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淡々史記  作者: ンバ
第六十八、商君列伝
251/274

五・六、これぞ商鞅法

5.

令旣具,未布,恐民之不信,已乃立三丈之木於國都市南門,募民有能徙置北門者予十金。民怪之,莫敢徙。復曰「能徙者予五十金」。有一人徙之,輒予五十金,以明不欺。卒下令。

(訳)

法令が既に具わっても発布しなかった。

民が信じぬ事を恐れたのだ。


そこで、三丈の木を

国都の市場の南門に立てて

「(この木を)北門に移し置ける

者がおれば十金をあたえる」

として、民を召募した。


民は怪訝に思い、敢えて

移そうとする者はいなかった。


今度は、

「移せる者に五十金をあたえる」

と述べると、

これを移した者が一人あらわれたので

そこで五十金をあたえて

欺かぬ事を明らかとし、

ついに法令を下知した。


6.

令行於民朞年,秦民之國都言初令之不便者以千數。於是太子犯法。衞鞅曰:「法之不行,自上犯之。」將法太子。太子,君嗣也,不可施刑,刑其傅公子虔,黥其師公孫賈。明日,秦人皆趨令。行之十年,秦民大說,道不拾遺,山無盜賊,家給人足。民勇於公戰,怯於私鬬,鄕邑大治。秦民初言令不便者有來言令便者,衞鞅曰「此皆亂化之民也」,盡遷之於邊城。其後民莫敢議令。

(訳)

法令が民に施行されて朞年きねん(まる一年)、

秦の民で国都にき、

初礼の不便を訴えた者は千を数えた。


ここに於いて太子が法を犯したので、

衛鞅は言った。


「法が行われぬのは、

上からしてこれを犯しているからだ」


太子を法にのっとって処罰しようとしたが、

太子は主君の後嗣であり

刑罰を施す事はできぬとして、

その傅役の公子虔こうしけんを刑に処し、

その師の公孫賈こうそんかいれずみの刑とした。


翌日、秦の人々はみな法令に帰趨した。


施行されて十年で

秦の民は大いに悦び

道で拾遺(落とし物を拾う)

する事がなくなり、

山には盗賊がいなくなり、

家、人は給足(充足)した。


民は公戦に勇んで

私闘に怯えるようになり、

郷邑は大いに治まった。


秦の民で、当初は

不便だと述べていながら

今度は便利だと言いに来た者がいた。


衛鞅は、


「彼らはみな、教化を乱す民だ」


と述べると、盡くを

辺境の城に遷してしまった。


その後、民のなかで

敢えて法令を非難しようと

する者はいなくなった。


(註釈)

このシステマチックさ、

信賞必罰、これが法家だ!


【初礼】

〈【索隱】謂鞅新變之法令爲「初令」。[【正義】初令,謂鞅之新法。]〉

索隠によると、公孫鞅が

変更したばかりの法令を

「初礼」と謂っているのである。

正義によると、初礼は

公孫鞅の新法の事を謂っている。


【鄒】

〈【索隱】趨音七踰反。趨者,向也,附也。〉

索隠によると、鄒の音は七踰の反切。

鄒は、向、附である。

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