の人々はみな法令に帰趨した。
施行されて十年で
秦の民は大いに悦び
道で拾遺(落とし物を拾う)
する事がなくなり、
山には盗賊がいなくなり、
家、人は給足(充足)した。
民は公戦に勇んで
私闘に怯えるようになり、
郷邑は大いに治まった。
秦の民で、当初は
不便だと述べていながら
今度は便利だと言いに来た者がいた。
衛鞅は、
「彼らはみな、教化を乱す民だ」
と述べると、盡くを
辺境の城に遷してしまった。
その後、民のなかで
敢えて法令を非難しようと
する者はいなくなった。
(註釈)
このシステマチックさ、
信賞必罰、これが法家だ!
【初礼】
〈【索隱】謂鞅新變之法令爲「初令」。[【正義】初令,謂鞅之新法。]〉
索隠によると、公孫鞅が
変更したばかりの法令を
「初礼」と謂っているのである。
正義によると、初礼は
公孫鞅の新法の事を謂っている。
【鄒】
〈【索隱】趨音七踰反。趨者,向也,附也。〉
索隠によると、鄒の音は七踰の反切。
鄒は、向、附である。




