五十四〜五十七、顓孫師
□顓孫師
54.
顓孫師,陳人,字子張。少孔子四十八歳。
55.
子張問干祿,孔子曰:「多聞闕疑,慎言其餘,則寡尤;多見闕殆,慎行其餘,則寡悔。言寡尤,行寡悔,祿在其中矣。」
56.
他日從在陳蔡閒,困,問行。孔子曰:「言忠信,行篤敬,雖蠻貊之國行也;言不忠信,行不篤敬,雖州里行乎哉!立則見其參於前也,在輿則見其倚於衡,夫然後行。」子張書諸紳。
57.
子張問:「士何如斯可謂之達矣?」孔子曰:「何哉,爾所謂達者?」子張對曰:「在國必聞,在家必聞。」孔子曰:「是聞也,非達也。夫達者,質直而好義,察言而觀色,慮以下人,在國及家必達。夫聞也者,色取仁而行違,居之不疑,在國及家必聞。」
(訳)
顓孫師は陳の人で、字を子張。
孔子より四十八歳年少であった。
子張が干祿(俸禄を求める=仕官)の
事について問うと、孔子は言った。
「多く聞き、疑わしきを闕く、
そのうえで言葉を慎めば
則ち、あやまちは寡ない。
多く見て、殆うきを闕く、
そのうえで行動を慎めば
則ち、悔いる事は寡ない。
言葉にあやまちが寡なく
行動に後悔が寡ないなら
俸禄はその中にあろうよ」
………………
他日、孔子に追従して
陳・蔡の間に在った際に
困窮してしまい、
行い(人々に行わせるには)に
ついて問うた。
孔子は言った。
「言葉が忠信、行動が篤敬であれば
蛮貊の国と雖も行う。
言葉が忠信でなく、行動が篤敬でなくば
州里と雖も行わぬよ。
立てば則ち、その前に参するを見て
車に在れば則ち、その衡に倚るを見れば
夫れは然る後に行われよう」
子張はこの事を諸紳(前垂れ)に書き記した。
子張は問うた。
「士は如何にすれば達と謂えましょうか」
孔子は言った。
「何だね、爾の謂う所の〝達〟とは」
子張は対して言った。
「国に在らば必ず聞こえ
家に在っても必ず聞こえる事です」
孔子は言った。
「これは聞であって達ではない。
そもそも達とは、質朴にして義を好み
言葉を察して色を観て
慮る事で人にへり下るものだ。
国に在ろうが家に及ぼうが
必ず聞こえるであろう。
そもそも聞とは、
顔色は仁を取りながら行いを違え
これに居して疑わぬものだ、
(これもやはり)
国に在ろうが家に及ぼうが
必ず聞こえるであろう」
(註釈)
先生の教えを即座にメモる子張、
可愛すぎかよ……。
白文読みづらすぎるから、
句読点ついてるテキスト
さがしてきました。
では改めて史記註です↓
【顓孫師は陳の人】
〈【索隱】鄭玄目錄陽城人。陽城,縣名,屬陳郡。〉
索隠によると、
鄭玄の目録では陽城の人。
陽城は県名、陳郡に属している。
【子張問干祿】
〈【集解】鄭玄曰:「干,求也。祿,祿位也。」〉
鄭玄はいう、
「干は、求である。
禄は、禄位である」
【多聞闕疑,慎言其餘,則寡尤】
〈【集解】包氏曰:「尤,過也。疑則闕之;其餘不疑,猶慎言之,則少過。」〉
包氏はいう、
「尤は、過なり。
疑わしきは則ち、これを闕けば
その余は疑わない。
なお言葉を慎めば
則ち、過ちは少ない」
【多見闕殆,慎行其餘,則寡悔】
〈【集解】包氏曰:「殆,危也。所見危者,闕而不行,則少悔。」〉
包氏はいう、
「殆は、危なり。
危うく見える所を闕き
行わねば則ち悔いは少ない」
【言葉にあやまちが寡なく、行動に後悔が寡ないなら、俸禄はその中にあろうよ】
〈【集解】鄭玄曰:「言行如此,雖不得祿,得祿之道。」〉
鄭玄はいう、
「言行がかくの如くであれば
禄を得られずとも
禄の道を得るということ」
【言葉が忠信でなく、行動が篤敬でなくば、州里と雖も行わぬよ】
〈【集解】鄭玄曰:「二千五百家爲州,五家爲鄰,五鄰爲里。行乎哉,言不可行。」〉
鄭玄はいう、
「二千五百家で『州』となり
五家で『鄰』となり
五鄰で『里』となる。
行えるだろうか、行えぬ」
【車に在れば則ち、その衡に……】
〈【集解】包氏曰:「衡,軶也。言思念忠信,立則常想見,參然在前;在輿則若倚於車軶。」〉
包氏はいう、
「(衡とは)衡軛である。
言葉は忠信を思念し、
立てば則ち参然と
前に在るものを常に見る(?)を想い
輿に在れば則ち車軛に倚るかの若し」
さっきは衡が「違える」って
意味で出てきたのに。
「はかる」という意味もあるし、
ここでいう「衡軛」の意味もあるし。
つくづく、送り仮名って偉大な発明よね。
【子張は諸紳に書き記した】
〈【集解】孔安國曰:「紳,大帶也。」〉
孔安国はいう、
「紳は、大帯である」
【国に在らば必ず聞こえ、家に在っても必ず聞こえる事です】
〈【集解】鄭玄曰:「言士之所在,皆能有名譽。」〉
鄭玄はいう、
「言士の在る所、皆能く名誉有り」
【そもそも達とは、質朴にして義を好み、言葉を察して色を観て、慮る事で人にへり下るものだ】
〈【集解】馬融曰:「常有謙退之志,察言語,觀顏色,知其所欲,其念慮常欲下於人。」〉
馬融はいう、
「常に謙退の志を有し、
言語を察し、顔色を観て、
その欲する所を知り、
その考慮は常に人に
へり下ろうとする(のが達だ)」
【国に在ろうが家に及ぼうが必ず聞こえるであろう】
〈【集解】馬融曰:「謙尊而光,卑而不可踰。」〉
馬融はいう、
「謙は尊く、かがやかしきもの、
卑しくとも、踰えるべきでない」
【そもそも聞とは、顔色は仁を取りながら行いを違え、これに居して疑わぬものだ】
〈【集解】馬融曰:「此言佞人也。佞人假仁者之色,行之則違;安居其僞而不自疑。」〉
馬融はいう、
「これは、佞人のことを言っているのだ。
佞人は、仁者の色を仮りる、
これを行えば則ち違える、
どうしてそうした偽りに居しながら
自らを疑わずによいという
ことがあろう」
【国に在ろうが家に及ぼうが必ず聞こえるであろう】
〈【集解】馬融曰:「佞人黨多。」〉
馬融はいう、
「佞人の支党は数多い」
「達」と「聞」ではどっちも有名になるが
その本質はまるで違う。耳が痛ぇや。